2-10 犠牲者
ユーマ失踪事件の発端。
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絶望的な状況。
そういったものをこれまで体験したことがあっただろうか?
「兄さん……」
妹を背に庇うように立ち、ティムスは黒い竜と対峙していた。
「いきなり物騒だな。でも覆面しても《皇帝竜》を見せた時点でバレバレだぜ。《竜使い》さんよ」
「……」
技術士のティムスに戦う術はない。
つい妹を見てしまう。せめて戦闘用のブースターがあれば話が違ったのだが。
(何を考えてる? 俺は)
「ポピラ、行け」
「兄さん!?」
「《竜使い》の狙いはおそらくエースの俺だ。お前の『能力』は誰も知らないからな。……囮になる。誰か呼んで来い」
「馬鹿」
ポピラは兄に背を向けて必死に走り出した。1人だけ逃げたくはなかったが、これが最善の選択だと思わなければいけなかった。
「逃がすか。カイゼル」
「グルァ!」
羽ばたく皇帝竜はティムスを無視して逃げるポピラの前に立ち塞がる。
「あ……」
「やれ」
そして振りかざされる鋭利な黄金の爪。
「畜生が!」
ティムスはポピラに向かって走る。
「がっ! くはっ」
「兄さん!」
間一髪。ポピラを抱き込むようにして飛び込み、皇帝竜の爪から逃れる。
「……てめぇ。こいつは関係ないだろうが」
「事情が変わったんだ。恨むならあの《精霊使い》を恨め」
「ミツルギさん?」
その一言でティムスは理解した。
「……成程な。《Aナンバー》の席を空ける為に戦闘タイプじゃない俺を排除し、『会長派』のエースとしてアイツを勧誘する気だな」
ふらつく足を叱咤して立ち上がるティムス。
(いや、あのバケモノは確か幻創獣だ。だとすれば俺だけじゃなくポピラも狙う理由は……)
「それともお前の独断か? ユーマの奴にエースの席を奪われそうにでもなったのか?」
「貴様には関係ない」
「関係あるのさ。《天才》の俺はともかく、こんな下らないことにアイツまで巻き込むな」
ティムスは隠し持っていた金属片を錬金術でナイフの形状に《変成》。ちっぽけな武器を手にする。
「アイツは一応俺の……友達なんでな。抵抗させてもらう。……ポピラ、今度こそ行け!」
ティムスはダン! と強く足元の石畳を踏みつけた。
同時に皇帝竜の周囲を石の壁が囲み動きを封じる。彼が《変成》できるものは金属だけではない。
「無茶よ、やめて!」
無理だ。ポピラは身体を震わせて動けないでいる。
彼女の手にたっぷりと付いた生温かいものは、彼女が流したものじゃない。
「……セッ!」
ナイフを投擲。皇帝竜に気をとられた覆面の男は咄嗟に顔を庇い、防いだ腕にナイフが突き刺さった。
「小癪な」
「ちっ、駄目かよ」
無理をしすぎた。今の攻撃でティムスは限界に達してその場に倒れこむ。
「……傷を与えた分は返してやる。消えろ。カイゼル・バースト」
石の壁を破壊し尽くした皇帝竜はエネルギーを溜め、必殺の熱線を撃ち放そうとする。
「駄目。……起きて。起きて逃げて」
「やれ、カイゼル」
ポピラは絶体絶命な兄を助けるどころか恐怖で動くことができない。
「グルァアアアア!!」
皇帝竜が吼える。
「やめて、兄さん!!!」
そして――
《カイゼル・バースト》が発動する直前、黒い影が宙を舞う。
「……斬る」
皇帝竜に集められたエネルギーの塊をデスサイズの一振りが刈り取る。
「貴様は!」
「……あなたは誰?」
《黙殺》は倒れたティムスを一瞥したあと、2人を庇うように前に出た。
「……何をしているの?」
「貴様には関係はない。元エースの《仲間殺し》。邪魔をするな」
覆面の男の言葉に《黙殺》は動じない。デスサイズを構えなおす。
「それこそ関係ない。これ以上は……させない」
「皇帝竜に勝てるとでも」
彼女の実力が並でないことは彼も知っている。でも皇帝竜は力の全てを見せていない。
「……勘違いしないで。私が斬り伏せ、殺せるものは『術式』だけじゃない」
張りつめた空気に雰囲気が変わる。冷静ながら怒りに昂る《黙殺》。抑えきれない『魔力』の奔流に風が舞う。
黒のフードが捲り上がり、彼女は素顔を晒した。
流水のように流れる長い髪は水色。そして氷のように冷たく鋭い美貌に際立つのは今の彼女を表わす2つの瞳の色。
蒼と紅のオッドアイ。
「……覚悟して」
デスサイズに宿る魔力は尋常ではない。
元とはいえ彼女は《Aナンバー》の第3位。
その名は《黙殺》。魔術殺しのアサシン。
「魔族? いやまさかその目は……退くぞカイゼル」
皇帝竜に乗り飛び去る《竜使い》。
「……」
《黙殺》はエルド兄妹を置いては行けず、深追いすることをやめた。
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「兄さん!」
ポピラは自分が助かったことに安堵する間もなく兄へと駆け寄る。
ティムスの様態は酷いものだった。掠ったとはいえ左肩から背にかけてザックリと切り裂かれ、抉られている。
この状態で皇帝竜を一時的にも抑え込み、攻撃までしてみせた精神力は賞賛される強さだ。
「……私が彼を病棟へ連れていく」
「でも、でもこの状態じゃ、こんなにも血が……」
「しっかりして」
フードを被りなおした《黙殺》は、動転するポピラを落ち着かせるように静かに、でも優しく話しかける。
「応急処置なら私ができる。止血まですればしばらく持つから、あなたは近くの自警部と救護班に連絡して」
ポピラは蒼と紅の瞳を見た。無意識に《同調》してしまい彼女の心に触れる。
(消えることのない後悔。それと過酷な、でも揺るがない決意。この人は)
「大丈夫。私の目の前でもう誰も……死なせないから」
「……兄をお願いします」
ポピラは頭を下げ、近くにある自警部の詰所へと急いだ。
「…………おい」
激痛に意識を飛ばされていたティムスは気が付き、傍にいる誰かの腕を掴む。
「動いては駄目」
《黙殺》は魔力を持つとはいえ治癒術式どころか魔法を使えない。彼女は魔力をティムスに注ぎ、傷口を抑え止血していた。
「た、のむ……」
――妹を、アイツを――
伝えなければならないことは沢山あった。
でもティムスは今度こそ限界で本当に大事な、彼の願いだけを口にして再び気を失った。
「……わかった」
本当は彼が何を頼みたいのかわからなかった。でもその想いに応えようと思う。
エースではなくなった彼女に使命や義務はもうない。
しかしエースから解放されることで《黙殺》は思うがままにデスサイズを振るう。仲間と離れ、日陰の道を独り歩んだとしても。
今度こそ正しい道を進むために。
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犠牲者
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「ティムス!」
学園都市にある緊急病棟に駆け付けたユーマが見たものは、疲れた顔で座り込むポピラと血まみれの包帯姿でうつ伏せに寝かされたティムスの2人だった。
「ポピラ……」
「兄は一命をとりとめました。でも」
背中の傷はもちろんのことだが、肩は骨まで達する深い傷だった。この先もう左腕を動かすことができない程の。
「風葉!」
「無理ですよー」
精霊は悲しそうに首を横に振る。
「傷が深すぎますー。私の《癒しの風》では治癒が間に合いませんー」
「それでも! 頼む」
ユーマは広域範囲術式である《癒しの風》を《補強》してティムスの傷に直接吹きかける。
風を1点に集中することで治癒効果を高めることができたが、元々の術式の効果が低いのだ。気休めにしかならない。
「畜生。ちくしょう……」
それでもユーマは《癒しの風》をティムスに送り続ける。
諦めたくなかった。それと同時に自分の無力感に襲われ、心が潰れてしまうことをユーマはひどく恐れた。
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30分が経過。
《竜使い》達と戦闘したあとだったのだ。風葉の魔法は長く持たなかった。
「ミツルギさん……」
「畜生……ティムス」
打ちひしがれるユーマ。
拳を床に叩きつけ、動くことができないでいた。
「失礼するわ」
しばらくして病室に入ってきたのは妙齢の女性。
「あら、生きていたのね。しぶとい子。私の教え子なんだからそうでなくちゃね」
無造作に伸ばした黒髪を振り払って女性はポピラの前に立ち、目線を合わせる。
「頑張ったわね。もう大丈夫よ」
「先生……」
ポピラの頭を優しく撫で、アラムは少年に声をかけた。
「君がユーマ君ね」
「あなたは?」
「アラム・アラド。練金科の教師よ。緊急だからってスニア先生に呼ばれたの。これ使って」
「あ……」
アラムがユーマに手渡したのは1枚の紙の札。
「ヒールの回路紙……」
「元々君の物でしょう? 研究用に貰ったのはいいけど使い方が分からなかったのよ」
「――!! これならっ」
ユーマはティムスに回路紙を貼り付け、術式起動の呪文を唱える。
「ヒール!」
輝く回路紙は重症だったティムスの傷を目に見える速さで癒していく。
「……すごいわね。札が保有していた魔力が相当の物だから予想はしていたけれど」
驚きを隠せないアラム。これほどの物を一体どんな術者が作ったのか、実際の効果を目の当たりにしてとても興味深いと関心する。
「……もう大丈夫のはずです。時間が経ち過ぎて筋や神経なんかの再生までできたかどうか分からないけど」
「見せてちょうだい」
アラムはティムスの包帯を取り除くと、傷のあった場所を触り《解析》した。
「……大丈夫。しっかり繋がっている。これは応急処置が良かったおかげね。魔力で傷口を包みこんで状態を『維持』していたわ。これならこれ以上悪化させることもない。できるわね」
「わかるのですか?」
驚くユーマ。ただの触診でできることではない。
「《解読》と《透視》の応用。あとは医療関係の知識と経験ね。知らないかしら? 第3救護室の魔女」
第2救護室のセレスと同様、彼女も自分の研究の合間に救護室に詰めている時がある。ユーマは知らなかった。
「あの札はちょっともったいなかったわね。これも必要なかったし」
そう言ってアラムが取り出すのは赤黒いゼリー状の物体。
「うっ、それは?」
「スライムの細胞で造ったものよ。欠損した筋組織の再生を目的とした代用の人造肉よ」
「なんか動いてません?」
ぐじゅぐじゅ動くソレはグロテスクで気味が悪い。
「ナマモノだから。惜しかったわ。試作品だからちょうどいい被験体が手に入ったと思ったのに」
「先生……」
ユーマはここで彼女を怒るべきか判断できずにいた。
「ってあら、ポピちゃんは?」
「……すぅ」
ポピラは安心したのか、椅子にもたれかかり眠っている。
「緊張が解けて一気に疲れが出たのね。……残念。久しぶりに『馬鹿ですね』って言われると思ったのに」
突っ込み待ちだったアラム。とにかくティムスの無事を確認できた。
「……先生、あとお願いしてもいいですか?」
ユーマは病室の出入り口へ向かう。
「用事が出来ました」
「夜遊びは駄目よ。……気をつけなさい」
アラムはユーマを止めることはせず、無責任に手を振って見送った。
「あれは止まらないわね。よかったわ。この子達にあんな友達ができて」
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「どこへ行く」
病棟の外で呼び止められるユーマ。無視しようとしたが目の前に立つ男はそれを許さなかった。
「グナントを探すのならばやめろ。捕まえるのは無駄だ」
「どいてください」
ブソウは退かなかった。
「詳しくは説明しなかったが、奴のうしろには生徒会長がいる。《会長派》でしかも《エース》であるグナントを手放すはずがない。証拠や目撃者がいても揉み消されるのがオチだ」
だからやめろと言う。
「……」
「聞け。正直《竜使い》がエルド達を襲う理由がはっきりとわからない。しかしこうも考えられるはずだ」
ティムスが襲われた理由。有力なのは2つ。
1つは彼が《竜使い》と同じ下位のエースであるということ。
そしてもう1つはユーマの関係者だということ。
「お前のブースターは兄妹の手によるものらしいな。もし、襲われた理由がお前に対する報復ならば今は抑えろ。エルドだけでない。ウインディやアギ達まで狙われてもおかしくないんだぞ」
ブソウは必死に説得した。今怒りにまかせてユーマが《竜使い》とぶつかり合うのは避けたかった。
もちろんこれ以上の被害は自警部の名にかけて出させないつもりだ。でもここでユーマが騒ぎを起こせば庇うことが難しい。
ユーマは下を向いている。ブソウからでは彼の表情が読めない。
「グナントの行動は俺達が抑える。奴を止める権限があるのは同じ《エース》だけだ。だからお前は」
「関係ないですよ」
ユーマは顔を上げてブソウを見た。
曇りのない黒曜石のような黒の瞳。
「お前……」
(なんて目をする)
そこには憎悪や怒りなどという感情を削ぎ落とし、澄んだ瞳をブソウに向けていた。
だから恐ろしかった。
潰す
何を? それは知りたくなかった。ただその意志だけははっきりとわかる。
ブソウは無意識に1歩下がろうとした己を恥じた。
「やめろ」
でもブソウは退けなかった。
彼を行かせてはいけない。暴走するユーマを守る為にブソウは立ちはだかる。
リアトリスと別行動をとったことを悔やんだが仕方がない。今のユーマならば最悪相討ちだろう。
ブソウは覚悟する。
「どけ」
ユーマは1歩前に出る。そしてブソウの目の前から一瞬で消える。
《高速移動》かと身構えるブソウ。
ズボッ
ユーマは首まで埋まった。
「は?」
「……砂更?」
2人は訳が分からない。
ユーマの前に立つのは彼の精霊たち。
「だめですよー」
風葉は身動きの取れないユーマの鼻を蹴る。容赦なくげしげしと蹴りまくった。
「イタッ、痛いって風葉、やめて」
「何をしようとしたんですかー。あなたはあなたですー。お兄さんじゃないんですよー」
風葉は蹴ることをやめなかった。
契約者と繋がった精霊は主人の心が理解できる。
ユーマが『彼』と同じように感情を殺し、心を砕きながら復讐しようとするのを精霊たちは我慢できなかった。
「怒っていいんですよー。でもあなたのままでいてくださいー。じっかにかえりますよー」
「ぶっ、やめて、血、鼻血でたから。砂更、お前も地味に砂かけるのやめて。あー」
「……」
「このっ、このー」
「精霊が契約者に攻撃した? そんなことがあるのか」
ブソウはユーマを助けることを忘れ、ただ茫然としていた。
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「……」
「ぐすっ、ぐすっ」
「……」
風葉が泣きそうになってやっと制裁が終わった。
砂まみれで鼻血を流し、生首状態のユーマ。ブソウはその惨状に目を逸らしている。
「わかった。わかったから。アイツはあとで殴って埋める。それならいいだろ?」
「……ぐすっ、それでいいですよー」
「……」
いいのか? ブソウは彼らのことがよくわからない。
「はぁ。ブソウさんごめんなさい。ちょっとやりすぎました」
「ああ……」
やりすぎたのは君の精霊たちでは? という突っ込みは控える。
「でも《竜使い》は俺が懲らしめます。だから力を貸して下さい。俺はまだ知らないことが多すぎる」
まずは情報だ。《生徒会》に《エース》、《竜使い》。それと《幻創獣》。知るべきことが沢山ある。
「わかった。今日は遅い。自警部の本部に泊まっていけ。明日の早朝、今日捕まえたグナントの手下に俺が取調べを行う。同行しろ」
「お願いします」
ブソウは基本的に善人である。
助けを乞うユーマに簡単に応じる彼が苦労人と呼ばれるのは仕方のないことかもしれない。
でもこの先、自警部部長のブソウ、さらに報道部部長の力を借りたユーマがやりたい放題にやらかすことを知っていたなら、彼は今ノーと返事をすることができたのだろうか?
「あとここから出るの手伝ってくれません?」
「……ああ」
未だ生首状態のユーマに手を貸すブソウ。
彼の苦労話はまた別の話。
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