アギ戦記 -護衛3日目 9
暴かれてしまった彼女。見つけてしまった彼女。
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――《歌姫》の歌。彼女の力には君が、関与しているのか?
問われた意味を理解した瞬間。万が一にと予め用意していた2つの術式は――腕に纏い付く《現操》の風、そして指先に創り出した火の《幻創》が――攻撃術式として力を成す前にあえなく霧散してしまった。
イレーネは不覚を取った。それは、ゲンソウ術の発動を無為にしてしまうほどの動揺。
彼女にとって何よりマズかったのは、動揺が目にわかる形で、よりにもよって目の前の男に悟られてしまったことだった。
「《風煽火弾》。《火球》と《旋風砲》を『掛け合わせた』、《相乗の魔術師》と呼ばれた君の得意とする術式だったな。……だからといってこんな所で火を使うな」
「…………っ!?」
《用心棒》はイレーネの術式を見極めた上で顔を顰める。動転したイレーネは青褪めたままであったが、次の彼女の行動は素早かった。
距離を取りに、うしろへと下がる。
ゲンソウ術、即ちイメージのみで魔術を再現する《魔術師》の1番の弱点。それは術式のイメージ構築に時間がかかり、発動までに長いタイムロスが生じてしまうことである。何の準備もなしに、即時に魔術の連続発動は不可能なのだ。
たった1度の動揺で《風煽火弾》のみならず、『仕込み』を全て無駄にしてしまった。こうなってしまっては近距離戦において、近接型の武芸者に彼女が敵う道理はない。
イレーネが半歩、うしろへ下がるとほぼ同時。一瞬で詰め寄られた間合い。
「――うっ!?」
瞬時に振りぬかれた旋棍はイレーネの顔の真横、髪を掠めた。拳圧が突き抜けて彼女のお下げにした三つ編みが解ける。
旋棍を構えたまま、《用心棒》は警告する。
「動くな。いくら君とはいえ、抵抗すれば次はない」
「……でも。言わせてもらうわ」
イレーネは、男の重圧に負けまいと、苦しそうに言葉を挟む。
弁明しなければ立場が悪くなる。咄嗟にそう思った。
「ロウエン。あなたが《歌姫》の力を調べているのはわかってる。けど、マイカの歌には何の力もないわ。世界術式と言ってもあれは表現に特化しただけのもの。あなた達が危惧しているような事は絶対に……」
「本当にそうか?」
彼女はドキリとする。
「勘違いしないでほしい。《歌姫》の存在を懸念しているのも、最終的に危険だと判断するのも俺じゃない。学園都市だ」
「……っ!!」
「『この件』に関して言えば俺は、調査依頼を受けた末端でしかない。……実際《歌姫》の歌があの程度のものならば、何の問題もなかった」
だが。新たに懸念すべきことが今、顕になった。
この時彼が危惧したのは、魔神さえも倒すほど可能性を持つ力、世界術式ではない。
「改めて君に確認する。マイカ・ヘルテンツァー。彼女に、『世界術式を扱えるだけの力を施した』のは君なんだな?」
「そ、それは……」
「惚けても無駄だ。他ならばともかく、俺まで誤魔化せると思うな。『あの状態』で世界術式を使う自身のリスクを、彼女は理解しているのか? 『対となるもう1人』は?」
「――――っ!?」
絶句。
イレーネと《歌姫》、そして世界術式を結びつけることで《用心棒》は、このとき既に秘密の核心にまで迫っている。
そのことを、イレーネは悟る。彼女がそう思う根拠がある。
旧知の間柄である2人。《魔術師》としてのイレーネを知る《用心棒》。彼だからこそわかることがあったのだ。
言い詰まるイレーネの態度に《用心棒》は、静かに、僅かな怒りを込めて旋棍を握り直した。そのただならぬ様子にイレーネは全身を強張らせ、肩を震わせる。
《用心棒》は気付いてしまった。イレーネにすれば目を付けられた相手が悪かったとしか言いようが無い。『もう一人の歌姫』の存在を知られそうになって迂闊にも姿を見せた己の不覚を、彼女は心底悔やんだ。
「《魔術師》の業。そういったものが、君にもあったんだな」
「違う。そんなものじゃない! 私はただ、あの子たちが望むライブを……!」
「……。たとえ、そうだとしても」
反発する彼女に彼は、諭すように言う。
「世界術式を、見世物にする真似だけは避けるべきだった。そもそも。君たちに世界術式なんて必要なかったはずだ。あんなものがなくても音楽は……彼女たちの歌は、人を感動させることができる。俺はそう思うよ」
正論に何も言い返せない。
イレーネがずっと隠し続け、目を逸らして、抱え込んできた秘密。
危険を孕むことを承知で守り続けてきた彼女と、彼女たち《歌姫》の秘密。
それに《用心棒》は迷いなく、こう名付ける。――罪、と。
(……リュシカ……!)
罪を告発される直前。《用心棒》が放つプレッシャーに立ってるのがやっとの彼女は、ある1人の少女のことを思った。
《歌姫》として名の知られているマイカは手遅れ。彼女が自分の巻き添えを食らうことは避けられない。
だったら。せめて。
一時凌ぎの悪あがきでも。それでも。少女の平穏だけでも守れることを祈って、
一縷の望みをかけて、イレーネは願う。
(リュシカ。お願いだから……早く校舎に戻って!)
そして。イレーネが覚悟する時が遂に来た。
「セイカ女学院担当《学生保護観察員》、《特別教育実習生》イレーネ・マルチブル」
《用心棒》は、自身に与えられた権限を以て彼女の名を呼び、無情に告げる。
「君には《禁忌魔術》の使用及び、同魔術による人体実験の疑いがある」
林の中に響いていた歌声は、既に途切れている。
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一方。イレーネが容疑者として連行される少し前。
外壁の抜け穴をくぐり抜けて、女学院に隣接する雑木林に辿り着く頃。マイカの胸騒ぎは一層激しいものとなっていた。
マイカは動悸の激しい胸を抑えながら、ゆっくりと林の奥へと向かった。2重に重なって聞こえてくる心臓の音。その意味が彼女にはわかる。
「リュシカ……あなたもいるの?」
本当はアギを捜すためにここへ来たはずだった。けれどマイカは次第に、自分が何よりも大切にする少女を追い求めていた。
胸の鼓動に導かれるままに。心臓を通して伝わってくる感情は……哀しみ?
泣いているのだろうか。お団子頭をした少女の泣き顔が思い浮かぶと、マイカは動悸とは別の、締め付けるような苦しみを覚える。
待ってて。今行くから。
なにがあっても。あの子は、あたしが守る。
それはマイカの、自分に沢山のものを与えてくれた少女へ向けた、神聖な誓い。
何ものにも代え難い絆に誓った、彼女の決意。けれど。マイカの心は今、激しく揺れている。
セイカ女学院の隣にある雑木林。リュシカが人知れず、1人で心置きなく歌を楽しんでいるいつもの樹の下。3人だけの秘密の場所。
そこまで足を運んでマイカは、息を詰めた。
「…………どうして?」
2重に響く心臓の音に、胸が張り裂けそうで痛い。鼓動と共にマイカに伝わってくるのは……溢れるばかりの哀しみと、慈しむこころ。
マイカの方からリュシカの顔は見えなかった。見えるのは、あの少年の背中だけ。少年の背の影に隠れてしまっているリュシカは、泣くのを堪えているように見えた。
そんな風に伝わる。
今にも崩れ落ちそうな背中があまりにも小さくみえて、酷く頼りない。リュシカはただただ必死に、全身で受け止めるようにして少年を、アギを支えていた。
どうして? 2人が抱き合っているの?
自分の知らないところで、2人が一緒にいたこと。目の当たりにした信じられない光景にマイカは驚き、とてつもない衝撃を受けた。
痛々しいまでに小さく見えた少年の背中。彼こそ泣いているのかもしれない。そんな彼をやさしく抱きとめたリュシカの姿をマイカは、心が締め付けられる思いで見入っていた。
圧倒された。
だから。ドクンとまたひとつ、一段と激しい動悸が彼女を襲う。
だれど。この時の動悸はほんとうに、マイカのものだったのか。
この距離ではマイカにはもう、わからない。
彼女はショックでよろめく体を気力で支え、一歩、意を決して前へと踏み出す。
+++
しかし。結局の所、いったい何が起きたのだろう。
気持ちの整理がついて落ち着いたころ。アギは先程自分に起きたことを少し考えてみた。といっても、アギにわかることは少ない。
お団子頭の少女に頼んで、歌を歌ってもらったのだ。アギは砂漠の歌を1つリクエストして少女の歌に聞き入った。それから。
リュシカの歌声は予想通り、マイカに負けず素晴らしいものだった。けれど。少女の歌から連想できた砂漠の情景が、アギの知る西の砂漠と思いのほかかけ離れていて。
それでアギは思ったのだ。違うと。俺達の砂漠は、もっと……、と。
それから。アギは歌に刺激されるように、故郷の砂漠を思い浮かべて。
それから……
……さらさら……さらさら……。
白昼夢というものだろうか。いつの間にかアギは夢を見ていた。
過去の記憶から生み出す空想が夢であるのならば、アギが体験したそれがそうなのかもしれない。
それは、しあわせだった幼少時代、その時の記憶。思い出だった。
思いだしたことで波のように押し寄せてきた様々な感情が、一気にアギの中を満たした。ごちゃまぜになる心にアギは耐え切れず、打ちのめされてしまう。
しかし。今にも崩れ落ちようようとしたその時。そっと、やさしく触れた者がいた。
気が付くと傍にいたお団子頭の少女リュシカが、歌うのを止め、倒れそうになるアギの背に腕を回して、正面から受け止めてくれていたのだ。
抱きとめられた瞬間。「……ごめんなさい」と彼女は言った。その意味するところを、アギは今もわかっていない。けれど。そのあたたかな感触が心にしみわたって、アギにはそれが素直にありがたかった。
そうして。落ち着くまでアギは少女に自分の体を預け、今に至るのだが。
「…………んっ」
「……おだんごちゃん?」
と、そこまで思い返した時。アギは自分の胸のなかにいる少女が、僅かに身じろぎしたことに気付いた。
しかし。そこに至った経緯はどうあれ、小さな女の子(*と言っても歳の差は1つ)と抱きあっている今の状態。
もし人に見られでもしたら結構マズいんじゃ……
(――やばっ!)
我に返ったアギはリュシカの肩に手をかけ、焦るあまり彼女の身を強引に引き離した。
「わ、悪ぃ! もう大丈夫だ! 俺はもう平気だから!」
「あうっ!? は、はい……」
突然の事に驚くお団子頭の少女。リュシカは大きな瞳に涙を浮かべたまま、びっくりしてアギを見上げている。
「悪かった。折角歌ってくれてたのに、いきなり泣いちまったりして」
「い、いえ。そんな、こと……」
リュシカはまた「ごめんなさい……」と言って俯いてしまった。
間近で見た少女の顔立ちは、アギが思った以上に幼い。アギはなんだか、居た堪れなくなって顔を逸らす。
正直アギは困った。彼女には謝って貰いたくとも、悲しい顔もしてほしくないのに。
それで色々と誤魔化すように鼻をかきながら、アギは今の素直な気持ちをリュシカに、感謝の意を込めて言った。
「その……なんだ。色々とありがとな」
「……えっ?」
「なんか今も変な感じで、まだ何が起きたのかよくわかってねぇんだけど」
「……?」
「きっと全部、おだんごちゃんのお陰なんだよな? ……ありがとう。情けねぇとこ見せたけど、これでも色々スッキリしたんだ。傍にいてくれて嬉しかった」
「っ!?」
「歌も。すげぇよかった。またいつか聞かせてくれないか?」
「……あっ、あ、あのっ! ……その……」
リュシカは、アギの言葉に驚いて、また突然おろおろとして。だけど。
「……はい。わたしの歌……聞いて、くれて、あ、ありが、とう……」
ごじゃいます。
視線を彷徨わせ、か細い声ではあったが。少女は確かに応じてくれた。それだけでアギは嬉しくなる。
結局。自分が体験した、あの不思議な夢はなんだったのだろう。アギは考える。
リュシカの様子からみて彼女の歌になにか秘密があるようだった。けど今は聞かないでおこうと彼は思う。
夢とはいえ、たとえ過去の幻だとしても。2度と逢えないひとにもう1度、逢うことができた。少女の歌をきっかけに思い出すことができた。不思議は不思議のまま、詮索することは野暮のように思えたのだ。
それでも。お礼を言うリュシカの態度が、やけに挙動不審だったのは多少気になるが。
「おだんごちゃん、どうかしたのか?」
「…………マイちゃん……」
「……えっ?」
「あんたたち……」
背後から聞こえたのは、やや険を含んだ低い、聞き覚えのある少女の声。アギは思わずギクリとして振り返った。
そこには、ヘアゴムで束ねた髪を無造作に振り払うマイカの姿があった。
不敵な笑みを浮かべて仁王立ち。しかも。目元が一切、笑っていない。
「もう午後の授業、始まってるわよ。堂々とサボるなんて、いい度胸じゃない?」
「げっ。歌の姫さん、なんでここに……」
「げぇー?」
ギクリとした態度を隠そうとしないアギに、マイカは不機嫌そうに鼻を鳴らす。
マイカのただならぬ雰囲気に、アギはつい反射でリュシカを背に庇うように前へでた。それが、彼女の不機嫌に輪をかけたことなんて、アギは気付かない。
「随分な態度よねアギ。そんなだからあんた、女学院の中で噂になるのよ」
「う、噂?」
「覚えはある? 休み時間の度に女の子をジロジロと見て、カツアゲに下着泥棒」
「は……はぁ!?」
「女装趣味の芸人。リュガ君と男女(?)の関係になってる、なんてのもあったわ」
「ぐはっ!」
犯罪者を見るような蔑んだ目。それよりも聞き捨てならない噂にアギは仰天。
特に。最後のやつが致命的。
「いったいどっちが女役で、『受け』なのかしら?」
「ちょっとまってくれ! なんだよそれ」
「やっぱりアギ子が『受け』なのが本命よね。1度は襲われてるわけだし。しかも人前、しかも外で。あたし的にはあんたがリュガ君に愛の告白する所なんて見てみたいけど」
「おい!」
「たとえば」
放課後。校舎裏にある伝説の(?)樹の下。向かい合う男と男。
手紙で想い人を呼び出した彼は、恋焦がれ、苦しそうに思いの丈を言葉にする。
――もうお前のこと、ダチとしてみてらんねぇよ。辛くて、もう我慢できねんぇんだ
――好きだぜ、リュガ!
――アギ……そんなこと言われたら俺……
――ずっといえなかったけど。俺も。お前のこと、あい……
「冗談でも止めてくれ!? 想像しちまったじゃねぇか! あとアギ美だよ、美ぃ!」
「どっちでもいいじゃない」
瀕死の状態で悶え苦しむアギを、マイカは無碍に扱う。
女王様然とした素敵な笑顔。アギを見下すその瞳は、やっぱり笑っていない。
「極めつけは、皆のいる前で堂々と女の子を拉致した誘拐犯。さっき1年生が大騒ぎしてるの、あたし見たわよ。なにやってるのよ、あんたは」
「全部誤解だ! きっとあの時の、おだんごちゃんの教室で絡んできた変な女が色々…………姫さん?」
「ふーん」
絡んできた変な女、または『おだんごちゃん』と聞いて、彼女の目は更に釣り上がり、形の良い眉がぴくりと跳ね上がった。
アイリーンとの噂のこといい、この青バンダナ、誤解を招く隙が本人が思う以上に多いのではないだろうか。
マイカがそんなことを考えたかどうかはさておき。
「誤解、ね。だったら説明してもらおうかしら? ――あんたがここまで連れ出してきたその子。誘拐じゃなければ一体何?」
「うっ」
ここで本題が来た。アギは言葉に詰まる。
今まで味わったことのない種類のプレッシャー。これが俗にいう修羅場だとアギが理解するのは、まだ早い。
「説明してみなさいよ。ほら! 今すぐ!!」
「うぐっ! お、おだんごちゃんは……」
「は?」
「……」
「続きは? アギ!!」
「俺が、勝手に、連れ出しました……」
怒髪天を衝くマイカに対して、アギは折れた。それはもうぼっきりと。
無駄な抵抗はせず、膝を折り、今度こそ崩れ落ちる。……自然と正座、正座から土下座の姿勢へとなるのはどうしてだろうか。
平伏すアギを前にしても、マイカの怒気は崩れない。
「アギ。あんた、自分が何をしでかしたのかわかってる?」
「歌の姫さんを怒らせた……」
「はあ?」
「い、いえ! 全然怒ってねぇよな!? えっ、えっとぉ」
「ゆ・う・か・い!」
「あ、ああ! おだんごちゃんを連れ出して、騒ぎを起こしちまったんだ、俺」
「そうよ。女学院の規則はあんたが思う以上に厳しいの。だというのに。リュシカが罰を受けて傷物になったら、どう責任とってくれるの」
「き、傷物……?」
物騒な物言いにアギはたじろいだ。
「あたしと違ってリュシカは……優等生なのよ! 今回の騒ぎで停学なんてなったりしたら、リュシカのご両親になんて言ったらいいの!?」
あ。内申の方でしたか。体罰とかじゃなくて。
「……おどかすなよ。俺はてっきり……」
「何よ? 反省してんの?」
「い、いや。なんでも。言葉もありません」
誘拐騒ぎに関して言えばアギが全面的に悪い。色々あってリュシカに現在進行形で迷惑をかけてしまっていることも忘れてしまっていた。
アギは謝ることしかできない。謝る相手が間違っている気もしないが。
「本当にすいませんでした。おだんごちゃんの事は、俺が責任をもってフォローします」
「そんなの当然よ。……あとは? ほかにあたしに言うことはある?」
「ありません」
「…………。もういい」
ここで。はじめてマイカの表情が曇った。
今朝からずっと、護衛対象を放おりぱなしだったことへの不満なんて、彼女はプライドから言えるわけがない。
大体、こっちの気持ちがまるでわかっていない、アギへの怒りを「わかりなさいよ!」と怒鳴るのも理不尽なことだろう。
まして。リュシカをここまで連れ出してきた理由や、本当に訊きたかったことなんて、怖くて訊けない。
「ともかく! これ以上リュシカに変なことしたら、許さないんだからっ」
「はい! ……はい? 変なこと、って何だ?」
「っ、素っ惚ける気? さっきまでリュシカに抱き付いていたのは誰!?」
「あ! あれは……!」
誤解を解きたくとも、アギはうまく説明できない。
話せば長くなる。彼がリュシカを捜していた経緯、今朝に雑木林の中でリュシカと遭遇したことから話さなければならなかった。リュシカと抱き合う様になってしまった原因……自分が先程体験した白昼夢ことも。
夢の内容はなるべく、アギは誰にも話したくなかった。だからアギは、誤解を解きたくとも言いあぐねる。
一方でマイカは、激昂のあまり衝動でつい言ってしまったと、表情を歪ませていた。
本当ならアギをボコボコにとっちめた所でおしまい、あとは有耶無耶にして一緒に校舎に戻って、それでこの件は終わらせるつもりだった。2人が相手で深く踏み込むと泥沼に嵌りそうだったから。
なのに。これではもう、引くにひけなくなる。
「……どうなの?」
「あ、あれは……その」
「アギ?」
「……すまねぇ。うまく、言えねぇ」
「何よ……あやまらないでよ」
沈黙。一層気まずくなる空気。
しばらくして最初に言葉を発したのは、今まで黙り込んでいた第3者の彼女。
「……マイちゃん」
小さくとも、はっきり聞き取れた少女の声に2人は、ハッとして揃って彼女を見た。
アギの背に隠れていたお団子頭の少女は、酷く苦しそうに胸を抑えている。
リュシカはずっとマイカを見ていた。今にも泣きそうな顔を上げて、まっすぐに彼女をみつめていた。その向けられた視線は、ただただ自分を思い遣る純粋なもので。マイカは堪らず、少女から目をそらしたくなった。
「マイちゃん……ごめん。ごめんね」
「リュシカ……?」
「わたしのせい、だよね? こんなに、こんなにも……」
リュシカが、手で胸を抑えながら彼女へと歩み寄る。するとマイカは、彼女を恐れるように1歩下がった。
お願い。リュシカ、お願いだから。
「こんなに、胸がくるしくて、すごく、痛いの……こんなの、は、はじめて……」
「リュシカ……」
言わないで。謝らないで。
悪いのは、あなたじゃないから。
だから。だから。
「この痛みは……わたしのじゃ、ない。ぜんぶ……マイちゃんの……」
「リュシカ!」
あいつもいるのよ、これ以上言わないで!
「――!?」
「……あっ」
「ご、ごめ……なさ……ごめん、なさい。マイちゃん、ごめんなさい」
心が潰されそうになるのを必死に耐え、うなされたように謝り続けるリュシカ。あまりのいじましいその姿に、マイカは罪悪感さえ覚える。
本当は違うのだ。謝るべきなのは自分なのだから。
だって。リュシカの心を苦しめているのはほかでもない、あたしの――
「姫さん、どうしたんだ。おだんごちゃん……?」
向き合う2人は同じように胸を抑えて、泣きそうな顔をして苦しんでいる。
鏡合わせのようだ。それは事情を知らないアギの目から見て、異様としかいえない。
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リュシカという少女は、本当に心根の優しい少女だった。そして外の誰よりもマイカのことを理解している少女だった。
《同調》する心を通じて、リュシカにはマイカの気持ちが自分のもののようにわかる。近づけば近づくほど。触れ合えばその分だけ。
喜びや哀しみといった感情。ともすればその時その時の思考もそう。
彼女が自分を大切に思ってくれることも、気になる少年への恋心も――葛藤するだけで遣り場のない彼女の、自分へ向けた嫉妬だって。敏感な少女の心は、自分のことのように感じ取ってしまう。
だから。直接話をしたことなんてないけれど、リュシカはわかっていた。
マイカは、いつだって心の奥底で、劣等感を感じている。それも自分を相手に。いくらマイカの心が理解できても、それだけはリュシカは信じられなかった。
彼女に憧れ、コンプレックスを感じているのは誰でもない。自分だったから。
(マイちゃん……ごめんね。マイちゃんの気持ち、知ってたのに。わたしが……あの人と2人で一緒にいたから……)
(わたしのせいで、辛い思いをさせて。ごめんなさい)
マイカに縋るように、自分のせいで人知れず苦しむマイカに、それでも何かしてあげたくて、マイカに触れようと歩み寄るリュシカ。
同調能力者であるリュシカは、その力の応用として『他人の痛みを引き受ける』ことができる。以前彼女はマイカの打たれた頬の痛みを、腫れごと引き受けもしてみせた。
マイカを傷つけたくない。その傷を癒したい。その思いがリュシカを、マイカの元へと向かわせる。
怯えるように立ち尽くすマイカに、リュシカが手を伸ばした、その時。
「――ッ、触らないで!!」
リュシカと違って同調能力者ではないマイカには、読心術のようにリュシカの心の内を読むことはまったくできない。
この時彼女には、リュシカに触れられることでこれ以上、自分の心を暴かれたくないという畏れだけしかなかった。だからこそ起きた、不幸。
ぱしっ、と乾いた音が林の中に鳴り響く。マイカが叩いたのは、誰よりも大切に思っていたはずの少女の、ちいさなてのひら。
「…………マイ、ちゃん?」
「あ……リ、リュシカ……」
直接的な拒絶の態度に、深く傷ついたのはいったい、どちらだったか。
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