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虎の師匠、女豹の妹子(でし)  作者: 十九川寛章
プロローグ
1/13

お前も、やりあいたいのか?オレと


白い風景だ。田園地帯である。どこまでも、白い。

霧である。どこまでも深い霧である。まるでこの世の白という白の基本というべき色合の白い霧である。

この白さからしたら、女の柔肌の色などまだ、恐らく濃い。

上村勇吾は、その白い田園地帯のなかを走っていた。

この季節、東北地方の片田舎、それも仙台から北に車で一時間強のこの辺りでは、朝晩の気温差が激しい。特に近くに川があることもあり、早朝には霧がつきものである。

視界は悪く、一種不気味ですらある風景だったが、勇吾はこの時期の早朝の、霧の中のロードワークが嫌いではなかった。

警備員という職業がら、日勤もあれば夜勤もある。走るのは当然、日勤の出勤前か、夜勤明けに限られた。

そのどちらの場合に走っても、気分がいい。気持ちがいいのである。 

勇吾は剣道家だ。剣道家だが、アマチュア・キックボクサーでもあった。

清々しい朝の空気の中、走り、時々途中でシャドウを繰り返す。ジャブからワンツー、右ミドルキックから左ハイ、更に空手でいう右上段後ろ回し蹴りへとつなぐ。

勇吾の得意なコンビネーションであり、シャドウの決めパターンだった。

実際にこのパターンで、キックはアマで2勝している。

いつの間にか、いつも通る建物の脇を通り過ぎようとしていた。

地元の人々が「米麦べいばく」とよんでいる農業法人、「諸角もろずみ米麦生産組合」だった。

建物の脇に路上駐車する形で白いカローラが停まっている。「相模」ナンバーだ。勇吾の記憶が正しければ、ここ二、三日ずっと、ここにいる。

米麦の取引先かと思い通り過ぎようとしたその時、白いクルマの先で明らかに別の白いものが動いた。霧ともまた違う白さだった。

「上村勇吾だな」

その白いものは、はっきりわかる声音でそう、勇吾に問うてきた。太い、その気になれば十分ドスが利くだろう声である。

「あんたは?」

肯定する代わりに勇吾は、遠山の目付で相手を観察した。背が高い男だった。180センチは下るまい。体重も100キロ前後はありそうな、一目で鍛え込まれていると分かる体型である。

フルコン系の空手家が着るような道着を着ていたが、左胸に所属先の名が刺繍されていない。

通常、空手家は所属先の名前を道着の左胸に刺繍するものだが、この男はしていなかった。

対する勇吾はといえば身長165センチ、体重60キロほどだ。

一見すると、決して屈強ではない。むしろ華奢にすら見える。それはこの空手家と比べると、正に当てはまる言葉があった。

正反対、このひと言に尽きるだろう。

「三ヶ月前、ここでお前に敗れた空手家がいただろう」

空手家は、浅黒い顔で言った。霧の中でもよく分かる顔色だった。

「あれはアンタの知り合いか?」

「同門だ。覚えていたのか?」

「地元で挑まれたのは、あれが初めてだったからね」

勇吾はさして驚きもせずに応えた。勇吾にとってこういうやり取りは今や日常茶飯事で、最近ではやや、麻痺してきている。

「あの男はあの後、どうなったんだ?」

「死んだ」

今度は勇吾の顔にはっきり、驚きの表情が浮かんだ。基本的に芸能人にいてもおかしくない二枚目だが、したたかに苦汁を飲んだ顔になった。

「死ぬほどのものではなかったはずだ」

「それはお前の判断に過ぎん」

空手家は無表情で構えをとった。隙がない。両腕は上半身を守りながら、膝は適度に弛められており、いつでも飛びかかれるよう力が溜められている。

「まさか、もう始まってるのか?」

「こちらはそのつもりだ」

「待てと言っても、待ちはしないか?」

「無論だ」

男は勇吾の言葉を、それ以上聞く気がないようだった。

「もう三ヶ月も待ったのだ」

浅い呼吸のまま、男は言い切った。

「親友の仇、取らせてもらう」

言葉と同時に男は、右足を跳ね上げた。

蹴るためではない。地面を蹴り上げたのだ。田んぼ道の中は舗装などされていない、砂利道である。当然、石ころだらけであり、男が蹴り上げた地面から、瞬間

無数の石が舞い上がった。

勇吾は読んでいたように、冷静に男の左側に回り込むように足をさばいた。

キックというより、長年の剣道修業で身についた足さばきである。

「せあっ!」

裂帛の気合いと共に、男の左ハイキックは勇吾の顔面を捉え、なかった。

更にそれを読んでいた勇吾が、回り込むと同時に腰を沈めて、左ハイキックに空を切らせたのである。

「ちぃっ」

舌打ちしつつ男が左足を降ろすのと、勇吾の上半身が伸びるのが同時だった。

「しっ!」

低く短い気合いで、勇吾の右の掌打が男の顎を真下からかち上げた。空手でいう掌底である。同時に右足を踏み込みざま、男の軸足たる、右足を払っていた。

果たして男は、見事にひっくり返されて、地面に背中から叩きつけられる事になった。

辛うじて受け身を取り、起き上がろうとしたその時、顔面目がけて何かが降って来るのを自覚した。

次の瞬間、顔面に強烈な衝撃を感じて、男の意識はそこで途絶えることになった。

(顔を、踏まれたのか)

男が薄れゆく意識の中で悟った時、勇吾はもう何事もなかったように、霧の田園地帯の中を再び走りはじめていた。

慌ててはいない。目もくれない。


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