1917年西部戦線 いずこかの戦場並びに東京 荒川河川敷のいずこか
我々は、良い相棒であったのだと思う。
始めはそうでなかったにしろ、戦いが続いているときもそうであったし、戦い終わった後もそうであった。
「でだ、偽竜騎兵」
「あ?なんだ。ちび坊」
塹壕に腰かけて二人は暗くよどんだ空を見ていた。アドルフ・ヒトラーの頬には、痛々しい青あざができていた。この3日続いた無謀な突撃と突出。それを包囲殲滅。相手から送り込まれる超人も粒ぞろいになってきていて。そして、それは軍という組織の中に確かな居場所を得ているようだった。
「あまり突撃していくな。俺とて一兵士だ。守り切れるものには限度があるぞ」
先の伝令先で、上官たちが口走った言葉に竜騎兵は怒り抗議しようとして、アドルフ・ヒトラーに止められた。戦線は維持が難しいほどに疲弊し、ここよりそう遠くない場所では、すでに前線が崩壊しつつあるという情報も出回っている。ただ、その情報の真偽を確かめる手段もない。命令がなければ動くことも叶わない。待つのも任務のうちだ。とはいっても、その時間が長すぎるというのは、熟練の兵士でも辛いものはある。そして、
「しかしよ。あいつらは。」
言いかけて、竜騎兵は周りを見た。皆が同じように疲れ切った表情でこちらを見ている。アドルフ・ヒトラーはゆっくりうなづくと、意図を察したように竜騎兵は隣に座り込んだ。
「まだこれからだって、俺たちも来たからこれからだって」
「兵個体の強さだけで決まる戦場などないさ。だが。強くて精悍な兵を数多くそろえた方が戦いに勝つのは当然だな。お前もそう思うだろう」
竜騎兵は、ああとうなづいた。すでに3か月間相棒として過ごしてきた2人だ。言わんとしているところは解るつもりだった。その前に、すでに9か月以上の運用経験が相手にはある。その差は、単純な戦力の差ではなく、戦術的な運用に耐えうる強固な戦力が随時戦場に投入されているということでもある。
竜騎兵は、足を延ばす。彼の下半身は大きな犬のようになっていて、ところどころに蛇のような鱗が浮かんでいる。そこから繰り出される俊足は、人間のものとはもはや比べ物にならないような機動力をその体に与えている。
明らかに人間よりも優れた個体である。しかし、彼が持ち合わせているのは、それだけであった。
見た目から期待されたような、突破力も継戦能力も低く、他の特殊な能力は何も持たない彼は、銃の扱いこそ覚えたものの、前線では役に立たないとされその身柄を伝令兵であるアドルフ・ヒトラーに任されたのである。まるで、足が速いもの同士で組ませればよいとでもいうように。
「皆が俺と違って、弱兵ってことはないさ、ちび坊。俺とは違う本当の竜騎兵のドゥルニルの兄貴も、知恵袋のミルルの姐貴もいるんだ。ライン会議だって十分に協力体制を敷いている。お互を再制圧せよ
「ああ。そうだな。お互いに協力できていれば。こんなことにはなっていないさ。偽竜騎兵。」
ずぅーんと遠方で煙の柱が立ち上った。それが、超人の力によるものか、それとも別のものかはアドルフ・ヒトラーはあえて、考えないようにした。伝令兵は、目立たないことに越したことはない。力ない2人が肩を寄せ合って何とか戦場で生きている。アドルフ・ヒトラーには、それだけでも十分な戦果だった。
ドゥルニルは、その巨体と強固さを生かして敵陣に突撃を敢行していたが、その速力についていけるものがなく、孤立状態に陥りやすいことから、迷子野郎と揶揄されすでに重要な作戦からは外されつつあった。メルルは、その叡智を生かして作戦を立案していたが、そもそも、階級のない超人たちの社会。その意見は階級の低さから取り入れられず、作戦司令部内ですでに立場を失っていた。それでも、わきまえずに意見をしてくる彼女を前線に送り込もうとする左遷論がささやかれている。
突貫工事で作られた超人と兵士たちの共同戦線はすでに綻びが目立ち始め、自重で崩壊を始めていた。
「だからこそ。あの発言が、許せなかったのは理解できる。私にもな」
敗戦の原因をライン会議の超人に押し付けるような論法。竜騎兵はその言葉に激高した。アドルフ・ヒトラーは、彼の怒りもその心が不条理に裂かれそうになることも理解できる。が故に、上官として釘は差しておかなければならなかった。
代償がこの青あざだけならば、安いものだ。
現場の混乱はそれだけではなく、風の噂では、ヴィルヘルム2世は、軍のクーデターにより失脚。参謀本部が、最高権力者として指揮権を奪取したことであるが、指揮権をめぐる権力争いが熾烈化している。その上に、権力争いの結果生まれた陸軍と海軍の不和により、無謀な作戦が組まれることも増えてきている。つい先日も、『ドーバーを超え、パリを再制圧せよ』などという、狂気にも等しい作戦が立案。そして、無謀にも決行され、貴重な海上戦力は海底へと消えてしまっていた。さらに悪いことに、その作戦の立案、決行をめぐって責任の擦り付けあいが発生した。それは、前線で指揮する者たちにも伝わり、指揮系統を混乱におとしめていた。
ドイツ軍は、内より生じし病により、自ら戦うための力を失いつつあった。
「さて。時間だな」
「お、もう、そんな時間か。さて、今回はどんな情報が聞けるか。少しは楽しい情報だといいんだが」
ああ、そうだな――偽竜騎兵。と応じると、アドルフ・ヒトラーは、背嚢を地面に下ろす。そこから簡素ではあるが丈夫そうな木箱を取り出した。木箱から機械を慎重に取り出すと平らな場所に設置し、コードを軽く首に巻くと分厚いイヤホンを耳に当てる。
試作型の受信機から発せられる言葉に、精神を集中させていく。この時間には、中央司令本部からの全体命令が下される時間となっている。アドルフ・ヒトラーは、その情報をいち早く仕入れるために、この時間は戦闘が起きていなければ、受信機にくぎ付けになっていた。その光景は、周りの兵士からすれば、奇行とも取れなくない状況であったが、もはや自らの評価を気にかけるようなアドルフ・ヒトラーではなかった。
いつもの定例挨拶から始まったそれは、とんでもない情報を戦場にもたらした。アドルフ・ヒトラーは、氷の剣で頭から刺し貫かれたような冷たさと痛みの中で、必死に内容を紙に書き残す。それを見た竜騎兵からも徐々に表情が消えていった。
アメリカ合衆国。通商同盟国としてドイツ帝国に宣戦布告。
第一次世界大戦は、――終わりに向けての動きを加速させつつあった。
1921年 2月21日 早朝
現実から離れたくなる時もある。それが今であるように、荒川を見下ろす土手そこにアドルフ・ヒトラーは、たたずんでいた。手には、敗戦後の武装解除と混乱の中で、かろうじて残った受信機のイヤホンを握り締めていた。
ノイバーベルク防衛線後、通称同盟国によるパリ解放に至るまで、ドイツ軍は通称同盟国の勢いを止めることはもはやできず、各地で敗走を繰り返した。そんな中でも、人間による戦いを提言するヴィルヘルム2世を疎ましく思う勢力が現れるのは必然と言えるだろう。彼は、失脚し、ドイツ軍はライン会議に超人たちの力を求めた。エジットとの友好を信じていた彼らを無理やり戦場に引きずり出し、戦わせる。解ったのは、彼らは人間よりも人間らしく、また、人間より扱いづらいということだけだったのだ。
合理性を欠くものは戦場から排除する。それは、戦争における絶対の不文律である。しかし、それ以上を考えることをしなかった。それ以上に、理解しようともしなかった。事を、自ら思う以上に、楽観的に考えすぎていて、そして、それゆえの失望にただ沈んだ。
いや、沈んでいることすらも気が付かなかったのだろう。
そんな時だった。前線では戦力にならずと一人の超人が自らの部下としてあてがわれた。
彼は、竜騎兵と呼ばれていたが、軍内部では、駄犬兵と呼ばれていた。
足が速いだけの超人。それは、不要とヒトラーに押し付けられた。そこで、その竜騎兵がアドルフ・ヒトラーに着けたあだ名がちび坊だった。竜騎兵の頭半分身長の低いアドルフ・ヒトラーに向けられたあだ名で、一瞬むっとなったのを今でもよく覚えている。
反射的に、偽竜騎兵とあだ名時のその顔もよく覚えている。
結果的に我々はよい相棒であった。
時が我らを分かつまで、伝え、聞き、そしてまた伝えた。戦場で、戦場で、戦場で。銃声ではなく、声と言葉で戦った。時が我らを別つまで。
「ずいぶん感傷に浸っているな。そして、一歩踏み込んだか」
そんな折だった。不意に声がかけられる。雪が赤く染まったようなそんな錯覚を抱く声。殺気と不穏の塊が、不意に隣に顕現したように生存本能から繰り出された命令が全身をいきわたる。
「老 一願。」
「いかにも。久しいな。ドイツの人よ」
声色こそ穏やかではあるが、その底には、おぞましい何かがうごめいている。おそらく直視してしまったのならば、狂うしかないのであろう。あの時は、抑えていたことが容易に想像できる。帯剣していないはずの、殺気をおぞましく感じるのは、彼に見える何かであろう。
「千引に触れ、天戸より覗き、ヨモツヘグリを食して現世に帰還し。ようやっと、観えるようになったか。聴こえる様になったか。」
ああと、アドルフ・ヒトラーがうなづいたのを見て、老 一願は不敵に笑みを浮かべた。まさに修羅の笑みだった。
「はじめは、枝を切った。飽くれば、幹を打った。人を初めて切ったのは、6つの時じゃった。じゃが、ただ切っただけ。ただ打っただけ。その時、自らの未熟を恥じいた。それからは、心を入れ替えた。切るのではなく、斬ることを要として一から出直した。小枝を斬り、枝を斬り、幹を斬り、石を斬った。再び人を斬ったのは、8つの時じゃった。儂のような不出来にも斬ることができると感銘を受けた。それからは、ただひたすらに、斬って斬って斬りまくった。山を斬り、大河を断ち、月を穿ち、はるかかなたの星を斬り捨てた。世の縁も、世の権能もただ一心に斬り捨てた。ただ、一に。斬れるものを斬ることのみを願い振るった。残り斬っていないものは2つ。」
「私は、その1つか」
その通りというように老 一願は目を細める。
「今はまだ。成るかどうか。見極めさせてもらうぞ」
それだけ言うと、もう隠す必要もなくなったのだろう、斬撃の気配ののちに、一願の姿はそこから消えていた。残されていたのは、今日の号外。上海徳川幕府と大日本帝国の首脳会談が急遽行われているというニュースが興奮気味に書いてあるだけであった。




