1-03 風邪守の宿命
ウインディ家の宿命。エイルシアの覚悟。
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優真が風森の城に居候して数日。
相変わらず国中で風邪が流行り1人治療にあたるエイルシアは1日に巡回する町の数を増やしていた。
患者の中には《癒しの風》ではどうにもならない重症者もいた。そんな時は高位の術式、《浄化の風》を使うことで何とか凌ぐ。
彼女は誰1人も死なせはしなかった。
国の巡回に優真はエイルシアについて行くが治療に関しては何もできない。
できることは昼食の弁当作りと買い物の荷物持ちくらい。散々話し合い、強く主張してエイルシアから勝ち取った優真の権利でもある。
「シアさん忙しくて大変でしょ? 洗濯は流石にマズイけど掃除と食事の準備くらい俺がやるよ」
「いいえ。掃除はともかく食事は私が。……ユーマさんに作ってもらうといろいろと複雑なんです」
「? 手伝いくらいやってもいい?」
「一緒にですか? ……まぁ、それなら」
優真は《送還》のことも気にはなっていたが、エイルシアが忙しいことはよくわかっていたので訊ねることができないでいた。
それでも城の中ではエイルシアと2人静かで穏やかな日々が続く。
「お。シアさん、このスープのベースは何?」
「レノンとバブリイッヂです。美味しいですか?」
「……うん。よくわかんないや」
それは仮初の平穏。
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風邪守の宿命
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国の巡回が丁度1周した次の日。エイルシアは城の中で人を捜していた。
「ユーマさん。このあたりで誰か見かけませんでしたか?」
「ん? この城ってまだ誰かいたの?」
確か使用人などはみんな療養していると優真は聞いていた。実際に城の中ではエイルシア以外人に出会ったことがない。
「ええ。またあの人は部屋から抜け出して……」
「俺も捜すの手伝うけど」
お願いします、とエイルシア。
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とりあえず中庭の方へ出る優真。城の配置、間取りはこの数日である程度理解していた。
中庭は世話をする人がいないせいか草が伸び荒れ放題となっている。
「シアさん1人じゃ大変だろうな。あとで草むしりくらいするか。……ん?」
中庭に備えられた椅子とテーブル。そこに男が1人テーブルに伏せている。
「ちょっとおじさん、大丈夫ですか?」
「……うっ、ああ。体調が悪くてね。君は誰だい? 黒髪の使用人は見たこともないが」
優真は今召使いの服を借りている。略式の制服だが生地の素材はいいものが使われていた。
「優真といいます。最近この国にきて困っていたところをシアさん……ああ、エイルシア様に助けてもらったのです」
「……そうか。君から見てあの子は元気かい? あの子は…今も笑ってくれているかい?」
「……はい」
優真は昨晩の夕食の話をした。
エイルシアは昨日食材を買い込み過ぎた。それをはりきって全部使い料理をしたものだから食卓に大量の皿が並ぶ。
その量を前に呆然とする優真。失敗しました、と照れるエイルシアがおかしくて2人で笑った。
「……ありがとう。1人になったあの子を心配していたんだ。君がいてくれてよかった」
「そんな。それよりも大丈夫なんですか?」
男の顔色は見るからに悪い。
「例の風邪なんでしょう? シアさんを呼んできます」
男は大丈夫だと優真を制した。
「これでも《騎士》なんだ。やわな鍛え方はしていないよ」
男はエイルシアとは違う金髪で同じ翠眼。腰には長剣を提げていた。
柔和な雰囲気を持つ男に剣は不似合いだと優真は感じる。
「庭の様子が気になっただけなんだ。少し休んだことだし部屋に戻るとしよう。エイルシアには君から伝えてくれ」
男が弱ったところを見せずあまりにも堂々と立ち去るので優真はその場で見送った。
「父親……あの人が王か」
最後に見せた男の笑顔。その目元が彼女に似ていた。だからなんとなくそう思った。
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10年前。
母との別れを前にエイルシアは何も言えずにいた。
「お母様……」
「大丈夫よ、シア」
エイリア・ウインディ。風森の王妃にして当時の《風邪守の巫女》はこの日《封印の儀》を行うことにした。
国中で不治の風邪が流行りだしたからだ。ならばこれを抑えることができるのは巫女である彼女しかいない。
「リィちゃんは眠ったのね。……こんなに目を腫らして」
エイルシアの妹は泣き疲れて眠ってしまった。
目覚めたときに母がいないことを知ったらまた泣きだすかもしれない。
「大丈夫。いつもお父様みたいになると言って《守護の短剣》を振り回してるんです。私もいます。だからきっと」
「シア」
エイリアは気丈な娘を抱きしめる。
「辛いのね。シアもまだ小さいのに。……巫女の役目を継ぐためとはいえあなたには何もしてあげられなかったわね」
「ち、違います。私はもう12です。《浄化の風》だって扱う事ができます。……辛いのはお母様の方でしょう?」
幼いシアは母の顔を見ることができない。
泣きそうだから。最後なのにと思ってもどうしても……見ることができない。
「違うわ。それは違うのよ、シア。私は幸せ。……私の宿命を知ってもあの人は傍にいてくれた。世界は私に2人の娘を授けてくれた。この日まであなたたちの成長を見届けることができた。だからね、シア」
エイリアは娘の瞳を正面から覗く。涙目のシアにエイリアはどうしても伝えたいことがあった。
「エイルシア。あなたも幸せになるのよ。巫女だからといってすべてを1人で背負わないで」
それが運命を引き継ぐ娘への母の願い。
「今だってあなたにはあの人がいる。エイリークもよ。きっとあなたを助けてくれる人はこれからたくさん現れてくれるわ」
「お母様っ!」
時間が来た。別れの時。
「そろそろね。行ってくるわ。あなた達の未来をきっと、守り続けるから……」
聖堂の、女神像の前に立つエイリア。
《風邪守の巫女》は魔力を集め、封印を解く。
現れる魔人。
「……」
「久しぶりですね」
「あれが……魔人」
この先のことを幼いシアはしっかりと覚えている。
「わたしを……助けてくれる人がいるなら……どうしてお母様を……お母様をどうしてたすけてくれないのよ!」
彼女の悲痛の叫びは女神像しか知らない。
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エイルシアは城の地下にある聖堂にいた。
聖堂にあるのは向き合う2体の女神像。その1体にエイルシアは話しかける。
「もう少し待ってください。この日々をあともう少しだけ……」
「シアさん?」
「きゃっ」
声をかけられエイルシアは驚いた。
優真がエイルシアを探して聖堂までやってきたのだ。優真は城の中で行ったことがないのは地下だけだった。
「探したよ。どうしたの?」
「突然でしたから驚いただけです。ユーマさんこそどうしましたか?」
「中庭でおじさんを見つけたよ。部屋に戻るからって言ってたのを伝えにきたんだ」
「中庭……そうですか。ありがとうございます」
優真はエイルシアの様子がなにか変だと思いながら、彼女が見ていた2体の女神像を見た。
「こっちの像はなんかシアさんに似てるね。優しそうだ」
「そうですか? ……そうだとうれしいですね」
前回の《封印の儀》からもう10年。
エイルシアにとって《彼女》に似てきたという事実は嬉しくもあり、長い月日が経ってしまったことを実感して悲しくもあった。
「まだユーマさんには紹介していませんでした」
「え?」
そう言ってエイルシアは女神像に優しく触れ、優真に《彼女》をを紹介する。
「彼女がエイリア・ウインディ。私のお母様です」
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エイルシアは優真に話した。
魔人の封印は定期的におこなわなければならないこと。
その周期は数十年の間隔だったがその周期は短くなっていき、とうとう前回の封印から10年でその封印の結界が解かれようとしていること。
そして、封印に必要なのは《風邪守の巫女》、そのすべてだということ。
「400年前の勇者の仲間だった《風使い》は命をかけて魔人を封印しました。ウインディ家はその風使いの子孫なのです」
400年も昔から引き継がれてきた魔力と封印の術式。その後継者であるエイルシア。
「今では魔人の封印はもう私にしかできません」
「……」
「でもこれ以上の封印はきっと無理です。だから私は……今夜、魔人を倒します」
「――!! そんなこと」
エイルシアは優真を安心させるように微笑む。
「大丈夫です。切り札はあります。それに私は魔法使い。これでも強いんですよ?」
「シアさん?」
命を懸けるならば封印ではなく根源である魔人を倒す。それがエイルシアの覚悟。
「魔人を倒せば……寿命が尽きる前の今ならお母様をきっと解放できます。それに魔人の魔力を確保できれば《送還》の術式だって安定して使える。失敗しても私が再封印すれば……」
「シアさん!」
彼女の自分に言い聞かせるような言葉は遮られた。戸惑うエイルシア。
「え?」
「違う、違うんだよシアさん。どうして……」
無理をしている。優真にはその笑顔が張り付いたものにしか見えなかった。
「どうしてシアさん1人で戦おうとするの? 魔人を封印できるのがシアさんだけなのはわかった。でも戦うなら話は別でしょ?」
優真は悔やんだ。今日初めて彼女の抱えていたことに気付いたから。
誰も気付かなかったのか?
「どうして助けを求めないの? それに俺を元の世界に還すことまで考えてくれる……無茶だよ。無理しすぎだよ」
「……」
「心配なんだ。そこまで背負い込む必要なんてないはずだ。だったら、だったら俺が……」
「無理ですよ」
冷たい声。
「ゲンソウの力を知らない、魔力も持たない子供にできることはありません」
「――っ!」
優真を見る彼女の瞳も冷たい。
「それにね、ユーマさん。みんな諦めているんですよ」
「なにを……」
「国の人たちを見たでしょう? みんなが私を憐れんでいる。国を救うために生贄になる私を。こんなことは400年も昔から繰り返してるんです」
違う! そう優真は叫びたかった。
(違うよシアさん。あの町の人は俺にお願いします、って頼んだんだ。おじさんだってシアさんのことを気にかけてる)
優真は悔やんだ。今になって国の人の悲しみがわかったから。
味わったことのあるこの痛みに気付けなかった自分が情けなかった。
(みんなあなたのことが大好きなんだ。でも1人じゃ何もできなくて、シアさんの負担になることを知っていても何もしてあげられなくて……)
無力というものを優真は痛いくらいに知っている。
優真はましろに何もしてあげられなかった。
だから優真は、
「シアさん!」
「準備があるのでもう行きます。……もしも私がいなくなったら北の《銀雹の国》を訪ねてください。彼の国の王ならばきっと」
「シアさん……」
「さようなら」
立ち去るエイルシア。振り返りはしなかった。
「ごめんなさい……」
エイルシアは何かをこらえるように拳を強く握りしめる。
強く、強く。
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取り残された優真。
魔人とは今夜戦うとエイルシアは言っていたので再び聖堂に戻ってくるはずだ。
「……大和兄ちゃん」
エイルシアに何も言えなかった優真は先程見た彼女を思い出す。
「シアさんの目、光輝さんにそっくりだったよ」
金色と翠。色こそ違うがその光の強さを優真は知っている。
自ら背負う使命と覚悟
救いを求めず泣くことを辞めた瞳は暗くも強い光を放つ
だから
優真を突き離すほど彼女はやさしかった
何の力もない優真は問いかける。兄ならばきっと、必ず彼女を救ってくれるのに。
ここには《魔女》はいない。彼女の《使い魔》も。
『この世界』には優真しかいないのに。
「兄ちゃん、俺は」
どうすればいい?
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