1-13 エイリークを守るもの
風森の精霊、その出会いと……
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この世界には神も魔神もいない
「神は人間が殺したのよ。魔神よりもずっと昔に。残ったのは《世界》だけ」
世界史の講義になると必ず《精霊紀》の話や神話の話題になる。ユーマとエイリークも講義後にそんな話をしていた。
「だからアタシ達は感謝を捧げるときは世界に祈るの。神様なんていないから祈らないわ」
「いや、少なくともお前の傍には女神がいると思うぞ」
「はあ!?」
エイリークはユーマの突拍子もない発言に声を上げる。
「女神って《精霊神》のこと? それがアタシに?」
「いや、そんなのじゃなくて」
《精霊使い》となったユーマは時々だが精霊たちを通じて魔力とは違うちからのようなものを感じることがある。それはエイリークからも感じ取れた。
エイリークは彼女が守りたいと思うたくさんのものと同じくらいに誰かに守られている。
それは《加護》。誰かを守りたいと願う幻想。
ユーマは思う。あの誘拐事件の時、自分にエイリークを助けるチャンスを与えてくれたのは《風森》でも風葉でもない。きっとエイリークを思う彼女の加護があったからだと。
だからユーマは思うのだ。エイリークには女神がついていると。
「その女神さまってな、大きなリボンとエプロンドレスを身につけて、お前のこと『リィちゃん』て呼ぶんだ」
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今も昔もミサの作るクッキーはエイリークにとって特別なものだ。ミサが初めてクッキーを焼いてくれたのは10年も前のこと。
封印の儀を控えたある日、小さなミサは王妃エイリアにお願いをしたのだ。「リィちゃんを元気にしてほしい」と。
エイリアは娘を心配してくれる優しい少女に『とっておき』を伝授することにした。娘たちは別れを前にして素直に受け取ってくれそうになかったから。
それがクッキーのレシピ。エイリアは小さなミサと一緒にクッキーを焼いて、これだけを伝えた。
――あなたからあの子たちに伝えて……あの子たちのこと、ずっと愛していることを
そしてエイリアがいなくなって塞ぎこんだエイリーク。ミサは今こそクッキーが必要だと厨房へ走った。
6歳のミサが城の大きなオーブンを使うのは難しかった。火傷した手を隠しきれず、それでも笑顔でエイリークに歪な形をしたクッキーを差し出しのだ。
あのときエイリークはクッキーを少しだけ齧るとミサに抱きついて泣いた。
小さなミサは小さなエイリークにエイリアの想いを確かに伝えたのだ。自分の思いを込めて。
――リィちゃん、元気出して。わたしがいるよ。ずっと、ずっといるよ
囚われたエイリークはクッキーを齧った時、あの時の事を思い出したのだ。
それでエイリーク支えていた小さな意地は優しくて大きなものに満たされて、溢れて決壊した。
落ち込んだ時、苦しい時、泣きそうなときはいつもミサはクッキーを焼いてくれる。傍にいてくれる。
守りたかったのは姉だけど、いつも支えてくれたのは親友だ。今だってきっと。
エイリークは泣いて、少しずつクッキーを齧って、また泣いた。
負けたくない、そんな気持ちを少しずつ、少しずつ取り戻すように。
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エイリークを守るもの
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優真が手に持つクッキーを凝視する羽付き妖精。
エイリークの肩の上で涎を垂らしているが、彼女は冷たくないのだろうかと頭の片隅でふと思う。
「おいしそう、ですねー」
「しゃべった!? エイリーク、何だよこいつ」
「姉さまの声じゃない。まさか本当に」
エイリークはエイルシアのように風森の守護精霊と《交信》することができない。なので精霊の存在を認識できたのは初めてだった。
「……食うか?」
半分に割れたクッキーを差しだす優真。
小さな女の子はうわぁ、と歓声を上げてクッキーに飛び付く。
ばりばり、もぐもぐ、ごきゅ
「ふはー。初めてものをたべましたー。おいしかったですー。エイリっちについてきてよかったー」
「エイリっち、ってアンタいきなり何よ」
「エイリっちはわたしと《交信》してくれないからー、おしゃべりできなかったんですー」
クッキーを食べてご機嫌の羽付き妖精。よくしゃべる。
「エイリっちはちいさな時からいっつもわたしの『おうち』を振り回してばかりですからー」
「……お転婆そうだもんなあ」
優真はおもちゃのドールハウスを人形ごと振り回すちいさなエイリークを想像した。
「ちがいますよー。エイリっちは剣ばかりで女の子みたいな遊びは意地でもしなかったんですー」
「なっ、何言ってるのよ、この子」
暴露され赤くなるエイリーク。彼女はわからないが女の子は嬉しそうに慈しむような目でエイリークを見ている。
「わたしは表に出ることはできませんでしたけどー、ずっと、ずっとみてきたんですよー」
この羽付き妖精は10年前からずっとエイリークを見てきた。
彼女に適性がなかったから力になってあげることはなかったけど、少女の成長を傍で見守ってきた。
「……《守護の短剣》の精霊?」
「そうですー。はじめましてー」
これが彼女と精霊の初めての出会い。ふよふよー、と飛びまわり、嬉しそうに話しかけてくる光を前にエイリークは戸惑いを隠せない。
「……」
その間優真は沈黙。何故今頃になって精霊がエイリークの前に現れたのかを考えている。
「それはですねー、シアっちがわたしと《交信》してくれてあと表に出してくれたからなんですー」
「ん? お前、俺の考えていることがわかるのか?」
「わたしとあなたは『繋がり』はじめていますからー。それでですねー」
羽付き妖精の女の子は優真の目の前にふよふよー、と飛んでくると今までの間延びした口調をやめた。
「わたしからお話があります。……貴方に彼女達を助けてもらいたいのです。異界の、再成の世界の少年のあなたに」
「なっ!? あんた一体?」
「これって」
部屋に風が吹く。そんな幻を感じた。
暖かくて、冷たくて。
優しくて、厳しくて。
優真にはそれだけしかわからないけどエイリークは違う。
匂いを感じる。これは風森の、故郷の風。
「……あなたは、風森の」
翠の光としかわからなかったエイリークにも今の『彼女』の存在を感じ、見ることができた。
エイリークにもエイルシアにも似た、翠の髪の女性。
「私は《風森》。ウインディを護る守護精霊。私は守りたい。私は貴方の力を借りたいのです」
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「俺の力ってどういうこと?」
優真達の前に現れた精霊、《風森》は答える。
「私はウインディを護る精霊。私を使役する資格はウインディの血筋に連なる者にあります。しかしエイリーク。今の貴女には《精霊使い》の適性がありません」
風森は悲しそうにエイリークを見た。
「エイルシアもそうなのですが、今の彼女でも《魔法使い》として《交信》と《祈願》を使うことができました。私は剣士でしかない貴女の力になることができません。……せめて私を世界に現界させて使役できるほどの《精霊使い》がいればよかったのですが」
エイリークは唇を噛む。わかっていたことだけど精霊自ら告げられるのは悔しい。
「俺にその《精霊使い》の適性があるの?」
「いいえ。貴方は《魔力喰い》。魔力に関わる全ての適性は皆無です」
優真の問いに風森は首を横に振るが、ただし、と話を続ける。
「貴方は異世界の存在。しかも《転写体》なのです。ならば世界に属する私は貴方の存在を『この世界の存在』として『書き換える』ことができる」
「「……は?」」
精霊という世界の非常識な力を2人は理解できない。
精霊とは《世界》から生まれ、世界を管理・維持する存在。異界の存在である優真を危険と《世界》が判断すれば異物とみなして排除することも可能なのだ。
今回、優真は正式な手順を踏んで『送り出されている』。なので1つの選択肢が生まれた。
「貴方の存在を《精霊使い》として書き換えることができれば、私は貴方の力になることができる」
「俺が《精霊使い》という存在になる?」
「正確には貴方が属する世界を『こちら側』に切り替えるのです。その時に《精霊使い》の適性を貴方に書き足します」
「クラスチェンジみたいなものかな?」
ゲームの感覚で納得する優真。
「決断して下さい。時間がないのです。今、エイルシアがこちらに向かっています。1人で」
「なっ!?」
優真は驚く。エイリークもだ。
「まさか無策で突っ込んだのか?」
「このままでは貴方達3人が『彼ら』に捕らわれてしまう。世界はそれを望んでいません」
「……」
優真は考えが甘かったことを痛感し、エイリークは姉を心配して焦る。
精霊の話を聞いて優真は覚悟している。力のない自分に力を貸してくれるならそれは願ってもないことだから。
「……聞いていいかな? あの時、シアさんとラヴニカが戦った時にどうしてシアさんに力を貸してくれなかったの?」
風森は申し訳なさそうに答える。
「精霊の魔力は世界に属し、魔法使いや魔人の扱う魔力は魔神に属します。魔力の狂気に囚われた彼女に力を与えることは魔神に力を与えることと同義。それでは精霊である私は魔神の眷族に変質してしまうのです。助けなかったのは私の本意ではありません」
「……もう1つだけ。何故今になって俺達を助けてくれる?」
風森はエイリークをみて微笑んだ。嬉しそうに。眩しそうに。
「私の一部だったあの子がクッキーを頂きました。だからわかるのです。彼女に元気でいて欲しい、彼女を守りたい、その気持ちが伝わったから。それは私も同じなのです」
本当はもう1つ理由がある。それは『彼女』が風森に見せてくれたこと。
少年と共にある『しろい少女』は精霊に近い存在でありながら現実に、《世界》に介入してみせた。少年を守るためにゲンソウの力に手を伸ばし、しろい翼を広げた。
風森は本物の精霊なので自らの意志で現界し、力を振るうことができない。《世界》に刃向かうような真似ができず、やろうにも大きな制限がかかってしまう。
それでも風森は見習わなければと思ったのだ。見守ることでは守れない。自ら手を伸ばす必要があると。
「私は守りたい。今のエイリークの力になりたい。私1人では無理でも今は、今なら貴方がいる。だから……」
たすけてください
「だから」
「どうしたらいい?」
優真は風森の言葉を遮って訊ねた。これだけ聞ければもう十分だったから。だからもう訊ねない。
存在を『書き換える』。そのリスクも優真は無視する。
目を伏せる風森。優真の決意を知り悲しくなった。その目はよく知る人と同じだったから。
「……この子に名前を」
風森の前にあの羽付きの女の子が飛び出してきた。ちょこん、と風森の掌にのる。
「《守護の短剣》に宿る私の一部は貴方と共感しています。名を与えることでこの子は私とは独立した同一の存在になります」
えへん、と胸を張る羽付き妖精。
「《精霊使い》になったばかりの貴方は私を使役することはできないはず。代わりにこの子が貴方の力になってくれます」
「……ありがとう。何かお礼できないかな? 俺に出来ることがあればいいけど」
風森は驚く。頼んだのはこちらの方なのに少年がお礼を、しかも従がえる精霊相手に言うものだから。
「……どうして?」
「どうしてって力になってくれるんだろ? 頼みたいのはこっちなんだ」
不意に翳りのある表情を見せる優真。
「俺1人じゃ無理だったから。……俺は、何もできないことが辛いから」
「……」
精霊と優真のやりとりを聞いているだけだったエイリークはそんな彼をずっと見ていた。
くらいところを見つめる瞳。そこは心が沈むくらいところではない。
それは遠くて、ずっと遠くにあるから見えなくてくらいところ。今の優真の瞳の色をエイリークは城の鍛錬場で見たことがある。
その色は黒ではなく闇だ。いや夜だ。でも違う。本来の優真の持つ色ではない。優真の瞳が映す色は……
きっとその色は黒じゃなくて、しろい――
「……もしも」
風森の声にエイリークは正気に戻る。とりとめもない想像は一瞬で消え去った。
「もしも私に願いがあるのならば私は、私は世界を見たい。私は風。風森を守る私はこの国から出られないけれど、叶うならば世界の風と共に自由に吹かれてみたい」
「そっか。なら俺がちっこいこいつを連れて行くよ。こいつと一緒にこの世界を見てくるよ。だから」
優真は風森に手を差し出す。
名前は決めた。それは森の一部で風に舞い踊る緑の若葉。安直だけどきっとふさわしいと思うから。
「だから力を貸してくれ風森。そして一緒に行こう。『風葉』!!」
風森は差しだされた優真の手をとる。
「はい」
風葉と名付けられた精霊は2人の手に自分の小さな手を重ねる。
「はーい」
《契約》は成立した。
こうして優真はユーマとして精霊使いとなった。最後に消えていく守護精霊の声が耳に残る。
――ありがとう。あたらしい風森の守護者よ。風森の風はいつも貴方と共に――
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どうしてこうなったのだろう?
振り返って少年は思う。
高校の入学式だったその日。目が覚めると知らない女性のベッドの中にいた。まず兄の仕掛けた罠と思ったが違った。
知らない世界にて成り行きで魔人と戦う少年。まさか兄のように自分が戦うなんて思わなくて、でも必死になって彼女を救えたことが何よりも嬉しかった。
今度は誘拐事件に巻き込まれ助けに行って捕まった。それで少年は増長していたのだと思い知った。
拷問まがいのリンチを受けて心が折れなかったのも兄のおかげだ。ただもう1度立ち上がれたのは沈み込む彼女を見ていられなかったから。
そして最後に《精霊使い》なんてものになってしまう。状況を打破するためとはいえ、存在を『書き換えた』少年はその変化に今は気付かない。
どうしてこうなったのだろう?
「……まあ、いいや」
それはさておき、脱出するにあたって少年は考える。傭兵達は自分が動けるとは思っていないはずだ。
ならばエイリーク1人に傭兵を引きつけてもらい、逃げたふりして狭い所へ誘導してもらえば不意を突き、精霊の力で各個撃破あるいは一気に無力化できるはず、と
「覚悟はいいか?」
「もちろんよ」
そう言ってエイリークは短剣を構える。
――もう少しだけ頑張ろう
そうしないと親友にあわせる顔がなかったから。
「頼むぞ、相棒」
「まふぁふぇてふふぁふぁいー」
少年の肩にしがみつく精霊は最後のクッキーを頬張った。
「いくぞ、エイリーク、風葉!」
「はああっ!!」
《旋風剣》で扉を突き破るエイリーク。一気に階下へ向けて走り出す。
少年は、ユーマは彼女を追いかける。小さな相棒を肩に乗せて。
エイリークを傭兵達から守りながらの脱出。これが《精霊使い》の少年、ユーマの最初の戦い。
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