柔道家のブサメンの嫉妬はかなりみっともない
深沢賢治は、駐車場の片隅でその一部始終を見ていた。
やり取りに聞き耳を、立ててもいた。
歯ぎしりが、止まらなくなっている。
事実、歯噛みすることしきりの思いで、その光景を見ていたからである。
深沢は何を見ていたのか。
ある一組の若い男女の、やり取りだった。
男は、上村勇吾だった。
女は、牧陽香だった。
深沢がいる駐車場も、ASKLOKのO営業所内の駐車場であった。
「・・・上村の、野っ郎ぉぅ・・」
咥えていたタバコと共に、吐き捨てるように毒づく。
火の点いたままの先端が、アスファルトの地面に当たって火花が散った。
柔道三段の深沢は、社内では柔道部に所属している。年齢は勇吾の二つ上。
高校時代にインターハイの個人戦で全国ベストエイト。その実績を買われて入社しただけに、なまじ腕にもそれなりの自信がある。
「オレの、陽香ちゃんに、よくも」
オレの、と言ってはいるがこれは深沢が勝手に言っているだけであり、牧陽香と深沢は別に、恋人同士な訳ではない。
深沢の身長は、180センチ近くある。しかし、それ以上に、横幅と厚みがあり過ぎる。
どちらも勇吾の倍、腹回りに至っては三倍近い。
加えて柔道の稽古により、まるで鼻が潰れたように鼻穴がほぼ前を向いている。一目で豚を連想させた。つまりは一言で、醜男と云える。
つまり、深沢ははっきりと言えば、女性にモテるタイプとはお世辞にも言えない男だったのである。
故に、深沢のこの「オレの・・・」などという勝手なセリフを安易に使われた上に、もしも直に聞かされたりしたら、牧陽香はおそらく露骨に嫌悪感を示すはずだった。
事実、牧陽香はこの深沢の、独善的で自意識過剰な性格を嫌ってもいた。
何度となく、しつこいくらいにデートに誘われてもいたのだが、受けつけないのは彼女でなくとも当然だろう。
しかし当の本人はというと、まるでそのことに気づいていない。あるいは、気づいていてもお構いなしなのかは分からないが、この辺の独りよがりな性格も深沢が女性にモテない一因になってはいるはずである。
「オレがいくら誘っても、乗ってこねえのに、それが・・・」
怒りと嫉妬がありありと浮かぶ顔で、深沢のボヤきは続く。
「オレが早々に目ぇつけてたのに、横から、掻っさらいやがっ、てぇぇぇっ・・・」
これも筋が違う。
そもそも勇吾は別に牧陽香にモーションをかけていた訳ではなく、むしろこれは逆である。
しかも、誰のデートの誘いに乗るも乗らないも、誰もが自由であり、牧陽香にだって逆に男性の誰かをデートに誘う権利がある。
この場合は、その相手が勇吾だったというだけの話しなのだ。
さらに言えば、勇吾は陽香を口説くようなことは何一つしていない。
勇吾にしても、恨まれる筋合いのない話しであり、深沢の勝手な都合と云えた。
鼻息の荒いまま、深沢は自分の車の運転席に乗り込んだ。
赤のトヨタ、86(ハチロク)だ。
深沢が巨体を沈めたことで、シートが窮屈そうに撓む。
この車だって、陽香ちゃんを助手席に乗せたくて、半年前にローンで買ったんだぞ。
なのに、これを見せた時のあの、冷たい目と言葉は、何だよ?
━━━アタシ別に、彼氏が乗る車は軽でも構わないんで━━━
深沢は、改めて歯噛みしながら、その時の陽香のセリフを思い起こした。
実はこれは、陽香は暗に拒否していたのだが、どうやら深沢のような男ははっきり言われないと分からないようである。
そしてこの手のタイプほど、はっきり拒絶されても自分の都合よく解釈し、ストーカー化しやすい。
どうにも困った男のようである。
その困った男は、86のエンジンを始動させるなり呟いた。
「見てろ、あの野郎、今夜のうちにさっそく、陽香ちゃんの目の前でギタギタにしてやるぜ」
そうすれば、陽香ちゃんだってオレに振り向くはずだ。間違いない。
深沢はまた勝手に確信していた。
実際にはこれは、全くの逆効果になる方が間違いないのだが、既に嫉妬に狂った男にはそんなことも分からなくなっている。
「目指すは、あいつのキックのジムだな」
PCK新川ジム。あそこだ。
深沢は場所の記憶をたどっている。
実は前にも一度、体験入門を希望してジムを訪ねたことがあった。
理由は一つ、勇吾を合法的にボコボコにしたくて、である。
そもそも深沢は以前から、勇吾を気に入らなかった。
飄々(ひょうひょう)としていて掴みどころがなく、剣道が多少強いくらいのくせに、なんであんなに社内の女子にモテるんだ。
これが深沢の、勇吾に対する人物評の全てだった。
深沢のような男の判断基準では、間違いなく勇吾よりも自分の方が強い。その根拠は単純に、自分の方がデカいから、というところにすぎない。体格の大きい方が強いに決まっている。そうとしか、思っていないのである。
長沢邦章や阿部真二が聞いたら、こう言って呆れ、笑い転げるだろう。
━━随分と、軽く見られたもんだな。大した深い人物評だ━━
ナメられてるぞ、勇吾。最後にはそう言うはずである。
その深沢が勇吾をナメている理由というのが、前に新川ジムを訪ねた時にある。
勇吾と体験スパーをした(もっとも、これも深沢が強引に要求したことで、矢部壮亮が仕方なく受けたもの)深沢は、勇吾と互角のスパーをした。したように見えた。
そう、あくまで互角なように見えただけだ。
言うまでもなく勇吾がかなり手を抜き、半分も本気を出さずにいただけだったのだが、反対に深沢はすっかりその気になってしまったのである。
(何だ、これでもプロに相当するって?キックってのも案外、大したことねえな)
基本的に身の程を知らない男である。自意識過剰が服を着ているような男なので、自分はキックをやらせても強いと思い込んでしまった。
それゆえに深沢は知らない。
自分が意気揚々と上機嫌で帰ったあと、苦笑する勇吾を囲んで矢部や草刈大夢ら、ジムの面々が笑い転げていたことを。
━━━かなり手加減されてたってのに気づきもしないで、おめでたい奴もいたもんですね━━━、とは草刈の弁であり、
━━━どうやら、あの体格だからだろうが、本気でやればオレの方がずっと強い、とでも思ってるんだろう。何とも、おバカなヤツもいたもんだな━━━━、と矢部などはもはや呆れていた。
そうとも知らずに、深沢はギアをDレンジに入れると、アクセルを踏み込む。オートマ車であり、スポーツカーゆえのマニュアル車ではなかった。運転は下手な方だからである。
「覚悟しろよ、上村ぁ」
毒づく持ち主の言葉に被せるように、赤の86のエンジンが咆哮していた。




