08 レイジ ~見えて来た自分の立ち位置~
デュアンナ・オイホルストは下士官用の食堂で昼食を済ませる事を一切やめた。
本来ならば彼女が下士官用の食堂を避ける要素など全く無いほどに、味も量も満足する日々が続いていたのだが、やはりそこには教育隊の暗い影が影響していると言わざるを得ない。
彼女を侮辱したシュライフマイサー大佐自身は高級士官用の食堂に出入りする事から、直接彼と顔を合わせる事は無いのだが、大佐の薫陶が行き届いた教育隊の下士官たちが食堂でデカイ顔をしているのだ。
まるで我々こそがエリートだとも言うべき、高慢な態度で食堂を占拠する教育隊の下士官たちに、デュアンナは激しい嫌悪を覚えた結果、食堂に出入りする事を諦めたのである。
「はあ……。今日のメニューは鶏肉の香草焼きなんだぞ、ガーリックバターソースが絶妙でそれだけでパンが二つも三つも食べられるんだぞ」
「出入りしないと決めた以上は諦めた方が精神上は健康かと思います。美味しい料理を目の前にしても、空気が不味ければ感激も半減します。仕方ないですよ」
街に出て買って来たハムや野菜を挟んだコッペパンを口にしながらも、まだ食事に対する未練を口にするデュアンナ。そんな彼女に苦笑しながらも、バルデン軍曹はコーヒーを淹れてやる。トゥランヘイム王国近衛騎士団、軍務部警務課第二班班長の執務室は昼休みに入ると、どことなくのんびりとした空気に包まれていた。……これが日常であってくれればと思うほどに
午後の始業チャイムが鳴るまでと、執務机を前に目を瞑っていると、コンコンコンと軽快に扉をノックする音と共にエデルカルト女史の声が聞こえて来た。エデルカルト女史とは警務課ニ班の事務方の秘書で一般人だ。
(少尉、お昼休み中申し訳ありません。受け付けの方から少尉宛てに面会者が来ていると連絡がありました)
その声を耳にした途端、まるで全身を雷に打たれたかのようにデュアンナは椅子から飛び上がる。いよいよ来たかと、期待に満ち満ちた不敵な表情だ。
「遠慮はいらん、通してやってくれ!」
エデルカルト女史に向かって扉越しにそう答えると、彼女は一度立ち上がり、はみ出しそうになっていた真っ白なシャツの端をズボンにしまい、椅子にかけていた上着を慌てて羽織る。そして入り口の壁にかけてある鏡を見ながら乱れた髪を撫で付けて、エデルカルト女史と一緒にいるバルデン軍曹へと声をかけた ――デュアンナの執務室は、エデルカルトやバルデン軍曹が詰める事務所を通らないと辿り着かない構造になっているのだ。
「軍曹、軍曹!これから来るゲストのために、コーヒーを淹れてくれないか?」
明らかに上機嫌な彼女の声に触発されたのか、副官までもが朗らかな声で承知しましたと答えた。
――そして、それから数分後にゲストはやって来た――
バルデン軍曹よりも、エデルカルト女史よりも弱々しいノックが執務室に響き、デュアンナが入りたまえと必要以上に「かしこまって」招き入れると、一人の少年が執務室へと現れた。
――その髪は黒髪、そして彫りの浅い顔に切れ長の目は、見るからに土着民族のクレスノレチカ族でもミケリ民族でも無く異国の風体を晒しているのだが、まず身なりが汚くて人物観察どころではない。ボロボロの農民服とボサボサの髪の毛は、「いくら紹介状を手にしていても、そりゃあ受け付けも戸惑うよな」と、デュアンナが苦笑を堪えるほどだ。
「よく来たな、まあ座ってくれ。コーヒーに砂糖はいるか?ミルクはどうする?」
デュアンナに誘われるままに、執務机の前にある応接ソファへと座る少年は、砂糖もミルクも要求しないまま、ブラックコーヒーをごくりごくりと喉を鳴らしてホッとする。
「何だ、喉が渇いていたのか。軍曹、お代わりを頼むよ」
バルデンが事務所に姿を消すと、いまだ警戒心を解いていない少年に対して穏やかな瞳で向き合った。
「……土岐怜士、初めまして。私の名前はデュアンナ・オイホルスト、この王国近衛騎士団軍務部警務課第二班の課長をしている」
「うん?何故……何で俺の名前を日本語読みで?」
「日本語読みどころじゃないよ【この言葉を聞くと懐かしく感じるだろ?どうだ、久しぶりの日本語は】」
それまでは完全に警戒してデュアンナと目も合わせなかったレイジが、目を剥き出しに椅子から身を乗り出した。
「あんた、日本人なのか!」
「私は日本人だった……が正解かな?今はデュアンナ・オイホルストと言う名前を付けられて、この国で生活している。そう、君と同じ【魔女の接吻】の紋章を胸に刻まれているのさ」
自分の胸の中央に手を当てながら苦々しく笑う。
一方のレイジも、彼女の手の平が何を表しているのかが理解出来たのか、実際に見せてみろとは言わずにうなづく。
……ただ、レイジはデュアンナと自分の待遇つまりこの世界での境遇の違いに、雲泥の差がある事に気付いて警戒心を高める。
方やある程度の立場を保障され、安定した優雅な日々を送れている。それもこの世界で新たな人生を送れるように、新しい名前まで授かってだ。
だが自分はどうだったかーー いきなり見た事も聞いた事も無い世界に呼ばれたかと思ったら、ため息混じりに諦めたかのような酷く残念そうな目を向けて来て、言葉が分からないまま衛兵に誘われてみれば、手錠をはめられ馬車に無理矢理乗せられ、行き着いた先が戦場だ。
だからこそ、土岐怜士……レイジ・トキの名のまま新たな名前を授けもしないその状況下で、自分がどんな扱いを受けていたのかがようやく分かったのである。
「俺はあんたと違って、そもそもこの世界に見捨てられてたんだな。面倒だからそのまま戦場で死んでくれたら嬉しいと……。俺はそう言う立ち位置にいたんだな?」
意識してなのか、幽霊のように無表情を通す少年だったが、この会話を通じて彼の瞳には鋭く危険な光が満ち始めた。 ――それは、この世界に対する殺意、つまりは「憎悪」と言う名の血生臭い意志の発現であったのだ。




