アギ戦記 -護衛2日目(夜) 1
気が付けば、もう8月……
真夜中の出来事。セイカ女学院編
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何事も無く1日を終えた。
中庭に設けて皆で『リーズ学園自警部・セイカ女学院主張所』と名付けたテントの中、寝袋に包まっていたアギは1日を振り返ってそう思う。
今は夜。消灯時間を過ぎてもう3時間が経つ。アギは夜番の交代時間まで仮眠をとっていたのだが、環境に馴染めず中々寝付けずにいた。
幼少時代は砂漠の民の集落を転々と放浪していたアギ。野営なら誰よりも馴れている。夜番も自警部の警備を手伝う過程で何度と経験しているのだから苦にもならない。
だが女子校のど真ん中に、災害避難用の大型テントを張って、その中で1人寝ろと言われてすぐに眠れるものだろうか?
アギには無理だった。
「おい。起きてるか?」
「……ああ」
風を入れるために開けっ放しの出入口。テントの外から照明を掲げ、声をかけてきたのはリュガだ。結局アギは一睡もできぬまま夜番が回ってきたらしい。
「交代だ。今ユーマがB→Cルート間を周っているだろうから、Dルートからな」
「わかった」
「……。なあ、アギ」
寝袋からのろのろと這い出たアギは傍に置いていた装備を手探りで探す。
そんなアギの様子を見つめて、リュガはふと何かを訊ねようとして言葉を口にした。
『奴ら』、ここに来ると思うか? と。
「リュガ?」
「マイカさんの護衛だのなんだの言って女学院に居残ってもさ、結局俺達やってることは学園にいる時と変わんねーじゃねーか。授業出て訓練して……雑用して」
「まあ、そうだな」
「夜間警備だって。学園でブソウさんの手伝いをやってるのと同じだ。さっき巡回中に俺、何やってんだろうな……って、つい思ってしまってよ」
リュガは背負っていた大剣をホルダーから外すと、鞘ごと地面に突き刺して「どかっ」と座り込んだ。遣る瀬ないように額のバンダナを掻きむしる。
アギには彼の不満を理解してやることができた。こいつはきっと、力と感情を持て余しているのだと。
今の時間帯、学外では《青騎士》をはじめとする彼らの先輩達が再起塾のアジトを急襲、大規模な捕縛作戦に取り掛かっている。課せられた役割があるとはいえ、リュガは性格上、そして去年の因縁から殲滅チームに参加し『奴ら』を狩りたかったに違いない。
自制しているのは、昨日の失敗を引き摺っているからで。
「このまま何もせず、先輩たちが事件を解決してしまうっていうのもな」
「落ち着けよ。俺達がやってる護衛や警備って仕事は予防だ。万一に備えて忍耐強くやらなきゃなんねぇ。自警部の研修中ブソウさんがよく言ってた事じゃねぇか」
「……」
「お前が向いてないのもわかってるけどさ。俺達みたいな末端、後詰がいるから先輩達も遠慮なく動ける話だぜ」
「わかってる。でもよ」
お前こそ本当にいいのか?
リュガはアギが装着したアームガード、古びた傷だらけの装甲を見て心配そうに問う。
「《盾》、まだ使えないんだろ? 今更『そんなの』に頼って」
「……」
「原因が《用心棒》にあるっていうなら、お前は」
返す言葉はなかった。アギ自身がわかっているのだ。力を取り戻す、1番手っ取り早い方法はなにか。
それは敗北により受けたトラウマ、精神的なダメージを払拭すること。その為にはアギはもう1度、《用心棒》に立ち向かわなければならない。しかし。セイカ女学院に待機中の今の現状では対峙する機会が訪れるのも怪しい。
「俺の事は気にすんな。なんとかする」
「なんとか、ってお前」
「そんなことよりリュガ。俺はお前の方が心配だぜ。てめぇの剣、型は増えてねぇし技出す癖も去年から直ってねぇぞ。読みやすい」
「ああ?」
話を逸らすと、リュガはあっさりと食いついた。
「そいつは……例の《暗記》つう、お前の《特性》で『見た』結果か?」
「まあな」
肯定するアギ。
自分の《特性》に関してはなるべく黙っておきたかったアギだったが、たかが小テストで迂闊なことをしたのも確か。
それにリュガとももう長い付き合いだ。話すのも頃合いかとも思っていたので、アギは己の秘密を1つ明かしていた。
再生世界でいう《特性》、あるいは《特性スキル》呼ぶものとは、ゲンソウ術にも魔法にも属さない、ヒトが持つ固有の才能、超常能力のことを指す。この力の発現は遺伝的なものであることが多く、魔族が持つ種族特有(フェアリー、エルフ等)の能力を指すこともある。
例を挙げるとアイリーンの《感知》、エイリークの《直感》、そしてポピラの《同調》。特性スキルには主に感応系・感覚強化系のものが多い。身体強化系は希少であり(*実はリュガの特性が《耐熱》、身体強化系だったりする)、《魔力喰い》といった更に希少な異能系も存在する。
それでアギが明かした自身の特性とは、彼曰く「見たものを映像としてそのまま『目の中に保存』、記憶できる」というものだ。
分類すると記憶力を強化する力らしいが、厳密には暗記(*文章の空覚え)ではない。《暗記》と呼ぶものに属する多少風変わりな、彼に似つかわしくない能力だった。感覚強化系よりも異能系寄りの力である。
アギが小テストで満点を取った時も種明かしをすれば、彼はリュガのノートの中身を丸ごと《暗記》してテストに臨んだというわけだ。言い換えるとノート片手にテストを受けていたようなもの。秘密を明かした今ではカンニング野郎から『合法カンニング野郎』とリュガから呼ばれている。アギは汚名を被らざるを得なかった。
なぜならアギが特性を使って筆記試験の難を度々乗り切っていたのも事実だから。彼は「先生達には内緒にしてくれ!」と、仲間たちに懇願することを忘れなかった。
《暗記》スキルの話をした時、アギは自分の目をじっと見つめて「黒?」と首を傾げていたユーマの事が凄く気になったが。
ただし。アギも単に才能の無駄遣い、自分の特性をテストの為だけに使っているわけではなかった。戦闘においても彼は《暗記》スキルを大いに活用している。
先述した通りアギは視覚情報を目に《暗記》することができる。これを応用して対戦相手の動作を寸分違わず目で覚えると、次からは『記録』の中の相手の動きと照らし合わせながら戦うことができ、場合によっては攻撃を予測することもできるようになるのだ。
アギの『見切り』とも呼ぶべき力の正体は、この《暗記》による戦闘経験の蓄積が生み出す攻撃予測と、烏龍流に伝わる《気》の流れを読む術の2つから成る。
アギは同じ相手との対戦回数が多いほど、《暗記》する情報量の増加に伴って先読みの精度を向上することができる。現にアギは1番対戦経験の多いリュガが相手だと、防御や回避ができるかどうかは別にして彼の剣なら9割方先読みできたりする。
故にリュガは放課後の模擬戦でアギに殆ど完封されかけていた。リュガの攻撃パターンは去年より殆ど変化が見られない、というのがアギの見解。
アギが意地悪そうに「成長してねぇな」なんて言ったら、リュガだって顔色が変わる。
「大振り一発勝負ばっかりじゃお前、後期もランクBのままだぜ」
「なっ……ふざけんな。誰が成長してないだ?」
リュガも思うところがあり、痛いところを突かれたらしい。ムキになる。
「俺だって何もしてない訳じゃねーぞ。大剣が振り辛い屋内戦や対人戦用に自警部の警棒術も学んでるし、他にも秘密兵器やら秘策やらを前にユーマから教わってだな」
「ユーマ? ……へぇ。前、つうと昇級試験の時か?」
これにアギは興味を示した。先の昇級試験ではユーマのコーチのおかげでエイリーク、アイリーンの2人は新技を習得し好成績を納めている。
「どんなんだよ」
「これだ」
自慢気にリュガが見せたのは手のひらサイズの、中に水の詰まった風船。水風船には指を通す穴のついたゴム紐が取り付けられている。
所謂『水ヨーヨー』だ。リュガは水風船を地面に向かって放ちゴムの反動で手元に引き寄せる、といった動作を何度か繰り返してみせた。
ばしんばしん。
「……そのおもちゃ。意味あんのか?」
「あるんだよ」
ばしんばしんばしんばしん。
秘策? それとも秘密兵器?
「一見地味だけどな。この特訓をモノにした時、俺は戦士としての欠点を1つ克服し新たな必殺技を手にするんだ」
「……。まあ、がんばれ?」
「信じてねーな」
疑われても、アギには水風船の「ばしんばしん」がリュガの何の役に立つのかまったくわからない。
「……ちっ。完成した暁にはお前で試し撃ちして、目にもの見せてやるからな」
「完成したらな。じゃあ、そろそろ俺行くぜ」
「ああ。……そうだ。アギ」
見廻りに外へ出ようとしたアギの背に向かって、リュガは「お前知ってるか?」と声をかけた。
「あん?」
「セイカ女学院ってのは古い学校でな、元々医療所や孤児院兼ねた修道院でもあって昔は多くの人を看取った場所でもあるんだ」
「……だからなんだよ」
「ちょっと小耳に挟んだんだが。夜に出るらしいぞ」
おばけが、とリュガ。
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何いってんだよ、お前。そんな子供だましに俺がビビると思ってんのか?
おばけがなんだ、ナメんじゃねぇぞ。ははは……
……ははっ。
乾いた笑い声。言わずものがなアギはビビっている。
慎重というには恐る恐るといった感じで1人、女学院の夜廻りに向かった。
アギが幽霊を怖いと思うのは砂漠に住んでいた子供の頃、虐待と紛争を体験した老人や大人たちの話を聞いて育ってきたことが一因。彼が尊敬するレヴァイア王が『見えないなにかが聞こえる人』だったということも大きい。
他には夏の1番暑い日に《砂漠の王国》で納涼として『怖い話大会』が行われることも原因だろう。王妃サヨコが披露する本場東国の怪談話には毎年、アギをはじめとする子供たちどころか、大人までも震え上がって青褪め、夜眠れなくなるのだ。
とはいえ怪談の締めは「サヨコさん、こわーい!」と公衆の面前でわざとらしく王妃に抱きつこうする王様が、彼女の刀で撃退されるのが恒例であったが。
サヨコ曰く、
「今年も。悪霊と共にあの人に取り憑いた邪念は祓いました」
暑気払いを兼ねた邪気祓い?
ともあれアギは幽霊、つまり死んだ人の魂というものを信じるクチだった。
『おばけこわい』は冗談としても、この頃の彼は幽霊に出会いたくないと、そんな風に思っていた。
アギには時々、故郷の砂漠で亡くなった人たち、紛争によって殺された人たちのことを思うことがあった。彼等がどのような最期を迎えどのような思いをしたのか、そしてどのような想いを遺してこの世に残っているのかを想像しただけで、哀しさと苦しさが入り混じったような気持ちでいっぱいになる。
亡くした者の想いを、全て背負い守ろうとする王を知っているから。
亡くした者を想い、かつて復讐にすべてを灼き尽くそうとした友を知っているから。
亡くなった者たちがもし、霊として彼らを見守っているというのなら、どう思っているのだろうか。彼らの在り方を嬉しく思うのか哀しく思うのか、それとも恨んでいるのか。正直わからない。
考えれば考えるほど深みにはまる。それは死者に魅入られるのと同じだとアギは聞いたことがある。だから怖い。幽霊に出会うことが。
彼らに出会うことで、亡くなった者の想いを知ることになったら。特に、
「……おふくろは」
そっと右目に触れる。《暗記》の特性を宿す瞳は間違いなく母譲りのもの。唯一実感できる肉親との絆だった。
亡くなった母もまた、最期はどうだったのだろう? やはりこれを知るのが1番怖い。何も思い出せていないから。
息子である自分に母が願い、ある人達に伝えて欲しいと、託したもの。その言葉をもう1度会って教えて欲しいと思う反面、辛い記憶とともに忘れてしまった自分が不甲斐なくて、アギは葛藤する。心の中に小さな棘が刺さっているように、時々僅かな痛みが奔る。
幽霊でもいいから。あいたい人がいる。
でも。今は合わせる顔がない。
「……ちっ。リュガが妙なこというから、また余計なこと考えちまったじゃねぇか」
聞くところによると、幽霊とは1人でないと会えないものらしい。急いでユーマと合流しようと思う。
何も出てくるなよ。アギは祈りながら暗闇の中、照明用の小さな幻創獣が発する明かりを頼りに夜廻りを続けた。
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女学院の外を外壁沿いに30分かけて廻った。異常は見当たらない。
途中ユーマが定時連絡でPCリングに連絡を入れてきた時のコール音で「ビクっ!」となったのは内緒。裏返った声で「異常なし」と伝えると次は学内、校舎の中だ。
真夜中の学校というのは雰囲気がある。なのでアギは一瞬校舎の中に入るのを躊躇ったが、それは「俺が外で暮らす砂漠の民だから」と妙な理屈で自分を誤魔化した。幼少からテント暮らしが長かった彼が屋内、特に壁と天井に囲まれた四角の、開口部が少ない狭い部屋を余り好まないのは事実である。
「……考えてみりゃあ、校舎の中を廻るのは関係ねぇんじゃねぇか?」
再起塾の襲撃、侵入者の警戒をするだけならばだ。ただ、ユーマは『奴ら』の内通者が女学院にいることを懸念していていた。裏で何か工作されても困るのでアギは思い直す。
実は。ユーマが女学院のシスター達が毎晩行なっている、夜の見回りもついでに引き受けていたなんてアギは知らない。
『アギ。今何処?』
「ユーマか? 本棟の1階だ。今んとこ異常なし」
ユーマからの定時連絡だ。今度はビビることなくアギは、話をするためにPCリングを通話モードに設定。肩に乗せた照明用幻創獣をつまみ上げ面と向き合う。
『こっちは外廻る前。休憩兼ねて1度中庭のテントに戻ったとこ。リュガがいびきかいて寝てる』
「……なんつー神経してんだよ、あいつ」
自分は眠れなかったというのに。
外見の割に色々細かいくせに、赤バンダナの大剣使いはこんなときばかり図太い。野宿するのに散々愚痴をこぼしていたのもリュガだ。
『あんまり気持ちよく寝てるから……落書きしとく?』
「任せる。以上か?」
『ちょっと待って。今から本棟の見廻り? だったら先に分棟の方に行って欲しいんだ』
セイカ女学院の分棟とは、教室のある本棟と繋がる集会用の講堂や礼拝堂、食堂、調理室といった主に生活関係の施設が集約した建物である。
「分棟? 別に構わねぇが」
『じゃ。あと夜更かししないようによろしく』
「あ? それどういう」
妙なことを言われたと思えば、あっさりと通信を切られた。
夜番の変則ローテーションは1人の持ち時間が6時間の3時間交代。先に休んだアギはもう夜明けまで仮眠を取ることがないというのに。
「なんだよあいつ。……分棟か」
丁度いい。夜食に調理室でなにか物色しよう。アギは特に考えもせず本棟と分棟を繋ぐ渡り廊下へと足を向けた。
食料庫には勿論、鍵がかけられていたけど。
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講堂でおばけに遭遇した。
「……は?」
アギは扉を空けた直後に身体が硬直。目にしたものが信じられない。
講堂で見たものは浮遊している火の玉が一つ。暗闇の中、光の残像を残し軌跡を描きながら自由に飛び回っている。
これはまさか。サヨコの怪談話でよく聞く、
「ひ、人魂? マジかよ……ひっ!?」
ダン! トットッ……タッ、タァーーン!
揺れ動く火の玉が大きく左右に、または上下に動く度に、板張りの床を伝って連続で思いのほか響き渡る大きな音。
アギはこの足音に驚き恐れをなして、
「ちょっと待て。……足音?」
逃げ出すのを思い留まった。
おかしい。おばけに足なんてあったか? まして人魂に? そこで星明りさえ入らない講堂の真っ暗闇にようやく慣れた目を凝らして、アギは火の玉の観察しはじめた。
火の玉と思っていた光の色は燈。落ち着いて考えればこの時点でおかしかった。人魂の炎とは青白い色をしているというのが通説(サヨコ談)だからだ。それに光の色にアギは見覚えがある。
手にした《灯火》のランプに一瞬照らされた真剣な横顔。彼女は、
「歌の、姫さんなのか?」
どういうことだ? こんな夜中にマイカが、1人踊っている。
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シスター達が夜の見廻りを終えた後。それからが講堂や中庭の空き地が自由に使える、マイカにとって貴重な時間だった。
セイカ女学院には運動を目的とした広いスペースが存在しない。それでも休み時間なんかに踊りの練習なんてしたら、「はしたない」とシスターに怒られ反省室送りにされたりする(*しかもマイカは懲りもせず「個室の練習場だわ」なんて言って反省室で踊ったりして更にこってりと絞られたこともある)。学外でパウマ達《歌姫楽団》とリハーサルを兼ねて練習する機会もあるが、外出制限の厳しいセイカ女学院の生徒であるマイカとっては僅かな時間でたかが知れている。
だから夜だ。皆が寝静まった深夜こそ、彼女が心置きなく踊り、練習することができる時間帯だった。
キャミソールタイプのトップスに薄手のホットパンツといった軽装、というよりあられもない姿で踊りに没頭するマイカ。誰もいない&動き易さを重視した結果だろうが、まさかこんな夜中に覗いている青バンダナがいたとは思いもしないだろう。
暗闇の中とはいえマイカが見つめているのは観客席だ。
イメージの中では彼女はライブステージの上にいて、彼女は目を閉じたまま、軽やかなステップでリズムを刻む。リズムは勿論《歌姫》の歌だ。
ステップの途中で旋回、手振りを加えた連続ターンやダイナミックなジャンプ。マイカはダンスをどのような構成にするか、試行錯誤している。
「……よし。ここでっ!」
気合を入れて目を見開く。マイカが挑戦するのは新技の大技だ。
小刻みなステップで助走。大きく踏切り真横へとジャンプ。空中スピン。着地と同時に彼女は、連続回転ジャンプを敢行する。アギが驚くのは次から。
2度目のジャンプでマイカは床ではなく、『宙を蹴り上げて』跳んだのだ。
「まさか。あれは……《天駆》か!」
ユーマがよく使う風属性、中位クラスの移動術式。講堂の入り口から様子を覗くアギはマイカのゲンソウ術と思しき跳躍を見て驚いた。
確かに昨日のライブで彼女は空中ステージなんて芸当をしてみせたが、それは風の精霊の魔法による補助があって可能だったこと。もしかすると今もマイカの頭の上には風葉が乗っかっているのかもしれないが、アギにはどうもそのように見えない。
「習得したのか? でもたった数日だろ?」
昨日話を聞いた限りでは、ユーマが遊びとしてマイカ付き合って彼女に《天駆》の魔法を使ったのは昨日のライブを除いてほんの2、3回だったはず。だとすると彼女は、まさかそのたった数回の『体験』を《幻想》、つまりイメージ源としてゲンソウ術の発動にまで至ったというのだろうか? 普通ならありえない。
例えばエイリーク。彼女は最近《天駆》と同じ中位クラスの術式《爆風波》を習得したが、これにはポピラの特別訓練メニューによる彼女のサポートがあってさえ約1週間もの要している。しかしマイカはおそらく、3日か4日で《天駆》を習得していることになる。これは異例の最短記録だ。
マイカ自身に風属性か移動系術式、あるいはその両方に適性があったからなのかもしれない。または彼女が、この短期間に途轍もない反復練習をこなし、努力を費やしてきたからなのかも。アギは自然と後者だろうと考えた。
深夜の秘密特訓を見てしまったこともさることながら、マイカの踊りには彼女の何かしらの想いが込められていると、そう思えるから。
ヒュウナーが「尊敬する」といったその姿。遥か遠く、高みを目指して舞う彼女は――
高く。もっと高く。
2回、3回。くるくると回転しながら、ジャンプを繰り出す度にマイカは宙を踏み締めて高度を稼ぎ、駆け上っていく。
もっと高く。あたしは、みんなに伝えたい。あたし達は――
飛べるわ。心の赴くまま、自由に。
ねえ。本当はあたし達、どこへだって、行きたいところへ行けるのよ。だってほら。
伝えたい想いは、誰に向けたものだろうか。
6回目のジャンプで最高点に達した。建物2階分の高さのある講堂の天井に届く位置でマイカは、回転を止め正面を向いて静止。それからまるで眼下の観戦客に向かって、
微笑み、手を差し伸べた。
さあ行きましょ。あなたも踏み出して。
最初の、一歩を――
「――あっ」
天駆けるゲンソウは、常に宙を踏み締めなければ機能しない難度の高い術式。マイカが空中で静止してフィニッシュを決める直前、彼女の《天駆》は解けた。
慌てたマイカは次の一歩を踏み出すことができず、体勢を崩し真っ逆さまに、
「あぶねぇ!!」
マイカの悲鳴に異常を察したアギは講堂の中へと飛び込んだ。でも今から走っても墜落する彼女を庇うのは間に合わない。
(――くそっ、間に合えっ!)
だからアギは、マイカが手にしているであろう《灯火》の明かりを目印に『跳んだ』。レヴァイア王の《蜃楼歩》を真似た独自の瞬間移動を使い一瞬で彼女の背後へと回り込む。
己の体を盾として落下する彼女を全身で受け止め、抱き込む。ただそれだけで落下の勢いを殺すことができるわけがなく、アギはそのまま、抱き締めたマイカごと背中から倒れ込んだ。
背中を強打する直前。アギは悪あがきに片腕を床に叩きつけ、同時に宙に投げ出した両脚を振り上げた。それらの反発力で上半身を引き起こして、次に来る衝撃を緩和するよう試み、受け身を取る。
でも流石に2人分の重さを無傷で受け止めるのは無理だ。強かに背中を打ったアギは激痛に呼吸が一瞬止まる。
悶絶。
「がはっ!! ~~~ーーーっ!?」
「……えっ? 何? 一体何が…………っ!?」
マイカが自分の置かれた状況を察するまで、あと2秒。
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