危機、一発(されかかる)
いつもの場所で、いつもの時間にスクール・バスを降りた。
仲村有美里はいつもの家路をいつも通りに歩きはじめた。
同年代の女子とくらべても、背は高いとはいえない。
その割に、肢体は中学生とは思えないほど発達している。
顔は、まあまあ、美人の部類に入る。入るのだが、それを感じさせないのは、目立たないようにかけている黒縁メガネのせいばかりではあるまい。
そのメガネの地味さにも勝る彼女の特徴は、つまり、致命的なほどに笑顔がないことであった。
めったに笑わない、どころではない。とにかく、笑わない。授業中に何かの理由で、例えばクラスメートの誰か、あるいは教師などが冗談をいったり、それでクラス中が笑いに包まれても、有美里だけは笑わなかった。
笑いのツボが世間とズレているのかもしれないが正直、世の中の何が面白いのか分からない。
家に帰っても、共働きの両親は当然、いない。兄弟もいない一人娘のため、有美里はひとりだった。
いや、ただのひとりなら、まだ良かったかもしれない。
彼女が本当の意味で、ひとり、になるのは夜、両親が帰宅してからだ。特に問題があるのは父親だった。
普段は借りてきた猫のように大人しいのだが、アルコール依存症、つまりアル中で、わずかでも酒が入ると人格が豹変する。少しでも気に入らないことがあると、母や自分に当たり散らし、怒鳴りまくるのだ。
いわゆる酒乱であり、家にいる時は酒が入っていない時がほとんどない。さらに始末が悪いのは基本的に小心者のため、職場や近所づきあいなどでは愛想良くふるまっている外面がいいタイプ、ということだった。
酒を呑んでいないかぎり、大したことをやるなり言うなり、どちらもできる度胸はないくせに、である。
こんな父親だったので自然、有美里は父親が嫌いであり、夕食が済むとすぐに二階の自室にこもるようになっていた。部屋にいさえすれば、父親の理不尽な八つ当たりにあわずに済む。いつの頃からか、母親も父親を相手にしなくなり、夕食の片づけが済むとさっさと入浴して寝てしまうようになっているようだ。
所詮周りに人がいればこそ当たるが、そうでなければ黙って呑んで管を巻く。それしかやり様はなかろう。
田んぼ道のすぐ脇、用水路ののり面に差しかかった時だった。
「ねえ、ちょっと」
やや尖ったトーンのある、有美里と同世代くらいの若い女の声に呼び止められた。声に聞き覚えがある。
無意識にからだがビクリとした。
バス停からの通り道の途中、道からやや外れるが小さな祠がある。何を祀っているのかは分からなかったが、きちんとこれも小さい申し訳程度の鳥居も設えてあり、それを見ると、いかがわしい神様を祀っているわけではないだろう。
声は今しがた有美里が通り過ぎた、その祠の方からした。立ち止まり振り返った有美里の前に祠の蔭から、これは多分にいかがわしい格好の女が姿をあらわした。
「市子」
わずかに声を震わせながら、有美里はその女の名を呼んだ。
沢村市子、通称、イチコロ。有美里のクラスメートである。有美里ほどではないが、14才とは思えない発達した肢体と、これまた中学生ばなれした美貌の持ち主だった。小柄な有美里とちがい、背丈もスラッとしているため、ちょっと中学生には見えない。
そして今日はさらに、ただでさえ大人びた容姿を際立たせるような格好をしていた。胸元の開いた、豊かな胸の谷間も露わなクリーム色のワンピースの上に、合成皮革らしい赤のジャケットを羽織っている。うっすらと化粧もしているようだ。そういえば今日、市子は学校には来ていなかったことを有美里は思い出していた。
「有美里、ちょっとまた、コイツらと遊んでよ」
市子の言葉が合図だったのか、祠の蔭にかくれていた男たちが次々に姿をみせた。人数は三人、市子のとなりに横並びにならぶ。
いずれも派手で奇抜なファッションに身をつつんでおり、市子同様、この神聖な場所にはふさわしくない格好だった。
「よう、有美里。またこの前みたいに相手してくれよ」
右から二人目の男が、ニヤニヤしながら言った。言われて有美里は気づいた。髪を金髪にしているので最初はわからなかったが、やはりクラスメートの内藤である。
その両隣をみれば、内藤の左はこれも同クラスの坂本、右は隣のクラスの渡部だった。
内藤は市子の彼氏であり、この男三人組のリーダー格だ。中学生ながらバスケ部だっただけに背が高く、180センチに迫るものがある。端正な甘いマスクに似合わず、ケンカも強い。
「なあ、また早くやっちまおうぜ」
小太りでチビの坂本が急かした。
「オレ、もうコイツの姿を見てから、思い出しちまってもう、我慢できねえよ」
やせノッポの渡部が下品な笑みを浮かべて言った。
いつの間にか全員、有美里を囲むように近づいて来ている。逃さないつもりのようだった。
彼らがいうあの時とは、有美里にとっては思い出したくもない、悪夢の記憶に他ならない。
一ヶ月くらい前、市子から「話があるから」と連れ込まれた体育倉庫。市子だけかと思った、そこには内藤たちもいた。
すぐ力づくで押さえつけられ、猿ぐつわを噛まされた。
制服を剥ぎ取られ、三人に変わるがわる犯された。
最初は内藤だった。後はもう、よく覚えていない。
有美里は当然、初めてだった。最悪の形でのロスト・ヴァージンだったとしか云えまい。
その、有美里が陵辱のかぎりを尽くされる一部始終を、市子は笑いながら見ていたのである。
有美里は逃げようと試みた。だが、心とは裏腹に体が動いてくれないのだった。それは絶対的なトラウマを植えつけられたことが原因の、圧倒的な恐怖ゆえだったが、それは今の有美里にわかるはずもない。
「悪く思わないでよね」
市子が有美里をにらむように見ながら言った。この時にはもう、坂本と渡部に腕をがっちりと掴まれている。
そのまま、祠の蔭に引きずられるように連れ込まれた。
つい先程まで、四人がかくれていた場所だ。
ここは前を通る道からは死角になっており、大声でも出さないかぎり、気づかなくなっている。
有美里は知らなかったが、地元では恋人たちの逢瀬の穴場だった。
「ウチの彼氏さ、前からアンタとやってみたいって言ってたのよ。ああいうパッと見が地味な子ほど、脱がせりゃエロいんだよ、とか言ってね」
「へっ、よく言うぜ。お前こそ、オレが他の女を目の前で抱くのを見たあとにやると興奮するなんて言ってたじゃねーか。この、逆寝取られ願望女」
内藤はというと有美里の正面に立ち、彼女の身体を上から下まで舐め回すように見た。心持ち、有美里の制服の胸元を一瞬凝視してから通り過ぎ、また胸に戻る。
今度は胸に視線を留めたまま、右手を伸ばしてきた。そのまま制服の上から、有美里の豊かな胸を遠慮なく弄る。
「やっばりでっけえな」
堪んねえ、そう言いながらわずかな一瞬、恍惚の表情を浮かべた。
有美里は鳥肌が立つ嫌悪感の中、身を捩って逃れようとした。しかし、左右の腕を坂本と渡部に掴まれているため逃げられなった。
内藤は今度は制服の前ボタンを、次いでブラウスのボタンに手をかけて外し始める。わざとらしい動きのスローモーさに、女体への妄執が伺えた。
下着が露わになったところで、今度は下に移った。
スカートのホックを探り当て、外す。有美里のスカートが足元に落ちた。
内藤がパンティの両脇に手をかけると、坂本と渡部が、有美里を無理やり引き倒した。脱がせやすいようにだ。
なんとも下品な阿吽の呼吸である。
有美里は抵抗できなかった。元をただせば、普段さして会話を交わしたこともなかった市子の呼び出しをなぜ、その時点で不審に思わなかったのか。今さらながら自分の危機管理意識の低さに腹が立つ。
内藤はというと、とうとう、ふたたび有美里のパンティを剥ぎ取ることに成功した。
そのまま足元に、丸くなったパンティを落とす。
ストン、という音が聞こえそうな落ち方だった。
「さて、と」
内藤は両手を有美里の両膝にあてがった。そのまま力づくで一気に拡げようとする。
有美里はとっさに、両足に力を込めて抵抗した。そう簡単に二度も三度もやられてたまるか。その思いがまだ、どこかに残っていたらしい。
「おーおー、あがけ、あがけ」
内藤が有美里の抵抗を愉しむかのように言った。
「その方がかえって、燃えるってもんよ」
内藤がいうと、坂本と渡部が下卑た笑い声をあげた。
同時に内藤が有美里に、強烈な平手打ちを見舞う。
瞬間、有美里の下半身から力が抜けて、内藤は有美里の両足を一気に開かせていた。
有美里は悔しくてたまらなくなった。こんなしょうもない男どもに好きにされて、抵抗することもできない。
所詮女は男に、力では絶対にかなわない。
「やっと諦めやがったか」
内藤がほくそ笑み、勝ち誇ったように右手指を有美里の股の割れ目にねじ込もうとした、正にその時だった。
「何やってんだ、お前ら?」
祠の表側から若い男の声がした。同時に、二十代半ばくらいの男が様子をのぞくように顔を出す。
「どうやら一目瞭然か」
男は一目で状況を理解したらしい。
整った眉間に皺をわずかに寄せながら祠の脇から、いま有美里が内藤らに組み敷かれている裏側に、ゆっくりだが確かな足取りで立ち入って来た。
見るものが見れば隙のない、相当に武道の修練を積んでいると分かる足の運びである。が、内藤らにしても有美里にしても、中学生には分かるはずもなかった。
「何だ?テメエ?」
当然というべきか、内藤が真っ先に気色ばみながら立ち上がった。
「見たところキミら、W中の生徒だろう。だったら一応オレは、キミらの先輩になるんだがな」
男は静かにいった。落ち着いている。目の前で、今まさに輪姦劇が行なわれようとしていたのは承知だろうに、まるで分かってはいないかのようだ。
男は内藤から3メートルの間を取って立ち止まった。上下ともグレーのトレーナーを着ている。どうやらジョギングでもしていたのか、うっすらと汗をかいているようだった。背は、低い。この中で男よりも背が低いのは有美里を除けば坂本と、おそらくは市子ぐらいだっただろう。
「先輩だから何だってんだよ。余裕かましてんじゃねえぞ、コラッ!」
内藤が男に近寄るなり、右手で胸ぐらを掴んだ。中学生ながら内藤の方が頭一つ大きい。内藤にしても、目の前の男が自分より小さい分、大したことはないと高をくくっていた。
どうしても先ず、見た目で人を判断しがちな年頃である。大した根拠もなく、やたらと自信を持ちがちな年齢でもある。
「オレラは今、これから、この女と青春を楽しもうとしてたんだよ。無粋な邪魔しねえで、すっ込んでてくんねえかな?オッサンよ」
その年相応の人をナメた態度と口調のまま、内藤は男に言った。無論胸ぐらは掴んだままだ。
だが男は、まだ落ち着いていた。中学生とはいえ前にいる相手の数は男が三人、女一人。しかも内ふたりは自分より背も高いというのに、まるで意に介していない。
「青春、ねえ。男三人がかりで女を押さえ込むのが、か。そういうのは青春とはいわん。ただの強姦と言うんだよ」
相変わらず男の表情に変化はない。眉間に皺はよったままだが、それを除けば無表情といえた。口調も、穏やかでさえあった。
その落ち着きはらった態度が内藤をよけいにいらつかせたらしい。声のトーンが大きく、激しくなった。まだ中学生ゆえに無理はないが、大声をだしてコワモテで怒鳴れば相手はビビる。そう信じて疑わないのは、典型的なチンピラの常套手段である。
「さっきからいちいち、気に入らねえな、テメエ」
わめきながら内藤は、胸ぐらを両手でつかみ直した。完全にまだ、男よりも自分の方が格上だと思っている。そう、目の前のコイツが俺より上なのは、年だけだ。これがまさか、躱せるはずがない。
内藤は胸ぐらをつかんだ手はそのまま、
右ヒザを突き上げた。ヒザは狙いたがわず、男の腹に突き刺さる、はずだった。
内藤の右ヒザは、空を切っていた。さっきまでそこにあったはずの腹がなかった。だけでなく、いつの間にか両手の感触までなくなっていた。掴んでいたはずの胸ぐらがほどかれている。
有美里は男の動きを、信じられずに見ていた。市子や坂本、渡部も呆然としている。
男は内藤の両手のあいだに己が両手首を差し入れると、左右に広げたのである。
力などまるで入っているようには見えなかったのに、内藤のつかみは簡単に外されていた。そして、胸元の拘束を解くと同時に、男は内藤の右脇に移動していたのである。その場の誰もが一瞬、認識するひまもない早業だった。
内藤も一瞬わけが分からなかったらしい。キョトンとした顔をした。それも一瞬で、自分が軽くあしらわれたことを即座に悟ったようだった。
「この野郎っ」
激昂した内藤は、右拳を耳の後ろあたりに振りかぶった。頭に血が昇った状態で出す攻撃など、だいたい限られる。
果たして腰の入った見事なストレートだったが、フルスイングであることに加えて多分に余計な力みがある。
当然男は読んでいたらしい。体をわずかに開き余裕をもってさばくと同時に、右手首を掴んだ。
「感心せんな」
ノンビリと言った時には、内藤の右手首を極めている。激痛を感じた内藤は無意識に、苦痛から逃れようとして自ら投げ飛ばされる格好になった。
合気道のお手本のような投げが決まり、背中から地面に叩きつけられた内藤が苦しげに喘ぐ。少しでも空気を肺に取り込もうとして、身を捩っていた。
「覚えておくといい。見た目で人を判断はしない方がいいな。でないと、地獄をみることになる」
男は冷静に、感情を表さない声で言った。内藤だけでなく、他の三人にも向けた忠告ではあっただろう。
坂本に渡部、市子はというと、呆気に取られたまま動けない。坂本は何かを言いたいのか、しきりに口をパクパクさせている。市子はというと、ようやく自分の彼氏がどういう相手に突っかかっているのか理解したらしい。すっかり青ざめていた。
「あっ、この人っ、そういえば」
内藤が手もなく伸されたのを見た渡部が、何か思い出したように叫んだ。
「ウチの兄貴がいってた、上村勇吾さんって人だ。間違いねえ」
「何だよ、そんなに有名なヤツなんか?」
まだ渡部とともに有美里を押さえていた坂本が、震える声で聞いた。
「有名も何も、半グレとつながりがある兄貴が言ってたんだよ。何があっても上村さんとはモメるなっ、てよ」
「マジかよ?!」
渡部が青い顔で肯いた、その時。
「や、野郎、フザケやがって」
荒い息をつきながら、内藤が立ち上がった。ズボンのポケットに手を入れる。出した右手の中でパチリと音がした。
小さいが、折りたたみ式のナイフである。
「ぶっ殺してやる」
「おいおい、出したからには使う覚悟があっての事なんだろうな」
男、つまり上村勇吾はなお、表情も口調も変えない。どうやらこの状況になってもまだ、道場での稽古程度にも考えていないらしかった。
「二つだけ、教えてやろうか」
勇吾は世間話でもするようにいい、自分から友に歩みよるかのような調子で、一気に内藤との間をつめる。
勇吾がナイフを見せれば動けなくなるだろうと思っていた内藤は、完全に虚をつかれた。
あわててナイフを、中途半端に突っかけたが、牽制にしろ脅しにしろ、どうとも見えない攻撃である。
突き出された内藤の右手首を、今度は勇吾は右足のクツの脇で蹴りはらっていた。絵に書いたような三日月蹴りが決まり、内藤の手からナイフがすっ飛ぶ。
「つ、痛っ」
思わず右手を押さえて、内藤はうずくまった。もはや右手は痺れて使えないはずである。
「ナイフってのは、脅しの道具じゃない。使う度胸がないなら、最初から出すべきじゃない」
勇吾がそういった側で、ようやく市子が内藤に心配げに駆け寄った。やっと我にかえったらしい。
「もう一つ、使うその瞬間まで、簡単には出さない事だ。相手に見せず、持っている事すら、悟らせない。見せたら最後、本当に使うしか手がなくなる」
渡部と坂本が有美里から手を離した。必然、内藤らの隣に並ぶ。
「出したら迷わず、躊躇わずにその瞬間に刺す。それがナイフの鉄則だ」
勇吾はさらに、止めのようにひと言をいい添えた。言った時はじめて、それまで決して見せなかった、凄みのある目になっている。
「少なくとも、オレの知っている世界のヤツらは、皆そうしている」
ここに至って四人は、本気で震え上がったと言っていい。誰からともなく、お互いに顔を見合わせた。
と見る間に四人とも、一斉に走り出した。勝てない相手、どころではない。自分たちが刃向かってすらいけない。
四人が四人とも、上村勇吾をそういう相手だと認めたのだった。
それでも内藤の唇の形は(覚えてろ)という風に開き、去り際まで勇吾に横目で視線を据えていた。
同様に市子も、キツい目つきで有美里を睨みながら逃げていった。
有美里はというと、自分が窮地を脱した事よりも、さっきまで自分の眼前で繰り広げられた大立ち回りが眼に焼きついたままだった。
まるで映画の殺陣の如き鮮やかさ。彼女にはそうとしか思えなかった。
「キミ、大丈夫か?」
勇吾がそう言いながら有美里の側に近寄ってきた時、だからこそ、彼女はとっさに立ち上がりざま、礼を述べるのがやっとだった。
「あ、あの、ありがとうございました」
ここに来て初めて勇吾は、あることに気づいた。自然、困ったような、仏頂面なような、どう言っていいか分からない複雑な表情になった。
「それはいいんだが、礼なんか言う前に」
その顔のまま、言った。
「パンツを履けっ」