Prologue
ショウの恋話……いや悲恋ですね。
「………………」
王都の一画にある事務所のリビングは紫煙で満ちている。
ソファに腰掛けるのは黒髪を短く纏めた青年だ。
彼は従業員達が居ないのを良い事にローテーブルへ両脚を投げ出し、紫煙を燻らさせつつ両腕を後頭部へ遣り、天井を見上げていた。
「………久々に思い出したな……」
そう呟いた彼は肺へ吸い込んだ紫煙を吐き出すと、溜まった灰をローテーブルに置いた灰皿へ叩き落とす。
「……いや、“久々にしか”思い出さなくなったのか…まぁ良いか…どうせ昔の話だ」
短くなった煙草を唇から外し、その火種で新たなそれへ火を点してから押し潰す。
新しい煙草だが−−紙ケースの中身は、これで最後だ。
「……なぁ…そっちは良い所か?…まぁ…俺は逝きそびれちまったけどな……−−−」
−−−狭苦しく、薄汚い輸送機のキャビン。
響くのは双発のけたたましいエンジン音。
そして詰め込まれている“貨物”は戦争の狗−−その中でもジェット戦闘機の操縦ライセンスを取得している連中。
ざっと…10人ぐらいはいるだろう。
俺が傭われたのは……名前は伏せるが……“某所”にある紛争地域。
それも国境は、かつてのソ連と接しているホットな場所だ。
ソヴィエト崩壊後から本格的な紛争が始まり、未だに決着が着いていないときている。
旅客機のエコノミーが天国に思える硬いシートに腰掛けつつ、手元の資料へ目を通す。
内容は現在の戦況に始まり、所属する基地、部隊、契約に基づく報酬、そして宛がわれる機体についてなどについてだ。
俺の愛機になるだろうそれは…Su-27になるらしい。
ソ連が開発した制空戦闘機。
F-15−−開発以来、世界の空を統べてきた、それとやり合っても勝つ事が出来ると触れ込みの機体である。
操縦経験はないが…一週間ほど慣熟飛行に専念すればクセも判るだろう。
まったく戦闘機をかっ飛ばすより、地べたに這いつくばって敵兵を狙っていた方がマシだ。
良い仕事がある、と仲間から誘われたのが運の尽きだろう。
まぁ…久しぶりの飛行だ。勘を取り戻さないとならない。
カーゴパンツのポケットからLUCKY STRIKEとジッポを取り出して火を点けるが−−
「機内は禁煙だ。子供でも知ってるぞ馬鹿野郎」
−−自動小銃を担いだ正規兵に咎められてしまった。
それに軽く手を振って携帯灰皿へ煙草を放り込み、到着までフテ寝をする事に決めた。
何処からか彼方から微かに燃焼したジェット燃料の芳しい匂いが漂って来る。
それもその筈だ。
現在、歩いているのとは別の滑走路に轟音と共に帰還した偵察機の二機編隊がランディングしていた。
「ナイスランディング」
呟くと私物や教本を入れたダッフルバッグを肩に担ぎ、先行する正規兵に着いて行く。
どうせ着任の挨拶を基地司令あたりにでも告げるんだろう。
まったく…面倒臭ェ。
お偉方の顔を見るよりも自分の棺桶にさっさと会いたいモンだ。
溜息をひとつ零して歩いていると付近の傭兵の何人かが、あらぬ方向を見て口笛を吹いている。
何事かと思い、横目で視線を向けた。
……俺はワルキューレでも見たんだろうか。
いや…そう思わないと納得できない。
視線の先に居たのはティアドロップ型のサングラスを掛け、ハニーブロンドの長髪をポニーテールにした妙齢の美女。
それだけなら何処にでも居る美女と決め付けられる。
彼女の服装はパイロットスーツだ。
つまりは…パイロット。
袖についている所属部隊を示すワッペンは見当たらなかったが、おそらくは間違いなくパイロットだろう。
しかし…あんなに長髪で頭がヘルメットへ収まるのだろうか、と疑問に思う。
「オォ、すげぇナイスじゃねぇか!!」
「よぉ姉ちゃん、俺とベッドの上でランデブーしねぇか!!?」
ゲラゲラと傭兵らしい野次を飛ばす同僚となるだろう連中。
こんなナンパで引っ掛かる女が居るなら是非とも会ってみたいモノだ。
そう思っていると、件の美女が近付いてくる。
誰に用があるのか、と予想していると彼女は一直線に俺へ歩み寄ってきた。
「ショウ・ローランド特務中尉…貴官で間違いないかしら?」
戦乙女はそう言うと手に持っていたバインダーに挟んだ書類を見せてくる。
それは俺の写真付きの履歴書だった。
「…アンタは?」
「挨拶が遅れたわね」
戦乙女がサングラスを外して胸ポケットへ挟み、少し乱れた前髪を靡かせて直すと、閉じていた双眸を開ける。
輝くマリンブルーの宝石の如き両眼に意識が吸い込まれた。
「私はアレクサンドラ・ベレゾフスキー中尉。TACはウラガン。貴方の二番機になるわ。それで…貴方のTACは?」
「…猟犬(Hound)で良い」
「判ったわ。よろしくハウンド」
これが“嵐”のTACネームを持つ戦乙女との出会いである。