ラヴとシア 後
後編。シリアスは難しい。他のシーンもだけど
次回から主人公が頑張ります
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エイリアと別れ城から抜けだしたラヴニカは街へ向かう。
街から町へ。郊外にある転移門へ。国の外へと向かう。
出て行くと決めた以上長居はできない。風森の国にいる限り彼女の居場所は精霊に筒抜けだからだ。
今だって風森がラヴニカに話しかけてくる。
「よかったのですか?」
「放っておいてくれ。我は自由じゃ。どこへ行こうが文句は言わせん」
ラヴニカはひたすらに外へ向かう。
移動術式も使えない小さな体を忌々しく思いながら足を動かす。
「我にはもう縛られるものがない。運命に見初められた貴様のように世界に繋がれているわけでもないのじゃからな」
「……」
「羨ましいじゃろ、《風使い》。我は完全に自由なんじゃぞ。貴様とは違いこの国から離れて世界のどこへでも行けるのじゃ」
精霊の方には振り向かず、まっすぐに前を見つめたままラヴニカはそんな事を言う。
「精霊となった貴様のように人に使役されることもない。貴様は自分の意志では何にも触れることができず、何も感じられない。今も幽鬼の如く彷徨う貴様に比べれば……封印されていたかつての我に比べれば今以上幸せなことはないんじゃぞ」
「あなたは……」
こちらを見ないラヴニカに風森は悲しそうな視線を送る。
「それが本当に幸せというのですか? この世界で独りなることがどういうことか知っているあなたが」
「ここに我の居場所はない!!」
「!!」
「あってはならんのじゃよ。我が、《病魔》の魔人が犯した罪はエイルシア達母娘を引き裂いたことではない。我のようなモノに……幸せなど」
「……」
風森はこれ以上何も言えず、ただ彼女のうしろを付いて行く。
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ひたすらに外へ向かって歩くラヴニカ。
歩き続けて……疲れた。
「……」
「大丈夫ですか?」
「……黙れ。消えろ」
国の外縁部にある町まできたものの、子どもの足、子どもの体力で休みなく2時間以上も歩き続ければ流石に疲れて動けなくなる。
仕方なくラヴニカは町の広場で休みを取ることにした。
それはもうぐったりとした。
ドレスが皺になるのも構わずベンチで横になるラヴニカ。
「もう少しじゃ。もう少しで国の外へ行ける。長年続いた貴様との腐れ縁も今日までじゃな」
「……」
側にいた風森は何も言わずに姿を消した。人が来たからだ。
郊外にあって人気のない広場にやってきたのは老婆と小さな男の子。
男の子は1番にラヴニカを見つけた。
「おばあちゃん。誰かいるよ」
「おや? あの髪の色は……」
この国では珍しい紫の髪を見て老婆はウインディ家の養女の事を思い出した。
「もしかして末姫様ですか? これはこれは。こんなところにようこそいらっしゃいました」
「……誰じゃ? 我はお主の事など知らぬぞ」
不機嫌そうにむくりと起き上がるラヴニカ。老婆は気にせずゆっくりとおじぎをした。
「知らなくて当然でしょう。お目にかかったのは1度だけ。エイルシア様が治療の巡回に来て下さった時でしたから」
「このあたりに覚えがあったのは来たことがあったからじゃな」
エイルシアには国中を散々連れまわされた。そのことをふと思い出す。
「ねぇおばあちゃん。この子お姫さまなの?」
「そうだよ。名前は確かラブチャン様……」
「一体誰じゃよ」
これもエイルシアのせいだろう。彼女はどこでもラヴニカのことをそう呼んでいたから。
どうせ国から立ち去る気だ。訂正する気にはならなかった。
「座るがよい」
「お気遣いは感謝致しますが」
「座れ。足、不自由なんじゃろ」
「……ありがとうございます」
独占していたひとつしかないベンチの隣を空けて老婆を座らせた。
その時男の子は持ってきたクッションを手際よく老婆の腰のあたりに敷いてあげる。
「いつもありがとうね。ここはいいから遊びに行っておいで」
「うん。……いっしょにあそびませんか?」
「我は疲れておる。放っておいてくれ」
ラヴニカは男の子の誘いを無下に断る。
男の子は別にしょげることなく「はい」と元気に返事をしてベンチから離れて行った。
老婆と2人きりになる。
ラヴニカは人が来た時点で先へ進もうと思っていたがまだ疲れていた。
「……」
「……」
「……孫か?」
「いいえ。私は生まれつき身体が弱く子を為すことができませんでしたから」
「……」
「あの子は養護施設の近くに住む子です。1人では満足に外へ出歩けない私をあの子はいつも連れ出してくれるのです」
「そうか」
「優しい子です」
ラヴニカは男の子が遊ぶのを眺める老婆を見た。
彼女はその紫の瞳で、魔人の瞳で老婆の『中身』を視る。
「今もどこか病んでおるのか?」
「え?」
「足腰は老衰からくるようじゃが……肺と左の肩から腕、手先が僅かに痺れておるのは別のようじゃな」
「! わかりますか」
生まれつきなんです。と老婆。
「辛くはないか?」
「いいえ。施設の方もよくしてくださいますし、まったく動かせないわけでもありません。それに昔から王家の方が診て下さいますので」
ゆっくりと首を振る老婆。
「エイリア様にエイルシア様。それにあなたにも気を遣って頂いて私は幸せ者です」
「……今もその身体は治っておらぬのに?」
「そんなことはありません。エイルシア様の魔法の風を受けると身体が軽くなるんですよ」
「……」
しかし、とラヴニカは思う。
この老婆の病はエイルシアの魔法では症状を和らげることはできても治せまいと。
「……この国で最後に会ったというのも何かの縁じゃろう。お主の病、我が治してやる」
「はい?」
ラヴニカは困惑する老婆の左手を掴み、念じる。
「《病魔》の眷族よ。主(我)の元へ還るがよい」
その力は《魔力喰い》。
老婆に中に巣食う魔力をラヴニカは奪う。
「どうじゃ?」
「ま、まさか」
恐る恐る老婆は左腕を動かす。
痺れなどなかった。
「……信じられません。もしやあなたも巫女の力を」
「そんなもの持っておらぬよ。身体の巡りを悪くしておった『カス』を食らっただけじゃ。ぬおっ?」
ラヴニカは驚いた。老婆が突然彼女の手をとったのだ。
自由となった両手で、皺だらけの手で縋るようにラヴニカの小さな手を包む。
「……ありがとう……ございます」
きっと不自由な思いをしてきたはずだ。理不尽な思いもずっと。
「すまぬな」
包まれた手のぬくもりが、向けられた感謝の言葉が余りにも心に痛くて、ラヴニカは謝ることしかできなかった。
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老婆と男の子に別れを告げ、ラヴニカは広場をあとにする。
国外へ出る門まであと少し。
「まったく。らしくないことをした。……そう思わぬか?」
ラヴニカは背後にいる彼女に問いかける。
ほんの少しの間、さっきまで義姉であった彼女に。
「そんなことないですよ。ラヴちゃんはいつだって私を助けてくれたじゃないですか」
エイルシアは隠れて覗き見していたことをおくびにも出さずそう答えた。
カレハ、風森を経由してラヴニカの居場所をすぐに付きとめていたエイルシア。彼女は広場でのやり取りをずっと見ていた。
「ロイゼさんの身体は私の力ではどうしようもなかったんです。風属性は決して治療魔術に長けていないから」
「あ奴を知っておるのか?」
「ええ。私はこの国の人や出会った人たちの事を忘れないように心がけているんです」
「……そうか」
ラヴニカはそれ以上何も言わない。でも足も動かせない。
そのまま立ち尽くす。エイルシアに背を向けたまま。
「……あの者は」
しばらくそうしていたが、ラヴニカはぼそりと話しだした。
最後に彼女に、この国の人に謝ろうと思って。
「この世界に生を受けてからずっと不自由な思いをしていたはずじゃ。我は別に病を治す力など持たぬ。ただあ奴の病が特別じゃった」
「えっ?」
「あ奴の中にあって身体の障害をきたしておったのは魔力じゃ。我の《病魔》の魔力なんじゃよ」
だから一目でわかった。そしてはっきりと気付かされた。
自分が封印されて400年。この国はずっと《病魔》に苦しめられていたと。
「あれは封印されておった我が漏らしていたような極微小の魔力ではない。400年前我がばら撒いたものじゃ。感染し大概の者は即死じゃったろうが……食らっても尚生き残った者がおったようじゃな。そ奴らの子孫と呼べる者たちが我の魔力を引き継いでおる」
つまりは400年前《病魔》に冒された生存者の子が《病魔》を引き継いで産まれて来たと言うのだ。
「あの老婆が引き継いだのは魔力の残滓だけで症状も軽い麻痺程度ではあったが……昔の者はもっと酷かったはずじゃ。お主にはわからない話じゃろうが《病魔》に冒された遺伝子が引き継がれたのじゃ。傷ついた遺伝子を持って生まれた者の病を治すことはどんな魔法でも治せん。元が壊れておるからな」
「……」
エイルシアは口を挟められず、ラヴニカの話は続く。
「別に子に引き継がれるだけではない。我の《病魔》に冒された生物は人だけではなかろう。植物や動物もそうじゃ。食物の摂取で感染した者もおったろう。400年も経ち世代を重ねればどれだけの人が我の《病魔》を引継ぎ先天的な、もしくはいつ発症してもおかしくない病を抱え込んでおるのかわからん。それに苦しんでおる人の数も」
「……」
「我は400年前に多くの人を殺したが……封印されたその先もずっと人を傷つけていた。多くの者に不自由な思いをさせておった」
そう思えば辛い。そう思うからここにはいられない。
「我は封印されて当然のモノじゃった。その封印にもお主ら《風邪守の巫女》を犠牲にしておる。今更じゃがすまなかったな。じゃからここには居れぬ。この国に我の居場所はあってはならん」
ここは居心地が良くて悪いから。
「じゃから我は」
これからもずっとひとりで……
「逃げるのですか?」
静かに、
「あなたは自分のしたことを罪と認めながら、この国から逃げるというのですか」
「っ!」
静かにエイルシアはそう訊いた。
彼女の心を抉るように。
「……そうじゃ。そうじゃよ。逃げたい。逃げたいのじゃ。我はここにずっと居ることが怖い」
痛いところを突かれて本音が漏れる。
「魔人であることを隠し、知らないふりをしてのほほんと暮らせるわけがなかろう。罪人と呼べる我がこの国の姫じゃと? 冗談にも程がある」
「そんなことないわ。あなたはもう《病魔》の魔人で在り続ける必要がない。違う生き方もできるはず。だから」
エイルシアはラヴニカに1歩だけ近づく。
「一緒に帰りましょう。だってあなたは……」
「本気で言っておるのか?」
言葉を遮る。ラヴニカの中で何かが静かに沸き上がる。
「帰る? 一緒に? ……エイルシア。貴様はいつまで我につきまとう」
ラヴニカは込み上げてくる怒りを我慢できず、
「ふざけるな!!」
思わず振り返りエイルシアに癇癪にも近いその感情をぶつける。
「我はこの地に災厄をもたらした《病魔》の魔人! 貴様だって我の為に母と10年も引き裂かれ、我に殺されかけたことを忘れたとでも言うのか!」
彼女は言った。
貴様は我を恨んでいるはずじゃと。
「いいえ。私はあなたに憎しみをぶつけたことは決して忘れません。あの時私達は命の奪い合いをしたのです」
彼女は返した。
だから恨むなんて筋違いですと。
「それに私もお母様も、あなただってユーマさんのおかげで救われた。あなたに人を襲う意思がない以上封印はもう必要ない。私達を縛るものはもうありません」
「……だからすべて水に流しこれからは仲良くしましょう、そう言いたいのか?」
頷くエイルシア。
「できるか! できるわけがない。我が、我がしたことは……」
「ラヴちゃん」
「そう呼ぶのはやめい!」
ラヴニカは反発するように怒鳴り、それで少し冷静になる。
「そうか。そんな暢気なことが言えるのは貴様がうっかりボケ女だからじゃな」
「ラヴちゃん酷い」
「黙れ! ……わかった。我がこんな姿をしておるからわからぬのじゃな。じゃったら」
ラヴニカは先程奪った僅かな魔力を媒体に力を込める。
活性した魔力は彼女の小さな姿を創りかえていく。
「!?」
一陣の風はエイルシアの視界を奪い、次の瞬間、彼女が現れた。
「貴様が我を愛でておったのは『あの姿』だからじゃろ? 思い出せエイルシア。我の本当の姿を」
長い紫の髪をした妖艶な美女。
《病魔》の魔人。魔神の生み出した細菌兵器。
エイルシアが彼女を目の当たりにして戦ったのは最近の事だ。
あの時感じた恐怖を忘れるはずがない。
「……ラヴニカ」
「そう。我はラヴニカ・コルデイク。邪なる風、《病魔》の魔人」
エイルシアが怯んだのをラヴニカは気配で察した。それが少しだけ悲しい。
だが改めて彼女は名乗る。今の姿こそ本当の自分なのだと。
「今代の《風邪守の巫女》よ。前に言ったはずじゃ。人と魔人は相容れぬと」
「それはっ!」
「こうも言ったはずじゃ。我はただ自由を求めただけじゃと。……もう何にも囚われとうない」
封印にもエイルシアにも、風森の国にも。
何より自分の犯した罪にも。
「だから……行かせてくれ」
それは懇願にも近い別れの言葉だった。
この時、ラヴニカは視線を逸らしエイルシアを見ないでそう言っている。
だからラヴニカは気付かなかった。
「ラヴちゃん」
「なっ!?」
エイルシアがただまっすぐにラヴニカを見ていたことに。
彼女の翠の瞳がラヴニカのすぐ目の前にあったことに。
「だったら……だったらあなたもう独りになったら駄目。それこそあなたは囚われてしまう。あなたはこんなにも優しいのだから」
「何を言うておる!」
咄嗟に逃げようとしたラヴニカだが、腕をエイルシアが掴み、離さない。
「私、あなたと今日まで一緒に過ごしてわかったことが沢山あるの」
小さな彼女は森の中で風を感じるのが何より大好きだった。
昆虫を探して観賞するのが趣味でニンジンが嫌い。お風呂が苦手で後片付けがへたくそ。
嫌々いいながらもいつも付いてきてくれた。誰を相手にしても拒絶なんてしなかった。
「今のあなたを見たからはっきりとわかる。あなたの瞳はあの子と一緒。私が一緒だった『ラヴちゃん』と同じなの」
「離せ!」
「あなたは偽っていなかった。あなたはずっと本当の姿を私達に見せてくれていた」
エイルシアは離さない。
「人の前では笑顔は見せなくていつも不機嫌な顔をするあなただけど、毎日を楽しく過ごしてくれた。私達との時間を大切にしてくれた」
「違う!」
「偶然出会っただけのロイゼさんを助けてくれた。昔のことで自分を責めて今の、それに亡くなった国の人たちの事を想ってくれた。……ほんとうのあなたは魔人と呼ばれるにはとても優しくて、こんなにも傷つきやすい。だからあなたは素直に笑うこともできなかった」
「黙れ!!」
「あなたはいつも!」
エイルシアは話すのをやめない。
「今のその瞳を、悲しい顔を私達には決して見せないようにしてくれた!」
「っ」
エイルシアは決して離しはしない。彼女をこのままにはしておけない。
「お願い。こんな別れ方をするのは嫌なの。辛いこと、悲しいことを1人で抱え込んだまま行ってしまわないで。そんなことしたらあなたはこの先ずっと苦しんで自分の中に囚われてしまう。そんなのあなたの望む自由なんかじゃない」
「……ならば、ならばどうすればよい?」
ラヴニカは問う。幼い子が泣くように顔を歪ませて。
「エイルシア。我を行かせてくれぬというのなら……我はどうすればよい」
「それはあなたが決めて」
紫と翠。視線を交えながらエイルシアは言葉を彼女に突きつける。
「酷いかもしれないけどその答えはきっと自分で出さないといけないから」
「……」
「でもね」
でもその声は優しく、腕を掴むその手の熱が確かにラヴニカに伝える。
「1人でいる必要はないの。1人じゃきっと何もできない。何も見つからない。……でも誰かといたなら、皆でいろんなものを分け合って支えてあっていけたら」
ひとりじゃないと。
「私達はどんなことにも耐えられる。乗り越えられるわ。ラヴニカ、あなただって」
――辛いことも悲しいことも、嬉しいこともなんだって
私達は共にあることができる。
助け合うことができると。
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「というわけで家出したラヴちゃんを私が連れ戻して一件落着となりました」
「……」
エイルシアの話を最後までを聞いてみたところ、エイリークは思った。
それは嘘だ。
「誤魔化したわね、姉さま」
「……そんなことないですよ?」
見るからに怪しい態度をとられた。視線を合わせようとしない。
「最後の方は明らかに端折っているじゃない。どうして『ハンバーグを大盛りにする約束』をしたら帰ってくるのよ。子どもじゃないのに」
「美味しいですよ? 私のハンバーグ。ユーマさんのものを参考にかなりアレンジしたんですから」
「姉さま……」
あまりに酷い嘘をそのまま通そうとするエイルシア。
エイリークは姉のとぼけぶりに呆れるばかり。
「でもね」
急にエイルシアは真剣な表情をする。
「ほんとのことを言うと秘密なの。私とラヴニカの」
「姉さま?」
「あの日、彼女はやっと話してくれた」
辛かったと、寂しかったと。
「彼女が抱えていたものを私から誰かに話すなんてできないの」
「姉さまは」
エイリークは訊ねる。
「姉さまはそのラヴニカの話を聞いてどうしたのよ?」
「それこそ秘密。絶対言えないわ」
そう言ってエイルシアは悪戯っぽく笑った。
「私はただお願いして我儘を言っただけだから」
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その後も散々言いあった2人。それこそエイルシアとラヴニカの2人だけの秘密だ。
「妹が嫌なら私のお姉ちゃんになってください!」
「嫌じゃ!」
……最後の方はこんな感じ。
結局ラヴニカは城に帰ることにした。姿も僅かな魔力では身体を維持できず子どもの姿に逆戻り。
すっかり夜になってしまった。月明かりの下を2人はゆっくりと歩いて帰る。
2人は歩きながら話をした。主にエイルシアがラヴニカにいろいろと話しかけていた。
例えば400年前《病魔》に感染した人の話。
当時の感染した人の多くは酷い最期を迎えてしまったが、その後の被害はかなり抑えられていたという。
「元々《風邪守の巫女》は癒し手として誕生したんです。それに遺伝による感染や食物連鎖による毒物の感染も当時の人は知っていました」
「何じゃと?」
「私たちが知らないことを教えてくれた人がいたんです」
「……勇者か?」
エイルシアは頷く。
「異世界の《剣》。あの人が『向こうの知識』を私たちに伝え、徹底した浄化を行わなかったならこの辺りの国はとっくの昔に滅んでいます」
「……」
「だからあまり気にしないで」
「そうじゃな」
気持ちだけは受け取っておくことにした。
この話のあともエイルシアはころころと話題を変える。
「ねぇ。ラヴちゃんは知ってる? ユーマさんの世界の月には天使がいるらしいの」
「そうか」
知っておるよ。でもラヴニカはそうは答えない。
空を見上げる。残念だが今夜は満月ではなかった。
「天使ってどんな『人』なんだと思う? やっぱり翼があるのかしら?」
「人……か」
少しだけおかしかった。魔神が与えた知識によれば天使も魔人もそうは変わらない。
神が創ったか魔神が創ったかの違い。この世界では目覚めなかったモノたち。
ラヴニカは彼らを思う。
向こうの世界で彼らは人として扱われているだろうか?
『渡ってしまった』同胞たちもまた。
ラヴニカはエイルシアに訊ねてみる。
「気になるか? ユーマの世界の事が」
「え?」
「あ奴を還すこともじゃが……お主自身が行きたいと思うか?」
「……はい」
彼女は一瞬驚いたようだが、それからはっきりと返事をした。
「いつか行きたい。ユーマさんの世界を見てみたい」
「我もじゃよ」
「ラヴちゃん?」
エイルシアはさらに驚く。
「我も行ってみたい。再成の世界。天使と……悪魔と呼ぶモノ達が人と共に居る世界を」
ラヴニカはエイルシアを見る。
笑ってみた。
「行くか? いつか、一緒に」
「!!」
「行かぬか?」
「い、いい、行きます! 絶対、一緒に!」
「そうじゃな」
とりあえずはこれを『言い訳』にしようと彼女は思う。しばらく一緒にいるための。
このお節介で厄介な姉がどうしてもと言うのだから。
「私、頑張りますから。だからラヴちゃんも手伝ってくださいね」
「そうじゃな」
「約束ですよ」
「……ああ」
エイルシアは嬉しそうに歩いて帰る。
余りにも嬉しくて、ついにはラヴニカを引きずっていき、ラヴニカは諦めたように引きずられていく。
どちらも繋いだ手を離さないから。
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