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幻創の楽園  作者: 士宇一
第1章 後編
29/195

1-12 囚われのエイリーク

エイリークの独白。

 

 +++

 

 

「えい、やあ!」

 

 小さなエイリークは剣を振る。

 

 ただし6歳の少女が振れる剣などない。彼女が振るのは母からもらった大事なお守り。

 

《守護の短剣》

 

「リィちゃん。何してるの?」

「けいこ」

 

 小さなエイリークは剣を振る。大好きな姉が声をかけてもやめることはなかった。

 

「ちょっとリィちゃん、手を見せて」

 

 姉のエイルシアはエイリークの手を取った。妹の小さな手は皮がむけて血が滲んでいる。

 

「……いつからやっていたの」

「あさから。だいじょうぶだよ。ちょっとすべるけどいたくないよ」

 

 声が低くなった姉が怖くなって嘘をついた。

 

「……もう。強情なのは誰に似たのかしら。風よ」

 

 エイルシアは《癒しの風》を唱える。エイリークはてのひらの傷がゆっくりと治っていくのがむず痒い。

 

「かゆいよ、姉さま」

「ほら我慢して。ばいきんが入るからちゃんと手当てしないと駄目よ」

 

 エイルシアは自分のハンカチを躊躇わずに2つに裂くとエイリークの手に巻き付けた。

 

「これでよし。リィちゃんは最近剣のお稽古ばかりね。女の子なんだから無茶したらだめよ」

 

 エイルシアは寂しく微笑む。まただ、とエイリークは思った。

 

 母がいなくなってからの姉は笑顔を見せてくれない。それがエイリークには悲しかった。

 

「だめなの。あたしは姉さまみたいにまりょくがないの。みこになれないの」

「リィちゃん」

「だからね」

 

 だから小さなエイリークは考えた。自分ができること。自分がやりたいことを。

 

「だからね、あたしは剣を持つの。あたしは父さまみたいな剣士になるの」

 

 傷だらけの手をいっぱいに広げてエイリークは姉に笑顔を向ける。

 

「そしてね、母さまみたいにつよくなるの」

「?」

 

 あれ? 不思議に思うエイルシア。

 

「リィちゃん? お父様みたいな剣士になりたいのよね?」

「うん。でもね、母さまのほうがもっとつよいの。えーとこうやってね……」

 

 エイリークは両手をぶんぶん振りながらしゃべる。

 

「母さまはこの短剣を2つもってね、父さまの剣をずばーん、てふきとばして、こんどはずどーん、て父さまふきとばしたの。……母さますごかったなあ」

「そう。リィちゃんもお母様の剣を見たことがあるのね。……リィちゃんが剣に興味を持ったのはお父様のせいだと思っていたわ」

「?」

 


《旋風の剣士》

 

 

 これは元々彼女たちの母、エイリア・ウインディの二つ名だった。

 

 《風邪守の巫女》の高い魔力から放たれる風魔法、それに加えて2刀の《守護の短剣》から繰り出される剣技はまさに旋風。全盛期の彼女は最強の魔法剣士の1人だったのだ。

 

「でもね、短剣は姉さまと半分こしたから剣1本しかつかえない父さまみたいになるの」

「それは……ちょっと変じゃないかな?」

 

 子供らしいひどい発想だ。でもこれが小さなエイリークの夢。

 

「そしてあたしは剣で姉さまをまもるの。いつかあたしは姉さまの《きし》になるの」

 

 翠の目を大きく開いて驚くエイルシア。

 

 エイルシアはその言葉がどれだけ嬉しかっただろう。どれだけ妹に思われているのかがわかったのだから。

 

「リィちゃん……わかったわ。それじゃ約束しましょ」

「やくそく?」

 

 エイルシアはエイリークの小さな手を両手で包み、妹と視線を合わせて向き合った。

 

「立派な剣士になったのならエイリーク・ウインディ、その時にあなたを私の《風邪守の騎士》に任命します」

「ほんとう!? 姉さま!」

「ええ。だから私は待つわ。いつか立派な騎士様が私の前に現れるその日をずっと」

「うん! あたし、がんばる」

 

 エイルシアは元気な妹を見て微笑む。久しぶりに姉の笑顔を見たエイリークは俄然やる気を出して稽古を再開した。

 

 

 

 

 小さなエイリークは剣を振る。

 

 時が経ち、振るう剣が短剣から摸造剣になって、今の愛用する細剣になってもエイリークは剣を振り続ける。

 

 

 ずっと、ずっと……

 

 +++

 

 

「ここは? ……そっか、アタシは」

 

 膝を抱えて座り込んでいたエイリーク。いつの間にか眠っていたようだ。

 

 埃っぽい部屋。窓からうっすらと日の光が差し込んでいるのが見えて朝だと気付いた。

 

 

 +++

囚われのエイリーク

 +++ 

 

 

 風森の国の東のはずれには老朽化が進み、放棄された小さな砦がある。

 

 傭兵にそこへ連れ去られたエイリークはこの部屋に囚われ、一晩をすごした。

 

「姉さま……」

 

 エイリークはそっと自分の肩に振れる。

 

 そこだけ翠の光がぼんやりと輝いている。僅かな温もりに彼女は縋った。

 

 エイリークは無事だった。なにもされていない。大事な人質だから。

 

 

 そして同じく捕らわれた優真は……

 

 +++

 

 

『そこまでです。彼女を傷つけることは許しません』

 

 

 優真が倒されたあと。エイリークの危機を一時的にせよ救ったのは他でもない、彼女の姉エイルシアだった。

 

 突然聞こえた第三者の声。傭兵がエイリークに手を出そうとしたその時、彼女の腰のホルダーに差してある短剣から翠の光が飛び出してきたのだ。

 

「せ、精霊? 姉さまなの?」

 

 エイルシアはラヴニカの言葉に不吉なものを感じ、国の精霊と《交信》してエイリークの危機を知った。それと同時に彼女の《守護の短剣》に宿る精霊を通じて戦闘に割り込んできた。

 

「……あんたが風森の姫、巫女さんかい?」

 

 このあと、エイルシアは自分の身と引き換えにエイリークの安全を傭兵達に約束させたのだ。

 

「なあに、最初から目的は巫女さん、あんただ。うちの雇い主があんたのファンでね、ちょっとシャイなもんだから会わせてやろうとお迎えに来たってわけさ」

『……わかりました。では明朝に国の東にある廃墟の砦に私1人で向かいます』

「駄目、姉さま」

「おっと、黙ってな嬢ちゃん。よし、交渉成立だ。もしも約束を破ったりしたなら」

『それはこちらの台詞です』

 

 翠の光から発せられる声が1段下がる。ざわめく森。

 

『この国にいる限り私と精霊達に見られている、そう思いなさい』

「あ……ああ」

 

 傭兵はここにはいないエイルシアの迫力にのまれた。

 

 翠の光はそのあと何も話すことなくエイリークの肩に留まった。精霊の監視らしい。

 

「ちっ、まあいい。おい嬢ちゃん、その短剣もよこしな」

 

 強引に短剣を奪う傭兵にエイリークは飛びかかった。

 

「駄目、それだけはだめぇ!!」

 

 短剣を奪い返すとまるで短剣を守るように抱え込み、なりふり構わずしゃがみ込むエイリーク。

 

 彼女は震えていた。

 

「だめよ。これは姉さまとアタシの……」

 

 剣士としての心が折れた。剣を取り上げられた上に守るべき姉を危険にさらしてしまった。

 

 拠り所は姉と2人で分け合ったこの《守護の短剣》だけ。

 

「ずいぶんしおらしくなったじゃねえか。じゃあおとなしく付いてきな」

「おい、こっちのガキはどうする? 始末するか?」

 

 気絶している優真に剣を向ける傭兵。

 

「……ソイツは姉さまのお気に入りよ。人質の価値はあるわ」

 

 エイリークの声は平坦だった。ただ、巻き込まれただけの少年が助かる可能性があると思って言ったのだが。

 

 

「そうかい。じゃあ連れていくぞ。時間があるんだ、暇つぶしにさっきのお礼をしねぇとな」

 

 +++

 

 

「ほらよ」

 

 エイリークのいる部屋に放り込まれた優真は傷と痣だらけだった。肌の見える部分は青黒く腫れていて腹部が不自然にへこんでいる。

 

「っ!? ちょっと、しっかりしなさい」

「一応生きてるぜ。いいか嬢ちゃん、これは見せしめだ。お情けでその短剣を取り上げなかったんだからおかしな真似はやめなよ。……おい、坊主。よく一晩もったな。また遊ぼうぜ」

 

 傭兵は扉を閉める。ガキッ、と錆びた鍵をかける音がした。

 

「う、うう、ひ……る」

「そんな……これもアタシのせいなの?」

 

 優真から目をそむけ、強く目をつぶるエイリーク。

 

 すぐに手当てしないといけない。でも道具もなければ治療術式も使えないエイリークは優真を助けてあげることができない。

 

 こんな時エイルシアなら魔法が使えるのに。そう思うと自分の無力にまた打ちのめされる。

 

「ちがう、ちがうのよ。こんなつもりじゃ……」

 

 泣きたかった。エイリークは我慢した。自分には泣く資格がないと思ったから。

 

 

 そう思うと余計に泣きたくなった。

 

 +++

 

 

 しばらくじっとしていた。エイリークは自分の殻に閉じこもり、静かに独白する。

 

「結局、アタシはアイツを巻き込んで姉さまに助けられた。姉さまを、危険にさらしてしまった」

 

 エイリークは沈みこむ。心が、くらいところへ。

 

「アタシは姉さまを守りたかった。だから剣を選んだ。アタシにできるのはこれだけだから……でも間に合わなかった」

 

 沈む。

 

「国も魔人も母さまもアイツがどうにかしちゃった。アタシは素直に喜べなかった」

 

 沈む。

 

「昔は、母さまいなくなってからはアタシがいても姉さまがあんなに笑うことなんてなかった。……でも今は違う。アイツや魔人の子がいて姉さまは自然に笑顔でいてくれる……アタシがいなくても」

 

 沈んでいく。

 

「アタシって何だろう? 何がしたかったのだろう……」



 どこまでも……沈む。

 

 

 

 

 ――姉さんを守りたかったんだろう? それだけじゃないか

 

 自分しかいない世界で、エイリークは誰かの声を聞いた。

 

 ――守りたいものがあったから剣をとったんだ。いいじゃないか。偉いよお前

 

 うるさい。

 

 ――お前子供の時からその道を選んだんだろ? 失くしたくなくて必死で、今まで努力したんだろ? 誰でもできることじゃないんだ

 

 うるさい。

 

「きっとシアさんだって……」

「うるさい!! 黙れ、ユーマ!!」

 

 エイリークの感情が爆ぜた。その感情は嫉妬。

 

「国を救った英雄様にはわからないでしょうけど、何もできなかったアタシは悔しいのよ! アタシは剣士。これしかないの。なのにアタシの剣じゃ守りたくても守れなかった。アタシは、アタシは惨めなのよ! 確かにアンタがいたから姉さまは無事だった。いつも笑顔でいてくれる。でも、でもアンタがいるからアタシは…………って」

「……ん?」

 

 エイリークの呟きと先程の叫びを神妙に聞いていた優真。

 

「なっ、なな」

 

 エイリークはうまく言葉が出ない。気付いたらぼろ雑巾だった優真が起き上がり、エイリークの顔をきょとんと覗きこんでいる。

 

「なななななな!」

「どうした?」

「どうしてアンタが!?」

 

 優真は痣だらけの顔でふと遠くを見るような顔をした。

 

「……まさかこの《奥義》を使う事になろうとは思わなかったんだ。兄さんの奥義、《しんだふり》を」

「……」

「要は服の裏に仕込んでいた《ヒール》の回路紙を発動させたんだ。気絶しなきゃ誰でもできるとっておきなんだぞ」

 

 はっはー、と胸を張り自慢する優真。エイリーク、脱力。

 

「まあ、リンチっていうか拷問まがいのことはされたんだけど。ほら、左手の爪なんか全部」

「言わないでいいし見せなくていい。……どうしてそう平気なのよアンタは」

「こういうこともあるって本に書いてあった。実際にあったのだからしょうがない」

「……」

 

 おかしい。コイツは異常だとこの時から思いはじめたエイリーク。彼女の《直感》は正しかったのだが。

 

「さて。捕まっているのはわかるんだけど他の状況がわからない。ここどこ?」

「……最悪よ」

 

 

 今の状況がエイリークに優真のことを考えさせる時間を与えてくれなかった。


 +++

 

 

「だりゃ!」

 

 優真は扉に何度か体当たりをしてみたが、厚みのある木製の扉は錆びた鍵や丁番も丈夫でびくとしない。

 

「くそっ、こんな木製の扉、兄ちゃんなら1発なのに」

 

 優真はエイリークから状況を確認すると脱出を試みた。何せ傭兵は数だけで頭が悪い、そう思ったからだ。

 

「人質を縛らずに見張りもなしか。……ちくしょう、これだけ油断されてるのに手段が足りない」

 

 優真の装備はほとんどが奪われていた。残されたのは靴下と靴の中に仕込んでいた回路紙が4枚だけ。

 

「《音爆弾》、《爆破》、《ヒール》が2枚……戦闘なんか無理だぞ。そうだ。エイリークはなんか魔法みたいなの使えないの?」

「……」

 

 エイリークからの返事はなかった。彼女はあれから膝を抱えて座ったままだ。

 

「……まあ、いいや。となるとあとはシアさんが来た時に仕掛けるしかないな。ああ、《しんだふり》のタイミング間違ったな」

 

 自力での脱出を諦めた優真はエイリークの隣に座りこむ。

 

「……何よ」

「そう落ち込むなって。シアさんは魔人に喧嘩売るくらい強いんだ。無策で突っ込むような真似はしないから大丈夫だって」

「……アタシのことを言ってるの」

「……悪い」

 

 地雷を踏んだ。爆発はしないがエイリークは再びどんよりと沈み込む。

 

「……はぁ。これやるから機嫌直してくれ」

 

 エイリークに差し出したのは小さな紙袋。

 

「何よこれ? ……クッキー?」

「非常食。あいつら2重ポケットに気付いてなかった」

 

 クッキーのほとんどは割れて崩れたもの。エイリークはその中でましな1枚を手に取り、少しだけ齧った。

 

「――! これ、ミサの」

「エイリークに持って行ってくれって頼まれたから。これは俺の分だけどお前の分は昼飯と一緒に置いてきたから」

 

 優真も半分に割れたクッキーを口にした。

 

 サクッ、とした感じと一緒にバターの風味が口いっぱいに広がる。

 

「うん。やっぱりミサちゃんはすごいな。そう思うだろエイリ……ク?」

 

 優真は驚いて彼女から目を逸らした。

 

 

「……っ、みさぁ」

 

 

 エイリークは泣いていた。声も出さずに静かに涙を流していた。

 

 エイリークにとって親友の作るクッキーは特別なものだ。これは母が残してくれたものだから。

 

 

「……」 

 

 優真は悔しかった。

 

 また何もできない、何度同じ思いを繰り返さなければならないのかと。エイリークが泣いたのを見ると自分のふがいなさが歯がゆかった。

 

 エイルシアが助けてくれることは疑っていない。ただし最悪の場合も考えてしまう。

 

 人質がいることが問題だ。エイルシアの行動に制限をかけてしまう。下手をすると人質を餌に言いなりにされてしまうかもしれない。

 

 自分の事は別にいい。ただエイリークが解放されずにエイルシアが捕まってしまう事態は何としても避けたい。

 

 脱出は無理でもせめて彼女と連絡が取れれば、と優真が考えていると。

 

 ……じゅるり。

 

「……あの、エイリークさん?」

「……何よ。こっち見るな」

 

 泣き顔でぐしゃぐしゃ、鼻声のエイリーク。

 

 そんなことより優真は気になることがあって、何故か丁寧なしゃべり方で訊ねた。

 

「先程から聞きたかったのですが、その肩に乗ってる『人形』は……なに?」

「……は?」

 

 言われたことが分からないエイリーク。彼女の肩にはエイルシアが付けた監視役の精霊が……

 

「精霊!? アンタ何が見えるの?」

「よだれを垂らした羽付き妖精」

 

 ユーマに見えるそれは緑色の髪と緑の服を着た10センチくらいの小さな小さな女の子。エイリークの肩にしがみついてよだれを垂らしている。

 

 エイリークには肩に付いたものが翠の淡い光にしか見えない。でも

 

 

「おいしそう、ですねー」

 

 

 光が声をだしたのはわかった。

 

 +++

 

 

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