第9話 庭園
ノクターンの個人邸宅へ滞在してから約2日。
シエルはフェリルを連れて庭園を散歩していた。
レンガ調の遊歩道の両脇には美しい白薔薇が咲き誇っている。
「綺麗な薔薇ね……団長さん、お花が好きなのかしら?」
水滴のついている薔薇が眩しい日差しに反射してキラキラと輝いている。
「貴族の嗜みというやつであろう。」
シエルの数歩後ろを歩くフェリルが静かに答える。
「この平和で温かい雰囲気の中で過ごしていると、自分が狙われていることなんて――つい忘れてしまいそうだわ……」
ふっと柔らかく微笑んで歩きながら空を見上げる。
雲1つない澄みきった快晴がシエルの視界に広がり、眩しい陽射しを片手で凌ぐ。
「前世では考えられないくらい穏やかな気持ち……」
この世界には顔を合わせるたびに罵声を浴びせてくる叔父夫婦はいない。
部屋に軟禁されることもなければ、食事もパンとミルクだけで空腹に耐える事も無くなった……。
「ずっと、この幸せな空間で生活したいなぁ……」
シエルの儚げな呟きは、そよ風に運ばれて遠くへ消えていった――。
「……上ばっか見て歩いてると、いつか転ぶぞ?」
正面から凛とした低い声が聞こえた。
上を向いて歩いていたシエルはゆっくりと前を向いた。
「あれ、団長さん?今日はオフなの?」
テラスに腰かけたノクターンが書類を眺めながら優雅にティータイムを満喫していた。
「あぁ。天気が良いからここで騎士たちの休暇申請書を処理していた。お前は散歩か?」
銀縁のティーカップを軽く傾け、紅茶を一口飲んだ。
その所作は優雅そのもので、公爵家の次期当主という風格を現しているように洗練されている。
「えぇ、そうよ。せっかく自由になれたのに、部屋に閉じこもってるなんてもったいないわ」
ノクターンは探るような視線を向ける。
「……まるで、今まで自由がなかった――みたいに言うんだな?」
「……前の世界ではね、ほとんど外に出ることすら許されなかったの。」
その言葉を聞いてノクターンは書類を執事に渡し、静かに立ち上がる。
「……王都の市場には興味あるか?」
ノクターンは手を後ろにやり、視線をそらす。
「興味はあるけど……突然どうしたの?」
シエルは不思議そうな表情でノクターンを見つめる。
「せっかく自由になれたんだろう? なら、もう少し広い世界を見てみるか?」
ノクターンはそっとシエルに手を差し伸べる。
「……いいの?書類、まだ残ってるけど……」
執事の持つ書類とノクターンを見る。
「いつでも出来るから問題ない。」
ノクターンの濃紺の瞳がまっすぐシエルを捉える。
「じゃあ、お願いしようかな――王都探索。」
柔らかく微笑んだシエルはノクターンの手をとった――。