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間章3 時間・場所は伏す

「やりすぎだ。と思ったかね?」


 おそらく徹夜明けなのだろう、眠たそうにしている目の前のくたびれた感のある男から、発せられた問いに対して首を振ることで答えとした。


「いえ、少し驚いただけです。これまで様々な場所に出向いてきましたが、こんな場所でここまでの審査を受けることになるとは思いもしませんでした」


 ここに訪れることを伝えたのは、すでに3か月前。そして、まさか今日にいたるまで、来歴調査、追跡調査、さらには個人情報の深部調査までされているに驚きを隠すことはできなかった。まるで、国家機密を保有する重要拠点を訪れるほどの徹底さをもって来訪者を調べ上げるとは思いもしなかった。


「今は、はるかに安全になっているとはいっても、ここには、危険なものも多い。例えば、あれ」


 男が顎で示した先には、宙づりになっている像がある。暗い部屋の中それははっきりとした主張をしていた、半裸の女神像だ。頭に月桂樹の花冠をかぶり、その両手には何も持っていない。異様なのは薄絹の下に見えるもの。女性らしさよりも躍動美を感じる方が先に立つ。そんな不思議な像だった。


「アタランテの船首像だ。」


「アタランテ……ギリシャの俊足の女神のことですよね」


 言葉に、正解だといわんばかりにうなづく。


「さる客船の船首像として作られたものだが、その作成時点から不明なことが多く存在している。ああ、君は知っていると思うが、その客船はもう存在していない。


『ああ、アタランテ。女神よ。すべてをささげる』


 嵐の中の安否確認の際に、船長らしき人物の声を最後に、二度と港に戻ることはなかった。

 

 ただ、到着日、到着時刻を守り、船が着くべき港に流れ着いた。


 これを、除いてね」


 有名な客船の話だが、船首像の話は初耳だった。ほうっと、声を上げた私に、男は興味深そうな視線を向けた。


「まあ、あまりじろじろと見ない方がいい。そのあとに、地元の美術館で、5人の観客に死をもたらしたいわくつきの品だ。こういうものを取り扱っている。部署ということは理解いただけたかな」


「ええ。もちろん」


 男は、それは結構というように肩をすくめると再び、歩き始める。その後ろについていく。


「危険度はカテゴライズされていて、ここに収められているのは、カテゴリー1から、2の品物。ここにあるものは、処理済みで見るくらいなら安全なものだが、本質は変わっていない。

 魅入られることのないように気を付ける。自らを保つ。どれだけやっても不足はない。」


 やがて足は止まる。目の前には金庫の扉があった。男性手に持ったファイルから、木彫りの十字架を取り出し、渡してきた。その中央には、金色に輝く何かが埋め込まれている。


「その自らを保つために、欠かさず作っているものだ。そのうち、見どころのあるものを受け取って、処理を施してある。君の来歴から、それがふさわしいと思い選別しておいた。

 ああ、それは持ち帰ってもらっても構わない。」


 不思議そうな表情を浮かべたまま、それを握り締めると、ほのかに暖かく感じた。木のぬくもりというものではない、もっと心の奥から湧き出るような不思議な感覚だった。


「どうやら相性が良さそうで助かった。それは、君にとってのお守りのようなものだ。さて、ここからは。

 それを肌身離さずに持っておくように。」


 金庫の先にあったのは3つの扉だった。その1つに、目指すものがある。

 仕事柄、このような場面に出くわせば、心が躍るもの。そのはずなのに、ひどく冷たく、ひどく心疲れる。それが何かを考えた時に浮かんだこと。私は、知ることを恐れている。これを知るべきではないということ。いわば、未知なるものを知ることにより得る不安。そのような感じたこともない、処理できないものだった。


 私の様子に気が付いたのか、それともここに来るものは常にそうなのかはわからないが、男は、声をかけずに観察していた。ここから、私がどう動くのかということを丁寧に、静かに。


「大丈夫です。いけます」


「顔色、汗――上げだせばきりがない。私には、そうには見えないが……止めはしない。」


 男は、そういうと鍵束を取り出し、中央の扉の鍵穴に差し込んだ。こち、コチ、カチチッ……カチャ。鍵を右に左に回すとやがて開いた音が聞こえた。


「この扉は、来訪者が開くのがルールになっている。

 

 さあ、どうぞ。」


 ゆっくりと扉に近づく。ノブも何もないその扉は、押せと言っているように感じた。

 手を添え、ゆっくりと体重をかけるとかすかに動くのを感じる。そのまま、力を込める。扉がゆっくりと左右に開いていく。


 まず飛び込んできたのは闇だった。押す手を引かせるような闇。次に飛び込んできたのは、白くて四角いものだった。それが何かと考える間もなく、足は部屋の中に踏み込んでいた。


 闇の中、さらに深い闇が絵の中に広がっていた。いや、それは闇ではない。森だ。森の絵。それが、そこにはあった。


「作品9号」


「これが、真作?」


 改めて、見る。確かに不気味な絵だ。だが、先ほどの部屋のようなまがまがしいなどの感じはなく、その絵からは森の空気と匂いすら感じる。夜明け前か、それとも黄昏時か……まだ技術的に完璧ではない絵。


 正直拍子抜けした。


 じっと見ているうちに、森の香りが鼻腔をくすぐる。得も知れないにおい。絵の中はすっかり夜が訪れ、あれだけ主張していた木々は闇に紛れその実態を星空のもとに隠し、森の地には、昏い中で光る眼がこちらを見ていた。おそらく原生の生物だろう。

 匂いはさらに強くなり、絵の中には様々な動物がひしめき、星々はその営みを見ながら回っている。

 ああ、これこそが……これこそが。


 シューッ


 その香しく懐かしい夢想のような感触は、不意に刺激臭に邪魔をされた。鼻の奥に針を差し込まれたように嗅覚がなくなると、途端に涙と咳と鼻水が襲い掛かってきた。耐えきれず、床に倒れ伏し、無様にのたうち回る。不意につかんだのは渡されたお守り。十字架だった。荒い息をしながら、縋りつくように握り締める。

 それは、苦痛の中で見た幻影なのかもしれない。だが、確かに見えた。


 得体のしれない何かが、まるで舌打ちをするようにこちらを見くだし、そして、絵の森に帰ったのを。そのあとを視線で追おうとした瞬間だった。不意にその視線が封じられ、体が引きずられるような感触。

 そして、扉が閉まる音が聞こえた。


「危ないところだったな」


 男の声だった。スプレーを当てられて、何か薬を吸い込まさせられる。おそらく緩和剤だろう。一吸いごとに苦痛が小さくなっていく。大きく吸いこもうとしたところで止められた。大きく息を吐き出すと、目隠しが外される。

 思わず振り返った。

 扉は拒絶するように閉じていた。


「作品№9。さる美術大学の入学試験において、ある学生が提出した絵画だ。

 大学内で事件を起こし、その国の超人機関により封印されてここに預けられている。残念だが、封印は不安定で、時折あのような形で自ら主張する」


 扉の先をにらんでいる男は、まるで自分に言い聞かせているように言葉を発した。

 

「主張ですか」


「ああ。信じてはもらえないだろうが、あの絵は生きている。そして、描かれているのは、君の見た街ではない」


「私が見たのは森です」


 その声に、男は恐怖に満ちた視線でこちらを見つめた。ここにきて、2人の心は、一つだった。



 こちらが、飛び散らったノートと筆記具をかき集めている間に、男はどこかに連絡を行っていた。そして、合流すると、即座に金庫の扉を閉める。締め終わる直前に金庫の奥の扉が開く音。聞こえたが、聞こえないそぶりをしながらロックが下りるのを待った。

 あの不気味だった作品群の中を一心不乱に駆ける。目の前に降りてくるエレベーター。扉が開くと、中から出てきたのはまるで映画のエクソシストのような装備に身を固めた連中だった。


「緊急事態コードAだ。侵食が起こる可能性がある。同盟国にも連絡を。彼らの力が必要になると気があるかもしれない」


「了解した。主任構成員。貴殿の助言に従う。

 

 あの野郎……地獄で永遠に寝ていてくれたらいいんだが、そうもいかないか。部隊員、防護装置のエネルギー残量には十分に気を配れ。あいつは手ごわいぞ。何と言っても、理想と狂気によりヨーロッパを燃やし尽くしたやつだからな」


 私は、唯流されるままに、その様子を見ていた。そして、流されるままにエレベーターに乗り込み、地上を目指す。


 その視線の端で金庫の扉が中から歪みながら開くのを見ていた。


 

 ずっと昔から言われていた。そして、今も続いている芸術家を志すものに告げられる警句がある。

 

「芸術家は、神秘に触れるべきではない」


 自分が聞かされた時には、遠い昔のカビの生えた説教と思っていたそれ。現実を生きているものに対する、真の警告として姿を見せた初めての時だった。

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