物騒なオジさんは立合いがしたいと、女を口説くように迫る
神社の境内だ。
時刻は、22時過ぎぐらい。月は出ていたが、小さな水銀灯が一つ点いているだけで、境内は暗かった。
むろん、人の気配はない。
大きい神社ではない。主祭神がなにか、それも分からない、小さな神社だった。
石を模して設けられた階段を二十段。その中間に二、三歩ほどの踊り場があるので、ちょうど十段ずつの階段を二度上った先に、その神社がある。
階段を上がったところで鳥居をくぐって、左手が手水舎。奥が本殿でその手前までは、鳥居から伸びた参道である。
本殿の奥に、屋根の倍ほどの高さに杉の木が何本か伸びていた。風はほぼ、ない。杉の木は揺れていない。
手水舎の向かい側、参道をはさむ形で社務所があったが、電気がついていないところを見ると、普段は無人らしい。
その参道をはさんで、玉砂利の上に二人の男が対峙していた。
ひとりは、上村勇吾だった。
ひとりは、早川新甲だった。
間合いは、お互いに一歩踏み出せば、何かしらの攻撃は届く距離だ。逆にいえば、まだ互いの技が届かない間合いを保っていると云える。
阿部真二はといえば、勇吾の斜め後方、手水舎の前に立っている。これから始まることの、顛末を見届けるためだ。
何が始まるのか。
それは、阿部にも分かっていた。
(恐らく、身の毛もよだつものが見れるかも、な)
阿部は想像しながら、僅かに身震いした。
恐怖、からではない。期待と、興奮で、である。
血が騒ぐ。そういった方がいいかも知れない。
いや、これは、武道家の血が騒ぐというより、もしかしたら、ただの怖いもの見たさなのかも知れない。
(話に聞いてた通りなら、それがこれから、間違いなく始まる)
阿部は思い出していた。先刻の焼肉屋の店内での、勇吾と早川の会話をだった。
(あの早川ってオヤジ、確かに、リアルバウターといった)
と、いうことは、それを知った上で、勝負を挑んできている。
すなわち、上村勇吾にだった。
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勇吾は早川を、黙って見つめていた。
殺気は、この場に来てからも、膨れ上がったままだ。焼肉屋を出てから、場所を探して、この場にたどり着いた。人目につかない、ケンカするのに絶好の場所。探しているうちに、誰からともなく、境内への階段を上がっていた。
その間焼肉屋からずっと、この男は、不気味な殺気を放ち続けていた。
首すじが、ひりついている。鳥肌がたっている。
早川が放つ、殺気のせいだった。
血が沸き立つのを禁じえない、極上の殺気だ。
つい、その気にさせられる殺気である。
間違いなく、本気にならざるを得ない、そういう殺気であった。
(どんな美人の誘いよりも、強烈だ)
それが今の、勇吾の本音である。
決して乗ってはいけない、危険な誘いだ。
それは、分かっている。
乗らずにはいられない、甘美な誘いだ。
それも、分かっている。
(何だか、ゾクゾクしてきた、な)
勇吾は自分の口角が、大きくつり上がったのを自覚できていなかった。
早川に、期待している。
その危険さに。不気味さに。何よりもその、得体の知れなさにだった。
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早川新甲は、震えを抑えきれなかった。
怖いから、ではない。期待、とも少し違う。
武者震い、などでもない。
なにか?何からくる震えなのか。
早川には分かっている。
愉悦だ。喜びの極みだ。
長年追い求めた理想の女に、ようやくめぐり逢えた。その女をこれから、口説きおとそうとしている。
腕ずくで。
力ずくで。
どんなことをしても、物にしたい。
そうとしか云えない。
云えないが、問題が一つだけある。
それは相手が女ではなく、男だということだ。
いま、その男が、目の前にいる。
上村勇吾という男だ。
剣道家で、キックボクサー。そして、日本中のリアルバウターが標的としている漢(おとこ)である。
自分が上村勇吾を、いつから追い求めるようになったか、記憶はない。
気がついたら、追い求めていた。推しの女優やアイドルを追うのに似ていなくもなかった。
我ながら、変態だなとも思う。
決して、性的嗜好はゲイなのではない。
むしろ、女は、好きな方だ。
その女を、敢えて普段は遠ざけながら、この道を歩んできた。
この年になるまで、だ。
それが間違いだったのか、そうでないかは、自分には分からない。
その答えは、この漢が、教えてくれる。
間違いなく、そのはずだ。
上村勇吾が、だ。
そう、確信していた。
さあ、早く始めるとするか。
さっきからもう、ウズウズしてるよ。
早く、交わりたい。ヤリたいんだよ。
お前と、アンタと、血が出るほどに、な。
ナニい?せっかちなんて言うんじゃないよ。
だから、早く、ヤラせてくれよ。
濃厚なヤツを、たっぷりと、さ。
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(何か、ちょっとしたことだな)
阿部は、感づいていた。
何かしら、わずかな弾みで、この均衡が破れる。
そのきっかけは、本当に、ちょっとしたことでいい。
近所の主婦の笑い声。
近くを通りかかったクルマの音。
自転車の急ブレーキの軋み。
なんでもいい。
二人とも、そう思っている。探り合いになっている。
きっかけとは、すなわち、先制攻撃のための隙きだ。
阿部はいつしか、その瞬間を見逃すまいと、瞬きすらも忘れていた。
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それは、突然だった。
勇吾と早川の間、参道の上に、一匹の黒い野良猫が駆け込んできた。
一目散に黒猫が本殿の床下に潜り込んでいった。
その瞬間、それは始まっていた。
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「じゃぁっ!!」
気合いとともに、早川が右足を蹴り上げた。
前蹴りだ、が、大きな蹴りではない。
ごく小さい、膝を支点にして、振り上げただけの蹴り。
たが、それで充分だった。もとより、当てようと思って出した蹴りではない。
狙いはそれよりも、別なところにある。
早川の振り上げた右足の下から、無数の玉砂利が舞い上がっていた。
そう、目眩ましであり、フェイントだった。
勇吾が右手で、砂利を払う。
かかった!
早川は、一気に踏みこんでいた。してやったり、と言わんばかりに、口元に怖い笑みが浮いている。
左手を、思い切り伸ばした。勇吾の顔面にめがけて、である。
パンチではない。掌底でもない。手刀でもない。
伸ばしたのは、指先を開いたまま、下向きにした手の平だった。
狙いは他でもない、勇吾の両目である。
そう、目潰しだ。
よく、空手でいうところのそれは、人差し指と中指の指二本を伸ばして突く、いわゆる「二本貫き手」のイメージがある。
しかし、実際に有効なのは、この方法なのだ。
こうすると、仮に多少、躱されても、どこかの指は入る。少なくとも、まるっきりのハズレになる確率は低くはなる。
勇吾はといえば、まだ、その場に立ったままで動いていない。
早川の左手が、指先が勇吾の顔面に達したように見えた。
が、届かない。その刹那には、勇吾の顔面はそこになかった。
勇吾は目潰しを、僅かに頭を下げて躱していたのである。ヘッドスリップだ。
目潰しを躱された早川の懐に、勇吾の顔が浮かび上がった。早川には、そう見えた。
勇吾は躱しざま、踏み込んでいたのだ。
ゾクリ、としながら早川が、右フックを繰り出す。
勇吾がニマリと笑いながら、読んでいたと言わんばかりに右フックをブロックした。
それと同時に、ブロックしながら右手で何かを早川の顔面に叩きつける。
瞬間、早川が頭を左に振りながら下がった。
勇吾の右手から、何か無数の、小粒な物体が飛んだ。それまで早川の顔があった空間に、である。
玉砂利だった。勇吾は先ほど、早川が蹴り上げた玉砂利を、払うだけでなく、何粒か掴んでいたのである。今度は逆に、フェイントではなく、攻撃に利用したのだった。
もっとも勇吾も、ダメージを与えることを狙ってはいない。取られかけた先手を取り消しにするためだった。
下がった早川を、勇吾が追う格好になった。
左に傾いている早川の頭部に、勇吾の右ハイキックが伸びる。
早川が左腕でブロックした。
すかさず勇吾が左ジャブ、右ストレートとワンツーを見舞う。
早川は左右の手で捌きながら、一気に今度は飛び下がり、間合いを切る。
再びの、対峙になった。間合いは三歩ほど。
勇吾は、傷ひとつ、負っていないように見える。
早川も無傷、ではなかった。右目の目尻がきれ、頬に血が伝い流れている。
先ほどの勇吾の投げた玉砂利を、全ては躱しきれなかったらしい。
早川が、ニタリと笑った。流血と相まって、凄絶な微笑みだった。
「愉しいな」
「愉しいな」
「期待通り、じゃ、なかったがな」
「失望させてしまったか?」
「いや、逆さ。期待以上だよ」
「そりゃあ、どうも」
「礼をしないと、なあ」
「いらん、といったら?」
「そういうアンタじゃ、ないだろう。噂の通りなら、な」
「確かに」
勇吾がそう答えるのが、先だったのか後だったのか、早川がまた先に動いた。
革靴の右爪先を、また飛ばしてくる。
ただし、今度は、爪先を当てにきていた。
尖った靴先を、勇吾の前足に、である。
狙いは恐らく、脛だろう。
蹴りを当てようと思えば、一番近い部位だ。
空手家やキックボクサーなら、やり慣れた者なら例外なく、鍛え上げている部位でもある。まともに蹴ったところで、たいした効果が見込めるものではない。
だが、尖ったもので一点集中で蹴り込めば、一瞬なら動きを止める効果はあるだろう。うまくすれば、脛の骨にヒビくらいは入れられるかも知れない。それを狙っての蹴りだった。
勇吾が前足を僅かに持ち上げた。前足は左足だ。
早川が伸ばした右の爪先に、勇吾が無造作に左足を伸ばして迎えた。迎えたように見えた。
否、爪先めがけて逆に蹴りを入れたのである。
ボキリ、とも、ゴキンとも聞こえる鈍い音がした。途端に早川が、顔を顰めつつ右足を引っ込める。
勇吾の左足の足底が、逆に早川の爪先を破壊したのだった。
靴の中で早川の足指は、恐らく何本か折れたことだろう。
右足を地に着けた早川が、歯を食いしばっていた。心なしか、姿勢が右足を庇うような形に変わって見える。
「一応訊くが、まだやるか?」
「バカいっちゃあ、いかんよ。オレはまだ、立ってるだろ」
「それも、そうだな」
「そう、情けは無用。どちらかが動けなくならないかぎり、勝負は終らない。それが、この世界のルールだろ?」
「そうだった、な」
「そうとも、仮に死ぬことになろうと、いかなる第三者にもケツを持っていかない。それがこの世界の、暗黙の了解だ」
「念書は、書いてあるんだよな?」
「もちろんだ。ここに来る前に、分かりやすい場所に置いてきたよ」
「遺書にも、見えるだろうがな」
「それは、お互い様だろ。アンタだって、家を出るたびに、常に用意してるはずだよな?」
「ああ、オレもだ」
「なら、さあ、やろうぜ、続きを」
遠慮はいらないぜ。早川がさらに、つけ加えた。
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阿部真二は、息が止まった気分だった。
いや、息もできない、といった方が正しい。
何だよ、何なんだ、コイツらは、コイツらの住む世界は?話しの内容が常識なんかの範囲に、収まってないぞ。
何よりも、エラく物騒な単語が、飛び交ってるじゃないか、さっきから。
まるで話しについて行けない。話しの中に入っていけないというのが、阿部の正直な思いだった。
阿部とて並の漢ではない。伝統空手は実に、五段の腕だ。
(一社)日本伝統派空手協会の全日本選手権、個人組手では、毎年のように上位入賞の常連であり、何度かは優勝も経験している。
のみならず、国体の県強化選手に指定されており、これも毎年、県代表選手に選ばれてもいた。
実戦も幾度となく、経験している。
そのうちの何度かは、生命のやり取りともいえるほどのものだった。
いわば、道場や試合ばかりでなく、ルール無用の修羅場の経験も豊富な男だ。
その阿部が、別次元にいる人間を見るような目で見ている。
勇吾を、早川を、だ。
(そりゃあオレだって、ケンカとなれば迷いなく、目ん玉に指を突っ込むくらいはするが、よ)
これはもう、当事者以外の人間は誰であれ、首を突っ込んでいい話しではない。いや、立ち入るべきではない。
(関わっていい世界じゃあ、ないのは確かだ)
普通の人間なら、だ。そして、目の前にいるのは間違いなく、普通ではない世界にいる男どもなのだ。
少なくとも自分の場合、実戦となれば常に、相手の生命を奪うことまでは考えているわけではない。結果として、それに近くなってしまったことはある。あるが、死なせてしまわない程度に手加減はしていたはずだ。
だが、このリアルバウターと呼ばれるヤツらの世界はどうだ。暗黙の了解でそうだとはいえ、死ぬことになっても、誰かを死なせることになっても納得の上、覚悟の上でいるようではないか。
そして恐らく、いざとなれば、状況が許せば、相手の息の根を止めることも躊躇なく出来る人種だろう。
だと、したらだ。
(誰にも、止められない。そうしていい、とか、そうすべきとか、そういうレベルでもない)
もはや、何人たりとも、最後まで見届けるしかない。それが、この、彼らリアルバウター同士の勝負というものなのだ。
(だったら、割って入るのは野暮、ってモンだ)
阿部はぼんやりと、そのことに思い至っていた。
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(いい、いいじゃないかよ、コイツ)
早川は、悦んでいる。
期待以上、どころではない。噂以上、とひとことでも括れない。
上村勇吾。いつか会えたら、是非ともやってみたいと思ってたんだ。ここ何年も前からな。
無水無月流の皆伝は、もう何年も前に得ていた。だが、途端に、何かがつまらなく感じるようになってさ、気がついたらこの世界に足を踏み入れていたよ。
リアルバウトの世界に、リアルバウターとして。
だが、オレが満足できる相手には、なかなか巡り会えなかったんだ。
ひどく絶望に近い思いで、引退を考えていた時に聞いたのさ。アンタの噂を。
アンタは知ってるかい?
アンタ、この世界じゃ「東北のトラ」なんて呼ばれてるんだぜ。結構な、全国区で有名なんだ。
有名人だけ、あるねぇ。惚れ惚れするよ。えげつないことも、躊躇わないんだもんな。
普通はしないよ、蹴りを靴底で、蹴り潰すだなんてことは。
こっちが目眩ましに使った砂利を逆手に取った使いようといい、アンタも充分、えげつないよ。
何ィ、卑怯というのかだって?
云わないよ、言うわけないだろ。
この世界じゃ、こんなの、食らってやられる方が悪い。何しろ、元々実戦にルールなんかあるわけ、ないんだから。実戦に卑怯もへったくれも、あるわけないよ。
どうやら、右足はもう使いもんにならないな。たぶん、親指から三本、折れてる。爪先に力が入らない。
だから、こっちからは動けない。
それは、アンタも気づいてるはずだ。
だから、カウンターを狙わせてもらうよ。
さあ、早く、仕掛けてこいよ。
とっておきのプレゼントを、くれてやるから。
そうだ、それでいい。
前に出ようとしてるな。
あれ、なんで歩いて来るんだよ?
そんな無造作に、えっ??!
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勇吾は、気づいている。
(右足はもう、使えないはずだな)
早川が右足を後ろに、つまり前足を左足にしている。だが、前足に体重がかかり気味になっているように見えた。
もう、足を使って動くのは無理だろう。
だからこその、どっしり構えて動かないってわけか。
そうなると、狙いは一つ、だな。
そう、つまりは、
(カウンターだな)
オレだって、同じことを考える。
問題は、なにを狙い、どこを攻めてくるかだ。
この場合、オレだったら、どうする?
考えろ、えげつなさを全開にしろ。
そうだ、これだ。
何をやるにも、間合いと間を掴めなけりゃ、それは、狙えない。
よし、じゃあ、アレをやってみるか。
どうなるか分からんから、かなり、ハイリスクではある。
けど、これぐらいはやらないと、アンタに失礼だよな。
常に、全力で、本気で。
それが、礼儀ってモンだ。
なあ、そうだろ?
早川さんとか言ったか、なあ。
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勇吾が間を詰めたのは、確かに無造作、そう見える詰め方だった。両腕は、キックの時のように、いつでもパンチが出せるよう構えている。
勇吾は、剣道のすり足を使っていない。
かといって、ステップを踏んだわけでもない。
まして、下半身のバネを使って前に飛んだわけでは、もっとなかった。
どうしたか。
勇吾は、歩いたのだ。それも、ごく普通に散歩でもするような気楽さで、だった。
しかし、よく見ると、腰があまり深く沈んではいない。上半身がブレず、腰の高さが一定で浮き沈みもなかった。
しかも、一歩踏み出す際は、前足が地面に着くまでは間を微妙に取ってもいた。前足が着地するまでは後ろ足に、つまり全体重は後ろに残っているという、絶妙の体重移動だったのである。
一見無造作に見えたのは、このためだった。
これなら仮に、相手が何かしら攻めを仕掛けても、即座に対応できる、そういう隙のない足さばきでもある。
だからこそ、早川は面食らったといっていい。
間を捉えることが出来ず、気がついた時には遅かった。
勇吾にいつの間にか、間合いを詰められてしまっていた。
「ちぃぃっ?!」
焦ったものでもあったか、早川が舌打ちにも聞こえる気合いとともに、右足を蹴り上げた。前蹴りだった。
既に破壊されている足での蹴り。当然、ダメージ効果を狙ってなどいない。
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右足は、捨て駒さ。
そうだよ。フェイントだよ。左掌で、前蹴りを上から受け、払われる。ほら、予想通りだ。
今度は空いた左の顔面に、右の掌底を飛ばす。
そう、体を右に僅かに傾けて躱すよな。
今度は左手を伸ばしていこう。
打撃ではなく、掴みに行くんだ。
どこを?
右耳を、だ。
右耳を引きちぎろうとしてるかって?
半分は正解だ。だが、半分はハズレだよ。
これも狙っても、簡単に許すアンタじゃないはずだろ。
ああ、やっぱりな、スカされた。
だが、体が真っ直ぐに戻ったな。
待ってたのさ、この瞬間を。
そう、本命はこっちの右さ。
こっちなんだよ。
狙いすました、最高のプレゼントだ。
遠慮なく、受け取りなよ。
なに、お返しなんか要らない。
コイツを、黙って食らってくれよな。
そう、オーソドックスな二本貫き手だ。
人差し指と中指を、両目の中に思い切り突っ込んでやる。かき回し、こねくり回しでやるぞ。
どうやら多分、オレの右足はもう、おシャカだ。
そのかわり、アンタからは光りをもらう。
さあ、受け取れ。
あ、何でそこで左の手首を、オレの右腕に絡ませるのさ。
ダメだよ、さらに背中向けちゃ、まだ立合いの最中だぞ。
こっち向けってば。
あれ、右肘が、いつの間にか極められてるぞ。
背中見せたのは、オレの右肘を、アンタの右腕で、上から捉えるためか。
なるほど、凄えな。
って、いや、よくないぞ。
このまま体を沈められたりしたら。
おい、ちょっと待て。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「○▲✕□っ?!」
早川の呻きは、言語ではなく、音声にもなっていなかった。もはや、ただの音にすぎない。
同時に、ゴキりとも、ボキリとも云えない、どちらにしても、身の毛のよだつような音が境内に響いた。
早川の右肘を極めたまま、勇吾が躊躇いなく、足を前に投げ出しながら尻もちを着いたのである。
プロレス技でいう、ヘッドロックの要領だった。
勇吾が、静かに立ち上がる。
残心を示しながら、振り返った。
その足元では、右腕を折られた早川が、苦悶の呻きを漏らしながら蹲っていた。




