第三話
五人の失敗が知れ渡り、もはやこの国で、かぐや姫に求婚する勇気のある者はいないように思われました。ただ、一人を除いては。
かぐや姫の噂は、ついに朝廷におわします帝の耳にも入りました。
帝は早くに帝位をお継ぎになり、立派に世をおさめておいででしたが、まだお若いこともあって、好奇心旺盛で、やんちゃをされるのが好きな方でした。“絶世の美女”“光り輝くほど美しい”などという言葉に最初は半信半疑だった帝ですが、五人の求婚を退けた話をお聞きになると、俄然興味を持たれたようでした。
「多くの男の人生を虚しく終わらせおいて、今なお結婚しないかぐや姫とは、いったいどれほどの女だ」
帝は、内侍の房子を翁の屋敷に遣わせることにいたしました。
最高権力者からの遣いを、翁と媼は恐縮して招き入れました。
「かぐや姫の容姿が優れているというので、よく見てくるようにと、帝に言われてまいりました。お会いできますでしょうか」
「すぐ伝えますので、少々お待ちくださいませ」
媼は血相を変えて、かぐや姫の部屋に駆け込みました。帝の遣いが来たという騒ぎはかぐや姫の耳にも届いていましたが、かぐや姫は頬杖をついて、さらさらと風に吹かれながら、静かに読書しておりました。
「姫、早く、あのご使者に対面しなさい」
「わたしは言うほど良い容姿でもありませんわ。お会いすると恥をかくだけです」
「どうして、そんな困ったことを言うのです。帝のご使者ですよ」
皆が慌てる姿を見るのが可笑しそうに、かぐや姫は薄い唇の端をあげました。
「帝のお召しのお言葉だからといって、別になんだというのでしょう」
いつもは聞き分けの良い娘なのに、異性の話となると、慇懃でありながらどこか突き放したような態度を取るのが、媼には不思議でした。それ以上叱ることもできず、嫗は内侍のもとに戻って、「残念ですが、娘は強情なものでございますから、お会いしそうにもありません」と言わざるをえませんでした。しかし、内侍も簡単には引きさがりません。
「必ず見てまいれとの仰せがあったものを、果たさないままどうして帰ることができるでしょう。帝のお言葉を、この国に住んでいる者が聞かないなどということは許されません」
伝書鳩のようになった媼が、かぐや姫にこの言葉を伝えると、かぐや姫は口元を押さえてくすくすと笑いました。
「まあ、何が可笑しいのです」
かぐや姫は答える代わりに、にっこり微笑んで言いました。
「帝の仰せに背いているんですから、早くわたしを殺せばよいわ」
内侍は宮中に帰って来て、この旨を奏上しました。
帝はやり取りの一部始終を黙って聞いておられましたが、かぐや姫の捨て台詞を聞くと、声を出して笑われました。
「さすが、多くの男を殺してきただけある」
どう反応してよいものか、周りの臣下が顔を見合わせるなか、帝はずいぶん愉しげにされていました。
「今回に関しては、引きさがるほかないな」
くっくっくと笑いをかみ殺しながら、何やら考えておいでのようでした。しばらくののち、帝は閉じた扇でパン! と脇息を叩きました。
「だが、お前の作戦には負けぬよ」
帝は、竹取の翁を朝廷に呼び出しました。
「お前の娘、かぐや姫を差し出せ。その美貌を聞いて使いを出したけれども、その甲斐もなく会えなかった。こんな失礼なことがまかりとおるべきではない」
帝の堂々としたお言葉に、翁は恐縮して「我が娘は、まったく宮仕えしない気でおりまして、私どもも持て余しております」と奏上しました。
「何故、爺が育てたのに、思い通りにさせられない? かぐや姫を差し出したら、官位でもなんでもやろう」
翁は喜んで家に帰り、かぐや姫に宮仕えするよう、改めて言い聞かせました。が、官位の話を持ち出すと、かぐや姫はかすかに鼻で笑いました。
「このように帝が仰せじゃ。それでもなお、お仕えしないのか」
「宮仕えをする気はまったくございません。強制するというのであれば、わたしは死にます。お父様は官位だけいただけばいいでしょう」
淡々と恐ろしいことを言うかぐや姫に、翁は青ざめました。
「何を言う。我が子を失うなら、官位なんて何の意味があるじゃろう。それにしても、どうして宮仕えをしないのじゃ。世間的には大変光栄なことだというのに、何故死ぬなどと言うのです」
「まだ嘘だとお思いなら、実際に仕えさせて、死なないでいるか見ていればいいわ。たくさんの方の求愛を無為にしてきたからこそ、昨日の今日で帝になびいたりしたら、それこそ恥だと思うのです」
「わかったわかった。お前の命のほうが大事じゃから、それでもお仕えする気はないということを申し上げよう」
翁は降参して、かぐや姫の言うとおりにすることにしました。参内して額を床につけんばかりに伏し、おそるおそる奏上しました。
「何度も説得したのですが、『宮仕えに出せば死にます』と申します。実は、私の本当の子ではありません。昔、山で見つけた子なのです。ですから、価値観も世間の人とは違うのです」
「ほう、拾い子か」
帝はますますかぐや姫に興味を惹かれたようでした。
「竹取の屋敷は山のふもと近くだったな。狩りに出かけるふりをして姫を見ることは?」
翁は頭を下げました。
「大変結構なことです。姫が油断している時に、ふらっと行けばご覧になれるでしょう」
帝は即座に日程を定めて、狩りに出かけることになさいました。
最小限の従者、最小限の装備で、帝は山へ向かわれました。裏手から屋敷に近づくと、輿から降りられました。従者をお残しになり、あらかじめ鍵を開けさせておいた裏門から、おひとりで屋敷に入られました。
翁が人払いをしておいたのか、屋敷は静かでした。家の中は風通しがよく、鳥がチチチと鳴く声が聞こえました。見知らぬ廊下を曲がったり戸を開いたりするのは、子どもの頃のちょっとした冒険にも似て、帝は愉快な気分で先へ先へと進まれました。
ふっと、帝の目の端が光をとらえました。心が洗われるような清々しい光でした。光のほうへ辿っていくと、部屋の隅に座っている娘の後ろ姿が見えました。ちらりと見える横顔は、それだけで息を呑むほどでした。
足音を消して、帝はかぐや姫にお近づきになりました。あと二、三歩というところで、畳がみしり、と音を立てました。
弾かれるようにかぐや姫が振り返りました。目を見開き、驚きで頬を桜色に染めた顔は、たくさんの美女を見てきた帝でさえも、言葉を失う美しさでした。
虚を突かれたかぐや姫でしたが、次の瞬間気を取り直し、くちびるを固く結ぶと、さっと逃げようとしました。
「待て」
帝も負けてはいません。すかさず大股で部屋を横切ると、隣の部屋に隠れる寸前のかぐや姫の袖をお捕えになりました。かぐや姫は抵抗しましたが、男の強い力に対してはどうにもなりません。できる限り横を向き、自由な反対の袖で顔を隠すことがやっとでした。
「無駄だ。もう見た」
帝は力を込めたまま、袖の隙間から見え隠れするかぐや姫の白い肌を見つめました。若い桃のような芳香が、帝の鼻をくすぐりました。それはとても甘美な感覚でした。
「お手をお放しください」
「逃げることは許さぬ」
思い切り袖を引っ張ると、かぐや姫がふらつきました。帝はか細い身体を両腕で抱きとめられると、またかぐや姫が顔を隠してしまう前に、顎に指をかけて前を向かせました。
帝はかぐや姫をまじまじと眺めました。
「確かにこれは、評判通りに美しいな」
「このような辱めを受けるくらいなら、わたしは舌を嚙みます」
人形のように表情を消して、かぐや姫は言いました。帝は手を放して破顔されました。
「そうそう。この気性も評判通りだ」
帝が愉快そうにしていらっしゃる横で、かぐや姫は黙りこくりました。
「だがお前の負けだよ。このまま宮中に連れて行く」
「できません」
「何故? 私は帝だ。できないことはない」
姿勢を正して息を整えると、かぐや姫にいつもの涼やかな表情が戻りました。裾を払い、まっすぐ帝の目を見据えました。
「お連れになることはできません。わたしはこの国に生まれた者ではございませんから」
「今こうして喋っているのに、何を言う。とにかく連れて行くぞ」
再度かぐや姫の身体を引き寄せようと、手を伸ばしたときでした。かぐや姫は、パッと光になり、帝の目の前から消えてしまったのです。
帝はしばらく呆気にとられていました。おもむろに前後左右を見渡しても、人の気配はありませんでした。
「本当に、ただの人間ではなかったというのか」
信じられない思いと、すべてに納得がいくような思い、ふたつの相反する気持ちが帝の胸に去来しました。
「わかった。ならば一緒に連れて行くのはよそう。元の姿になっておくれ。それを見て、今日は帰ろう」
虚空に向かって呼びかけた途端、かぐや姫は元の姿になり、さっと座って中庭のほうを向いてしまいました。
帝は感嘆のため息を吐かれました。そして、かぐや姫の隣にあぐらをかいてお座りになりました。
しばらく二人はその姿勢のままでおりました。
「……いつまでいらっしゃるおつもりでしょうか」
「もうしばらく。減るものでもないし、いいだろう」
「わたしの心がすり減ります」
「黙っていれば楚々としているのに、まったく歯に衣着せぬ娘だ」
そう言いながらも、帝はお怒りになる様子もなく、楽しそうに目を細めました。
かぐや姫は帝に振り返りました。
「不気味ではないのですか?」
「何が?」
かぐや姫は一瞬言いよどんだのち、小さな声で続けました。
「わたしが、人ならざる者であることが」
帝はくつろいだ様子でおっしゃいました。
「天皇家の始祖であられる神武天皇は、神の御子で、百二七歳まで生きたと言われている。それなら、お前のような存在がいてもおかしくはないだろう」
あんまり平然とおっしゃるので、かぐや姫は力が抜けてしまいました。
「……変わったお方」
愛らしいくちびるの間から、白い貝のような歯が覗きました。笑うかぐや姫を見て、帝は満足そうにされました。
帝はかぐや姫にいろんなことを尋ねました。最初はそっけなかったかぐや姫も、だんだん会話に応じるようになりました。帝はかぐや姫の機知に富んだ受け答えや、知識量に舌を巻かれました。
気付けば日が暮れかけていました。帝はとうとう重い腰をあげました。
「名残惜しいな。ずっと話していたい」
「宮中には行かないお約束です」
「それは承知している。だが、また会いに来ることはできるだろう?」
かぐや姫は背の高い帝を見上げました。
「政治のお仕事が、そんなに暇とは知りませんでしたわ。それともこの国の帝は、ご自分では何もせずに、ただ遊び呆けてお暮しになっている馬鹿者なのかしら」
帝は苦笑いされました。腰をかがめると、かぐや姫の顔に自らの顔をお近づけになりました。
「私にそんなことを言うのは、お前だけだな」
かぐや姫は静かに微笑みました。
帝は指先をかぐや姫の頬に伸ばしましたが、「だめです」とかぐや姫が遮りました。帝もそれ以上は無理強いなさいませんでした。
帰り際、帝はかぐや姫に歌を贈りました。
“還るさの みゆきものうく思ほえて そむきてとまるかぐや姫ゆゑ”
(帰るための道行きが物憂く思われて、振り返っては止まる。かぐや姫のために)
かぐや姫からも、すぐに返事がきました。
“むぐらはふ 下にも年は経ぬる身の 何かは玉のうてなをも見む”
(草むらの茂った下で年を経たわたくしが、どうして宝石の宮殿を見て暮らせるでしょうか)
かぐや姫らしい切り返しに、帝はにやりとしました。しばらく今日の出来事を反芻しておられましたが、やがて凛々しい声色で、輿の外に告げました。
「出せ」
帝の一行は、竹取の屋敷をあとにしました。