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悪魔

 翌朝。県立西小学校五年二組。

 学級委員長の悠馬は黒板上の時計を仰いだ。HR開始の二十分前。今日はこの時間までに集まるよう、昨晩の内に連絡を回しておいた。

 彼はクラス中央、柊の席まで行くと、机の上に腰かける。


「あれ、もうそんな時間?」


 椅子に座っているこの席の主、柊が彼を見上げた。悠馬はうん、と返事をし、机の上にあったカンペンケースを手に取る。


「注目ー!」


 声を張り上げながら、カチャカチャと振り回す。柊が「芯、折れる!」とひったくり、彼はゴメン、ゴメンと笑いながら謝った。

 教室中のおしゃべりが止み、クラス中の視線が集まる。

 悠馬は二十九人全員の顔を見渡すように首を巡らせた。若干一名が机に突っ伏して寝ていたが、アイツはとぼけたふりして結構周りがよく分かっている、と好きにさせることにした。口を開く。


「昨日の首尾を報告し合おう。まずは柊、どうだった?」


 悠馬は『親友』に視線を戻し、尋ねる。柊が顔をしかめた。


「お前さ、アイツに俺のこと可哀想なヤツだって言ったろ? 演技するの大変だったんだからな」

「どんな設定?」

「道を歩けば犬に吠えられ、転べばフンを掴む。大事な場面ではいつもポカやらかして、遠足は休めと言われる皆から敬遠されてる雨男」


 誰かが吹き出す音や、「何それ、カワイソー」といった声が次々と上がった。

 それから? と悠馬は促す。


「なるべく情けない声で不幸話を聞かせてたら、段々苛ついてくるのが分かって面白かったよ。頑張って抑えてたみたいだけど。それがさ、なんとか背中見ようとしても、絶対に隠しやがんの。正面しか向こうとしねーんだって。笑うっつの!」


 クラス中が爆笑の渦に巻き込まれた。柊が得意げに続ける。


「最後に、好きな子の願い事を叶えてほしいっつって帰ってもらった。怒り狂ってたのか、髪の毛逆立てて出てったよ」


 怖ぇ怖ぇ、と彼は押し込みの訪問販売を撃退したかのように締めくくった。


「その好きな子って誰だー?」と誰かが茶化すように質問する。

「多分、私」


 教室の端にいた麻央が、控え目に手を上げた。彼女は柊の幼馴染みで、クラスの中でも大人しい方だ。


「柊って麻央のことが好きだったんだ!」と麻央の隣に座る彩花が囃したてる。

「んなわけねーだろ!」と怒った声で柊が即座に突っ込んだ。


 周りも口々に冷やかしの声を上げる。だがそこには、親しい友達同士が事実を承知している上で、軽い冗談を言い合っている、という明るい雰囲気しか存在しない。それが分かっているから引っ込み思案の麻央も、困った顔をしつつも本気では嫌がらないし、からかう声もしつこくは続かなかった。


「私、怖かったしバレないか心配で心配で……。すぐ彩花ちゃんの所へ行ってもらっちゃった」


 麻央がその時のことを思い出したかのように、身震いしながら胸に手を当てた。

 それから、彩花、大地、拓海、という具合に一人一人が順番に武勇伝を報告していく。悠馬は一つ一つに相づちを打ちながら聞いた。

 ビビが去った後、彼はクラス全員に携帯メールを一斉送信した。自称天使が現れたこと。その天使が持ちかけてくる取引と、条件。それから注意事項。次は柊の所へ向かうということを知らせ、ビビがそこから順番にクラス中の人間を巡るようにするよう指示を出した。話を聞いている限り、皆うまくやってくれたようだった。


「最後は……航か」


 悠馬は好奇心を刺激され、目を細める。一番前の、真ん中の席。航は、「自分で作ったグライダーで世界一周してみたい」と口に出す変わり者だが、全国模試でいつも上位に名を連ねるほど頭がいい。彼があの天使モドキにどう対処したのか興味があった。

 机に突っ伏していた航が眠そうに身を起こし、赤くなったおでこをさする。脇に置いていた眼鏡をかけて、発言を開始した。


「僕の所に来た時は、あの――確かビビだったよね? ビビはかなり疲れているみたいだった。もう夜中の二時を過ぎてたかな。髪も羽も黒くなってたよ。僕は開口一番に、火星に住みたいって言ったんだ。本当に文明があったのか、自分で調べてみたかったんだよ。これが叶えられるんだったら、悪魔に魂を捧げたっていい。別に、火星を人の住める環境にしてほしいって言ったわけじゃないんだよ? 僕だけが住めるようになればそれでよかったのに……。それなのにさ、あいつ、ただの三下だよ。それはできないって断ってきたんだ」


「確かに大したことなかったよね」と女子が笑い合う。「そうそう、こっち見下してる感じだったしさあ」「アイツに騙されるのって、よっぽど短絡的なニンゲンだよね~」


 航が肯定するようにずれた眼鏡の位置を直し、立て板に水な不平不満を再開する。


「どうして駄目なの? って問い詰めた。最初はビビも、地球を離れた魂は戻れなくなるだとか、常識の範囲内に収まる内容でないと、とか色々言い訳してた。でも最後には認めたよ。要するに、アイツの力じゃそこまで大層な願いは叶えられないんだって。悠馬からメールが来た時、わくわくしてたんだ。沢山ある願い事を吟味してさ。それなのに、てんで低級だったんだもん。ガッカリだったよ」


 ちょっと僕の身体を火星用に改造して、そこまで送り込んでくれるだけでよかったのに……とぶつぶつ不満を零している航に苦笑し、悠馬は「それで?」と促す。


「まあ他にも色々あるからさ、次々列挙してったわけ。『自分の足で走って音速の壁を超えてみたい』とか『キリストの時代まで遡って、人柄を確かめてみたい』とか。知ってる? キリストって、一般にイメージするストイックな人間じゃなくて、食べたり飲んだりして騒ぐのが大好きな陽気な人だったって記録も残ってるんだって。ついでに実際の説法も聞いてみたかったし。そんなのも悉く却下されちゃったけどね」


「自分が悪魔祓いされるとでも思ったんじゃん?」とどこかから声が上がり、「言えてる!」と誰かが賛同した。ふざけた男子の一部がエクソシストの真似事をしている。祓われた悪魔役が「ギャー」と大袈裟に叫んだ。


「結局、明け方までそんなやりとりを続けて、慌てて帰ってったよ。太陽に当たると灰になっちゃうのかも」

「あれ。航もしかして、寝てない?」


 悠馬が驚いて問いかけると、うん、と答えが返ってくる。


「もう、眠くて眠くて」


 航がふわあぁ、と盛大なあくびをした。


「分かった。ミキちゃんには言っといてやるから、保健室で寝てこいよ。念のため夏希がついていってやって」

「ラジャ!」


 保健委員の夏希が敬礼の真似をしながら答える。


「ありがと」


 航が言った。

 他に眠い奴は? と尋ねたが、最後の方は夜更かしの得意な者たちが対応したらしく、我慢できると口を揃えた。

 「お疲れー」「お休み」と口々にかけられる声に短い返事をして、航は夏希に付き添われ、再度の大あくびをしながら教室を出ていった。


 それからクラス中が、昨夜の愉快な体験の話題で持ちきりになった。柊が、「あの時アイツったらさあ」と楽しそうに話しかけてくる。またあんなことが起こらないかな、と片隅で考え、悠馬も笑いながら応じた。



 五年二組担任、早川美紀が教室に辿り着いた時、中からは和やかな声が響いてきた。和気藹々とした雰囲気が、廊下まで漂ってくる。

 このクラスは委員長の悠馬を中心に、一本の太い縄のように結束している。勉強面では苦手な分野を得意な者が教えることで補い合い、運動面でも鈍い子を馬鹿にしたり外したりすることもない。行事ごとにはクラス一丸となって取り組み、陰湿なイジメとは無縁だった。他のクラスの先生方にも、よく羨ましがられる。この小学校では、担任は二年間同じクラスを担当する。卒業まで美紀が受け持つ予定だった。それが本当に誇らしい。

 満足感を噛み締め、彼女は横開きのドアを開け、教室へ入っていった。


「みんな、おはよう!」

「おはようございまーす。先生、航君が具合悪くて保健室に行きました」

「本当? かなり悪そうだった?」

「大丈夫だと思います。私が付き添ったんですけど、寝たらよくなるって言ってました」

「そう、よかった。先生もあとで様子を見にいってくるね。では、出欠を取ります」


 今日も、楽しく平和な一日が始まる。



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