第1話 ようこそ、危険区域へ
転生召喚の眩い光が薄れていくのを感じ、シエルはそっと目を開けた。
視界に広がるのは約束されたアヴァルディアの王城……ではなく、日の光がほとんど届かない鬱蒼とした木々が生い茂る薄暗い森の中だった。
「……え?」
本来であれば、王族や貴族が待つはずの豪奢な城に降り立つはず――だったのだが……。
ジメジメした空気が身体にまとわりついて森の不気味さを際立たせ、周囲には道しるべのように光るキノコが自生する深い森の中にポツンと佇んでいた。
「ここ……どこ?」
思わずつぶやいたが、誰も答えるはずがない。
クロノスが言っていた王都の面影などどこにもない。
ただ静寂と、見えない何かが潜むような異様な空気だけがそこにあった。
「……また、独りなの……?」
湿った土の香りと、かすかに漂う血生臭いにおいに、グッと眉間にシワが寄る。
どこからともなく聞こえる鳥のさえずりや、それをかき消すような獣の咆哮が遠くから聞こえて思わず身構える。
「誰かに妨害された……ってことだよね、コレ……」
動揺する心を抑えるように深呼吸をし、状況を確認するためにシエルは手を前にかざした。
「ステータス、オープン……!」
目の前に青白い画面がふわりと浮かび上がる。
全属性の魔法適正、強化に弱体、防御、回復魔法――そして『女神の祝福』。
異世界に転生した自分の力を確認したシエルは少しだけ安心する。
「待って、封印……ってなに?」
シエルのステータスには名前の横に【封印】という表示が記載されているのを見つけた。
「これが、例の”特別な魂の力”ってやつと関係しているのかな……」
神界でクロノスの言葉を思い出しながら小さく呟いた。
そして現在地を確認するために鑑定スキルを発動させる。
「鑑定」
浮かび上がった情報は、予想以上に厳しいものだった。
「危険区域……ヴェルグリムの深森!? なんてとこに飛ばしてくれるのよ、全く……」
――ヴェルグリムの深森。
そこは浅層でもオークやサイクロプスなどの強力な魔獣が生息し、昼夜問わず無差別に襲いかかってくる危険な森。
奥に進むにつれて瘴気が濃くなり、ヒュドラやワイルドベア、ドラゴンなどが出現し、魔物の強さも格段に跳ね上がる。
シエルはこの森の深層部……獣王の領域へと転送されていた――。
「いきなりこんな危険な森に置き去りだなんて……転生ってこんなに雑なものなの?」
クロノスに非が無いのは分かっているが、この状況下では苛立たずにいられない。
ひとまず街を目指すべきだと考えたシエルは森を抜けるために歩き出す。
森を抜ける途中で、小説でしか読んだことがない魔物や魔獣が闊歩しているのを見かける。
「こんなのに勝てる自信、無いんですけど……」
敵意むき出しで襲い掛かってくるフォレストウルフやワイルドベアに対して、シエルは弱体魔法をかけて風属性の攻撃魔法を放ち、次々と討伐していく。
「風刃!」
短い呪文を唱えると、鋭い風の刃が飛び出してフォレストウルフの腹をえぐり、切り裂く。
一方で、敵意の無い魔物は討伐せずに逃がすというシエルの優しさが、異世界でも発揮していた。
「敵意が無いなら、森へお帰り……」
シエルは再び街を目指して歩き始める。
森を歩くこと数時間。
獣が巨木を引っ掻いた痕跡や、何かが弾けて吹き飛んだように折れた大木などが視界に飛び込んでくる。
つい先ほどまで戦闘があったと思われる真新しい痕跡を見つけてシエルは警戒する。
「ここで……一体何があったの……?」
そして見晴らしの良い水辺を見つけて休息をとるために気配探知を展開した。
「っ……!」
気配探知が魔物の反応を捉えて、シエルは再び警戒を強める。
スキルが示すのは、岩陰に潜む"神獣"――だが、限りなく弱っていた。
「……し、神獣?」
シエルは隠密をまとって気配を消し、慎重に岩陰に近付いていく。
岩陰に近付くにつれて、むせ返るような鉄の匂いが鼻をついて思わず顔を歪める。
そしてゆっくりと岩陰を覗きこんだ。
「ひっ……!」
目の前に広がるのは鮮やかな赤――。
そこには真っ赤な血の海が広がっていて、シエルは小さな悲鳴をあげる。
色鮮やかな赤の中でシエルの目に留まったのは、威厳を放ちながら銀色に煌めく美しいたてがみだった――。