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君色空  作者:
7/8

第7話



チリンチリンと鳴り響くその中は、あの時以来何も変わっていなかった。



「いらっしゃ・・・。君は、耕志の・・」



彼と何度も訪れた喫茶店も、彼と別れたあの日以来である。



私の声に、スーツを着た初老の男性が、読んでいた新聞から顔を上げた。

そして優しく微笑んだ。



その微笑に、少しの戸惑いを感じる。



店内をぐるりと見回す。そんな自分が、あまりにもおかしくて笑えない。



今日でこの想いを終わりにする。そう決めたんだから。



「良く来たね」



私があの時、彼と一緒に座った席にいると、マスターが紅茶を出してくれた。



「・・・。耕志とは、もう逢っていないんだろう?」



マスターは私の前に腰を下ろした。そして深いため息と共に、言葉を吐き出す。



「今、あいつ、元気がないんだ・・・。あんなに元気のないあいつを見るのはあの時

以来だな・・・。ねぇ、あいつが何で目が見えなくなってしまったか、知っているかい?」



マスターが窓の外を見た。冬の名残が残る空に、微かな春の香りを乗せた光が、駆け巡る。



「空を見上げながら歩いていたら、車に跳ねられたって・・・」



「・・・。やっぱりな」



そう言うと、マスターは胸ポケットから一枚の写真を取り出して、私に見せた。

そこには幼いころの彼と、同い年ぐらいの少年が楽しそうに笑っている。

見知らぬ少年は、片手に白い杖を持っていた。



「あいつの目が見えないのは、俺の息子のせいなんだよ。俺の息子は先天的に目が見えなくて。

その息子が道に飛び出してさ、それをあいつが助けようとしたんだ」



私を囲む空気が凍る。彼はあんなに明るかったのに、私よりも暗い闇を背負っていたなんて。



「俺の息子は、結局助からなくてね。耕志は友達と視力を、一瞬で失ってしまった」



温かな紅茶に、少量の塩水が落ちた。ぽちゃ、という音が、むなしく店内に響き渡る。



「だから、もう2度と、あいつに失ってもらいたくないんだよ。大切な何かを」



無意識に手に力が入った。ぽちゃ、ぽちゃ、と塩水が紅茶に入っては、飛び跳ねる。



「・・・私、あんな酷いことをしたのに、もう、無理ですよ。遅すぎますよ・・・」



今まで隠してきた想いが、一気に込み上げて来る。それらは舌の上に乗り、

言葉にならず、消えていく。



椅子から立ち上がり、私は出口へと向かった。



ドアノブに手をかけた瞬間、カウンターに静かに座っていた初老の男性が立ち上がり、

口を開いた。



「遅すぎるなんて、この世には存在しないんだよ。それは単なる君の思い込みに過ぎない。

まだ間に合うものまでを、諦めても良いのですか?」



私は驚いて、立ち止まってしまった。その男性は私に近づいてきて、私の耳元で囁いた。



「『やっておけばよかった』この気持ちは意外と厄介なものですよ」



たくさんの皺が刻まれた、大きな両手が、私の手を包み込む。



「行きなさい、あの公園に。もうあなたは気が付いている筈です、自分の正直な気持ちに」



彼の強い瞳に、私は何も言えない。



私は小さく頷き、店を出た。ドアベルが心地よく鳴り響く。

私の背中を、そっと押すかのように。




「先生、耕志はちゃんと彼女に気がつくんでしょうか。

実際、あいつは見たことがないんでしょう・・・?」



マスターが心配そうに呟く。先生と呼ばれたその男性は、カップに手をかけながら答えた。



「あの二人なら、きっと大丈夫ですよ」



満足そうに、言いながら、彼は持っていた新聞を読み始めた。



「先生、耕志の目を治してくれて、本当にありがとう。改めて礼を言わせてくれ」



その男は、ははっと笑って言った。



「彼だから、成功したんだと思います。『やっておけばよかった』と思いたくない、と

彼が言ったんですから」



男性は立ち上がり、窓辺に向かった。そして、ポツリと呟いた。



「二人には幸せになってもらいたいですね・・・」






ずっとずっと、鏡に映る自分の姿が嫌いだった。



それはクラスメイトから「ブス」と言われているぐらいの、

醜い自分を見たくないから、そう思い込んでいた。でも現実は違う。



それは単なる思い込みに過ぎなかった。



本当は、自分の正直な気持ちから目をそらしたかっただけだった。



「ブス」と言われて哀しむ自分が嫌だった。



乱暴に言葉を投げつけられて、それに抗うことが出来ず、

ただうつむくだけの自分が情けなかった。



そして鏡に映るそんな自分を、見ることが怖かった。



見てしまえば、全てを受け入れなければならなくなる。そう思ったから。




そして、もっと怖かった。汚れを知らないその瞳に、こんな私を映してしまうのが。



だから私は全てに背を向けて逃げることにした。



逃げることが、イジメという監獄からの、

そして惨めな自分からの、唯一の脱出方法だと考えたから。



私は逃げること以外、何も出来なかった。



いや、しようとしなかった。



だから私は、逃げてしまったのだ。

素直な私の心を、全て受け止めてくれる所からさえも。



でも今は違う。君は教えてくれた。



勇気を持つことの大切さを。忘れかけていた光を、君が先の見えない暗闇に与えてくれた。



サヨナラの前に、この言葉を、直接君に伝えたい。



「大好きだよ。」



公園への道を全力で走り抜けた。





澄みきった空に浮かぶ真っ白な雲が、もっと速く走れと言わんばかりに、私を追い立てる。



海からの穏やかな潮風が、空からの光と舞い踊り、優しく背中を押してくれた。

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