鳥落とす声 2
こちらへは仕事で来たのですが、台風の予想進路に幅があり過ぎて、継続するか中止するかの判断がギリギリまでできませんでした。まあ結局初日は中止になったのですが、どのみち仕事は2日ありましたから、2日目だけでもできればと思ってこのホテルに滞在した訳です。で、昨日の夜中のことなのですが、突然部屋の電話が鳴りまして、何事かと思って出てみたら、いきなり「堤防が決壊する。すぐに4階の宴会場に集まれ」って言われたんです。でも夜中のことですし、頭も寝ぼけていますから、しばらくぼんやりしていると、今度は部屋の外の廊下を大勢の人が走って行く音がしました。その人たちが叫んでいるんです「今すぐ4階の宴会場に集まれ!」って。慌ててドアを開けてみたら、誰もいない。他の部屋の人たちも、ドアを開けてキョトンとしていました。でもやっぱり不安になるじゃないですか。他のメンバーやスタッフにもたずねてみたら、みんな同じ電話を受けて、同じ声を聞いていたんです。それでとりあえず、宴会場に行ってみました。そうしたら、ホテル中の人たちが集まっていました。どうやらみんな同じ体験をしているようでした。それで5分くらいしたときですかね、急に真っ暗になったんです。停電したみたいでした。でも、このホテルは屋上に非常用電源があるらしくて、すぐに非常灯が点いたんです。すると、えっと、どう言えばいいのかな、信じてもらえないかもしれないですけど、宴会場の真ん中に、真っ黒い大きな馬がいたんです。しかも、後ろ2本足で立って。目が花火みたいにチカチカ光ってました。で、その馬が、しゃべったんです。人間の言葉をしゃべりだしたんです、馬が。
「諸君の身の安全は保障します」
それが第一声でした。
「ただし各自部屋の中でおとなしくしていること。ここから逃げようとしないこと。順守すべきルールはそれだけ。それ以外はすべて自由です」
馬はそう言いました。そしたら非常灯が消え、また真っ暗になって、でも次の瞬間照明が普通に点いて、でも、馬はもうそこにはいませんでした。夢でも見たのかな、って最初は思いました。けど、そのとき宴会場にいた人間が全員あの馬を見たんです。声を聞いたんです。それは間違いのないことでした。いったいどういうことなんだろう。そこで、私はこう思ったんです。一度ホテルから外に出てみればわかるんじゃないかと。私はすぐにエレベーターに向かいました。一緒に来た人も何人かいました。ところが、ボタンを押しても押してもエレベーターは反応しませんでした。これはダメだな、と思って階段に向かったんですが、階段は3階までしか降りられませんでした。2階の天井まで水が来てたんです。本当に堤防が決壊したんだ、とそのとき初めて理解しました。もうこうなっては仕方ないです、みんな自分たちの部屋に戻りました。でも私はまだどこかで疑ってたんでしょうね、部屋の窓から外に出られないかと思って、開けようとしたんです。でも開きませんでした。ロックがどうやっても外れないんです。しばらく頑張ってみたんですけど、無理でした。けどそのときになって気づきました。外が真っ暗だってことに。街の明かりが見えないんです。近隣一帯が停電してるんだ、と少し経ってから理解しました……の中で、ホテルだけが……あれ、バッテリ……
電話は切れた。その内容は、僕の耳を通じてそこにいる宇宙人たちにも共有されている。
「ホテルの部屋なら外線電話使えたでしょうにね」
呆れたようにミヨシが言う。
「そらわからんで。2階まで水に浸かってたんやろ。有線は使い物にならんかったかもしれん」
トド吉はそう言った。
「その前に、電話することは大丈夫なんでしょうか」
パスタが疑問を呈する。
「おとなしくしていること、逃げないこと、ルールはそれだけ。電話は最初から禁じられてないわね」
リリイが答えた。
「目的がわからん」伝蔵がうなった。「その黒い馬が以前我らが遭遇したものだとして、何のためにこんなことをしているのか。それが理解できん」
リリイが僕を見つめた。
「菊弥さんはどう思われます」
「僕が意見していいの」
「これは定例会議ではない。構わんよ」
伝蔵がうなずいた。会議かそうでないかの差って何なんだろうな、と思いながら、僕は答えた。
「デモンストレーションだと思う」
「この大層な騒ぎがデモやっちゅうんかいな」
トド吉は首を傾げる。僕は続けた。
「その大層な騒ぎを起こして、人をたくさん閉じ込めて、なのに電話は禁止しない。これは電話をかけてくれって言ってるのと同じだよ。電話で情報を発信してもらって、話が広がれば広がるほど、黒い馬にとっては有り難いんだろう」
「おまけにテレビ局のヘリまで落とせば、情報はあっという間に日本中に広がるわね」
ミヨシがいつになく真面目な顔をしている。
「いえ、世界中に広がりますよ」
パスタが目を丸くした。
「まさか、これが政治的デモンストレーションだとでも言うのか」
伝蔵が僕をにらむように見つめる。
「政治的かどうかは僕にはわからない。けど、世界に見せつけてるんだと思う」
「問題は、見せつけて何を望むのか、ですよね」リリイはつぶやいた。「見せつけられた側の反応がわかればいいんですけど」
「メディアに取り上げられる情報ならすぐ集まるけど、それ以上深いところはすぐには難しいわよね」
ミヨシがトド吉を見た。
「こんなことやったら、首相官邸に隠しカメラとか設置しとくんやったな」
「そんなことできるんだ」
引き気味の僕に、トド吉は胸を張って見せた。
「できるで。時間かければの話やけどな」
「誰か政府側に知り合いでもいたらいいんでしょうけど」
パスタがそう言った。
「あ」
僕の声に、一同の視線は集まった。
曇り空は時間と共に暗くなり、昼過ぎになると、ぽつり、ぽつりと雨粒が落ちてきた。やがて一面を雨が叩くようになった頃、空はなお一層暗くなった。もう夕方だ。日が落ちる。世間の人々が家から仕事場に向かい始める時間、その人波に逆らって、傘もささず歩く合羽姿の影が一つ。影は、『小鳥ホテル 頂』の駐車場門の外に立つと、ふいに座り込んだ。その様子を玄関の内側から確認して、僕は傘を手に外へ出た。雨音が足音を消す。でも向こうは気づいているはずだ。僕は滝緒の隣に立つと、頭の上に傘をさしかけた。
「雨が降ってるから来ないかと思った」
「……ごめん」滝緒はひざに顔をうずめた。「毎日毎日、ストーカーみたいだよね。気持ち悪いよね」
「らしくはないと思うよ」
「らしいって何よ。どんな私だったら私らしいの」
「あんまり繊細なたきおんを見せられると、僕は困る」
「何よそれ。私は鈍感で大ざっぱな方がいいって言うの」
「僕はその方が気楽だ」
「私は気楽じゃない!」滝緒は立ち上がった。「私だって、私だってたまには繊細なところとか、ナイーブなところとか、傷つきやすいところとか、見せたいの、見てほしいの」
「わかった。じゃ、そういうたきおんも見ることにする」
滝緒の顔が不満に歪んだ。僕を指さしなじる。
「ずるい。あんたずるい。勝手に縁切ろうとしたくせに」
「だってスポンサーの意向は無視できないじゃない」
「だったら、何で話しかけてきたの」
「そのスポンサーが、たきおんの話を聞きたいってさ」
「んんん、ああもう、ずるい」
かんしゃくを起こしそうな滝緒をなだめながら、僕は中へと誘った。
小さなシステムキッチンの向かいにPCデスク。椅子、デスクトップPCと並んでテレビ。その向こうに冷蔵庫があり、さらにその奥にはユニットバスのドアがある。女の子を招き入れるのは、ちょっとためらわれる雑多な空間。しかもそのPCデスクの上の棚にはボタンインコの伝蔵がとまり、椅子の背もたれにはヨウムのパスタが、PCのモニターの上には十姉妹のトド吉ファミリーが、テレビの上にはセキセイインコのリリイが、そしてキッチンのふきんかけにはモモイロインコのミヨシがとまっていた。さすがの滝緒も、戸惑っている。
「あの、つまり、この中に宇宙人がいるってこと?」
「全員宇宙人ですよ」
リリイは楽しそうだ。しかし滝緒は混乱した。
「イメージが、何か違う」
トド吉は不満そうに3度羽ばたいた。
「なあ、ワイはやっぱり反対やで」
「関西弁」
「そう言わないの、決まった事なんだから」
ミヨシが諭す。
「とにかく、いまは状況を説明して意見を聞いてみないと」
パスタもとりなすように言った。
「そうだな。まずは説明から始めよう」
伝蔵は滝緒の同意を求めることもなく語り始めた。ヘリの墜落が超低周波砲によるものだということ、鳥打帽の男と黒い馬、加津氏からの電話の内容、そしてデモンストレーションではないかという推論。
「それが事実だとして」しばしの沈黙をはさんで、滝緒は言った。「あなたたち以外の宇宙人が起こしてるってことなの」
伝蔵は首を振った。
「いまのところ異星文明の痕跡はない。しかし時空渡航者の可能性はある」
「時空渡航者は宇宙人とイコールではない訳ね」
滝緒の問いに伝蔵が答える。
「時間軸の異なる並行世界の地球から来た者ならば地球人だ。宇宙人というくくりには入るまい」
「その推測に根拠はあるの」
滝緒は腕を組み、手を顎に伸ばした。何か思い当たる節があるのだろうか。一方伝蔵はパスタを見やった。パスタはひとつうなずく。
「イングランドの古い伝承に、グラントと呼ばれる精霊の話があります。そのグラントは馬に似た姿をして、人語を話し、後ろ2本足で立ち、チカチカと光る眼を持っていると伝わっています」
滝緒は息を呑んだ。僕も驚いた。宴会場に現れた馬そのものじゃないか。
「ただしグラントの現れる時間帯は一日のうちで一番暑い時間帯、もしくは黄昏時とされていますから、まったく同じではありません。グラントの話す言葉も火災の告知であり、洪水の告知ではありませんから、これも違います。しかし、もしその黒い馬を遣わした誰かがいるのなら、グラントの伝承を知っていたかもしれません。そして少なくとも、ワンドレビリアの伝承は知っていたはずです。もしかしたら、ポッツオーリの浴場のことも知っていたかもしれない。ヨーロッパの古い伝承に造詣が深い人物である可能性が高いのです」
パスタの言葉に、滝緒もひとつうなずいた。
「つまり勉強熱心な宇宙人がいると考えるよりは、地球人と考えた方がスッキリするってことね」
「何か知ってるの」
僕の言葉に振り向くことなく、滝緒は目を閉じた。しばし沈黙。そして。
「取引しない」滝緒は切り出した。「私は知ってることを話す。その代わり、1つだけ質問させて」
「アカンアカン」
トド吉が声を上げた。
「こういう展開でろくなことになった試しがない。取引になんか乗ったらアカンで。この話はもう終わりや終わり」
「いや」しかし伝蔵が遮る。「いいだろう、その取引に乗ろう」
滝緒がニヤリ笑った。
「そうこなくちゃ。じゃ、先に私が話すわね。と言っても私は直接の担当じゃないからまた聞きの情報だけど、最近日本政府を脅迫してるやつがいるみたいなの」
「脅迫?テロリストですか」
パスタが目を丸くする。
「それがテロの脅迫ではないの。でも考えようによっちゃ、テロの脅迫より凶悪かもしれない。簡単にまとめて言うと、『日本という国家を解体せよ。解体して我々に明け渡せ。さもなくば力尽くで奪い取る』という内容」
「それ、本気にした人いるんですか?」
リリイが滝緒にたずねた。そりゃそう思うよな、僕は思った。
「もちろん、て言うか、普通に考えて本気にする人はいなかったわ。最初は。でも同じ内容の文書が世界中の国の政府に公式ルートで送られて、『新しい日本』の独立が宣言されていると聞いて、さすがに気持ち悪くなったみたい。関係各所に至急調査するように、とお達しがあったの。その関係各所のなかに、うちの民間伝承対策室も入っていたって訳。超自然的な力の介在も一応考慮に入れたんでしょうね」
「つまり山奥の旅館も幽霊屋敷もその流れの調査っちゅうことか。けどなんで菊弥を巻き込もう思たんや」
結局参加しているトド吉である。
「菊弥は本来別件。税務署の方から問い合わせがあったのよ。収入に疑わしいところのある店があるんだけど、税務調査に行こうとしたら調査員がことごとく体調不良になってしまう、どうにかならないか、って」
「あちゃー」
トド吉は頭を抱えた。僕はびっくりした。
「え、何。トド吉そんなことしてたの」
「いや、そう言われてもやな」
滝緒は続けた。
「最初は霊的なものか呪術的なものか、って調べてみたんだけど、どうもそういう気配がない。超能力的なものも感じられない、でも選択の仕方を見るに人の意志が介在しているように思える。ならばもしかしたら超技術的なものかもしれない、ってことで、私のところにまで話が回ってきたのよ」
なるほど、消去法で宇宙人の可能性に至ったということか。まあ消去法だろうと何だろうと、いまのこの社会の中で宇宙人の存在に気がつけるというだけで、凄い組織だなと思ったりするのだが。
「藪をつついてなんとやら、だな」
伝蔵がひとつ、ため息をついた。
「私が知っているのはこれくらいよ。参考になったかしら」
そう言う滝緒に、伝蔵はうなずいた。
「ヘリを落としたのは日本政府に対するデモンストレーションである可能性が高いと知れただけでも収穫だ。どのように落としたのかは謎だがな」
「じゃあ、今度は私が聞く番ね。質問してもいい?」
「いいだろう、答えられることなら答えよう」
「なぜ菊弥を選んだの」
滝緒の言葉に、僕はギクリとした。
「あなたたちがこの星で暮らすのに、カモフラージュが必要なのはわかるわ。でもどうして菊弥なの。いったいどういう理由で菊弥が選ばれなきゃならなかったの」
それは、なぜだろう。その疑問については、僕はこれまで考えたことがなかった。伝蔵は数秒の沈黙の後、ミヨシを見やった。滝緒もミヨシを見た。ミヨシはふきんかけの上で、居心地悪そうに身体を動かした。
「ひとつには、坊やが経済的に困窮していたことね。取り入りやすかったのは事実」眠そうな顔で、しかしハッキリとした声で話している。「でも貧しい人なんて、どこの国にもたくさんいる。坊やを選んだ理由はもうひとつあるわ。それは」
クシュン、ミヨシはくしゃみをすると、顔を振った。そしてこう続けた。
「坊や自身が時空渡航者になる可能性があったことね」
頭の上にクエスチョンマークが浮かんだ。何を言っているのだろう。意味がわからない。時空渡航には並行宇宙を行き来する技術を必要とする。そんな技術を僕が持っている訳ないではないか。
「それはつまり、菊弥が並行宇宙を行き来できる技術を持ってるってこと?」
滝緒も同じことを思ったのだろう、ミヨシにそうたずねた。するとミヨシは、トド吉を見つめた。トド吉は、ばつの悪そうな顔を浮かべている。
「並行宇宙を行き来するには2つのパターンがあるんや」トド吉は嫌々そうに答えた。「一つ目は、まあほとんどの場合がこのパターンやが、技術的に亜空間ゲートを開いて隣接する並行世界に侵入するやり方やな。9割9分、並行世界間の移動いうたらこのパターンで間違いない。けど例外的に、滅多にはないんやけど、ごくたまに、もう一つのパターンが存在する場合がある。それが、知的生命体が意志の力で空間壁を抜けて並行世界に達するパターン。これは特殊能力や。念力やらテレパシーやら、俗に言う超能力とも異質な、まだワイらの文明でも解明されてない未知の力を使う。ただ、使う力自体は未知のものでも、空間壁を抜けた痕跡は追跡できるんや。その追跡の結果、たどり着いたのが……」
「それが、菊弥だっていうの」
無言。滝緒の問いに、誰も答えなかった。それは肯定の沈黙。滝緒は僕を振り返った。問いかける視線。しかし、僕に答えられる解答などない。
「それいったいどういうこと。何でいままで僕に黙ってたの。いや、違う。僕は何でそのことについて疑問を持たなかったの」
僕は伝蔵を見た。
「いや、それはだな」
「僕の頭の中、いじったってことだよね」
トド吉を見た。
「まあ、その、いじったっちゅうか、なんちゅうか」
パスタを見た。リリイを見た。2人とも目をそらした。
「それで。坊やとしては、どうしたい訳」
ミヨシが僕に問うた。
「別に。しょうがないんじゃないの」
「えっ」
全員が目を丸くして僕を見た。
「しょうがないって、しょうがないって、それで良いの?」
滝緒が愕然としている。何をそこまで驚いているんだろう。
「良くはないけど、今さら怒っても、済んだことは仕方ないしね」
「いやいやいや、ここは怒るでしょ、感情的になるでしょ、自分を何だと思ってるんだ、って気持ちをぶつけるところでしょ」
「でも僕としてはそんな感情より、これからの生活が安定するかどうかの方が大事なんだよ」
「えぇ……」滝緒は額に手を当てた。そしてひとつ、深いため息をついた。「ああ、思い出した。あんたってば子供の頃から変人だったわ」
「そりゃ失敬だな」
「ほれ、ほれ見ろ、案ずるより産むがやすしということだ」
いったい何を案じていたのか、伝蔵がホッとしたかのように笑い始めた。
「別に怒ってない訳じゃないんだけどね」
僕は笑顔でそう言った。