間章4 第二次ランス攻略戦 第二次ヤルヌ会戦(1918年2月~)
第二次ランス攻略戦
「奇跡は起こらなかった」 ~あるドイツ軍兵士~
「ああ、主よ。ドイツを滅ぼせる機会を与えていただいたこと。心より感謝いたします」 ~あるフランス軍兵士~
1918年1月 再編・最適化されたドイツ軍は、50万の大軍をもって、ライン川を渡河。再びフランス国内に進軍を開始した。その初期の進撃の勢いはすさまじく、メッスは抵抗の上で降伏。次なる目標は、大戦初期にて奇跡的な大勝利を収めたランスと定められた。
1918年2月11日 ドイツ軍先遣隊、ランス南側に到達。ドイツ軍内では、先の第一次ランス攻略戦の結果を分析し、ランスは10日ほどで陥落するとみなされた。今後の作戦の為に、自軍の消耗を抑えることが求められ、戦力を随時投入する作戦がとられることになった。
1918年2月16日 降伏勧告を正式にフランス軍が拒否したことで、ドイツ軍は、ランスに対して大規模な攻撃を開始。ここに、第二次ランス攻略戦が始まった。
補遺1:フランス軍によるランスの近代要塞化について
フランス軍は、オリフラム作戦後に再度この都市が戦場になることを予見していました。1914年にわずか10日で陥落した第一次ランス攻略戦の反省を踏まえ、ランスをドイツからパリを護る盾として再び機能するように入念な準備を行ってきました。
主だったものとして、以下のものが行われました。
・住民登録の正常化
・伝令体勢・電信網の見直し
・都市の強固化
この行動中に、前回の戦闘に関与していたドイツ兵の一部を捕虜とすることで、第一次ランス攻略戦における作戦構造と部隊編成の一端が明らかとなった。ただし、この時点でも、フランス軍は、ヒルデ特務上等兵の戦死は確認しておらず、その影に怯える防衛隊の心理が語り草となっている。
「ああ、ここに彼女がいないことだけを願うよ」 ~あるフランス軍情報将校~
「我々は、あの日。多くのものを失った。兵士たちの命、都市の誇り。
そして、私の上官だ。
だから取り戻す。再びこの地が戦場になった時に。
その時こそ勝利を飾れるように」
~オリフラム作戦後に行われたランス再興計画を語るフランス軍東部方面指揮官代行~
1918年4月初旬 徐々に抵抗は減少するものの、ランス攻略戦の長期化を受け、ドイツ軍内は焦燥感に駆られていたことが、様々な資料から見えます。
そんな折、「フランス軍はランスを破棄、パリに向けて撤退を開始する」とフランス軍の捕虜から情報を取得。ドイツ軍司令部は、すでに、フランス軍の状況は、壊走的な撤退にあり、ランスの抵抗は、破棄に反対する部隊が独自に行っていると判断。その情報を信用することにします。
ここでドイツ軍は、残存する兵力を分割し、5万を残存兵力の掃討用にランスに残し、そして残りを敗走するフランス軍の追撃に当てました。
「3番街区の住宅地の石畳に砲弾が落下、石畳がめくりあがり馬車が通れなくなる被害。地下水路に影響なし。市民は、修繕作業に移る。その間の第21歩兵分隊への補給は、水路を利用し、14番街区より行うことを進言する」 ~ある市民からの報告~
「冬が明ける。反撃は止まらない。北からイギリスがくる。」 ~あるドイツ軍の兵士の手記~
補遺2:フランス軍内における情報分析と作戦変更
フランス軍はすでに2月末の時点で、ドイツ軍の編成と装備の多くを把握していた。これは、オリフラム作戦以降に国家規模で推進された、国民総動員による情報収集体制の成果であり、市民の末端に至るまで、国を挙げた「観察者」として機能していた結果であった。
得られた情報から、ドイツ軍が深刻な人材不足と戦略的停滞に直面していることが明白となる。ランス防衛隊から得た情報を分析したフランス軍司令部はこれを好機と見なし、ランス救援よりも、"決定的勝利"――ドイツ軍の包囲・殲滅を目指す提案を本国に上申。
この計画は受け入れられ、アミアンに布陣していたイギリス軍、さらにはセーヌ川を遡行してパリ防衛に備え布陣していたしていたアメリカ軍が、この反攻作戦のために密かに動き始める。
「これこそ欲しかった情報だ」 ~あるドイツ軍情報将校~
「屈辱を晴らせるのは、勝利だけだ。それも圧倒的な」 ~あるフランス軍将校の言葉~
「第一次世界大戦の最大の戦場といったときには、様々な答えがあるだろう。では、最も残酷な戦場は。と問えば、ほぼすべての回答者が、第二次ヤルヌ会戦と答える。第二次ランス攻略戦で失ったものは、単純な兵力というだけではない。それが如実に表れているのが、その戦いだ」 ~ある歴史学の教授の講義より~
1918年4月22日 驚異的な速度で撤退するフランス軍を追撃するドイツ軍の陣容は、ヤルヌ川に沿って蛇腹のように細く長く伸びていた。ドイツ軍内では、前線に向かうほど、補給体制、伝達体制に著しい障害を生じていた。また、長期にわたった冬の作戦により軍全体に疲弊感が漂い、感染症を発症するものの少なくはなかった。その中でも、特に、その最前線は混乱の極みにあり、フランス軍の追撃を行うという初期の目標達成すら困難になりつつあった。
何かがおかしいという、違和感がドイツ軍に広がりつつあった。
そんな中で、ヤルヌ周辺の丘陵地帯に兵を伏せていたイギリス軍とアメリカ軍、そしてパリに向かって長大な防衛陣地と機甲戦力を整えていたフランス軍は、その疲弊し、統制にひびの入ったドイツ軍に最大の攻勢を仕掛けたのである。
「その川の周辺はいつも騒がしかった。だが、その朝は違った。鳥の姿すら見えない静かな朝。その日に始まったのだ」 ~ドイツ軍の臨時前線指揮官~
第二次ヤルヌ会戦。歴史学の教科書に第一次世界大戦において、全滅戦争とも称され、最も悲惨な戦場と言われる戦いが、ここに幕を開けたのである。
本作で描かれた第二次ランス攻略戦の結末は、単なる偶発的敗北ではない。
退却の姿を見せつつ敵を引き伸ばす、古来より伝わる戦法――「釣り野伏」――が、第一次世界大戦の戦場・戦力で再現された瞬間だった。




