1921年 4月不明
「で、これがあなたが考えたシナリオかしら」
もうすぐこの列車はベルリンにつくだろう。ここまで、一切の会話がなかった戦乙女が、対面で、不満かつ不遜な表情を見せるのを目に収め。それを良しとしたように、アドルフ・ヒトラーは頷いた。
「ああ、そうだ。
君からしてみたら稚拙に過ぎない。
その感想を持つことは理解できる。
それもしたかたない。
だが、私としては、三日三晩寝ずに書いたものだからな。そこは理解していいただきたいと思うよ。
芸術家は被創造物に対しては、貴女が思う以上に執着と愛情を持って挑んでいるのだからな」
おどけたふりをするアドルフ・ヒトラーを、アメリカ製の最新鋭のサングラスの下から、戦乙女視線を向けた。きっとその目は、アドルフ・ヒトラーを睨みつけていたのだろう。だが、凍りついた空気は、そのままの姿で収まり、顕現化することはなかった。
「あなたには、感謝している。先の戦いでも、あなたは、私に自由な行動を許してくれた」
「自由……な行動か。
それは、結果論だ。
私としては、あなたから、結果論を語られてもただただに。ああ。そうだな。まあ、・・・・・・困る。私の知らずに行ったことが、結果として、自由を推し進めた。その結果あなたは為し。そして、私は何も知らなかった。
そのことは」
「そのことは、すまないと思っている。アドルフ・ヒトラー伍長。私は、もっとあなたと語り合うべきだった。今も。過去も。
死して幸運にも敬たる大叔父と語り合った後も。
そして、死する前にアドルフ・ヒトラー。あなたに伝えられなかった前も。」
思わずに謝罪のこの場を出した、戦乙女。それに対しアドルフ・ヒトラーが向ける視線。それは、彼からは不釣り合いなほどな寛容さをも感じさせる。それを戦乙女に感じさせるほどに、慈愛を感じさせるものだった。
「シェリーフェンプラン。私には、何も知らなかった。そして、私は、何も知らなかった。」
「ええ。そう。あなたは手駒だった。だから知る必要などなかった。アドルフ・ヒトラー。皆がそう扱っていたように。あなたも……その時は、そうだった。」
返した言葉が以下に冷酷な事実を告げていようとも、もはやそれが、アドルフ・ヒトラーの死したる過去の矜恃を揺るがすことはなかった。それは、戦乙女に、さるケルトの神が持つとされる泉のように気付きを与える。
ただ与えられた啓示が明らかにするものは、ただただに、かの戦乙女に対して残酷なものであった。
彼は、なそうとしている。彼は、なろうとしている。だが、彼は、失わなかった。そして、彼はそれを決断した。戦乙女はそれを悟り。そして、受授した。
祀られるべきもの。祀る者。その言葉を。
生まれて初めての、訓えとして受授した。
「故に、過去を問うことはしない。
そして、過去の行いがどのような道をたどり、この運命律へ繋がっているとしても、我らにの間には、もはや隠すべきものなど存在し得ない。」
アドルフ・ヒトラーの言葉に、戦乙女は頷いた。
咲いたのだ。地を砕き、海を割り、空を裂き。咲いた。咲いた。
ただ一凛。ここに咲いた。
言葉を失うのは、戦乙女のほうだった。
彼は、学ぶ以上に苦しみ、憧れる以上に悔やんだ。
そっと、サングラスの奥の瞼を閉じた。神託に見える景色は同じ。だが、それこそが。おそらくそのことこそ。
「後悔はしないな」
出した言葉にすぐに応えはでる。
「ああ。もちろんだ。すぐにでも、地図に向かいたい。すぐにでも筆を走らせたい。そのつもりだ。
君とて。そうだろう。」
ああ。と、口の奥で、返す。自然と口角が上がるのを感じた。いつ以来だろう。
ヒルデは、思い出していた。
ああ、そうだ。この胸の高鳴りは、大叔父様。アルフレート・フォン・シェリーフェン。
アルフレート大叔父様との机上戦術論議。初めて僅差に持ち込んだ時だっただろう。僅差。結局勝てなかった私を撫でてくれたその大きな手。だからこそ、憧れた。だからこそ、励めた。
ベッドから起きれなかった大叔父様に、ベルリン大学に首席で入学できたときも、戦術論で散々に男性優等生たちを打ち負かした。それでも、大叔父様に届かなかった。
ずっと大叔父様の心に届かなかった。だから、大叔父様は。死を選ばないといけなかった。
違う。ずっと間違えていた。私ではなかったのだ。気が付いたときには手遅れだった。
伝える間もなく、尊敬する、偉大なる大叔父様はヴァルハラへ召された。
私は、最期まで間違いに気が付けなかった。
今だからこそ分かった。これが、私に求められていたものだった。そう、私の間違いはいま、この淦の網膜を透し観るそこにあった。
それだけ。それだけの真実が解ったから。だからこそ、それだけで、私は十分だ。
だからこそ、貴方は。貴方、アドルフ・ヒトラー。あなたはそうはならない。そうはさせない。
あなたは、確かに継承した。人々の願いを、想いを、祈りを。
貴方は背負ってしまった。
理想を。
神秘を。
貴方の現実をそれが蝕むだろう。いずれそれは、あなたの理想の死体を啄むだろう。
その時が来るまでの間、必ず訪れるその時までの間――。
「さて、着いたようだ。我らの精霊。」
「ああ、そうだな」
ベルリン駅の朽ち果てたホームに特注の汽車が顕れる。汽笛が鳴る。汽笛が鳴る。福音がごとく、汽笛が鳴る。待ち人へ告げる、汽笛が鳴る。
「お、来た来た。みんな、来たぞ!!俺らの親父様のご帰還だ」
この日、終わりを向けて突き進むかの地に、父と精霊が帰還する。子は、父の帰還に這蛇の涙を流すだろう。
彼らが奉仕する神の御姿のように。
出会う。
約束された荒野に、父と子と精霊が集う。
この再会からすべてが始まった。
ドイツ国民基金は、敵対するすべてを打破し、ドイツの勢力を一つにまとめた。
黄金の穂が織りなす天秤は、国民に深く浸透した。穂から生まれた黄金の種子。それが作り出した、パンとエールは飢餓と貧困にあえぎ、敗北と絶望に屈し、自己批判と否定的な逃亡に染まりつつあったドイツに確かな寄る辺を作り上げた。ドイツ国民であろうとしたものは、そこに縋り、それを取り込み、それに成った。
1923年。アドルフ・ヒトラーは、その結末を見届けて、自らが総統となる政治団体。”ドイツ国民党”を作り上げた。
後世において語られる、独裁者や虐殺者が存在する。その多くが、歴史の表舞台に上がるときから、独裁者や虐殺者として現れるものはいない。多くのものは英雄や人格的指導者として歴史に現れる。
彼もそうだった。この当時の彼の評価は、後世の歴史研究者が上げるような独善的で破局的な独裁者でも、宗教的な虐殺者でもなかった。
1923年ナチスが結党されたものの、国内の反ナチス運動を止められず、1925年、ハンブルクとブレーメンといった重要都市を反ナチス派組織に占拠され、閉鎖しかできなかった戦術的な弱者。そして、時勢が超人を利用したランドウォーシップ戦術に舵を切る中で、自国に残されていた超人連盟組織のライン同盟の大幅な粛清を行い自らの戦力を割いたもの。
1928年時点では、アドルフ・ヒトラー率いるドイツ国民党は『理想主義的な平和主義者』とされ、次のグレートウォーにて敗者となることが約束された存在とみなされた。
列強は皆、この指導者の誕生を歓び、そして、迎え入れた。
それこそが、ヨーロッパの命運と未来が定まった瞬間であった。
これにて、終末記 1921本編は簡潔になりますが、後日談と裏話的なエピソードを少しだけ、後日追加したいと思います。
お読みいただきありがとうございました。




