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1921年2月28日 横浜港

 その建物の威容から、横浜の女王とも称される横浜入国管理局は、思いもしない来客を迎えていた。

 女王をもてなす者が、右往左往する中で、見定めるものは、自らの認識が誤りであったと、認めざるおえなかった。


「ドイツ国民基金 創設者兼代表……アドルフ・ヒトラーで、間違いないですか」


「ああ、そうだ。私は、日本での目的を達した。故に出国する。ドイツに帰りを待つ者たちがいる。」


 それは、1か月半前の同じ男とは思えないほどに……自信にあふれていた。


「こちらを。」


 出国許可証。外務省の公印も押印してある。職務において、よく見る公印ではある。ただ、それは、長い管理官生活において、初めて感じた違和感でもあった。見る、触れる。行員に対して、赦される行為を最大限行っても、真正だと判断できるそれ。それでも、意識の一部は、印が偽だと告げていた。

 

「入国は、探求とありましたが、見つかりましたか」


 言をそらし、公印を他者の目に移す。複数であれば。何か感じ得るものがあるかもしれない。そういう一途な思いに身をゆだねる。


「ええ。確かに見つかりました。重要なものが。」


「そうでしたか、それは良かったです。で、具体的に何かは」


 目の前のアドルフ・ヒトラーは肩をすくめた。何も話すことはないのだろう。部下が耳打ちする。真正と。疑惑は深まる。ここで逃したらならないと警鐘が成る。

 逃せば、この男は、何かを成し得る。何かを成す大器の片鱗。それを感じたではないか。アドルフ・ヒトラーは、そんな入国審査官に背を向けた。

 ふと感じたのは、なぜか、あの日の父の背中だった。


 父は、戦えない人間だった。いや、戦わない人間だった。

 みな、口をそろえてそういった。

 若かりし頃に、新選組に憧れて、誰からとも仕入れた怪しげな情報のままに、薩摩屋敷に殴りこもうと血気盛んな時期が父にもあったらしい。だが、父はその当時、何とか市中改めの手伝いをしながら、食い扶持をつないでいたところで、刀も半分質に入っていたらしい。

 情けない父は情けないなりに、竹を成型すると糊を伸ばして銀紙を張った。それは、すでに失墜した武士の本質としてのものか、それとも情けない父なりに虚勢を張りたかったのか、それは、最後まで教えてはもらえなかった。

 父は、そのあとのことを多くは語らなかった。ただ、2人の剣の鬼がいた、刀を持ったものは、すべからく沈んだ。とだけ、いいたいしてうまそうでもない酒をあおるのだった。


 父は、時流を見る目がなかった。大帝陛下が江戸と呼ばれた東京に遷りなられて、慶喜公についていかずに、日本に残った士族たちは、日々不平を高めていった。ついには、九州の雄、明治三傑の一人、南洲翁、西郷隆盛がその不平士族をまとめ上げて、鹿児島にて挙兵した。

 報を聞いた大阪の街は蜂の巣をつついたような大騒ぎになり、不平士族たちは、我先にと鹿児島にはせ参じた。

 父は、動かなかった。


 ただ、大事にしていた刀を二束三文で売り飛ばすと、士族救済のために設けられた法律にのっとり、一時金を受け取り、それを日本鉄道に投資し、残ったお金で幼い私たちと共に東京へと移り住んだ。


 ほどなくして、薩軍が敗れ、南洲翁、西郷隆盛は上海に亡命したと速報が入った。父は何も言わなかった。父は堅実に暮らしながら、私たちに学を治めることの重要さを説いた。中学に進学し、高校へと進み、そして、大学を卒業したとき、父は亡くなった。

 手放したと思っていた、包丁正宗。それを腹に突き立てての自害だった。


「老いてなお 瞼を焦がす 淦の海」


 父は、何かを見たのだろう。だが、死ねなかった。その理由が知りたいと思い、英国の大学の門をたたいたが、得られるものなどありようはずもなく、ただ時間だけを過ごしこうして、何かの理由を付けて日銭を稼いでいる。



 だが、彼は得たのだろう。



 役人としての私と、私人としての私が、己の中で戦っている。役人としての私は、彼を行かせるべきではないと考えている。彼は、何らかの大きな仕組みを動かす最初の部品だ。彼を通せば、何かが起こる。だが、それを推し進めているのは、体の中の違和感。長い経験からくる違和感だけだ。

 これだけの地位にありながら、なぜ、最初にそれを出さなかった。

 なぜ、一般旅客として上陸した。

 なぜ、2か月の間、市警に呼び止められ、パスポートに触れられた形跡がない。


 なぜ。なぜ。なぜ。

 疑問は尽きることなくわいてくる。


 

 その一方で、私人の私は、瞳を通して、2か月前に、目の前の大器になると自ら称したものを見ていた。彼の背中に感じたのは、あの日の朝、父が2本の刀を持ち長屋を出ていくときの姿だった。

 もう、戻らないだろう。そう幼心に感じた父は、陽が落ちる前に戻ってきた。手には米と味噌、そして、大八車に野菜と肉を積んでいた。

 父は、臆病がゆえに誇りを売った。そう感じたのは、幼いからだったからだろう。

 父が後に見せた、死よりも、その瞬間父を感じた。


 その雰囲気が彼にはあった。

 私は、『忌避也』と部下に渡すべく書きかけた紙を、そっと丸めとごみかごに捨て、彼の書類に再度向き合った。おそらく、神経質なのだろう、丁寧な文字は見落としを許さない正確さを持って私の視覚を支配した。


 何を見つけたのか、何を得たのか。それを聞くことは野暮というものだろう。


「見つけたものは、有効に使えそうですか」


 何気なしに私はそう聞くことにした。彼が振り返る。確かに、淦きの金色の光が陽の光に交じって見えた。それは不思議な感触ではあった。


「ええ。とても重要なことを思い出したのです。結果として、私たちは私たちの中にしか答えを持たないということを。それを阻むことは自らを阻害する行為である。それを改めて発見した。答えとは、誰かに教えられて見出すものではない。

 貴方が最初に言ったように、お互いに同じ思いが見えたのではないでしょうか」


 それは、なぜ見えたのかは解らない。確かに彼の振るう手の先にが赤く焼け果てた見慣れた街並みが映ったように見えた。

 だが、それは、寒々しさよりも、むしろ夜明けを感じさせるような荘厳さに包まれていた。

 おそらく、父も同じものを見たのだろう。紅く焼け果てた先にしか、見れない未来がある。父は、それを見届けるために生き、それを超えさせるために、私たちを生かした。

 そして、それを成した時自らの命と引き換えに、託した。

 だから、父の託した答えなど見つかるはずもない。

 きっと、このアドルフ・ヒトラーなる大人もそうするのだろう。疲れ、壊れ切ったドイツを彼が変える。それを待ちわびる者たちがきっといる。自らの父がそうしたように、彼もそうなのだろう。

 それは、わずかな刹那の幻が見せた黎明の光に過ぎなかったが、私の心を日常に引き戻すのには十分すぎた。


「そう感じられたのならば、幸いです。貴公の旅路に幸運のあらんことを」


「あなたにも」


 お互いに社交儀礼的な挨拶をかわし、アドルフ・ヒトラーが審査室を出ていく。私は、最後の不穏さから見えた不安を押し流す様に乾いた喉に冷たい水を流し込むと、次の待機者の日常と未来を見定めるために入室を促すのであった。



 ゆっくりとした足取りで、タラップへと進む。平和になった港から、淦色の黄金が、狂信と狂気をまとい戦火の聖火となって欧州へ帰還する。

 陽光は、それすらも祝福するように照り続けていた。



 船は3日後の未明、上海に接岸した。ここで彼は船より降りた。その記録を最後にして、彼は上海の薄暗い雑踏へと姿をくらませた。再び、ドイツで姿を現すまでの足取りには、彼の日本滞在の真偽がそうであるように、今も推測の域を出ない。

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