アギ戦記 -護衛3日目 5
アギとリュシカ。その2
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経過はどうあれアギは『お団子頭の少女に謝る』という目的を果たした。
昼休みはもうすぐおわり。雑木林まで連れ回した責任を以て、アギは彼女を教室へ送り届けようとした。しかし。
「それだけ、ですか?」
謝った自分に対するリュシカの言葉。アギは少し疑問に思った。
「おだんごちゃん?」
「あ……」
なんでもありません、と何故か彼女は言えなかった。
その場から動くことも。アギを引き留めてしまった自身の言動に彼女は戸惑う。
《歌姫》の護衛である彼らには必要以上に関わっていけない、そう言われていた。秘密を守る為だと。それでリュシカは今朝からアギのことを警戒し朝から逃げ回っていた。
疑われていると思って。偶然とはいえ、彼には自分が歌う所を見られてしまったから。
リュシカには秘密がある。秘密とは『彼女』の秘密。
誰にも悟られてはいけない、《歌姫》の秘密。
――たとえ何があっても。リュシカ。あなたは大丈夫だから
秘密を守り通す限り。そう言われていた。けど。
(マイちゃん……)
わたしは大丈夫なのかもしれない。けど……マイちゃんは?
《歌姫》を狙われマイカはもう2度も襲われている。その事実がリュシカを酷く不安にさせた。もしも。取り返しのつかないことになったら――
リュシカは迷う。自分は安全な籠の中にいて、何もできない。
ならばいっそのこと『王子様』である彼には秘密も含め、すべてを打ち明けた方が良いのではないのだろうかと。
けれどと彼女は思い直す。それは秘密を抱えたまま何もできない自分が、ただ楽になりたいだけなのかもしれないから。
それに。秘密を知られることは、マイカが望んでいない。
しばらくリュシカの沈黙は続いた。困ったのはアギだ。
自分はともかく、彼女は教室に戻したほうがいいに決まっている。だが俯いたまま微動だにしない彼女を連れ、女学院に戻っても良いのだろうか。
リュシカが何かを言いかけていた。迷っている。そのくらいはアギもわかっていた。
「あのっ」
「! ああ。なんだ」
待ちかねたとばかりに反応するアギは、意を決して顔を上げたリュシカの、彼女が向ける眼差しに少しだけ驚きを覚えた。
何よりも必死で、真剣な故に。その瞳の色合いは燃えるように、挑むように。
(歌の、姫さん?)
似ている。なぜだかそう思った。
リュシカはアギに告げた。
何も伝えられない代わりに。「お願いします」と。
「マイちゃんを、守って下さい」
「歌の姫さん? それならとっくに俺達は……」
「そうじゃないんです。あなたに、守ってほしいんです」
「……?」
「守られたい。マイちゃんがそう望んでいるのは、あなただから」
「っ!」
マイカが望んだひと。王子様。この人になら、たいせつなひとを――託すことができる。
リュシカは自身のちからでアギのことを深く知り、理解した。守られているだけの自分では、ほんとうの意味でマイカを守ることはできない。だけど。
多くを受け入れることのできる、夜の色を持つこの人は――信じられる。
だから。リュシカは頭を下げて頼むのだ。
「あなたは、お姫さまを守る王子様だから。マイちゃんのこと、お願いします」
「ちょっ、ちょっと待ってくれ!」
少女の言葉には熱がある。アギの顔は真っ赤になって疑問に突っ込む。
「王子様って。おだんごちゃんさっきも言ったよな? 言っとくが俺は庶民で王子なんてやつじゃねぇよ。それに……」
アギの出生には謎があり、彼自身がよくわかっていない。
生まれは西国の南部《技術交流都市》だったという。幼少の頃の記憶は曖昧で、当時の『名無し』だった自分のことをアギはよく覚えていない。
朧気に覚えているのは、自分には幼馴染だったらしい年下の男の子と女の子が1人ずついて、部屋の中3人でよく遊んでいたことだけ。
正体不明の父親は2年前にサヨコから聞いた所、今も生きているらしい。だがそれだけ。アギはサヨコから父の所在を訊かなかったし特に知りたいとも思っていない。彼にとって『親父』といえば、今も昔も王様ことレヴァンだった。
そして母親。
亡き母は生まれも育ちも砂漠で、生粋の砂漠の民であった。とアギは本人からも聞いてはいる。母の片親が東国人だったらしく、アギの黒髪も母譲りのもので間違いない。
その『目』も。
今だからこそアギは思うが、この母にこそ謎が多かった。人伝に聞いた母の経歴もさることながら、一番の謎というのが彼女の、黄色とも琥珀色とも違う黄金の瞳だった。
母が亡くなった後。アギは知った。母の存在は本来、『在り得なかった』のだと。
この世界には、金色の瞳を持つヒトなど、魔族を含めて『存在しない』のだから。
だとしたら。母は砂漠の民である前に何者だったのだろうか。
そして。彼女の息子である自分はいったい……
「だいじょうぶ、ですか?」
「……悪い。少しぼんやりしてた」
気付けば無意識に右目を抑えていた。もしかすると顔色も悪いかもしれない。
そこへリュシカがアギの酷い表情に堪り兼ね、また《同調》の力で何を感じとったのか、彼の手を取り言葉をかけた。
「揺らいじゃ、駄目。受け入れて」
「……え?」
「あなたは、あなたです」
「……ああ。そうだな」
少女の言葉はなぜかすんなりと受け入れることができた。アギは力強く頷く。
母が与えてくれた名はいつだって、誇りを持って名乗ることができる。それなのに何を疑っていたのだろう。
砂漠の民のアギ。それが自分だ。それだけわかっていればいい。
アギはすぐに芯を取り戻した。
一瞬でも揺らいだ自分を情けなく思いつつも、支えてくれた彼女に礼を言う。
「もう大丈夫だ。ありがとな」
「はい」
「俺は俺だ。王子様でもなんでもねぇ」
「……むぅ」
最後の一言は余計だったらしい。
リュシカはものすごく不満そう。思わず掴んだアギの手をぎゅっ、と握り締める。
そこまでしてリュシカはなんと説明しようか言いあぐね、とここで名案が閃き、彼女はポケットの小物入れからあるものを取り出した。
「あの、これ……」
アギに渡されたのは丁寧に折り畳まれた1枚の紙。広げてみると、
「なんだ? 写真……いや。新聞の、切り抜き? ……こいつは」
モノクロの写真一杯に写っていた黒くて巨大な竜にアギは驚いた。
見覚えがあったのだ。この竜とはアギは戦ったことだってある。
皇帝竜。
かつての学園のエース《竜使い》。学園で更なる権力を求め暗躍し、猛威を振るった彼の幻創獣だ。どうやら写真はアギも関わった《皇帝竜事件》のものらしい。
写真は皇帝竜がそのい巨大な爪を振るい、魔術師の少女に襲いかかっている所だった。襲われている彼女はアイリーンだろう。あの激闘の最中、誰がどうやって撮影したのかは甚だ疑問に思う。
「皇帝竜事件の記事。学外にも出回ってたんだな。……ということは」
注目するのは写真の中央。アングルの関係で小さくしか写っていないが、
アイリーンを庇うようにして黒竜の前に立ち塞がり、右手を掲げている少年は多分。
「……なんだよ。この珍写真。ネタか?」
「えっ?」
ぼやくアギにリュシカが当てが外れたように驚いていた。アギは気付かない。
写真の中の自分は、襲い来る皇帝竜を前にして「おーい」と、暢気に手を振ってるようにしか見えなかった。なんだか間抜けだ。
不可視の性質を持つ無属性の《盾》。現実は勿論、写真にも写らない。
タイトルを付けるなら『ぺちゃんこになる2秒前』といったところか。カメラに背を向けて顔が写ってないのが幸いとしか言いようがない。
「写るならもっとマシな写真使ってほしかったぜ。俺、馬鹿みてぇでかっこわりぃ」
アギは散々に愚痴をこぼした。
そもそも。アギは新聞を読まない主義で新聞自体にあまり良い印象を持たない。最近も学園の新聞部にゴシップの対象にされ、アイリーン共々迷惑を被ったばかりだ。
「ん? じゃあこの記事はもしかして……どうした? おだんごちゃん」
「……もう。いいです」
なぜか機嫌を損ねていた。少し唇を尖らせて拗ねる少女の仕草が、やけに子供っぽい。
「かえして」
「あ、ああ」
「……マイちゃんの、お気に入りなのに……」
切り抜きの記事を丁寧にしまうリュシカの恨み言は、意味がよくわからなかった。
リュシカはがっかり。アギを責めるのは間違ってるとは彼女もわかっている。
写真を見てもらえばわかってもらえる。そう思い込んだのが間違いだった。思い上がりだ。そんなわけないのに。
反省して今度はしょんぼり。わたしは駄目な子だなぁ、とつい思ってしまう。
言葉は不自由だ。少女は思う。
人と自分は違う。生まれ持った力は多くのことを伝えてくれるけれど、伝わるもの以上のものを自分は、伝えることができない。リュシカは、それが昔からずっと歯痒く、もどかしかった。
頑張って慎重に言葉を選び、丁寧に言葉を紡いだ所で理解されることは少ない。むしろ途切れ途切れな喋り方に相手を苛立たせてしまうことの方が多かったりする。だけど人も自分も、言葉以外に物事を伝える手段を持ち得ない。
言葉だけでは足りない。人に上手く、正しく伝えることができない。
だけど。言葉なしでは何ひとつ伝わらない。少女は痛感する。
彼もきっと、写真だけ見せられてわけがわからなかっただろう。こんな時こそリュシカは思うのだ。マイちゃんみたいに。イレーネさんみたいに。
もっとズバズバーっと、遠慮無くものを言える子になりたいなぁ、と。
相手を気遣い過ぎる少女の性格では、難しい。
不機嫌かと思えば何故か気落ちするリュシカに、またもやアギは困った。
これで何度目だ? 女の子って難しい。
「よくわかんねぇけど。元気だせよ。ほら。クッキー、もう1枚あるぞ」
「……いりません」
食べ物で機嫌を取ろうとするこの男は浅はかだ。
「うめぇぞ。風森の姫さんとこの侍女ちゃんが作ったクッキー。さくさくのー、ふわふわー、だぞ」
「……」
沈黙。
「おだんごちゃん」
「……」
無視。
「……」
「……」
「……。~~♪ ミサちーはクッキーの、おーひめさまー」
「ふぁ!?」
不意打ち。アギが突然調子の外れたメロディ(*彼では上手に歌えなかった)を口ずさめば、思わず飛び跳ねるようにしてリュシカはびっくり。
今朝見られてしまったことを思い出してしまう。
「ほーら。『クッキーのおひめさま』のクッキーだぞー」
「ああああ、あ、あのっ。あれはっ!」
「まあ落ち着けって。ほれ」
「はむっ!?」
慌てるリュシカの口に、アギはミサちゃんクッキーを放り込む。すると観念したのか、彼女は大人しくなってクッキーを食べはじめた。1度口にしたものは最後までしっかりと食べる、どうやらそういう躾をされているらしい。
ちまちまと一生懸命クッキーを齧る様子はやっぱり、和む。
「落ち着いたか?」
「……」
食べ物で口が塞がっているので、リュシカはこくん、と頷いた。
「そういやさ。歌、好きなのか?」
「……!」
不意に訊ねれられた質問には、彼女は少し迷い、結局もう1度頷いた。
アギは「だよなぁ」と言葉を返す。
「今朝も楽しそうに歌ってたもんな。変な歌だったけど」
「……へん、なのかなぁ」
クッキーを食べ終えたリュシカが呟く。意外にも食いついてきた。
「どうした?」
「精霊さんのおうた。とても、じょうず、です」
「そうかぁ?」
「くるくるー、と、ふよふよー、が、ぜつみょう」
「はぁ。……はぁ?」
リュシカが言うには、風葉は天才らしい。アギの感性では理解できない。
「練習、したけど。歌うの、むずかしい」
そこは大いに理解できた。
「風葉ちゃんにくらべたら、わたし、まだまだ」
「そんなことねぇと思うけどな。そっくりだったし」
風葉にも。そしてマイカにも。
一曲しか聞いてはいないが、『素人』のアギからしても少女の歌は相当に巧いと思われた。今朝にしても、歌う彼女のことを《歌姫》だと勘違いしたのは偶然とは思えない。
「やっぱり。歌の姫さんと歌ったりもするのか?」
「……はい」
そうだろう。一緒に練習したりすれば、歌い方の癖なども似てくるのかもしれない。
「じゃあさ。おだんごちゃんはライブに出たりしねぇのか?」
「!」
この時。リュシカの驚きは並大抵ものではなかった。遂に訊かれた。そう思ったのだ。
アギは訊いた。
「あれだけ上手いんだ。ステージでもやれるんじゃねぇのか?」
「むむむむ、む、無理です! わたし、わたしが、マイちゃんみたいになんて!」
「そ、そうか?」
リュシカの拒絶反応は、アギがたじろぐほど激しい。
おろおろと彼女は言い訳する。
「わ、わたしっ。マイちゃんみたいにその……綺麗じゃないし、カッコよくもないから。踊れないし背もちっちゃいし。おっぱいも……」
そこまで言って、リュシカはしゅんとなって自分の胸に両手を当てた。これを見てものすごくフォローに困るのがアギだ。「そんなことない。君も十分かわいいよ」なんて言う度胸はない。
つくづく女の子の扱いは難しい。アギは思う。
ダチを相手するように、少女の慎ましく膨らんだ胸を見て「なんだ。氷の姫さんと変わんねぇじゃねぇか」と、笑い飛ばせられないのだから。……言った暁には多分、奇跡的な確率で頭上に氷の流星が降ってきただろうが。
リュシカ(の胸)から目を逸らし、次に空を見上げ(*幸い氷塊は降って来なかった)、アギは言った。
「あー。その、スタイルつうの? 歌うのには関係ねぇんじゃ」
「で、でも……。そ、それに。ひとりでステージに上ったりなんかしちゃ……はずかしくて、緊張、して。あたま、まっしろになっちゃう」
「……そうだよな」
それを言われたなら言葉もない。アギ自身が経験済みだ。
「女の子がわけわかんなくなって、いきなり服脱いじゃマズイよな」
「?」
お前とリュガだけだよ。
それはともかく。引っ込み思案なきらいのある少女に人前で歌うのは酷なことだろう。そうアギは一応納得した。
しかし一方で、少女の歌を「惜しい」と思う気持ちは、消えそうにない。
今更ながらアギは思う。彼女は、どうして1人で歌っていたのだろう。
「王様がさ」
「……えっ?」
「うちの王様。《砂漠の王国》の王様なんだけど、あの人も歌うのが好きなんだ。まあ、おだんごちゃんたちと比べたらヘタクソなんだけど」
アギは笑い、語り出した。
「宴があるとよく自作の『愛の歌』を披露して、それがまた聞くに耐えない酷いやつで。みんな、よく王様に物を投げつけるんだ。ひっこめー、って。そこからが王様の本気なんだけどな。野次に負けじと歌って、叫び続けんだけど」
さよこさーん。らぁぁぁぁヴ! と。
記憶の中の王様は相変わらずで、アギは苦笑する。
「でも。それも祭の一環みてぇなもんで。みんなが王様の妙なテンションに巻き込まれて、それがまたすごく楽しくてさ。結局気付けば王様を中心にみんなで騒いでるんだ」
「……ライブ、みたいに?」
「ああ。よく似てる」
アギはリュシカに笑いかける。
前に《歌姫》のライブを「祭りみてぇだ」と言って、マイカにいい顔されなかったが、それでもやっぱり本質は同じだとアギは思うのだ。
それは皆で、一緒になって楽しみを分かち合えるということ。
歌は、1人でも歌えるけれど、それだけじゃない。歌は、皆で楽しめるものだとアギは知っているから。
「歌の姫さんやパウマ達と。ライブを。一緒にやりたいと思ったことはないのか?」
アギはリュシカに問う。それは、少女を見て彼の中に生まれた、1つの欲が言わせた。
《歌姫》ライブは素晴らしいものだと、アギは身を以て体験しているから。
聞き手がいて音楽を奏でる人がいて、舞い踊る彼女がいて。
でもそこに。歌う彼女の隣に、共に歌う人がいたならば。
もっと――
「……でも」
アギの問いかけにリュシカは俯く。
「マイちゃんは、もうすぐ……」
「……そうだったな」
マイカは、自らの意志で女学院を辞め、明後日にでも学園都市を去る。この事実は変わらない。
マイカの意思を尊重すれば変えることは、アギにはできなかった。リュシカもそうだったのだろう。
叶わぬ願いだった。ステージの上で2人の少女が並び立ち、歌う姿を見ることは。
「ライブ。ぜってぇすげぇことになると思ったんだけどな」
「……」
不意に寂しさや哀しさといった感情が、2人を包んだ。
しんみりした空気がたまらなくなって、気分を切り替えたくて。アギは、
「なあ。一曲、聞かせてくれねぇか?」
「……えっ?」
「おだんごちゃんの歌。ちゃんとしたのを聞いてみてぇんだ」
突然のお願いにリュシカは驚く。
「で、でも。わたしの歌は……」
「お客さん。俺1人でもやっぱ恥ずかしいか?」
リュシカが躊躇うのを見てアギはそう訊いたのだが、意外にも彼女は首を横に振った。
彼女が人前で歌わない理由は、幾つかある。だけど。
「駄目か?」
「……1曲。だけ……」
そう訊かれて断れる少女ではなかった。
アギはリュシカの前でどっかり、地面に座り込んだ。場所は今朝彼女と出くわした木の前だ。
リュシカは木立に背を向けて立ち、アギと向きあうと彼に訊ねた。
「り、リクエスト……」
「ん? ああ。とは言っても、俺もあんま知らねぇんだけどな」
目の前の少女のイメージからして、《歌姫》の派手な曲は違うだろうと考える。彼女の「あまいあま~い」を聞いて見たいと思わないこともないが。
《歌姫》以外の曲となると音楽に疎く、芸術関連の授業も選択をとっていないアギが知っている曲は、随分とは限られていて。
「古いやつだけど『砂の記憶』ってやつ。知ってるか?」
「は、はい」
リュシカは目を見開いて頷く。アギの選曲に少し驚いたようだ。
「昔。わたしが子供の頃、よく聞いた……おとうさんが、歌っていた歌、です。わたし、砂漠のこと、この歌しか知らなくて……」
「親父さんが? ……そうか」
リュシカの説明にアギは、どこか感慨深いものを感じた。故郷を捨てたという彼女の父親は、この歌にどんな想いを馳せたのだろう。
『砂の記憶』。それは《帝国》の時代より更に昔。西の砂漠地帯に古くから伝わる望郷の歌。アギにとって思い出の歌でもある。
子供の頃に子守唄代わりによく聞いた、母の歌だった。
「それで頼む」
「……はい」
アギの言葉を受けてリュシカはぺこりと一礼。それから彼女は姿勢をまっすぐに整えると目を閉じ、深く息を吸い、歌を歌った。
普段の少女らしからぬ、流暢に流れる言葉の数々。
言葉は音と重なって意味を持ち、歌となって音楽を奏でる。アギは聞き入った。
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(……やっぱり。似ているよな?)
こうして改めて少女の歌を聞いて、アギは思った。リュシカは、あまりにも《歌姫》、マイカに似ている。
容姿ではない。声が。普段のリュシカはおどおどとした喋り方をしてわかりづらいが、こうして歌う時だけ、彼女の声は柵から開放されたようにクリアになって、非常にマイカの歌声と似通うのだ。目を瞑って聞くとマイカが歌っていると完全に勘違いしてしまう。
リュシカの歌い方もまた、《歌姫》のそれだからだ。それが不思議で、アギ自身「歌でこんなに似るものなのか?」とつい疑ってしまう。
ただ流石に。リュシカの歌は世界術式を発動するような力はないみたいだったが。
(それにしても……)
なんか違う。
マイカに似てる似てないの問題とは別に、アギはリュシカの歌にそんな感想を持った。
『砂の記憶』。この歌に対するアギのイメージが、リュシカの歌とどこか咬み合わない。そう感じるのだ。
当然ながらアギは音楽や歌に関して素人だ。だけどアギはリュシカと違い、本物の砂漠を知っている。その差異だろうか。リュシカの思い描く砂漠にアギは共感できずにいた。
あたり一面まっさらに広がる、黄色い砂。照りつける日差しの『暑さ』。
違う。ほんものの西の砂漠は、もっと起伏に富んでいる。砂の色はどこまでもまっしろで、一面に広がる砂を見れば目を開けるのもつらい。
『熱い』のは日差しだけじゃない。日に灼けた砂は、焼いた鉄板のように熱い。真昼の砂の上を裸足で歩くなんてもってのほかだ。
歌う少女は、自分で言ったように砂漠のことを本当に知らないらしい。アギはそれが酷く残念で、もどかしかった。
(違うんだ。俺達の砂漠は、もっと……)
アギは、少女の歌に聞き入っている。
……さらさら……さらさら……。
砂が零れる。指の間から零れ落ちていく砂を、アギは見つめるともなくみつめている。
砂を零す。いつまでも飽きることなく。掌の砂がなくなれば、また飽きることなく砂をすくい、また零す。――いつもそうやって遊んでいた。
『おまえは……本当に砂遊びが好きだね』
『かあちゃん!』
かけられた優しい声に掴んだ砂を投げ捨て、おもいっきり振り返ったのは――幼き日の自分。
愛おしそうに目を細め、いつも自分に笑いかけてくれたのは――黒髪金眼の彼女。
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