第2話 最悪な朝だ……
まだ陽も昇りきっていない静かな早朝。
開いた窓からはそよ風が吹き込み、小鳥たちのさえずりが耳に届く。
(今日は良い日になると良いな……)
そう思いながら足音を立てずに歩いていた。
その時――黒い人影がこちらに向かってくるのが見え、葵の顔がわずかに強張った。
「……また、お前か。部屋から出て来るなって何度言わせれば分かるんだ!不幸が伝染るだろ……気味が悪い死神め。」
階下に降りて洗面所へ向かう途中、リビングから出てきた叔父とバッタリ鉢合わせてしまった。
叔父は葵を見るなり顔をしかめ、鋭い目つきで睨みつけた。
キツい言葉を投げかけると、そそくさと立ち去っていった。
(だったら、引き取らなきゃよかったのに……。)
事故で他界した両親の代わりに叔父夫婦が後見人として表面上は葵を引き取って育てている。
しかし彼らは葵の相続した莫大な遺産が目当てだった。
葵と顔を合わせるたびに暴言を吐き、部屋に軟禁して毎日冷遇していた。
(私だって、好きで孤児になったわけじゃない……)
叔父の去って行った方を睨みながら、静かに拳を強く握り締める。
「……その目は何?誰のおかげで苦労せず生きていけると思っているの?」
叔父に続き、叔母までもリビングから出てきて葵の髪を鷲掴みにして睨みつけた。
「本当に生意気な小娘ね。……汚らわしいったらありゃしない」
きつい言葉を投げかけ、勢いよく突き飛ばした。
バランスを崩した葵は廊下に倒れこんだ。
「……前言撤回、最悪な朝だ。」
深いため息をつき、起き上がると洗面所に向かった。
嫌な出来事も一緒に流れてしまえばいいのに――と思いながら冷たい水で顔を洗う。
学校に行く準備をするため、再び静かに2階へと戻る。
淡い青のワイシャツに袖を通してボタンを留めながら、ふと当時の事を思い出す。
(どうしてあの時、彼らの言葉を信じてしまったんだろう……)
当時14歳だった葵は”一人だと苦労するから”という叔父夫婦の言葉を信じてしまった――。
そして彼らに後見人を任せたことで、地獄の日々が幕を開けた。
悪魔に魂を売った死神だと罵って部屋に軟禁し、学校へ行く時だけ外に出ることが許される。
食事はパンと牛乳のみが2日に1回部屋の前に置かれるだけ……。
この家に葵の居場所はなく、常に孤独を感じていた――。
(今更、後悔したって遅いんだけどね……)
深いため息をついて紺色のネクタイを結ぶ。
濃紺のスカートと同じ色のブレザーを羽織って姿見で確認する。
「よし、完璧」
チラリと時計に目を向けると、そろそろ家を出る時刻を迎えようとしていた。
「もうこんな時間か……急がないと。」
足音を立てずに階段を下りて静かに玄関へと向かい、革靴を履く。
迷うように一瞬口を開きかけたが、小さく呟いた。
「……行ってきます」
リビングにいるであろう叔父夫婦へ声をかける。
しばらく耳を澄ませるが、やはり返事はない。
代わりにリビングから微かな談笑が聞こえてくる。
葵は目を伏せ、ため息をつく。
(……うん、分かってた。あの人たちにとって、私は必要のない存在だってこと……)
——それでも、誰かに必要とされたい。
心の奥ではそんな淡い期待を抱いていた。
(いつか、この想いが叶う日は来るのかな……)
何1つ変わらない、いつもと同じ朝だ……と思いながら重たい扉を開けて学校へと足を運んだ——。