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間章 1921年1月26日 イギリス 某所

 闇が、視界を覆う。


 視界の先に浮かぶ闇の源。それは鉄の残骸……になったもの。それが悠々と空を飛んでいる。


「ずいぶんと、小洒落たショーだな。空飛ぶ戦車とは。

 陸軍にしては実にジョークが効いている」


 そう、呟くと葉巻をゆっくりと口から離した。目の前に広がるのは、戦車の底。そこに口から煙を吐く。

 それが効いたのだろうか。戦車は目の前で動きを止めた。悠然と葉巻を咥えなおす。やがて、観客席のはるか後方で、衝撃の音が大気を裂いた。それを確認して、葉巻をゆっくりと安住の地へと導く。


「か、閣下!大丈夫ですか!」


 小うるさい蠅共が寄ってくるが、私は、それに対して左手を上げて答えた。


「ああ、なんともない。ここにこうして私とこの葉巻。しっかりと役割を果たしている。対する、君らは、大丈夫かね?」


「あ、は、はい。大事はございません。閣下に大事がなくて幸いでございました」


 そうかと、口の中でつぶやくと視線を先ほどまでの演習場に戻した。その視線の先には、大柄な男が立ちふさがっている。わが国に属する超人連盟機関『石の円卓』より、わが軍に志望してきた超人。パンチマンやエアローズとはまた毛食の違う超人だった。彼は、私に臆することなくその強い視線を向けている。

 小うるさい蠅は、肩にかかった泥や砂を叩き落とすのに必死で、私の向けている相手に気が付いていないようだった。内心でふぅっと大きなため息が出る。


「ああ、君。」


 蠅が動きを止めた。驚いた顔を見せているに違いないが、それには興味もない。


「彼の名は?」


「ええ、かれは、モスト。パワー型の超人であります。今見ていただいた通り、Ⅵ型改良戦車の突撃を受けてもびくともしない非常にタフネスでパワフルな超人であります。

 現在進行中のプランにも十分に耐えうる能力を持っていることを、私は保証します。」


 値踏みするような視線に気が付いたのだろうか、モストは、古式な敬礼をとった。私は、それに、現在の海軍式の返令にて応じる。そのまま、背を向けると演習場から立ち去る。それを確認した私は、そっと視線を変えた。視線の先の我らが主は悠然とそこに佇んでいたが、閉じた扇からは明らかな怒り……否、違和感が見て取れた。

 主の様子がこれでは……午後の紅茶は、おそらく、記憶に残るほどの味になることは確実だろう。まあ、自らが味わうわけではない。だが、それを味わうものの表情を見るのも仕事のうちさ。と考えをまとめた時だった。


「いや、我らの栄光ある陸軍に、これだけの超人がいれば。未来のグレートウォーも、我々の勝利に終わりそうですね」


 能天気な蠅はロイヤル・オペラ・ハウスの舞台に上がる役者のように演技がかった声で、上機嫌に口から出した。それが本心であるかどうかなどはもはや関係はないことだった。私は、ゆっくりと立ち上がる。そろそろ、次の予定の時間だ。


「そうだな。()()、勝利するかもしれない。

 だが……。


 そう言えば、貴君は知っているか?東方の言葉にこのようなものがある。

 勝利と敗北は双子のごとし。

 君には、この光景はどちらに見える」


 私は、その耳障りな羽音の元にそう告げると、一度、わが主を仰ぎ見た。その視線を受け、臣下の礼を取る。


「次があるのならば、答えを考えておくように」


 きょとんとした表情を浮かべる小蠅に一言声をかけると、部下の待つ方へ身を向けた。視線の先には、横転した新型戦車と、そこから必死に這い出ようとする兵士たち、それに助力する兵士たちの姿が見て取れた。

 

 これが勝利であるというのならば、今から得ようとしている勝利は、実に空虚なものになるだろう。

 先ほどの言葉を反芻するように、皮肉気に口の中でつぶやく。

 

 その場所に、本来であれば、我らを助けるはずである超人の姿を見出すことはできなかった。



 視線をそらし、前を見据える。私を、迎えるべく扉が開く。暗闇が心地よく迎えてくれていた。



 1899年某日 上海英国租界


「いたか?」


「いや、こっちにはいない」


 探されているのは自分だ。

「おひとりですか。あまりいい格好で歩き回るのは。お勧めしません。まあ、最近の治安はそういうものですから。良い滞在を」

 そんなことはないと高をくくっていた。自分を迎え入れたのは、混沌の世界だった。


「イギリス人だ。殺せ」


「俺たちの自由を、俺たちの国家を取り戻すんだ。領事館を襲撃する(に向かう)ぞ!」


「女王は逃した。だが、ロイヤルはまだいる。見つけ出して。確保するんだ。清王朝万歳!!」


 通りを、たいまつと思い思いの武器を持った民衆が徒党を組みながら歩いている。ゴミ箱の陰に隠れてやり過ごす。暗闇の中、自分の心音と呼吸の音だけが、自分が確かにまだ生きている根拠で、死んだことに対する反証だった。空いた手で、ナイフの柄を握り締める。小さな刃一つでは何も守れないことは十分に知っている。

 だからこそ、その感触こそが、最も必要なこと。

 通りを進む群衆は途絶えることなく、一か所を目指している。おそらくは、我が国の総領事館。あれだけの群衆に襲われれば、長くはもたない。


「おめえ……イギリス人か?」


 群衆に目を奪われすぎた。気が付くはずもなく、目の前にいたそれが視界に入る。それは、醜悪な笑みを浮かべていた。ぞっとする笑み。こいつは……。


「人狩り――ほぅだぃ……だぁ」


 汚らしい身なり、そして、醜悪な笑み(穢らわしい笑み)、黄色い歯、白い舌。臭い息。そして、左手が天高く掲げられた。

 超人だ。しかもヴィラン。勝てるわけなどない。勝てないと知りながらも、右手のナイフに力を籠める。

 それを見たそれは、確かに哂った。大きく掲げられた左手が自分に向けてふるわれる。

 

 その瞬間だった。左手が空を飛んだ。


「ずぁまずるなぁ」


 そいつが右手を掲げる。それは、左手と同じ運命をたどる。ただの肉塊となり、血の霧に変わる。次の瞬間、それが、首に斬撃が生まれる。


「おどれぇ どくがぁ」


 それが、吹き出す血が裏路地を染める。そのまま。驚くべき跳躍で屋根の上に飛び移る。不幸中の幸いなのか、それを群衆に聞こえたようではなかった。

 改めて視界を下げると、それは、あのヴィランの血だまりの中にただ悠然と立っていた。見たこともない、怒りに満ち角が生えた白い奇怪な面は血に染まり、その面の下の双眸はこちらを捕らえていることを疑う余地などあろうはずもなかった。

 その光景から心にまれ行くものは、どこまでもおぞましく、そうでありながらも安堵すら覚えるものだった。


「立てるか?」


 その奇怪な人物が、声を出した。うなづき。立ち上がる。すると、その奇怪な面に隠れていた面々が視界に入る。翁、老婆、醜女……様々な面に面立ちを隠したものたちが、闇の中にいた。


「仮面舞踏会か?できれば、俺も交えて欲しかった」


「それだけのジョークが飛ばせるのならば十分。地図。解るわね。」


 醜女の面の下から、きれいな声が聞こえた。ここ一か月で覚えた英国租界の地図だ。それを見ると、赤い丸が書かれている。記憶が正しければ、そこは、危険な場所だ。

 九龍寺。

 そこは、個々の事情に詳しくないものでも知っている。反骨の寺だ。明に逆らい、清に逆らい、そして、新たな支配者である我らにも逆らう。徹底した反骨。徹底した反抗を掲げる寺。

 自分の驚きに気が付いていたのだろう。彼の醜女の面の女性は、すっと人差し指を唇の前に当てた。その意味に気が付き、大きな声を出そうなどとしていた。自らを恥じた。うなづくと。うなづいた。

 闇に紛れるように逃げ出す。心と、足は確かに自分のものになっていた。


 

 そこに、逃げ込んだのは、まだ闇が友だったからか、それとも、ただ単に運がよかったからか。九龍寺には、偶然にも誰もいなかった。ゆっくりと門をくぐる。月明りに浮かぶのは、抉れた地面と徹底的な破壊を受けたのであろう、木人の数。それは、ここにきてから見たこともない数のものだった。

 つぶされ、割たれ、そして、切り刻まれ、刻み切られたそれ。それは、動くことなどないということ。それを知っていても、知ってはいても。思わず、避けたくなるような空気はあった。本殿にただ行くだけだならば、わずか、数十歩といったところだろう。だが、それに気が付けば。十分に大回り。それも、危機の回避には必要なもの。そうだと、自らに言い聞かせる。


「ここにいるのは、人形(ドール・)嗜虐癖(サディスティック)のあるやつだ。そうだろう。ここは危険だ」


 ゆっくりと外壁を回ると、そのまま、床下に入る。おそらく避難しているものたちが集まっているはずの本堂に入らなかった理由。それを説明することは、今の私でも難しい。

 もしかしたら、パリ万博で見た忍者の真似事でもやってみたかったのかもしれない。だが、その当時の私は、そのことを解していたなどとは思わない。ただ、状況に反して無性に心躍る気分だったのは間違いないことだろう。


 床の上から光が漏れている。ここから上がれそうだ。そう思いあげた床板に、あんなものがあるなど。

 今でも、想像などしていなかった。いまでも、あの光景が見せたものには、大いに疑問符がわく。そして、考え込むこともある。

 淦い部屋だった。

 壁には、杭に打たれた紫と金の衣のかかる。淦い部屋だった。

 衣は、羽織る者もないのに、威容を醸し出す。部屋に金色が漂っていた。金色と淦色交わる光に満。淦い部屋だった。


 思わず、床下から立ち上がる。触れなければならない。その焦燥感に心が焼かれる。その感じたことのない使命感に心が魅入られる。右手を上げる。煌々としたそれが、恍惚とした感情を送ってくる。


 触れた。


 その瞬間、私の心は、恍惚に占拠されていた。そして、幻視した(見えた)

 

 地に2つの龍。阻むものなく大地を走り行くを観える。

 不意に、押さえつけられる。天に大いなる皇の姿。皇をもって、天帝より授かり、皇帝となす。

 だが、2つの龍は皇帝に抗い、やがて短き時間の中でその力が弱まった時に、暴れ、壊し……それを屠った。


 それは、自分の見た幻視だったのか、彼の無念の再演だったのか。それは解らない。そして、それを知るすべなどあろうはずもない。

 ただ、幻視に飲まれたこの身に、触れるものがあった。

「破っ」

 まるで、糸の切れた人形のように崩れ落ちる自分の目に飛び込んできたのは、黒い胴着に身を包んだ。大男だった。疲れか、それとも、それ以外の要因なのかは定かではないが、自分の意識が深いところに堕ちていったのは、よく理解している。しかし、その幻視から見えたもの。それが、深く心に焼き付いたことは疑いようのないものだった。


 翌朝、目を覚ました時、最初に姿を見たのは方丈であった。


「2つの龍を見たか」

 

 確信のように告げられた言葉に思わずうなづく。方丈はそうかとだけ口にすると、ゆっくりと立ち上がった。


「お前には、役割があるようだな。未来につながる重き、重き役割だ。観えたのならば、ここに留まり、時が来るまで好きにするといい。私がいるとなれば、おいそれと誰とて手出しはできぬだろう」


 戸を開き方丈が出ていく。自分が見たものに対する説明はなかったものの、未来という言葉。今まで何とも思っていなかったそれは、非常に大きなとげのように心に刺さり残るものになった。


 それから、1週間、私は安全が確保されるまでその寺に身柄を預けられた。

 方丈は、多くを語らなかった。しかし、夜稽古をしている際に、周囲で暴動があったため、安全を確保するために外出していたらしい。

 1週間。様々なものを吸収し、様々なものを見た。寺に滞在中は古い書物に触れる機会を与えられ、それを見ながら、横目であの中庭で木人が宙を舞うのを見て、方丈の言葉に嘘がなかったことを悟ったり、わずかな時間だが、近くの住民と触れ合う機会もあった。

 だが、方丈は気さくな方だったが、多くは語らず、そして、自分も多くを聞けなかった。


 1週間後、安全宣言が出され、出立の準備をしていると、彼が来た。


「旧き友人より、子息のことを頼まれていた。まあ、まさかこんなところで会えるとは思ってもみなかったがな」


 かつて、政争に負け失脚した父のもとに来たことのある紳士だった。ただ違うことは、今の彼は、紳士であって、紳士ではない。その風貌と装いから、血と鉄と謀略の匂いが漂ってくるようだった。


「日本と徳川の反乱分子に、ロシアのテロリスト、我が国の分断主義者。さらには無辜な群衆までたきつけるとは全く相手(プロイセン)の思慮謀略には恐れ入る。」


 考えが読まれたのだろうか、紳士は、笑みを浮かべながら懐に手を入れた。手にあったのは、逆光になっていたが、黒い一本の棒。


「勇気に免じて一本やるか?」


 ここ上海では、いまだにアヘンが流行っていて、現地民から渡される葉巻には手を出さないようにと達しが出ているほどだった。

 そして、このころの私は、若さというものもあったのだろうが、葉巻に苦い思い出があり、そこまで好んで吸うものではなかった。だが、不意に渡されたそれをゆっくりと口に運ぶ。吸い口は、すでにカットしてあり、口に当てると、すぐに紳士はマッチを擦って、葉巻に火をつけた。


 最初の一口は苦かったのをよく覚えている。


 せき込む私に、彼は笑った。


「その煙は宿命そのものだ。青年。見込みがあるな。未来について学び、未来を守ることを誓うか」


「宿命か。

 そして、是非にでも学ばせてほしい」


 男の手を取った。


「ウィンストン・チャーチル」


「マンスフィールド・スミス・カミング。ようこそ英国情報部へ。歓迎する」



 1921年1月26日 イギリス某所


 ゴトンっと石畳に馬車がはねる。その衝撃が伝わると、ゆっくりと瞼を開いた。目の前に掛けているのは執事。


「どれくらい眠っていた」


「さあ。よくお眠りでしたのでお声をかけませんでした。」


 執事の声に、一度消した葉巻に火をつける。


戦場(ロンドン)に帰ってきたというわけだな。いい目覚ましであった」


 ゆっくりと葉巻を口に運ぶ。脳裏には、焼き付いた幻視が見えている。

 事態は、その通りに進みつつあり、ヨーロッパは、超人がもたらす緊張の均衡という安易な安寧に縋りつきつつある。その先にあるのは、均衡が破れた先にある破局的な未来だ。

 そっと馬車の窓を開ける。窓の外には、ロンドン塔が見える。彼の居城であったそこに、彼がいたのならば、どのように考えたであろう。そして、だれにどのように命じただろうか。

 すでに、人の上に立つ身になった己の身では考えることもできないことだろう。


「人はその場において、為すべきことを為すしかできないということか」


 皮肉気に呟いたその言葉は、霧深いロンドンの町に吸い込まれ消えた。

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