表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幻創の楽園  作者: 士宇一
番外 アギ戦記 前編
160/195

アギ戦記 -《歌姫》のステージ 1

学芸会館へ到着


マイカと、彼女の仲間たち

 

 +++

 

 

「今度こそ大丈夫か?」

「ええ」

「あの人数だ。警備員は中に入れさせないようにして対応してたんだな」

 

 ヒュウナーのおかげで再起塾の数百人もの妨害を突破したアギ、リュガ、マイカの3人。彼らは裏口から学芸会館の中へ。彼女の舞台となるのは大ホールのステージだ。

 

 そこへ向かう途中、3人を廊下で待ち構えていたのは。

 

「えっ。なんで」

「マイカ!」

 

 アギは、行く先を立ち塞ぐようにマイカを待っていた彼女を知っている。

 

 マイカと同じ制服を着たやや釣り目がちな少女。セイカ女学院にいるはずの、三つ編みおさげの委員長然とした彼女だ。

 

 女学院で撒いたはずなのに、どうしてここにいる?

 

「大丈夫」

「姫さん?」

「イレーネよ。彼女は味方。実は《歌姫》のイベントの企画して色々と手配してくれるのは彼女なの」

「なんだって?」

「あたし達のリーダー、って言ってもいいわ」

 

 例えると《歌姫》のマネージャー兼、企画プロデューサーといったところか。

 

「じゃあ。女学院で俺達を追いかけていたのは」

「え、ん、ぎ。シスターを欺くためにね。彼女は自分の保身の為って言ってるけど」

 

 マイカが言うには、イレーネが風紀委員の生徒指導監督として、表向きマイカに厳しくしてくれるから教師の監視が緩むとのこと。どうも他にもマイカに味方する女学院の生徒は多いようだ。

 

 セイカ女学院の外出制限は厳しい。夕方五時以降の現在、許可無く学外の市街にいるなんてまず許されない。それで彼女達がイベントを企画し、ライブを行う度に皆で協力してはマイカたちの脱走を手引きしてくれるらしい。

 

「まあ。校則、規則って、規律に厳しいのはいつものことなんだけどね」

「はあ」

 

 戸惑いを隠せないアギとリュガを他所に、イレーネは怒った様子でマイカの元へ近付いてくる。

 

 『廊下ははしらない』といった感じで、早歩きで迫るところが彼女の性格を顕している。

 

「遅くなったわ、イレーネ」

「先に行って待ってると思ったのに。今までどこに……っ! その顔」

 

 イレーネもすぐに気付いた。マイカの赤く腫らした頬に。

 

 碌な手当てもせずここまで来たのだ。マイカは平然としているが、彼女の頬は一層腫れ上がり酷いものになっている。走り続けて火照った身体とは別に、火膨れしたような熱も持っているはずだ。

 

 一瞬息を詰めるように驚き、痛ましい思いでマイカを見つめるイレーネ。

 

「……」

「イレーネ。あたしは大丈夫よ」

「そんなわけないじゃない! どんな力で打たれたらそうなるのよっ、こんなになるまで放置するなんて。……あなたたち……」

 

 イレーネはマイカの後方に立つアギとリュガ、2人に気付くとキッ、と睨みつけた。

 

「これは、どういうこと?」

 

 彼女は追求する。

 

「マイカはいい加減だけど、ステージの時間に遅れるなんて今まで1度もなかった。それにこの顔……マイカに何があったっていうの、あなたたちは護衛の為に来てくれたのでしょ? なのにライブは始められないし外はずっと騒がしいまま」

「そいつは」

「何が起きてるの? あなたちがいて、どうして!」

 

 アギは何も言えない。リュガも悔やんで顔を伏せるだけ。

 

「何か言いなさいよ、ねえ!」

「……はあ。イレーネ。怒るのはあとにして」

 

 黙り込んでしまった2人の代わり、呆れたように言うのはマイカだ。それでイレーネの目が更に釣り上がる。

 

「あなたのお説教はいつも長いのよ。時間がもったいないわ」

「マイカ! あなたね」

「だからあとにしてって。釣り目と眉間のシワ。戻らなくなるわよ」

「~~っ」

 

 一体誰の心配してると思ってるのよ! と、イレーネは言いたいが言葉にならない。

 

「落ち着いて頂戴。それよりも今は」

 

 ステージはどうなってるの? マイカが自分にとって1番肝心なことを訊ねようとしたその時。誰かを呼ぶ大きな声に全員が振り向いた。

 

 イレーネの後方、大ホールと控室を繋ぐ廊下の曲がり角から現れたのは、幼い顔立ちの小柄な女の子。セイカ女学院の制服を着て頭の左右にお団子を結わえている。

 

 昼休みにマイカやイレーネと一緒にいた子だ。女学院を脱け出す時もイレーネと一緒になってアギ達を追いかけていたのだが、印象は薄くどちらもアギは覚えていない。

 

「誰だ?」

「あたしの大事なパートナー。《歌姫》の衣装と化粧を担当してる、って言っておくわ」

「マイちゃん!」

「リュシカ? ……っ!」

 

 マイカを見つけたおだんご頭の少女、リュシカは泣きそうな顔をして駆け寄ってきた。突撃するような勢いのままマイカに抱きついてくる。

 

 マイカは多少ふらつくも、頭1つ小さな少女をしっかりと受け止めた。

 

「ちょっと、突然過ぎよリュシカ」

「無事、だった。よかっ、たぁ。よかったよぉ……」

 

 ずっと心配してくれたのだろう。リュシカは幼子のようにしがみつき、震えている。

 

 だから。少女を抱きしめるマイカの声はやわらかく、やさしい。

 

「……大丈夫。あたしは大丈夫よ。リュシカ」

「でも……」

 

 今にも泣きそうな顔でマイカを見上げるリュシカ。彼女はそっと、腕を伸ばしてマイカの腫らした頬に触れてきた。

 

 はしった痛みにマイカがぴくっ、と震える。

 

「痛っ。……いいわよ。大丈夫だって、あたしは」

「駄目、だよ。マイちゃん、じっと……して」

 

 すぐおわるから。

 

 小さくてか細いのに、有無を言わせない、そんな力強い声。リュシカはまるで、念じるように目を閉じる。

 

 その効果はすぐに発揮された。

 

「えっ?」

 

 リュシカのことを何も知らないアギ、それにリュガの2人は、目の前で起きた現象が信じられず、少女がみせた力に酷く驚いた。

 

 少女が触れているマイカの頬。その腫れが、瞬く間に引いていく。

 

「……嘘だろ、治したのか? まさか……魔法? 魔族なのか?」

「どうみたってあの子は人間だろ。でも、治癒・回復といった現象を起こすゲンソウ術の使い手なんて、希少なんてもんじゃねーぞ」

 

 

 ゲンソウ術は想造の超能力。つまり『なにか』をイメージで再現する力だ。

 

 かつての《魔法》までも想像力で再現される現在。それでも完全な再現は不可能とされている《魔法》は多い。俗に回復魔法と呼ばれるものがそうだ。

 

 患部を『冷やす』、『固定する』などといった治療行為ならばゲンソウ術でも可能だ。膨大な身体に関する知識を基にして体組織の活性化を促し、他者の持つ自然な治癒能力を高める《活性》という術式の使い手なら学園にもいる。

 

 しかし。ゲンソウ術を用いて『他者の怪我・痛みを取り除く』というならば別だ。それにはまず、術者自身が怪我の症状を理解するほか、『他者の痛み』そのものを正しく想像できなければならない。

 

 人を理解する心。そんな力の持ち主がいるとすれば、それは。

 

 

「これが噂に聞く聖女の教えを学ぶ乙女、セイカ女学院の力なのか」

「……何の噂よ。そんな力、あるわけないわ」

 

 思わず感嘆するよう呟いたリュガの言葉を否定するのはイレーネ。リュガは納得できずに「でも」と彼女に食い付く。

 

「だって女学院の前身といえば、400年前以降の戦後、慈愛と献身で多くの人を救った修道女、フロウレンス・セイカが開いた修道院が……」

「待ちなさい。……赤い貴方。見かけによらず歴史に詳しいのね。確かにセイカ女学院は聖女様の名を頂いた由緒ある学校よ。お嬢様学校と呼ばれるような側面もあれば、聖女様に倣って医療や看護に従事する生徒も私達には多いわ」

 

 私やマイカだって勉強しているから、女学院の生徒なら簡単な治療行為くらいは誰でもできる、とイレーネ。

 

 でもそれは、傷の手当てができるといった技術や知識だ。ゲンソウ術で癒しているわけではない。

 

 イレーネがリュガの言葉を否定したのは、『セイカ女学院だからといって皆が癒しの力を持つわけではない』ということ。

 

「誰も彼も聖女様の名と女学院に幻想を持ちすぎよ。でもあの子、リュシカは違う。それとあれは傷を癒すなんて代物でもないわ」

「違う? じゃあ、なんでマイカさんの頬は」

「訊かないで。お願いだから、今見たことも忘れて」

 

 強く言い放つイレーネは、苦々しい思いでリュシカを見つめている。

 

 マイカを思ってのこととはいえ迂闊にも人前で力を見せてしまった、愚かで優しい少女のことを。

 

 

「利用されたくないの。……『痛みを代わりに引き受ける力』なんて、使わない方がいいに決まってるから」

 

 心配する余り思いつめた表情をするイレーネ。ならばリュシカにその力を使わせたのは、マイカに怪我を追わせたアギ達にある。

 

 彼女に対し「わかった」と、神妙に頷くしかできない少年たち。

 

 

 3人が話をする一方。リュシカはその目でマイカの頬が治ったのを確認すると、自分の『腫れ上がった頬』を手で抑え、涙声になって彼女に言った。

 

「……マイちゃん。ほっぺ、痛いよ」

「リュシカ……」

「大丈夫? ずっと……怖かったよね」

「! ……もう。あんたって子は」

 

 マイカは思わずリュシカを抱き締める。自分の痛みをすべて肩代わりしてくれた彼女に。

 

 痛かった、ではなく「怖かった」と言うリュシカ。マイカが隠していた気持ちは、いつだって彼女には筒抜けだ。それが気恥ずかしくて、マイカは抱き締めた腕に力を込める。

 

 本当に大丈夫だから。そんな気持ちを全身で伝え、安心させるために。

 

「い、痛いよ、マイちゃん……」

「変なこと言うからこれはお仕置き。……あのねリュシカ、本当に大丈夫だったのよ」

 

 抱き合ったまま、マイカは囁き声で話し込む。

 

「リュシカがね、あたしの痛みを肩代わりして、それをリュシカが『痛い』と感じても、あたしにとってはそんなの、痛くも痒くもなかったんだから」

「マイちゃん……それ、やせがまん」

「そんなことないわ」

「じ、じゃあ……」

 

 と、何か言いかけて口ごもるリュシカ。代わりにきょろきょろと、マイカの背中越しに誰かを見ようとして、

 

 いきなりマイカに鼻を摘まれ、顔を持ち上げられた。

 

「うぎゅ。ま、まいひゃん……」

「こーら。女同士の内緒話によそ見しない。……ほんと。リュシカが力使う程のことじゃなかったのよ」

「ひ、ひがうよ」

 

 喋り辛そうだったので摘んだ鼻が放される。するとリュシカは言った。

 

「マイちゃんがお顔腫らしたまま、ステージに立っちゃ駄目っ。みんなが心配しちゃう」

「あっ」

「私も、マイちゃんに綺麗にお化粧、できないよ。だから……」

「そう。……そうよね」

 

 本当に。なんでもわかってくれる。マイカにとってリュシカは、有り難い少女だった。今だって自分が大事にしていることに、忘れかけていたことを思い出させてくれる。

 

 

 あたしは、何のためにここまで来た?

 

 

 マイカの表情が引き締まる。リュシカから離れ、イレーネを呼ぶ。

 

「マイカ?」

「直ぐに出るわ。時間は? ステージの方はどうなってるの?」

「開始予定より25分も遅れているわ。今は楽団の皆だけで場を凌いでいる。観客の方は……」

「……」

「大丈夫。今日のライブに集まったのは生粋の《歌姫》ファンよ。不審に思われてるでしょうけど、少しの遅刻くらい何よ。みんな貴女の出番を期待して待っているわ」

「そう。……よかった」

 

 本当は気休めかも知れない。それでも安堵するマイカであるが。

 

「今からライブを始めても時間は……もう30分もないのね」

「残念だけど仕方ないわ」

 

 待ってくれたみんなには申し訳ないけど。気落ちする2人。

 

「30分? 歌の姫さんはさっき2時間借りてる、って言ってなかったか?」

「馬鹿。準備や観客を中に入れる時間に1時間使ってるのよ」

「このあとホールを使う予定はないから、館の人に頼めば利用時間の延長は可能だと思うけど……」

 

 追加料金を払うお金がないと言って、頭を悩ませるイレーネ。

 

「この前無理をして新曲用に新しいステージ衣装なんて作ったから」

「ご、ごめんなさい。イレーネさん、それ、私のせい」

「……リュシカ。別に貴女を責めているわけじゃ」

「で、でも。衣装つくる生地に高いの頼んだの、私……」

 

 しゅんとなるリュシカには、イレーネも強く言えないらしい。

 

「……今更言っても仕方ないわ。こうやって話してる時間ももったいないし、今日予定していた曲を大幅に削って構成を組み直し……」

「なあ。いくらかかるんだ?」

 

 再びアギが話に割り込む。「はっ」と振り返る彼女達。

 

「何ですって?」

「ステージの代金だよ。姫さんたちの予定を狂わせたのは俺達のせいでもあるんだ。迷惑料くらい払わせてくれ」

「アギ……そうだな。俺もここで全財産叩いたっていい」

「ありがたい申し出だけど。そうは言ってもね」

 

 学生たちの財布ともいえるCPクレジット・ポイントのカードを取り出すアギ達に対して、あまりいい顔をしないイレーネ。

 

「ここの学芸会館、女学院から近いけど割高なのよ。ホールだけじゃなくて照明とか設備も借りているし、2人で賄えるほど安くはないわ」

「だったら後払いしてもらえるよう交渉してくれよ。金くらいあとでユーマにでも頼めば、いくらでも融通を効かせてもらえる」

「なんですって?」

「エース資格者が受けてくる依頼や報酬は、学生ギルドの比じゃねぇんだよ。ほら」

「自分の所持金をみせるなんて感心しないわよ……って、!?」

 

 アギが見せたポイントの数字にイレーネは目を剥いた。その只ならぬ様子に何事かと覗きに来たマイカ、リュシカもまた驚く。

 

 最後にリュガもアギの所持金を知って愕然。

 

「さっ!」

「300万……」

「これ以上かかるって言うなら、俺からあいつに頭下げて頼んでくるから」

「じょ、冗談じゃないわ! 10万ちょっとあれば、ここなんて設備込みで1日貸切だってできるわよ!」

「……へ?」

 

 そんなもんか? と目を丸くするアギにイレーネほか少女達が絶句。

 

 このあたりの金銭感覚の違いが戦闘系と一般生徒、それに学校毎の特色にあると、全員が身を持って思い知ることになる。

 

 

 戦闘系の生徒は武具やブースターといった自分用の装備を揃えたり、整備するのに何かと費用がかかる。故に彼らは放課後、頻繁に学生ギルドへ通っては月に何万、人によっては何十万と稼いでくるのだ。

 

 1つ例を挙げるとリュガの大剣。これは市販の剣(*実はちょっとしたブランドもの)を《溶斬剣》に最適化するよう、錬金術で放熱効率の上昇と耐熱処理を施しているいわばセミオーダー。金額は80万ほどしている(*内訳は剣30万、錬金術50万)。リュガは1年生時にローンを組み、半年ほどで完済していた。

 

 当時彼が集中して学生ギルドに足を運んでいたことを鑑みても、月に13万以上稼いでいた計算になる。アギに至ってはエースの依頼を1回手伝っただけで現在の金額だ。

 

 これらの話は、奉仕活動や社会学習を除き基本的に学生ギルドに行くことが禁じられ、お小遣いを支給ポイントだけで遣り繰りして慎ましい暮らしを送るセイカ女学院の少女達にとって、羨ましい話だったといえる。

 

 

 理不尽だわ……、とイレーネ。アギが見せた金額は、彼女が資金繰りで常に四苦八苦している苦労を台無しにしてしまう威力があった。

 

 あと。実は大金持ちだったアギに文句があるのはリュガなわけで。

 

「……おい。最近妙に羽振りがいいと思ったら。ウマい話があるなら俺にも回せよ」

「ユーマに言え。でも命の保証はしねぇからな」

 

 超高度降下強襲のお誘いなんてもう2度と頼まれたってやらない。校舎の屋上に埋められるのも懲り懲りだ。

 

 アギが「傷害医療なんかの保障込みでこの額」と言えばリュガも黙り込む。

 

 むしろ同情された。

 

「アギ……」

「いくら貰おうが割に合わねぇんだよ。ほんと……」

「あんた、普段何してるの?」

 

 哀愁が漂いだせばマイカだってそう言いたくなる。

 

 ちなみにこの台詞。普段のアギやエイリーク達がユーマに言っているのと全く同じものである。

 

 妙な沈黙。イレーネが話を戻した。

 

 

「とにかく。そういうことなら貴方のお金、使わせてもらうわ」

「ああ。どうせ使い道がねぇんだ。遠慮無く使ってくれ」

「……贅沢な話ね」

 

 アギからカードを受け取ると、イレーネは思わず「これだけあればもっと大きな……」と、何やら怪しく呟きだした。大金を手にして夢が広がっているらしい。

 

「いくらなんでも、全額は勘弁してくれよ」

「わ、わかってるわ」

「これで遅れた分のステージの時間は確保できるわね。イレーネ、手続きの方はお願い。あたしは行くわ。リュシカも急いで」

「ま、まって」

 

 今にもステージへ向かおうとしたマイカを、リュシカが慌てて彼女の袖を掴んで止める。

 

「リュシカ?」

「マイちゃん。制服のまま、出るの? 衣装とお化粧は?」

「仕方ないわ。時間が惜しいの」

「だ、駄目だよマイちゃん。髪だってぼさぼさ……」

「リュシカの言う通りよ」

 

 これはイレーネ。

 

「1度鏡を見てきなさい。リュシカのおかげで腫れは引いたけど、天下の《歌姫》が酷い身なりで舞台にあがったら駄目よ」

「イレーネ。けど」

「それにあなた、踊る気もあるんでしょ? 制服は動き辛くてかなわない、っていつも言っているじゃない」

「それはっ」

 

 焦る気持ちはイレーネだってわかる。話し込んだせいで更に時間が経過している。

 

「楽器のみんなが場を持たせてるといっても、もう30分よ。いくらなんでも限界でしょ? だったらあたしが」

「わかってるわよ。だけど落ち着いて。他の曲ならまだしも『ブレイズ・ダンス』は無理よ。今日披露するはずだった新曲、あなた妥協して振り付け無しでやる気?」

「っ」

 

 言葉に詰まるマイカ。

 

 それは彼女が強い思い入れを込めた、特別な1曲。その初披露に妥協なんてできるはずがない。

 

 イレーネは言った。

 

「いい? みんなを待たせてる、迷惑をかけているのは私達みんながわかっている。でも、だからこそマイカ、《歌姫》には万全の状態で出て欲しいのよ」

「イレーネ……」

「焦らないで。彼らのおかげで時間は確保できるの。みんなあなたを待ってくれる。挽回はできるわ」

「あっ――」

 

 その時だった。

 

 イレーネの言葉にアギとリュガ、2人の方を振り向いた時。マイカの脳裏に閃いたものが浮かんだのは。

 

 名案だわ、と彼女。時間が惜しい深く考えもしていない。

 

 思い立ったが即行動。

 

 

「マイカ?」

「……リュシカ。準備に急いでどのくらいかかる? 化粧なんて簡単にでいいから」

「えっ? マイちゃんもお着替えしないといけないから……」

 

 じゅう、ごふん? と、急な問いかけに自信なさげに答える彼女。するとマイカは、

 

「わかったわ。なら10分以内でお願い。あたしもすぐ着替えるから」

「マイちゃん?」

「それとアギ、リュガ君。2人は先にステージに出て時間稼いで。10分よ」

「……は?」

 

 はあ!? マイカの思いつきに皆が唖然。

 

「な、何言って」

「わからない? 前座よ。ぜ、ん、ざ。お願いね」

「マイカさん!?」

 

 可愛く微笑まれても、いくらリュガだっていきなりのことに戸惑うしかない。

 

「前座か。間が持たないのは本当だし、それも1つの手かしら」

「委員長まで、何いってんだよ!」

「誰が委員長よ。……いいのねマイカ。今日のライブ、彼らにも命運を託すのよ」

「ええ。どう転んでも最後はあたしがひっくり返してみせるわ」

「……わかった。それでいきましょう」

「なっ」

 

 アギは耳を疑った。

 

 今日は不測の事態が多すぎた。イレーネはマイカを待つ間ずっと、責任者として極度の緊張を強いられていた。疲れてもいるようだ。

 

 溜息を1つ吐いて彼女は、「何もしないよりまし」とばかりに賭けに出る。

 

「マイカ。言い出したのはあなたよ。責任取れるわね?」

「もちろん。取るのは彼らだけど」

「ちょっと待て! 姫さん。いくら何でもお前、無理があるだろ」

「そんなことないわ。だってあなた達、芸人なんでしょ? 女装したりとかする」

「違ぇよ!?」

 

 ここに来てイタイ話を思い出された。

 

「ほら。あたし達ももう行くから。ステージはあっち。急いで場を暖めて頂戴」

「待て! いきなり舞台にあがれなんて、何しろっていうんだよ! 無理、無理だって」

「往生際が悪いわね。男でしょ?」

 

 だったら。マイカは愚図る2人に向けてリュシカを突き出す。

 

「ま、マイちゃん?」

「これをみなさい」

 

 自分が受けた痛みを引き受けてくれたリュシカ。

 

 マイカはその、彼女がぷっくり腫らした頬を見せつけるようにして2人に言うのだ。

 

 

「こんな可愛い子を傷物にしておきながら、何1つ責任取れないっていうの?」

「ぐっ」

 

 

 もう無茶苦茶だ。

 

 

 

 

 というわけで現在。

 

 

「……マジかよ」

「どうする。アギ」

 

 

 《バンダナ兄弟》in学芸会館。

 

 彼らはステージと言う名の、今日1番の窮地に立たされている。

 

 +++

 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ