1921年1月26日 東京某所
「今日は、どこに連れていくつもりだ」
思わず、声を出した私に、前を歩くラインの乙女は、まるで静かにというように人差し指を口に当てた。不服を表情に出す様に、眉を顰め、ううむと小声でかすかに発した瞬間。それを待っていたかのように、目の前を電灯の光が横切った。
それを見送り、内心に確かに感じる。ここは日本における、触れられざる場所。もしかしたら神域と言われるような場所かもしれない。知識がなくともわかる様に、周りの空気から違う。内なる声がこう告げる。引き返せ。お前は、ここまで識れたのだ。それを未来に生かすこともできる。これ以上深みにはまるような探求と冒険をやめ、飢え、貧したる国民に奉仕しろ。
一方で、こうも訴える自分がいる。進め。お前は、識ってしまった。故に。それを使わないといけない。使わざる智識などあるべきか。この先には、真実があるのならば、知識と冒険を続けろ。お前の道は、終わってなどいない。続いている。お前の探求はこれからだ。
すっと、無意識に息を吸った。得も知れないのにおい。それは、故郷で感じるものとは違う土の匂いだった。私は、後者を選んだのだ。この2週間、ラインの乙女のもとで、邪魔の入らない場所。そこで、様々な知識を吸収し、そして、整理する時間をもらった。
貴重な資料と、貴重な文献、そして、貴重な知見。それを得る権利を得た。
わかったのは、彼らは誤り。そして、われらも等しく誤ったということだった。
この世界大戦の起こる前から、いや、人類が生まれた瞬間から、彼らは存在した。神性を身に宿した、ヒーローとヴィラン。いや。超人たちだ。人間が、その線引きでただそう名称づけているに過ぎないそれは、まるで神のごとくをふるまうことを命じられた人間であった。
彼らは、人間に手を差し伸べることはあれど、人間同士の統治に手を差し伸べたり、それを阻害することはなかった。今まで、どんな人間同士の戦いが起きても、力ある彼らはその外に居続けた。干渉せず、降臨せず。ただ、見守り続けた。それは、まさしく神の所業にあった。それは、未来永劫に続いてほしい、輝かしき光景であった。誇りと秩序。理性と知性。観測と尊敬。それぞれの境界がそこにあった。そして、尊重するべきものは、すべてそこにはあった。
確かにあったのだ。
だが、それは、ただ一夜の夢に過ぎなかった。それは、はかない願望であったことは、今の人類。皆が知っている。
結果としてではあるが、彼らの希望も祈りも。我々が打ち砕いてしまった。そして、逆説的な定理ではあるものの、さらに打ち砕こうとしている。彼らは国家に組み込まれた。彼らの力を知ってしまった。愚かな行動により。彼らは、力ある彼らは。彼らとして歩まない時代を迎えてしまった。
それを成した人物はこの地球上でもっとも知られた人物だ。
今やパリのいや、フランスの英雄となったヒーローウルティマ。彼は、最も有名で、最も弱い超人。善きのほうの超人。ヒーローだ。そう、彼は、ヒーローだ。おそらくはその町の。そう、その彼が、かつての我々の前に立ちはだかった。パリの場末の酒場でくすぶっていた彼を見つけた。その時の彼らが思ったことは、想像に難くない。
武器を持った人間は、凶暴で軽薄になる。同じような人間が集まればなおさらだ。そして、戦時下。勝者はどのような非道も、赦される。そんな空気があった。
彼らは、勝利者の傲慢を見せつけるように、難癖をつけていつものように略奪を行おうとした。それが、ここを根城にしていたウルティマの逆鱗に触れた。
彼らの持つ小火器では、抵抗するウルティマを倒せなかった。だが、その視線は、店の中に移り、幼子を抱えた母親やこちらに敵対心を見せる市民を見た時、彼らは躊躇なくトリガーに手をかけた。それが、1915年。パリ虐殺の始まりだった。
そして、すべての歪みの始まりだった。その一発の銃弾が、戦場から離れていた傍観に徹していた超人たちを呼び寄せた。
1915年2月15日フランスにて パリ虐殺とウルティマの殺害を行った、ドイツ軍に対して、抗議の声が上がると。その声は、フランス全土に広がり各地で抗議活動が本格化した。ウルティマは、飲んだくれで荒くれものではあったものの、パリの下町では皆のヒーローであり、子供たちの憧れだった。それがいつしか、パリを代表するヒーローとなった。フランスのヒーロー連盟”エジット”は、彼のヒーローとしての努力を無にしたと、ドイツの超人同盟機関”ライン会議”に抗議が行われた。ただ、この訴えは、黙否され、デモの参加者に銃弾とガスが躊躇なく振舞われた。そして、ライン会議から帰ってきた返答は、フランスの超人たちの自尊心をひどく傷つける内容だった。
それは、事態の鎮静化を図るどころか、さらなる過激な抵抗を引き起こす。遂には、デモは、市民による武装蜂起へと姿を変え、各地で都市ゲリラ戦が展開された。それは、ドイツの考える中で最悪のシナリオであった。
1915年3月 フランス王室に、”エジット”の名のもとに、フランス各地の超人たちが集結。そこには、すでにヒーローもヴィランもなかった。彼らは、独自にドイツに対して宣戦布告を行い、フランス軍と共に戦列に加わることを決めた。ヒーローたちはすぐに戦場に向かい、ドイツ軍に手痛い一撃をふるまう。これに賛同するように、イギリス、ロシアにて、人間の戦争を傍観していた超人たちも参戦し、最新の技術と、かつてからの超人が入り混じる戦場と化す。
……
1916年2月 パリ奪還作戦『オリフラム作戦』の劇的な勝利を見た、すべての参戦国のヒーロー並びにヴィランが、自らの属する国の軍隊に付する形で参戦する。空を海を、大地を埋める戦場に超人たちが組み込まれたことで、戦場の常識と形態が大きく変化する。
そんな中、ドイツは大きく出遅れる行動をとってしまう。 のちに言う、ヴィルヘルム談話というものであり、国民議会から上がってきた、超人の戦場における活用についての法案を、ヴィルヘルム2世と貴族議会が否決した。それが始まりであった。ドイツは、ヒーローヴィランの参戦を国家として認めないという談話。これに端を発する政争より、4か月近く、ドイツの戦線は、大きく停滞……否、収縮していくことになる。
そして、4か月の後、ようやく超人が参戦決定しドイツ軍に組み込まれ、それからしばらく後、彼らが戦場に姿を現した時には。すべてが終わりに向かい駆け出していた。
事実上フランスとの戦いは、逆転の一手であった1917年の第二次マルヌ会戦がドイツ軍の完敗に終わったことで終わりを迎えた。
「ふっふ。合格よ。アドルフ・ヒトラー。よく、覚えたわね」
少しいら立ちを覚えたものの、ラインの乙女の言葉は正しい。目の前は、夜半の交代だろうか。警備が薄くなっている。
「さあ、行くわよ」
不意に駆けだしたラインの乙女の後ろについて、アドルフ・ヒトラーは駆け始めた。目的地の意味など知らない彼にとって、その瞬間に立ち止まり、考えるという選択肢はなかった。
その先は、日本最大の禁域にして、神域。
生と死、ハレとケ。そして、人と神を分ける場所。
”黄泉平坂”
すべての音が消え去る。その沈黙はまるでヒトラーを歓迎しているようにも感じた。
彼にとってのターニングポイントは、ここにあったのかもしれない。
本作における歴史的乖離点を、現実の史実と比較しながら整理する。
1.シュリーフェン・プランの部分的成功と戦局の転回
現実における1914年の西部戦線において、ドイツは「シュリーフェン・プラン」に基づきベルギーを経由してフランスへ侵攻し、迅速な包囲・制圧を企図した。しかし、第一次マルヌ会戦にてフランス・イギリス連合軍の反攻に遭い、同戦略は挫折し、以後の戦争は塹壕戦を中心とした長期的膠着状態へと移行する。
対して本作においては、第一次マルヌ会戦におけるドイツ軍の勝利を仮定しており、これによりパリ進撃が一時的ながらも実現されるという設定を採用している。ただし、戦略的勝利にもかかわらず、フランス軍の遅延戦術および防衛線構築によりドイツは決定的勝利を得るには至らず、フランス政府はボルドーへと退避する。この一連の流れは、短期決戦の成就というドイツ戦略の根幹を損ない、持久戦体制への移行を強いる結果となる。
2.オリフラム作戦と超人戦力の導入
続く仮想的展開として、本作では連合国側による反攻作戦「オリフラム作戦」が描かれる。本作における同作戦は、フランス陸軍がオルレアン方面から進軍、イギリス軍がカレーより上陸し、アミアンを開放することで南北よりパリを包囲する構想を基盤としている。これは連合国の二正面戦略による包囲戦術の応用と解釈できる。
本作の最大の架空要素として、「超人」と称される異能戦力の投入が挙げられる。これらは過去においては、通常の軍事技術体系に属さない存在であり、従来の兵器体系に依存した近代軍制では対処困難な戦闘力を有している。本作では、超人の戦場投入が戦術・戦略双方の均衡を破壊し、ドイツ軍に甚大な損耗を強いる要因として機能する。これにより、ドイツはオリフラム作戦開始から、わずか三ヶ月という短期間でパリの維持を断念するに至る。
3.情報戦と国民総動員体制の加速
また本作では、フランス国内における情報共有と伝令活動の急速な発展、すなわち通信インフラおよび人的情報網の徹底的動員が描かれている。国民の戦争参加が従来的な兵役義務にとどまらず、伝令・斥候といった任務にまで拡大され、国家全体が軍事組織の一部として機能する様態が提示されている。これは総力戦体制の極致的形態であり、情報戦の優劣が戦局を決定づけるという、近代戦以後の戦争観を反映している。
4. ヴィルヘルム談話
皇帝ヴィルヘルム二世が1915年、帝国平民議会にて行ったとされる通称「人間の戦争」談話である。
「人間の戦争は、人間の責任によって終わらせねばならぬ。」
この言葉は、超常兵力の導入を前に、人間の戦争観と倫理を擁護したものとして知られる。ドイツ軍上層部はこれを受け、超人戦力の投入に消極的な姿勢を取り続けたとされる。
この談話は戦後、連合国、とりわけフランスにおいて「偽善的な人道主義」として激しく糾弾され、ドイツ降伏後の皇帝の退位・亡命の一因ともなった。オランダ亡命先のドールンにて、ヴィルヘルム二世は記者に次のように語っている。
「私は、すぐに戦場は人間の手に戻ると信じていた。フランスの怒りを甘く見たのは事実だ。だが、あの談話が“罪”だと言われるのは、あまりに理不尽だと思っている。」
皮肉にも、その後の歴史において超人たちの暴走や暴発が相次ぎ発生する中で、この談話は時おり再評価されるようになる。「力」を拒むことは、必ずしも臆病や偽善ではない──そうした解釈も静かに芽生え始めていた。