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第10話 初めての宿

シエルとノクターンはアストラルヴィエンの郊外にある宿舎「アストレイアの月影亭」へと滞在することになった。


天井には魔法で映し出された夜空が広がり、瞬く星々が静かに輝いている。

まるで本物の月灯りのように、柔らかな光が室内を優しく照らしていた。


「こんな素敵な宿に泊まれるなんて……夢みたい。」


夢見羊(レーヴムー)の羊毛をふんだんに使ったクッションを抱きながらベッドに腰かけたシエルが静かに呟く。


「でも部屋が1つしか空いて無かったのは――想定外だけどね……」


(同じ部屋で二人きり……とてもじゃないけど、寝られる気がしないわ……)


シエルは小さくため息をつき、何か起こるんじゃないか――と不安になりながら苦笑いを浮かべる。


「俺にとっては都合がいい。」


ノクターンの濃紺の瞳が、シエルの深紅の瞳をまっすぐと見つめる。


「え!?それってどういう……」


シエルはクッションを抱く手に思わず力が入る。


「……すぐそばで、お前の護衛ができるんだからな。」


窓に腰かけたノクターンが外を眺めながら静かに口を開く。


(あ、そっち……)


シエルは変な誤解をしていたことに気付き、苦笑いを浮かべる。

恥ずかしくなったシエルはクッションに顔を埋めた。


「全く……なに変なことを考えているんだ、お前は。」


本物の月灯りが差し込む逆光のせいではっきりとは分からないが、ノクターンの耳元がわずかに紅潮しているように見えた。


「それに……宿なんて、どこも変わらないだろ?」


公爵家の次期当主であるノクターンにとっては”普通の宿”に見えているようでシエルは苦笑いを浮かべる。


「……やっぱり、お貴族様とは価値観が合わないわね。でも、公爵邸の方が過ごしやすいのは確かだわ」


優しい使用人たち、美味しいご飯、王城に次ぐ厳重な警備――。

身の危険を感じる事も無く、心穏やかに過ごせた幸せな日々……。


(あのまま住み着いてしまいたいくらい、居心地のいい空間だったなぁ……)


数日間お世話になった個人邸宅での生活を思い返しながらシエルはそっと微笑む。


「そうだ、シエル。さっきの話の続きなんだが……」


窓辺には月灯りが差し込み、ノクターンの漆黒の髪がキラキラと淡い輝きを放っている。


「魔塔主に鑑定が効かなかったっていうのは、本当なのか……?」


濃紺の瞳が、まっすぐシエルを捉える。


「……認めたくないけど、本当よ。」


ふわふわのクッションをギュッと抱きしめて静かに告げる。


「最初は私も、スキルの不具合だと思ってた。試しにフェリルを鑑定したら普通に情報が表示されたわ……」


「それは……お前の従魔だからじゃなくてか?」


ノクターンは当時のシエルと同じことに気付いたようで的確に言い当てる。


「……そう思ったから、別の人を鑑定してみたの。勝手に個人情報を盗み見るのは気が引けたんだけど……仕方なく、ね」


一瞬だけ気まずそうに視線をそらしたシエルは、慎重に言葉を選びながらノクターンに伝える。


「そうしたら、その人の情報も詳細に表示されたわ。……だから、不具合なんかじゃないと思うの。」


ノクターンはあごに手をあてながら考え込む。


「……なるほどな。で、誰を見た?」


首をかしげながら静かに問いかける。


「え!?」


シエルはビクッと肩を揺らして目を見開く。


「だから、誰の情報を覗き見したのかと聞いている」


ノクターンの濃紺の瞳がスッと細められる。

それは、まるで獲物を逃がさない猛禽のような目をしている――。


「そ、それ言わなきゃダメなの……?」


シエルは動揺して視線が斜め上を向く。


「場合によっては口止めする必要も、あるかもしれないだろ?」


スッと窓辺から立ち上がり、ゆっくりとシエルのもとへ歩み寄る。


「……団長さんの、情報を……見ちゃいました」


じりじりと詰め寄ってくるノクターンの圧に負けたシエルは観念して小さな声で答える。


「……俺の?」


ノクターンはクシャっと髪をかきあげ、深くため息をつく。


「……それはもう、口止め案件だな。」


普段の威厳に満ちた堂々とした姿はなく、肩を落として頼りなさそうな表情を浮かべている。


「……で、何を見た?」


夜の帳に隠した秘密が、思いがけず暴かれる。

不安げに揺れる濃紺の瞳がシエルをじっと見つめる。

ノクターンは肩を落として静かに月灯りを見上げた――。

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