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幻創の楽園  作者: 士宇一
番外 アギ戦記 後編
192/195

アギ戦記 -護衛3日目 8

気付く前の彼女と、気付かれてしまった彼女

 

 +++

 

 

 さよならの日は、あと3日。時間は少しずつ、確かに流れていく。

 

 おわりの日は近い。そのせいだと彼女は思った。

 

 

 どうしよう。どうしよう。

 

 今朝から感じている胸騒ぎ。今も繰り返されるこの言い様のない不安の正体はきっと。

 

 あたしのものよね?

 

 +++

 

 

 昼休みが始まって間もなくのこと。セイカ女学院、校舎2階。

 

 生徒の誰もが昼食を楽しむ中、力強い足取りで廊下を歩きまわる少女が1人。

 

 

「まったく。あいつったら、今度はどこ行ったのかしら」

 

 いない相手に向かって不満を零しつつ、フロアを1周。

 

 教室の1つ1つを見渡して、キョロキョロと頭を振る度にヘアゴムで束ねた長い橙色の髪が不機嫌そうに揺れている。

 

 女学院の2年生にして《歌姫》のマイカだ。彼女は昼食もそこそこに教室を抜け出しては、アギを捜していた。

 

 マイカの捜し人は彼女の目からしても、今朝からどこか様子がおかしい。授業中はずっと上の空。休み時間は来る度にふらっと消えて、いつの間にか戻ってくるの繰り返し。

 

 何処に言ってたの? と問うと。

 

 

『……あー、便所。便所だよ。俺たち外の仮設トイレしか使わせてもらえねぇんだぜ。用を足すのに遠いのなんのって』

 

 

 けれど何度も同じ言い訳をされては、話をはぐらかそうとしているにしか見えない。

 

 何を話しかけても返ってくるのは生返事ばかり。相手にされなければ張り合いもなくてマイカはおもしろくない。

 

「あいつ。ちゃんとわかってるのかしら」

 

 《歌姫》最後のライブを行う3日後は休日。つまりマイカが学生らしい生活を送れるのは明後日までなのだ。

 

 女学院で過ごす最後の時間。マイカはその時まで悔いのないよう、楽しく過ごしたいと思っている。だというのにあの青バンダナといえば。

 

 何か別のことに因われてずっとぼんやり。こちらを見てくれない。マイカがはりきって自分の格好いい所、『デキる女』である所を見せようとしても空回りっぱなし。

 

 たとえば。今日は家政学の一環で裁縫の授業があった。

 

 

 裁縫は《歌姫楽団》の衣装係であるリュシカの特技。彼女に教えてもらったこともあるマイカも針と糸、あるいはミシンを使うのをそれなりに得意としている。

 

 この日の課題だった枕カバー(*縦長い布袋に枕を詰めるように被せる単純なもの)も箱庭育ちのお嬢様の多いクラスメイトの中、マイカは比較的短時間で縫い上げてみせた。

 

 仕上げに、リュシカ直伝の簡単なワンポイントの刺繍も入れると出来栄えもまずまず。クラスメイトは勿論、彼女の天敵であるシスターからも素直に褒められればマイカも満更ではない。

 

 おそらく裁縫なんてしないだろう《銀の氷姫》にも早縫い勝負(*マイカが一方的に仕掛けた)に勝てた(*マイカが一方的に勝ち誇った)ので彼女はとてもいい気分。

 

 でも。肝心のアギに自慢しようとしたら。

 

 

「なんで……あたしが1枚縫ってる間に、3枚も縫い上げてしまうのかしら……?」

 

 

 逆に驚かされる羽目になった。ぼんやりとしながら黙々と縫い物をする彼は、実はかなりの手練だったのだ。

 

 所々荒い所もあるけど全体的に縫い目は細かく、丈夫そうなつくりをした枕カバー。布袋の実用的だ。

 

 驚き混じりに「ちょっと、どういうことよ!?」とアギに裁縫ができる理由を訊くと、彼は相変わらずぼんやりしていたが、

 

『……ん? ああ。ガキんときはよく手伝ってたからなぁ。砂漠の民の子供の仕事ってのが、女の仕事を手伝うもんだったから」

 

 曰く。砂漠の民は自分の着るもの、砂除けのローブの一着くらい1人で手直しできるのが当たり前らしい。意外にもアギは身の回りのことが一通りできるとか。

 

 加えてアギはこうも言った。

 

『別に服を作ってるわけじゃねぇんだ。変に技術なんて要らねぇ。まっすぐ縫うだけでできるもんなら、簡単だろ?』

 

 などと枕カバーごときに苦戦している女子たち(*アイリーン含む)にすれば信じられない事を言い放つ。これにはちょっと悔しくて、マイカはつい「男のくせに変よ」なんて言ってしまったが、

 

『こういうのに男とか女とか、あんま関係ねぇだろ? 料理人や服職人にも男いるし』

 

 と言っては特に気にもせず、

 

『あーそれに。言っとくが俺なんて大したことねぇぜ。……あいつの方見てみろよ』

 

 と彼が指差す方を見れば。いつの間にか授業に参加していた《精霊使い》の少年が、枕カバーどころか、手足の生えた奇妙な寝袋を既に作ってしまっており、リュガに『試着』させていた。

 

『どう? この着るタイプの寝袋。動きやすいでしょ?』

『ああ。今の時期は少し暑いが、これなら防寒着でも使えるな』

『別に作ったこの大きめのカバーに詰めると……ほら。クッションにもなるんだ。持ち運びにも便利』

『おおっ、すげーな』

 

 アギが「あいつと比べたらなぁ……」とぼやくと、マイカもまた妙な敗北感に襲われた。ユーマの実用的でユニークな大作が、クラスの関心をすべて持って行ってしまったのだ。

 

 けどユーマ。それは裁縫というより、もはや工作ではないだろうか?

 

『あとこの寝袋にオプションの耳と尻尾を付けて、こう……頭に顔と髭を書き足せば……はい、着ぐるみパジャマの完成』

『……おい。今の俺、どうなってる?』

 

 『リュガにゃん』は可愛くなかったし。

 

 

「あいつは一体なんなのよ」

 

 ユーマ・ミツルギ。《精霊使い》のあの少年は、リーズ学園のエースということを除いてもどこかおかしい。

 

 やることなすこと、どこか突飛で無茶苦茶で。あるいは奇抜で。

 

 それは勿論。ユーマはマイカの護衛として、再起塾や《用心棒》の襲撃から1人で彼女を守リ抜いたし、前回のライブでは空中ステージの演出、また打ち上げの用意などもしてくれて《歌姫楽団》を大いに助けてくれもした。だがそれはそれだ。

 

 マイカは決して忘れていない。あの少年には何度も酷い目に合わされている。

 

 具体的には埋められたり、吐血させられたり。

 

「あんな奴が並の女子より裁縫(?)ができて料理もできるなんて、どうかしてるわ。……料理」

 

 恨みがましく呟くマイカ。それでまた彼女は思い出した。今度は昨日の調理実習での時のことだ。

 

 

 毎日のお弁当作りと朝夕の食事当番。生徒の自炊が基本のセイカ女学院で1年も過ごすと、料理も大抵のことはできる。

 

 マイカも調理実習にはそこそこ自信(*自称)があって、この機会にアギに手料理を振舞ってみようとしたのだが。

 

 この日もユーマがひょっこり現れては実習に参加して……

 

 

『料理の上達に必要なのは何より、食べてくれる人の協力。というわけで味見係の2人はマイカさんのスキルアップの犠牲に……ゴホン。生贄として頑張って』

『言い直せてねぇ!?』

 

 アギとリュガの2人を椅子に縛り上げ、『毒見役』として逃がさないようにしては恐怖を煽っていた。

 

『なんだよこの紐の結び方はっ。全然縄抜けできねー!?』

『糞っ……そうだリュガ。お前の《高熱化》で』

『――! ああ。こんな安物の紐なんざ、自力で焼き切って』

『往生際が悪いな。風葉、《縛風輪》!』

『ぐるぐるぐるのー、ぎゅーーっ』

『『ぎゃー!』』

 

 まったく、失礼な奴らだ。女の子の手料理を罰ゲームの一種だとでも思っているのか。

 

 アギはアギでユーマに脅されて、食べる前からすっかり青褪めてしまってるし。

 

 ……まあ。手足を縛られてしまって動けないアギに、「あーん」して食べさせることになったのはマイカ的に悪くなかったのだけど。

 

『ささっ、マイカさん。まずはこの、あつあつのスープに浸したロールキャベツから』

『……えっ? まさか、おい』

『ちょっと煮崩れしかけてるから、切り分けないほうがいいかもね。だから一口で一気に……どうぞ!』

『ち、ちょっと姫さん、ちょ待っ……――熱っ!?』

 

 想像してた憧れのシチュエーション、とはなにか違った。それこそ芸人ぽいというか。

 

 

 けれど。振り返ると昨日は昨日で結構楽しかったなぁ、とマイカは思う。ユーマは邪魔だとも。

 

 今日は今日でマイカは、調理実習のリベンジとして、お昼のお弁当をアギに味見させてあげようと思っていた。ところがあの御邪魔虫ユーマはアギを含む仲間の分まで弁当を作ってきていた。

 

 しかも男が作ったとは思えない、ユーモアのある可愛らしい弁当だ(*『キャラ弁』というものを当然マイカは知らない)。これにはマイカもインパクト負け。

 

 ユーマには女としての敗北を認めざる……まあ、それはさておき。

 

 

 つまるところ。何かとアピールに失敗続きのマイカさん。

 

 加えて今日はアギに構えてもらえず。

 

 

「拗ねてますかー?」

 

 と間延びした口調で訊ねかけたのは、マイカの頭の上に乗っかってる風の精霊。ユーマがマイカに張り付かせているちいさな護衛だった。

 

 風葉に突然声を掛けられたことに驚いたマイカは、追って訊ねられた内容を理解して頬を赤らめた。

 

「違うわよ。そんなんじゃない。あいつは……そう。あいつもあたしの護衛なの。なのに今日のあいつったらあたしをほっぽり出しっぱなし」

 

 精霊相手に言い訳がましく答える彼女。

 

「たるんでるから文句を言わないと」

「ふーん。そうですかー」

「……何よ。何か言いたいことあるの?」

「お昼ごはんのクッキーくださいー」

 

 邪推されたと思ったらこれだ。何を言われるか、と警戒したマイカは毒気を抜かれた。

 

「……思ったんだけど。精霊ってみんな風葉あんたみたいなヘンテコばっかりなの?」

「ひどいですねー。これでもわたしはー、中位の精霊ですよー」

 

 えへん、と胸を張られても威厳もへったくれもない。

 

「『旅する精霊』でー、カリスマでー、えらいんですよー」

「ふーん」

 

 マイカにしても、ちいさな羽妖精の姿をした風葉はとても偉そうに見えなかった。

 

 この子は特別なんだろうと思う。何せ主人が主人だから。

 

「だったらアニス様の精霊はもっと上の位の精霊だったのかも」

 

 ふとマイカは憧れの女傭兵の事を思い出した。彼女が連れていたのは、赤い小鳥の姿をした火の精霊。名前はなんと言っただろうか。

 

 思い出そうとしたマイカだったが、頭の上の風葉に髪をくいくいと引っ張られて思考を中断させられる。

 

「抜けるから止めて。何?」

「クッキーくださいー」

「……もう。ちょっと待ちなさい」

 

 風葉の無邪気な催促に仕方ないと、マイカは制服のポケットに手を入れた。彼女は精霊を預かるにあたり、こまめに『おやつ』をあげるよう、ユーマに厳命されてもいた。

 

 マイカは事前にユーマから預かっていたクッキーを探すが。

 

「あら。どこにもないわね。……あ」

「どうしましたかー?」

「あーごめん。あなたのクッキー、あたしのお弁当と一緒に教室に置いてきちゃったわ」

「……!?」

 

 この時の、悲壮に満ちた風葉の顔と言ったら。なんと形容すべきか。

 

 ……三千大千世界の崩壊を前にした、絶望?

 

「急いでー、もどりましょー」

「だーめ。アギを捜すのが先よ。ふらふらしてるあいつ早く捕まえないと、昼休みの時間がなくなっちゃう」

「でもー」

 

 風葉が困ったような顔をする。

 

 死活問題として、ミサちゃんクッキーは今すぐにでも欲しい。でもマイカに張り付いている精霊は主人ユーマの言い付けを守らねばならない為、無断で彼女から離れる事ができない。

 

 本当に困った。風葉はただでさえユーマと、《精霊器》である《守護の短剣》から離れて活動を続けており、もう半日ほど経つのだから。

 

「むー、うー」

「……もう。唸るほどおなかへってるの? だったらあたしを手伝ってよ」

 

 大いに悩む精霊に何を思ったか。マイカは苦笑してある提案をした。

 

「あいつを見つけたら、すぐに教室に戻ってご飯にするわ。だから一緒に捜してよ。精霊なんだから、魔法でぱぱっ、と見つけられるんでしょ?」

「うーん。しかたないですねー」

 

 と言って風葉はマイカを手伝うことにした。

 

 

 協力を引き受けた風葉は、マイカの頭からふよふよー、と飛び離れると次にマイカの左腕の上に下りた。実はそこには、マイカがアギから借り受けたままのPCリングがある。

 

 彼女がPCリングを持たされているのは、護衛の都合に良いかららしい。それで風葉はマイカのリングに飛び付くと、ちいさな全身を使って器用に操作。マイカの目の前に仮想モニター《ウインドウ》の画面を1つ表示してみせた。

 

 それは、セイカ女学院とその周辺の見取り図だった。マイカも前にユーマから見せてもらったことがある。色々と書き込まれた宙に浮く半透明の2Dマップだ。

 

 そして。風葉はマップ上にある幾つかの赤い点の内、1つを指さした。どうやら赤い点はマップ上にいるPCリング所持者の位置情報を示しているらしい。

 

「アギっちはー、ここですよー」

「……魔法、使わないのね」

 

 そこは派手なことを期待していたマイカだったり。これはこれですごいのだけど。

 

 主人にしてこの精霊あり。風葉はハイテクに強かった。

 

 

 ともあれマイカはアギの居場所を突き止めた。マップが示す彼はどうしてか、校舎の外どころか女学院の外にいる。

 

「どおりでいくら校舎の中を捜しても見つからないわけね。裏手の雑木林? なんであんなところに」

「いそぎましょー。クッキーがー、まってますよー」

「……それもそうね」

 

 風葉に急かされ思考を切り替えるマイカ。無駄に捜し回ったせいもあって昼休みの時間もあまりない。今から外へ出てはお弁当を食べる時間はないかも。

 

「その時は……授業サボって、あいつと外へ食べに行くのもいいかもね」

 

 現状そんなことはできないけれど。でも考えることは自由だ。楽しいことを想像すれば誰だって気持ちは高揚する。

 

 マイカはまるでデートに赴く気分で、急いで1階へと続く階段へと向かった。

 

 

 それにしても。

 

 外へ向かう途中。マイカが考えるのは青バンダナの少年のこと。今日の彼はどうして、ああ素っ気ない態度なのだろう。

 

 

『朝からか。……いや。むしろ夜だな』

『何のこと?』

『アギの様子がおかしいのがさ。昨日の夜廻りの時、何かあったんじゃねーのか?』

 

 

 ふと思い出すのは、教室を出る前のリュガとのやりとり。それと思わず彼と2人きりになった、昨夜の出来事。

 

 赤バンダナの彼の言うとおりだとすれば。彼は、もしかすると。

 

 

 あたし。あいつに避けられてる? それとも。

 

 もしかして。意識、されてる?

 

 

「まさか、ね」

 

 階段を駆け降り、マイカは都合のいい想像を振り切った。

 

 知り合ってまだ数日。けれどこの数日で彼女も確認して、理解したことがある。

 

 

 心に盾のゲンソウを持つ、額に青いバンダナをした砂漠の民の少年。

 

 直に会い、触れ合った彼は噂通り、パウマやヒサンが言った通りの――

 

 

 1階から外の玄関へ。とここでマイカは、この階のフロアがやけに騒がしいことに気が付いた。

 

「……リュシカ?」

 

 フロアを駆け回る1年生たち。その先頭に立つお嬢様然とした下級生が、マイカの大事なパートナーの名を呼んでいる。お嬢様な彼女は確か、リュシカのクラスメイトだったとマイカは思い出す。

 

 何があったのだろう。言いようのない不安がマイカを襲った。

 

「……大丈夫よ。だって。あの子にはイレーネが、あいつだって付いてるんだから」

 

 だから大丈夫。自分にそう言い聞かせ、また1年生の騒がしさに紛れてマイカは校舎をあとにする。

 

 

 けれど。アギのいる雑木林に近づくほど、彼女の胸騒ぎは酷く高鳴った。

 

 +++

 

 

 歌声が響く林の中、一組の男と女が向き合っている。

 

 

 1人は道着風の制服を着た旋棍使い。《用心棒》と呼ばれている男。そしてもう1人はセイカ女学院の制服を着た彼女。

 

 女学院の風紀委員にして《歌姫楽団》の代表であるイレーネだ。彼女は険しい目つきをして男の前に立ち塞がる。

 

「聞こえなかったの? ならもう1度言うわ。この先は立入禁止。大人しく林の向こうに引っ込んでなさい」

「……」

「……? 何よ。その顔」

「いや」

 

 背筋を伸ばし、堂々と胸を張ってこちらを指差すイレーネに対して、《用心棒》はまるで懐かしいものを見るように目を細める。

 

「君は、相変わらずだな委員長。その制服も、君によく似合っている」

「……あなた。わざと言ってるんじゃないでしょうね」

 

 押し付けのイメージである『委員長』は彼女にとって禁句。イレーネの頬が引き攣る。『学生服』を着ていることも彼女はあまり触れてほしくなかった。

 

 顔見知り以上と言ってもよい関係。思わぬ再会は今朝のことではあるが、2人は互いのことをよく知っていた。

 

 

 『調査』の邪魔をされたものの、《用心棒》はイレーネに敵対する意志はないらしい。その場から1歩も動くこともなければ、手にしていた旋棍は既に、腰のホルダーに収めてしまっている。

 

 対峙し、沈黙すること約1分弱。そこでようやくイレーネも彼に戦意がないのを理解したのか、もしくは威嚇するのが馬鹿馬鹿しくなったのか。睨むのをやめた。

 

「……いいから戻って。大人しくしてなさいよ」

 

 イレーネは眉間の皺を解しつつ、疲れたようにして再三に渡る警告を行なった。

 

「今の私は、あなたの味方じゃないの。あなたなりに目的があってとはいえ、あなたがそちら側――マイカをはじめ、女学院の生徒に害を為そうとする側に立つかぎり」

「……俺は」

「そのつもりはない? 別に言い訳なんて言わなくていいわ。あなたの事情は大体把握している」

「何?」

「昨日、アリサに会って来たわ。会って、話を聞いた。――最近になって突然学園都市に戻ってきた、どこかの大馬鹿な誰かさんの話」

 

 予想外のことをイレーネから聞かされ、ほんの僅かだが《用心棒》が驚く。

 

「誰かさんが帰って早々起こした大事件。その後始末を押し付けられた彼女の愚痴を散々とね。……あとでちゃんと謝っておきなさいよ」

「あ、ああ」

「だからなんだけど。今のあなたが何者で、何を目的に動いているかは私も知っている」

 

 けれど、とイレーネが言葉を続ける。

 

「一時的にしろ私があなた達を匿ったのは、昔の誼だからなんて理由じゃないの。あなたに応じたのは、あの子たちをこれ以上事件に巻き込ませないため。再起塾……《監獄》を壊してまでしてあなたが何をしたいのかに私は興味ない」

「……」

「けど。再起塾が事を起こしたせいで、マイカは……」

 

 女学院を辞め、学園都市を離れる決意を固めてしまった。今回の件でマイカは気付いてしまったから。

 

 

 その歌声に大きな可能性を秘める《歌姫》。彼女の秘密を狙う者が現れたという事実。彼女達の身に降り注ぐ危険は、今回限りとは言い切れない。

 

 秘密はいつまでも守り通せるものではない。だから彼女は――

 

 

「昔のあなたなら。事件を起こす前に片を付けたはず。なのに……」

「マイカ・ヘルテンツァー。確かに、彼女には悪いことをした」

「今更あやまらないで。立つ瀬がないのよ。覚悟させてしまった彼女に。私も、マイカにしてあげられることはもう少ない」

 

 だから。たとえこの男が相手でも。

 

 表向きは冷静を保っているが、先程から嫌な汗が止まらない。戦闘になれば元より勝てる要素がないのだ。

 

 彼女にあるのは、お互いの関係が生み出す僅かな交渉の余地だけ。旧知の縁に頼っているのはむしろイレーネの方だった。

 

 それでも。イレーネは秘密を守るため、新たな決意を以て《用心棒》に言った。

 

「女学院の敷地に踏み込まない。事件を起こさない。今日中に林の外へ出て、その後一切ここには現れない。それがあなた達を匿い、あなたが連れ込んだ負傷した子たちの手当をする条件。要求に応じた以上、約束は守って頂戴」

「……。負傷した彼らの為に、医薬品の提供までしてくれた君には本当に感謝している」

「だったら!」

「約束を反古にするつもりはない。ただ、それとは別に確認したいことがある」

「ロウエン、あなたは……!」

 

 男が視線を向ける先は、セイカ女学院ではない。『彼女』がいるであろう歌声のする向こう。イレーネは《用心棒》の狙いを悟って酷く狼狽した。

 

 《用心棒》と相対する。その重圧は生半可なものではない。男の圧倒的な実力を知り、それでも尚、男と戦うことを決意したのなら尚更。イレーネにしてもそうだ。

 

 本来、イレーネの実力はエース資格者未満、高く見積もってアイリーンよりやや上、といった程度の《魔術師》でしかない。

 

 《用心棒》は1歩も動かない。武器も手にしていない。だけど状況が不利なのは圧倒的にイレーネの方だった。

 

「……行かせないわ。最後の警告よ。今すぐこの場から、立ち去りなさい」

「……」

「でないと」

 

 《用心棒》は動かない。

 

 追い返すことも、また退くこともできず。イレーネの緊張は遂に限界に達してしまった。袖口からブースターらしき護石を取り出した彼女は両腕を突き出す。攻撃の準備は予めできている。

 

「いくらあなたでも撃つわよ。ロウエン・ウロン!」

「破門された身なんだ。ウロンの名は疾うに捨てたよ」

 

 動じない。やはり威嚇は通じない。

 

 イレーネは苛立ち、同時に絶望にも似た思いを抱く。

 

 守るためにはもう――戦うしかない。

 

 

 彼女の心の中で、何かが切れる音がした。

 

 衝動に身を任せ、無防備に立つ男に向かって、イレーネが攻撃術式を放つ。

 

 放とうとした、その時。

 

 魔術よりも速く――

 

 

 

 

「訊きたいことがある。《歌姫》の歌。彼女の力には君が、関与しているのか?」

 

 

 

 

 確信を持った男の言の刃が、イレーネを切り裂く。

 

 +++

 

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