兄と妹と朝食と。
登場人物のビジュアルは各自脳内でお願いします(丸投げ)。
「ぅおにいぃぃちゃああああああああんんんんんっっっ!!!!!」
「いぃぃいいいいいいいもうとぉぉぉぉおおおおうっっっ!!!!!」
朝の閑静な住宅地に俺達兄妹の声が響き渡る。
がちゃ! ダダダッ!! ひしぃぃぃッ!!!
ドア、トゥ、ハグ。
昨日の夜布団に就いてから今日の朝目を覚ますまでの間、逢うことの出来なかった俺達はまるで織姫と彦星。夢の中でも会えたらと歌う者が居るように、その辛さは誰もが抱く寂寥の念と言えよう。
「お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃん! 寂しかったです苦しかったです! めぐるの枕は涙に濡れましたっ!」
「ああ…、ああっ! 解っているとも妹よっ! 兄も辛かった苦しかった! お前を抱き締めてやれない自分に身も千切れる想いだった…っ!」
「あぁ…お兄ちゃん」
「めぐる…」
涙で瞳を潤ませる妹の頬を、俺は両の手を以って優しく包む。
親指でそっと目尻を拭ってやると、涙の消えた妹の顔には、薄紅の恍惚だけが残った。
俺の名は轟駆。世界で一番、己の妹を愛している男だ。
朝食の席での話しである。
「お兄ちゃん、やっぱり夜は一緒に寝ようよぅ」
我が父である轟大河が朝一番の味噌汁に口を寄せた折、我が妹の轟巡が朝食に箸を付けるより先ずその言葉を口にした。
「めぐる、お兄ちゃんと一緒じゃないと寂しくて……びしょびしょになっちゃうよ…」
俺の対岸で、そう妹は瞳を潤ませる。涙で枕を濡らしてしまう寂しがり屋な妹が愛しく、そして心配で、俺は死にそうになった。
「ぶほ…っ!」
「父さん、朝食は落ち着いて食べるのが作ってくれた者への礼儀だと思うんだ」
「す…すまない……」
すするという行為が如何して真逆の結果に結びついたのかは想像も及ばないが、味噌汁を逆噴射せしました親父殿は俺の言葉に二、三度咳払いをしてから目を伏せた。
黙祷。そう言っても過言ではないだろう日本男児たる堂々とした姿に、若輩ながらに苦言を申し立ててしまった俺の胸の痞えもすっと形を失う。見れば我が母、轟華衣も夫の勇ましい姿に胸を打たれたようだ。胸を打っている。
自分の仕草が少々大袈裟だと思ったのだろう、母は急いたように湯飲みを口に寄せると一息と共に表情を改めた。
「…巡、女の子はそういう言葉を大っぴらに口にしてはいけません」
「………? はい、お母さん」
「解ってないのに頷くのは止めなさいね。……はぁ」
流石は我等が母。娘の事をよく解っている。
吐息一つで会話を打ち切るその姿は最早様式美と言えるほどに美しく、妹の将来をより明るいものにした。
「だからねお兄ちゃん、一緒に寝よ? …ダメ?」
窺うように上目遣いを寄越す巡。何故か父と母がギョッとした顔をして俺の方を見る。
そんな妹の姿は無条件で頷いてしまいたくなるほど愛しいものだったが、俺は断腸の思いを以って首を横に振った。
「それだけは駄目だ」
「…そっ、そうだなっ! 男女七歳にして席を同じゅうせずと言ってだなっ!」
「ええ…ええっ! そうです! けじめはしっかりとしなければいけませんものっ!」
何故か慌てる両親が気にはなったが、それよりも先ず、俺は俺の言葉で今にも泣き出さんばかりに瞳を潤めてしまった妹の方が大事だ。
「お、おにっ…おにちゃ…は、め、めぐると、ねゆの…っ」
顔いっぱいに不安という文字を貼り付けた妹の姿。ショックでか呂律が危うい。正に天使だ。その様は最早、大量虐殺兵器と言えようほどに愛らしい。
俺は無条件で死んでしまいたくなるのを決死の気概で思い止まった。…おや、何だか矛盾してしまったような。
ともあれ、最愛の妹に何時までもそんな顔をさせておく訳にもいかない。
俺はもう一度…今度はそっと優しく首を振って見せると、巡に向かって笑顔を向けた。
「違うよ、巡。兄は常にお前と一緒に居たいと思っている」
「お…おにいちゃぁぁあんんっ」
ぶわわ、と巡の瞳から涙が零れてしまったが、これは嬉し涙なので善しとした。
視界の端に映った両親も何だか涙を耐えているような引き攣った顔をしていて、涙脆い家族だな…とそんな事を思う。
「だが、巡。俺はお前と閨を共にしたら間違いなくお前を女にしてしまうだろう。俺はまだ経済的にお前を食わせていける立場ではないし、それに何より、お前の身体が男を受け入れられるほど出来ていないんだ」
「……おにいちゃん」
「今も苦しいと思う。だが解って欲しい。兄は何より、お前を傷付けてしまうのが嫌なんだ…」
「………」
俺の告白に巡は強く瞼を閉じた。
すぐさま開かれた瞳はまだ微かに潤んではいたが、力強く頼もしい輝きが宿っていた。
「お兄ちゃん! めぐるは解りました! お兄ちゃんのものにして貰えるようになるまで、めぐるは頑張って我慢しますっ!」
「…くぅ、解ってくれたか……妹よっ!」
「お…おにいちゃんっ!」
ええい、食卓さえなければ今すぐにでも抱き締めてやれるというのにっ!
だが、母が手によりを掛けて作ってくれた一日の基本にもなる朝食を薙ぎ払うなど、日本男児の取って良い行動ではないのだ。神は死んだッ!
「………」
「………」
美しい兄妹愛に、両親たる父と母は言葉も出ないようだった。
俺と同じ気持ちなのだろう、今すぐにでも抱き付いて来たそうな顔をしている巡に、俺は予てより考えていたものを教えてやる事にする。
「それにな、巡。兄は一つ良い案を考えていたのだ」
「流石ですっ、お兄ちゃん…っ!」
その案とは、と瞳を輝かせる愛妹に頭の中でまとめておいたものを披露した。
「とある書物によれば、夢とは訓練次第で自由に出来るものらしく……」
「……母さん、どぉしてこうなったんだろうなぁ…?」
「もはや…育て方を間違ったとかそういう話じゃないですからね……」
こうして今日も、騒がしくも愛に溢れた朝食の一時が過ぎていくのである。
これまた所謂気分転換なので、続くとしても鈍亀の歩みなのである。