新米師匠は困惑し、悩み迷う
基本的に早朝だけ、勇吾は有美里を教えることになった。ただし、あくまで師匠と弟子、などというものでなく、後輩に指導する先輩、というスタンスで、である。
とはいえ、勇吾は正直手探り状態だった。何しろ武道歴こそ長いが、誰かに専属で指導するのは初めての男である。何からどう手をつけていいものか、まるで分からない。アドバイス的な助言程度だったら、今までにも後輩やら道場の子供らにしてはいたが、本格的に指導となると話が違ってくる。
有美里が入門を承諾されて、ニコニコしながら帰った後、そこら辺を長沢に尋ねてもみたのだが、
「教えるのはお前さんだ。構わんからオレに遠慮はいらん。思うようにやってみるといい」
などと言ったきり知らん顔である。指導方針も方法も、全てまかせる、という事らしかった。
(こうなったからには、とにかくやってみるしかないか)
そう肚を決めるしかなかった。
色々考えた上で、先ず有美里の適正を見極める事にし、早速指導初日からとりかかった。
とはいっても、いきなり剣道や居合からというわけではない。
それは何かというと、体力測定だった。それも腕立て伏せや腹筋運動、持久走にはじまる基本的な体力であり、それがどの程度のものか知っておきたかったのである。場合によっては剣道でも居合でもなく、キックのジムに連れていった方がいいとさえ考えてもいた。その結果分かったのは、上半身の筋力は同年代の女子の中ではおそらく平均程度、持久力も決して高い方ではない、という事だった。この年代の少女にしては、柔軟性もない。聞けば今のいままで武道や格闘技に限らず、特に何かのスポーツに取り組んだ経験はないという。
(それじゃあ確かに、こうなっても仕方ないな)
言うまでもなく基礎体力とは、幼少期からの運動の積み重ねによって培われる。満足な運動経験もなく、身体を動かすといえばおそらく体育の授業程度では身体能力の強化など、望むべくもないはずだった。
しかし、異常な事が二つだけあった。
先ず、下半身の筋力および筋持久性だった。腕立て伏せをやらせると五回がやっとなのに、ヒンズー・スクワットをやらせてみたらいきなり、連続で百回もやってのけたのである。何の運動経験もないにも関わらず、これができるのは間違いなく天性のものだった。
次いで有美里が勇吾を驚かせたのは、その反射神経である。
試しに、だったのだが、
「コイツをよけてみろ」
というなり、有美里の顔面めがけてピンポン玉を投げつけてみた事があった。それも一発やニ発ではない。
しめて十個、しかも矢継ぎ早にだった。勇吾が投げたそれは、決して遅くはなかった。手首のスナップも、それなりに効かせてもいた。
しかも予告なしの突然で、軌道も滅茶苦茶だったはずなのだが、有美里はそれを、ことごとく躱したのである。
(柔らかい身体の使い方をしてる)
勇吾をして唸らせたほどの、天性の身のこなしと云えた。さすがに驚いた顔になり、無駄な動作もあったがそれは無理もあるまい。むしろ、その動体視力は今すぐに何か教えれば、何においてでも通用するというのは間違いなかった。
(いいな、コイツは者になる)
勇吾は直感したといっていい。間違いなく鍛えれば育つ。いきなり天才的な要素を持ったヤツを指導できるなんて、オレは運がいい。
そうと思えれば後は簡単である。勇吾は有美里への指導が楽しくなってきた。
(あの下半身の筋力、鍛えれば恐ろしいバネになる。ネコ科のような反射神経と合わせて、そう、豹のようにな)
もしかしたら、だが、オレ以上の使い手になるかもな。勇吾はひどく満足した気分だった。
有美里は楽しくなった。何が、と問われれば、何というわけでもない。言うなれば生活全般が、であり、日々の全てがそうだった。
朝早くに起き出し、手早く洗面やら身支度を済ませると道場に向かう。そこに行けば勇吾に会える。今日は何を教えてもらえるのだろう、そう考えるだけで楽しみでもあった。
今はまだ、剣道や居合の稽古道具はなにも買い揃えていない。というのは勇吾から、
「キミが何をやるのに向いてるか分からない以上、まだ焦って決めることはない。しばらく様子を見てその上で、自分がやりたいと思うのを選べばいい」
と言われたからだった。
今のところは、剣道の素振りとすり足の足さばき、これを毎朝繰り返す稽古だ。何回ということではなく、勇吾がいいというまでである。
防具を着けることもなく、剣道の基本ともいえる動作ばかりではあったが、これが有美里には不思議と面白かった。どうやら自分は、地味な稽古も苦にはならない性分らしい。
三ヶ月ほどもするとこれが様になってきたのだが、ついで勇吾が有美里に教えたのは意外なものだった。
これには初め、有美里もとまどった。なぜなら「見よう見まねでいいから」というなり、勇吾がやってみせたのはなんと左ジャブと右ストレート、そしてその連続技、つまりワンツーだったからである。
「どうして剣道の稽古なのに、ボクシングの練習をするんですか?」
率直に訊ねる有美里に勇吾はいった。
「これをやっておけば、剣道だけでなく、何をやるにしても役にたつ。だまされたと思ってやっておいた方がいい」
ひどく確信めいた顔でいわれたものである。
そう言われては、素直にやってみるしかない。有美里が道場の真ん中で、勇吾を相手にワンツーの打ち込みをくり返す稽古も、いつしかメニューに加わった。これも回数はとくに数えない。勇吾がいい、というまでだった。しかも始めのころは勇吾が前に立っていただけだったが、いつしかグローブをつけた上で、これまたパンチミットをはめた勇吾を追いつつの、本格的な打ち込みに変わっている。ミットの位置を上下左右に変え、狙った位置を打たせる。これはもう、剣道の稽古ではなく、ボクシングの練習としか言えなかった。
さらに面白いことに勇吾が、
「これも教えておこう」といって有美里に教えたのが、相手の手首を極めて投げる、いわゆる合気道でいう「小手返し」だったのだが、さすがにここまで来たら有美里も疑問に思ったらしい。
「あのう、これの何が剣道に役立つんですか?素振りと足さばきの稽古以外はどうしても、そう思えないんですけど」
率直にそう聞いてきたものである。
これに勇吾の答えはというと簡単なものだった。
「オレは別に、剣道だけを教えてはいないよ」
わけが分からないという顔の有美里に、勇吾は付け加えるようにいった。
「まあ、半年もこれを続けてみるといい。そのころには間違いなく、びっくりするほどの動きが出来るようになってるはずだ」
勇吾の言った通りだった。
半年経ち、有美里は初めて防具を着けての稽古を勇吾から許された。
「好きなように打ち込んでみるといい」
同じく防具を着けて有美里の前に立つなり、勇吾にそう言われたのだが、
(いきなり、そう言われたって?!)
有美里が思ったのはこれが本音だった。本音だったが、師が言うならやるしかない。ワンツーと違い、勇吾に竹刀を打ち込むのはこれが始めてだったが、とりあえず打ってみた。
ぱん、とかわいた音をたてながら勇吾の面に有美里の竹刀が当たる。吸いこまれるような、きれいな当たりようだった。
(あれ?)
有美里は何だか、納得がいかなかった。自分でもびっくりするほど、理想通りのイメージに近い打ち方だったからである。
てっきり最初は空振りすると思っていた。何しろ勇吾に「弟子入り」してからこの半年、剣道らしい稽古といえば素振りと足さばきのみだったのである。実際に打ち込んでいたのは竹刀ではなく、ワンツーだった。
当然ながら竹刀の、もっといえば剣道の間合いについては何も教わっていない。にも関わらず、自分の竹刀の剣尖がなぜに、こうもキレイにあたるのだろうか?
「一本で終わりじゃない。続けて」
意外そうな顔のままの有美里に、勇吾か促した。
二本、三本と、有美里が勇吾に打ち込む。
基本通りだった。手本にしたいくらいだった。まだ始めてから半年の初心者の面打ちとは、とても思えないほど芸術的であった。
有美里の竹刀は、彼女が勇吾の面を打つたびに、パン、あるいはパチンといった快音を立てている。何本打っても同じだった。
(こ、これって?!)
有美里が半信半疑ながら何かに気づきかけた時、勇吾がいった。
「よし、それまで」
有美里が振りかぶっていた竹刀を降ろす。面の奥の顔は汗にまみれていた。呼吸もいつしか、荒くなっている。一体、何本打たされたのか。記憶にない。どうやら自分は、回数も数えないほどに夢中になっていたらしい。
なんでそこまで夢中に?
そうだ、楽しいからだ。
面白いとおもったからだ。
なぜ面白いかって?
自分のイメージ通りに面が打てるからだ。
だから息切れしていてもわからなかったんだ。
息が上がってることにさえ、気づかなかったんだ。
あれ?そう言えば、なんで自分は、こんなイメージ通りの面が打てるんだろ?
まだ先生には遠く及ばないにしても、いつも見てる先生の面に限りなく近いぞ。
(いつの間に?)
「分かったろ」
勇吾がニタリとしながら言った。
全て自分の狙い通り、してやったりという顔である。
「あのワンツーの練習はな、このためにだったんだよ。間合いを覚えるためにな」
あっ?!
有美里は思いあたった。
「素振りと足さばきを教えてから、すぐに打ち込みをさせても良かったんだがな、それをさせてしまうと、素振りの形が崩れるヤツが以外と多いのさ。だから先ず、ワンツーをやらせたんだよ」
そう、実はこれはかなりの数で、そうなってしまう人間がいる。前に相手が立っていない状態で素振りさせるとキレイに剣が振れるのに、相手を置いて打ち込ませると途端に形がくずれてしまう。打つことに集中しすぎるあまり、足さばきや腰の入りようの伴わない、手先だけが先行した打突になってしまうのである。初心者がよく陥りがちなことなのだが、習い始めのころというのは厄介なもので、無理にやらせ続けると変なクセがつきやすい。それこそ最初についた悪いクセというのは、何年稽古しても直らない、文字通りの悪癖と化すものなのだ。
だからこそ勇吾は、敢えて有美里にワンツーの練習をやらせたのである。有美里の素振りは三ヶ月もしたころには、形になりつつあった。足さばきも、床をパンと鳴らす踏み込み足ではなく、古流剣術よろしくすり足を教えたのは、無駄な踏み込みを覚えさせたくなかったからだ。もっともこれは勇吾自身、師である長沢から厳に踏み込み足を禁じた指導を受けてきたせいもあったのだが。
つまるところ、足さばきーーいわゆるフットワークというのは何のかんのと言っても、すり足が一番無駄がなく疾い。確かに一見するとボクシングなどでよく見られるステップワークなどには派手で華麗なイメージがあり、すり足は地味に見える。しかし、ステップだと跳ねるように動く分、体が上下しやすく体重移動が不安定で、無駄な動作が多くなるものなのである。ちなみに言えばボクシングなどでも、本当に強い選手は膝を柔らかく使うため、ステップしているように見えてキチンとすり足が出来ていたりする。
さらにいうが以前、筆者がある柔道の試合のVTR映像を見た時の話。
中学生の試合だったのだが、片やユルユルとすり足を使い、対して相手の選手はピョンピョンと派手に飛び跳ねていた。どちらが勝つかはすぐに分かったし、全くその予想通りになった。以上は余談。
「小野派一刀流などでは昔は、道場の床一面に小豆を撒いた上で稽古させたそうだ。そうすると、踏み込み足を使うと足がたちまち炎症を起こす。だから、皆必死ですり足を覚えたらしいな」
「でも先生、アタシは特にワンツーの練習の時は、足さばきは意識してませんでしたが」
「そりゃあそうだろうな。オレも、こうしろとは言わなかったからな」
「剣道の時はすり足が使えてるのは分かりましたけど、ワンツーの時はどうなってるのか分かりません。使えてますか?ワンツーの時も、すり足が」
「使えてるよ、問題ない。何故なら」
半信半疑の有美里に、勇吾ははっきり答えた。
「足さばきに関しては、オレがキミに教えたのは、すり足だけだ。ほかのなんか、やりようがないだろ」
季節が変わり時間がながれるなか、有美里が勇吾とマンツーマンで稽古する日々がつづいた。
有美里は抜群の吸収力をみせ、勇吾が指導するものをまたたく間にモノにしていった。
防具をつけてからの成長の早さは、勇吾も驚くほどだった。何しろ反射神経がすごい。動体視力がすごい。下半身にバネがあるので足さばきも早く、スピードもある。竹刀さばきさえ手の内を意識してキチンとすれば、今すぐ試合に出してもそこそこ勝てそうだった。
この頃にはもう、勇吾は有美里に居合道も手ほどきし始めている。こと剣に関していえば言うまでもなく、竹刀のみならず刀を振ることにも慣れた方がいい。
剣居一体、という教えがある。剣道も居合道も一つの如し、つまりどちらもクルマの両輪のように、揃って出来てこその剣の道。簡単に言えばそういう事だ。
空手で言えば、型も組手も両方そろってこその武道であり、空手と言える。それと同じ事なのである。これが勇吾の考えであり、意見だった。
(竹刀で打ち合いばかりやらせても仕方ない。
形もキチンと極めるようにしないと、試合で一本にならないからな)
それには居合の稽古が一番というわけだったからである。
まさに今や、「天才女流剣士」仲村有美里が生まれようとしていると言えた。
(もしかすると、オレは怪物を育てようとしてるんじゃないか)
勇吾は正直、空恐ろしくなる思いの中にいるのだった。