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幻創の楽園  作者: 士宇一
番外 アギ戦記 後編
171/195

アギ戦記 -護衛2日目(朝) 1

アギ戦記、後編開始


朝は護衛準備編。学園にて説明パート

 

 +++

 

 

 翌日の早朝。寮の自室を出たアギは早速護衛任務の派遣先である《セイカ女学院》……ではなく、《C・リーズ学園》へと足を運んでいた。目指すは学園内にある戦士科の貴重品管理室ロッカールームだ。彼は探し物があった。

 

 

「おっかしいな。寮にはねぇし、捨てた憶えがねぇからここにあるはずなんだが」

 

 生徒個人に充てられるロッカーは普段から持ち運ぶ必要のない教科書教材の類や、作業着等の着替えを預けることができる、学園生活を送るにあたり何かと重宝される設備だ。中でも戦士科の生徒は簡易戦闘衣をはじめとする装備がかさばるので、1人1人に鎧一式が収まるような大きなものが与えられている。

 

 アギはそんなロッカーの中を、朝から全部をひっくり返すようにして漁っていた。中いっぱいに詰まった2年分の教科書(アギは寮に持ち帰らない)を押しのけ、見るに堪えない筆記試験のテスト用紙の束から目を逸らして。

 

 それで探し物の木箱は、今年の春に自警部より返却された始末書&反省文の束という、1年間の思い出(?)の下にあった。

 

 反省文の1枚には「ブソウさんとプリンと教室と、一緒に焼いてごめんなさい」と書かれてある。

 

「……よりにもよって」

 

 焼きプリン事件。カラメル以上に苦い思い出だった。

 

 ブソウには「戒めとして保管しろ」と言われたものの、始末書と反省文は今年こそバレないように燃やすことを誓い脇に置く。アギは木箱を手にした。

 

 

 ずっしりとした重みのある箱は約40センチ程の長方形。その中身はアギが学園で手に入れ、去年まで使っていた彼の装備である。

 

 鞣した革で作られた、肘から下を覆う篭手と、拳を覆う指貫のグローブが一体化したような一対の防具。随分と使い込まれている。甲の部分を金属の装甲で補強したそれは格闘戦用の腕甲、アームガードだ。

 

 アギは無数に傷の入った装甲に手で触れながら懐かしそうに目を細め、1年生であった去年の自分を思い出した。

 

 戦士としても男としても、今よりも未熟で。《盾》を破られることなんてしょっちゅうだったあの頃。自分を守ってくれたのがこの腕甲であり、装甲だった。

 

 既存の盾よりも装甲は薄く防御面も狭かったが、軽さと取回しの良さが気に入っていたアギ。レヴァンのような戦士を目指した彼が学園の戦士科に入学した際、本格的に盾を扱う重装系のクラス(*ここでは兵種のこと)ではなく、格闘系を選んだのは必然だった。研究や訓練の為に実物に触れることはあってもアギが模擬戦や試合で盾を装備したことは1度もない。

 

 アギにとってこのアームガードは、《盾》が破られた時の保険であり、お守りのようなものであった。際どい勝負ではいつも自分の身を守ってくれた1センチ未満の装甲に彼は全面の信頼を寄せていた。

 

 《盾》をモノにするまでの1年を支えてくれたアギの宝物(その割には保管がぞんざいではあったが)。アギはかつての相棒、戦友とも呼べるアームガードに語りかけた。

 

「お前には随分世話になったよな。くたびれちまってるとこ悪いが……頼む。もう1回、俺に付き合ってくれ」

 

 たとえ《盾》を失ったとしても。「守りたい」という気持ちはまだ、自分のなかにあるのだから。

 

「《盾》は絶対にてめぇの力で取り戻すから。でも悠長にはしてらんねぇんだ。俺には今必要なんだ。だから……もう1度、俺の力になってくれ」

 

 アギはアームガードに請い願い、具合を確かめるように片腕だけ装着。そして念じた。

 

 

 再生世界にはゲンソウ術の補助装置として、ブースターというものが存在する。いわばイメージ増幅器だ。

 

 一般にブースターといえば、エルド兄妹のような専門の技術士によって武具や装飾品にIMイマジン・モジュールというイメージの規格概念を組み込んだものを指すが広義ではそれだけではない。個人の記憶や想像力を刺激する『思い出の品』もまた、ゲンソウ術の発動を補助し強化する道具と成り得るのだ。アギはこのアームガードに懸けた。

 

 自分の中にあった《盾》への自信や誇りといったものは根こそぎ《用心棒》に剥ぎ取られてしまったけれど、ここにはある。自分が《盾》を創り上げるまでに費やした努力が、この装甲には刻まれている。

 

 他の武器や防具では駄目だ。性能の問題ではない。自分の力になってくれるとアギ自身が信じられるのがこの傷だらけの装甲だけなのだ。アギには確信がある。

 

 失くしたのは自信だけ。ゲンソウ術の発動を妨げているのは、《用心棒》に惨敗を喫した自分を信じることができない己の心だ。

 

 ならば。折れかけた心を支えるものがあれば――

 

 

 無数の傷が刻まれた装甲。使い込みすぎて黒ずみくたびれた革。それらはかつて自分が修練に費やした努力の証。思い出がアギの中に蘇る。

 

 アギはアームガードに念じる。もう1度だけ、俺を守ってくれと。その結果は、

 

 

「……ははっ。できたぜ」

 

 

 思わず笑みが零れた。

 

 アギの腕を覆うアームガード。その上を更に覆うようにして《現創》された目に見えない膜のようなもの。

 

 デコピンの1発でも破れそうな『それ』こそ《幻想の盾》。すべての防御系武装術式の基礎となる無属性の初級術式だ。アギはアームガードをブースターにすることでゲンソウ術を発動することを可能にした。

 

 ただし。この《幻想の盾》はアームガードに付随するものであり、アギは未だに使えないままである。それに彼の《幻想》(*ここでは蓄積された経験に基づくイメージの情報量をいう)から創られた昨日までの《盾》と比べれば防御性能は格段と落ちる。強度は良くて樫のような硬い木、正面から受けることができるのも《火球》のような下級術式の2、3発といったところ。

 

 それでアギはよかった。《盾》を手にすることができれば再びはじめられるのだから。

 

 初心に戻るだけだ。やり直せる。ここからもう1度、己を見つめ直しながら築き直す。

 

 そうすればいつかは辿り着くはずだ。かつての自分に。そしてもっと先へ。

 

 

「ここからだ。またここから。俺はやるぜ!」

 

 《幻想の盾》を翳してアギは再起を誓う。

 

 

 しかし。それにしても。

 

 

「……くせぇよな、これ」

 

 そりゃあね。汗と涙と努力の染み付いた、長年放置した革製品なら。

 

 

 《盾》をなくしたアギの新たな戦いは、「使わなくなっても手入れはこまめにしよう」と反省することから始まった。

 

 +++

 

 

 装備は手に入れた。消臭剤などはあとで揃えるとして次は腹ごしらえだ。

 

 芳しいとは言い難い臭いのするアームガードは、とりあえず適当な袋に詰め込み厳重に封印。アギは学園に戻ったついでに朝食を済ませてしまおうと、袋を背負って学内の食堂へと向かった。

 

 

 どちらかといえば。学生食堂を利用する学園の生徒は、購買部のパンや仕出しの弁当が出まわる昼よりも朝の方が多い。学園都市の約95%の学生が親元を離れて暮らしているのだが自炊してまで朝食を摂ろうとする学生は少なかったりする。

 

 誰だって時間のない朝は許す限り眠っていたいだろうし、身支度に何かと時間を掛けたい人もいるだろう。朝食はおろかお昼のお弁当まで用意できる人もいるにはいるが、それは少数派にすぎない。(*報道部調査によると、学園の手作り弁当持参率は2割)

 

 朝食は1日を乗り切る大事なエネルギー源。時間のない朝の忙しさに疎かになりがちな生徒の食生活を支えるため、学園にある5つの学生食堂は今日も朝早くから全店フル回転で運営している。

 

 

「たまには気分変えて、違う食堂に行くか」

 

 普段はリーズナブルで『いかにも食堂』といったセットメニューが揃う第1食堂を利用しているアギ。今日は行き掛けたまたま通りかかった第2食堂を見て、ここの世話になることを決めた。

 

 第2食堂では特定のメニューなどなくビュフェ、あるいはバイキングと呼ぶ形式を採用している。これは生徒に立食会といったものを体験させる食育的な意味合いもあり、実際にこの食堂はパーティー会場に使われることもある。まあ普段は定額食べ放題の食堂だ。

 

 毎日日替わりでたくさんの料理が用意され、食べる量を自分で調整できることから男女共に人気のある食堂。ケーキバイキングのような限定イベントを用意していることもまた、他の食堂と一線を画している。

 

 ではなぜ、アギがそんな第2食堂を滅多に利用しないのかというと。

 

「……座れねぇ」

 

 人気がありすぎて常に混雑しているから。席数も300席と第1食堂の半数も満たない上、利用者の回転率が悪いことも食べ放題の短所だった。

 

 立ち食いという選択肢もあったが既に両手の皿に大量の料理をのせたあと。空いた席を探して右往左往するアギ。

 

 せめて誰かと一緒だったなら、先に席を確保してもらうなどできただろうが。

 

「おっ」

 

 空いている席を見つけた。食堂の隅にある4人掛けのテーブル席だ。他は満席にもかかわらずそのテーブルだけは女子生徒が1人、静かに食事している。

 

 混んでいるにも関わらず『彼女』と相席する度胸のある生徒はここにはいないらしい。お近づきなりたいと思う男子も憧れている女子も、時々遠巻きに彼女をチラ見するだけ。

 

 丁寧に梳かれたさらさらの長い髪は白金。北国人特有の白磁のような白い肌。食事する様子もどこか気品があって絵になる美少女。

 

 正真正銘の高嶺の花。透明感のある容姿を氷と例えたのは誰だったか。

 

 

「姫さん。ここ空いてるか? 座って飯食いてぇんだけど」

「ええ。どうぞ」

 

 

 アイリーン・シルバルムは無遠慮に声をかけられたことに少し驚いたものの、友人であるアギに快く席を勧めた。

 

 騒然としたのは『噂』を知る周囲の生徒たちである。

 

 +++

 

 

「1人だったのか?」

「ええ。今日はアーシェリーさんとご一緒するはずでしたが彼女、朝から急に用事が入ったらしくて」

 

 連絡がありました、とアイリーンは腕に嵌めたPCリングを見せた。学内だけとはいえ連絡を取り合うのが容易になったのは最近のことである。

 

 アギは「アーシェリーって誰だっけ?」と内心首を傾げている。リュガならばともかく1度だけ共闘した《アイリーン公式応援団》の副団長の名を彼は知らなかった。

 

「じゃあ風森の姫さんは?」

「あの子の食事はミサさんが管理(?)していますから。昼食もお弁当を持たされていますし、彼女が食堂を使うことは滅多にないですよ。量がもの足りなくて購買部でこっそりパンを買っているようですけど」

「あの侍女ちゃんか。って、そういや姫さん達は今、学園にいねぇはずじゃ」

 

 今更だがアギは思い出した。昨晩ユーマやリュガから聞いた話だと、彼女とエイリークは《烈火烈風》のエース、リアトリスの手伝いとやらで暫く学園を離れているはずではなかったか。

 

 疑問を口にするアギ。するとアイリーンは少しだけ眉間を寄せるようにして言った。

 

「先輩の命令で私達だけ戻されたのです。ウインディさんが」

「……吹き飛ばしたのか?」

 

 アイリーンが頷く。彼女は詳細を語らなかったが《旋風の剣士》は学外、しかも学園都市のお偉いさん相手にやらかしたらしい。

 

「マジかよ」

「今は自宅謹慎処分です。追って何かしらの処罰も下されるとか。向こうにも非がある事からロート先輩が後で便宜を計らってくれるそうですが」

 

 

 ちなみに。

 

 後にエイリークに下された処罰は最終的には学園長にも便宜を計らって貰い、責任者であったリアトリスと共に学内にある喫茶店『ハイドランジア』での長期に渡る奉仕活動となった。(*その様子は『旋風姫 学園横断編3』でもみられる)

 

 

 エイリークの事で呆れた顔をするアギを見て、何を勘違いしたのかアイリーンは、

 

「言っておきますが。私が学園に戻ってきたのは、先輩方にウインディさんの付き添いを頼まれたからです。そのまま仕事から外されたのも……大体私達は《紅玉騎士団》の正規の団員ではないからで」

「姫さん?」

「私は何もしていません。ええ。本当に」

「何も言ってねぇし。そこまで強調しなくても」

 

 どうも表沙汰にならなかっただけで彼女も何かしたらしい。

 

 リアトリスも3年生。彼女もまたブソウのように自分の後継者を育てるつもりで手伝いを頼んだものの、外見とは裏腹に癖のある2人の扱いに困ったようだ。

 

 流石は類は友。性格は違えど幼馴染のお姫様たち。アイリーンの余計な言い訳にむしろ怪しいと思いだすアギであったが、

 

「……アギさん」

「……なんでもねぇ」

 

 涼やかに微笑む彼女。その蒼い瞳から発する視線が冷気を帯びた気がして寒気を覚えたアギは、我が身を思って詮索することをやめた。

 

 

 さて。席も確保したことだしいい加減飯にしよう。

 

 アギは気持ちを切り替え皿の料理に手を付けた。

 

 まずやわらかな丸パンにナイフで縦に切り込みを入れ、次にソースをかけなかった味付なしのスパゲティをパンに詰め込む。

 

 仕上げに備え付けの調味料に手を伸ばしブラウンソース(*ウスターソースのこと)とマヨソースをかけて。

 

「いただきます。……なんか違う」

「変わった食べ方をしますね」

 

 思っていたものよりソースの酸味は強いしスパゲティにも味が染みていない。パンを口にして微妙な顔をするアギ。対面に座るアイリーンが自分の食事を中断して奇異なものを見るように彼を眺めている。

 

「砂漠の民独特のものですか?」

「いや違ぇし」

 

 故郷の食文化を誤解されても困るので説明。

 

「昨日ちょっと焼きそばパンを食いそこねてな。そんで今日の料理見たらこれで真似できねぇかな、って思ってやってみたんだが」

「焼きそばパン、というとユーマさんが調理科の生徒たちと開発した、購買部の新作パンのことですか?」

 

 ああそれだ、とアギ。自分のパンはユーマのと何が違うのだろうと頭を捻る。

 

 

 《アナザー》のエースになってから、いやそれ以前からも学園のいろんな所に顔を出しては首を突っ込んでいるアギの親友。《精霊使い》の少年。

 

 戦士や魔術師、そして技術士というような枠に収まらない彼の活動ぶりは、自主性を重んじる学園の生徒の中でも異端と言っていい。奔放で自由すぎる。

 

 まあ、そんなユーマと1番に出会ったからこそ、アギは同期の中でも一際有名人である《銀の氷姫》と食事を共にできるようになったのだが。

 

 

「蒸し麺、でしたか。前に試食を頼まれた時ユーマさんに訊ねましたが、ソース焼きそばなる料理の麺はパスタではないそうです。ソースもブラウンソースに甘みを足す為に林檎や玉葱を加えて各種のスパイス、あとお醤油や米酢なども加えて煮詰め熟成させたものだそうですよ」

「ふーん。昨日のチューカといい、あいつ何者だよ」

 

 《精霊使い》ではなくてホントは料理人じゃねぇか? と思わないこともない。

 

 当人は『おやつ係』を自負するけど、どこまでが『おやつ』なのか定かではない。

 

「昨日?」

「ん? ああ。今ちょっとあいつの任務手伝ってんだけど」

 

 アギはユーマやリュガ達とマイカの護衛をしていることを説明した。《歌姫》の名を聞くとアイリーンは興味を示した。

 

「マイカ・ヘルテンツァー……そうですね。あれほど優れた力を持つ人ならば、彼女の歌を悪用する事を考える人が現れない方がおかしいですね」

「姫さんも歌の姫さんのこと知ってんのか?」

「ええ。彼女のライブにも、前にミサさんに連れられてウインディさんと3人で行ったことがあります」

「へぇ」

 

 それは意外だな、とアギは思う。

 

 

 今でこそ仲間意識を持って接することができるが、アイリーンは北の大国《銀雹の国》の王女様だ。生まれも育ちも、戦災孤児の経歴を持つアギとはすべてが違う。

 

 彼も去年まで明らかに纏う空気が違うアイリーンを見ては『住む世界の違う人』と偏見を持っていたくらいで、ユーマを通じて知り合い、彼女と行動を共にする機会が増えた今でも、彼女の言動や振る舞いに「お姫様がねぇ」と思うことは時々ある。

 

 食事に学生食堂を利用していることもそう。彼女が口にしているものも見れば焼きたてのクロワッサンに付け合せのチーズ、茹でキャベツと蒸鶏のサラダ、豆のスープ、飲み物は牛乳? と意外と庶民的。

 

 それに。『お嬢様』『お坊ちゃん』といった、家柄の良い子女が故郷を離れて学園都市の学生となる際には必ずといって従者、付き人といった者とセットで学校に入学して行動を共にするものだが、アイリーンにそんな人はいない。エイリークにだってミサやユーマ(*公式には《風森の国》が抱える召使いとなっている)がいるというのに。

 

 ただし。別にアギがそれらのことに深い疑問を抱いているわけではない。

 

 

 アギは皿の料理を片付けながら昨日のことを話題にした。

 

「俺もライブつうの昨日初めて体験したんだけど、凄かったよ。頭ん中真っ白になって、気付いたらリュガと一緒に服脱ごうとしてた」

「……どうしたらそこまで興奮するのですか?」

 

 いきなり「前座をしろ」と頼まれ観客のいるステージに立たされたら。

 

「まあ、あの沢山の人が生み出す大きな歓声と熱気の渦には、私も当てられて参ってしまいましたけど」

「だよな」

「ですが『あれ』は体験する価値がありました。彼女のライブに1番驚いたのは……」

「ああ。歌の姫さんが創る『あれ』だな」

「ええ。歌と音楽を媒体にした世界術式です」

「……ん?」

 

 初めて聞く言葉にアギが疑問符を浮かべる。

 

「世界術式?」

「ご存知ありませんか? 魔術系統では結界術式の最上位に位置する魔術です」

「結界術式ってのは……何だ?」

「そこからですか? ……いいでしょう」

 

 説明します、とアイリーン。それでアギは「あ。やべぇ」といった顔。彼女の中にある一種の『スイッチ』を押してしまったことを悟った。

 

 

 学園で『最高の魔術師』を志すアイリーン。彼女の1番の興味とは勿論魔術だ。彼女のお姫様らしくないところを挙げても、やはりそれは魔術へのあくなき探究心であろう。

 

 ユーマにして『魔術根性馬鹿』と言わしめているアイリーン。彼女の悪癖の1つといえば魔術関連の話になるとやけに長くなるというものだった。

 

 純粋な戦士系であるアギはまだしも、世界でも希少な魔術師系クラスの《精霊使い》で術式に独特の発想を持つユーマは、彼女の魔術談義に何時間も付き合わされることはざらではなかった。

 

 《歌姫》の力には興味はある。でも難しそうな話はあまり聞きたくない。

 

 アギは考えた。ここは予防線を張っておくに越したことはないと。

 

「俺、このあと行くとこあるんだ。お手柔らかに頼むぜ」

「ええ。朝の食堂も10時までしか利用できませんから」

「……」

 

 まさかこれから2時間以上話すつもりなのか? 笑みを向ける彼女にアギは戦慄した。

 

 

 では。

 

「まず結界術式からいきましょう。たとえば術者を中心とした限られた範囲に氷霧を展開する私の《氷輝陣》がこれにあたります。結界術式とは空間支配の魔術です」

 

 術者によって空間を『内』と『外』に隔てる魔術、あるいは隔たれた領域内に効果を及ぼす魔術が結界術式だ。アイリーンの《氷輝陣》は後者にあたる。

 

 前者を例に挙げるとレヴァンの《城壁》がそうだ。あれは防御範囲が広大過ぎて物理的に空間を隔ててしまっている。

 

「氷の姫さんのあれか。あの手の『でかい』術式は学園じゃあんまり使われねぇな」

「長時間・広範囲に展開するのが前提ですので消耗が激しいですから。発動にも時間がかかりますし模擬戦レベルの戦闘では集団戦でもない限り真価を発揮できません」

「そういうもんか」

「《氷輝陣》にしても個人戦、特に一対多での戦闘を考慮して調整した術式なのですが、やはり発動までの時間に難があるのです」

 

 術式の発動時間の短縮、あるいは発動までの時間稼ぎ。これは魔術師系クラスの殆どが抱える課題である。それで結界術式ほどの高度な術式は、アイリーンに限らず魔術師の切り札として用いられることが多かった。

 

「結界術式の使い手は学園じゃ姫さんが1番なのか?」

「まさか。学園の生徒にも私以上に結界術式に優れた人はいますよ。私の知る限り学園の1番はアギさんのよく知るあの人、自警部の部長です」

「ブソウさん?」

「《紙兵》を用いた集団儀式魔術の応用、千人規模の《魔方陣》の構築。術式補助に特化していますが、陣形を用いた魔術の増幅装置、《魔方陣》もまた結界術式の1つです」

「へー」

 

 はじめて聞いたと驚くアギ。去年は何かとブソウに追い回されていたことが多くて、彼の先輩が魔術師系であることも実は忘れていた。

 

 

 1人で千人もの兵力を運用できる学園最大の戦力保持者。《一騎当千》の《符術師》、ブソウ・ナギバ。彼の本領は大規模な《魔方陣》を使った後方支援である。

 

 特にブソウが《千人兵》を用いて構築した《鳳翼の陣》で力を増幅したリアトリスが、ただでさえ強力な火力を誇る《鳳凰術》を最大出力で使ったりすれば……

 

 

 閑話休題。為にはなったがこのまま他の術式のことまで長話されることを畏れ、アギは話を進めようと本題に話題を振った。

 

「結界術式のことは『氷の姫さんが使ってる術式』つうことで大体わかった」

「本当に大体ですね」

「じゃあその結界術式の上にある世界術式ってなんなんだ?」

「それはですね」

 

 

 アギはこれから、《歌姫》が持つ力の一端をアイリーンから聞くことになる。

 

 +++

 

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