25 懲罰大隊 後編
……シュン!……シュン! と、耳元で空気の擦過音が聞こえて来る。シフェラント軍陣地側から放たれた小銃の弾丸がレイジの周囲を通り過ぎて行く音だ。もちろん、たとえその弾丸が一発でも身体に当たれば、間違いなく致命傷となって身動きが取れなくなる。
隣りで突撃していた中年男性のように、頭に命中した勢いで上顎から上が一瞬にして弾け飛べば、痛がる事も無く天に召されるだろうが、レイジの前を走っていたやはり中年男性のように、肺を撃ち抜かれてしまえば、その場に倒れ込み、呼吸困難で悶絶しながら失血死の時が来るまで苦しみ続けるしかない。
現地の言葉もロクに分からず、周囲の人間たちと同じ行動を取らざるを得ない……。それが今の土岐怜士の現状だ。
本来なら、児童養護施設の自分の部屋で寝ているはずだった。だが何か身体を包むような見えない力を感じた途端、怜士は見た事も無い世界で横たわっていた。
西欧の中世を感じさせるような巨大な聖堂の中心に横たわり、黒いローブを身にまとった者たちに囲まれ、そして彼ら彼女らの自分を見る表情が落胆に変わる。そして言葉も通じない状況のまま、矢継ぎ早に移動に次ぐ移動を促されて、たどり着いたのがこの地、つまり戦場だ。まともな説明も受けないまま、ましてや言葉が通じないまま戦場に駆り出された彼が、自分は戦うために呼ばれたのだと勘違いしても、おかしくはなかったのである。
――だが、多少なりとも言葉が通じるようになると、ここが王国に楯突いた者の終焉の地だと気付くようになるのだ――
『銃を、銃を取れ!銃を持って突撃しろ!』
遥か後方からは、督戦隊の指揮官がメガホンで怒鳴って来る。督戦隊もろとも塹壕に身を隠しつつ、それでいて懲役兵士たちの背中に銃口を向けたままだ。
五人組に一挺の割合で銃は支給されているものの、だからと言ってシフェラント軍と満足に戦えるかと言えばそれは別の話。故障していたり弾丸が支給されてなかったりと、銃としての機能を発揮しないものばかり。つまりは、懲役兵士たちが反乱を起こさないための予防も意味するが、シフェラント軍側を威嚇するだけの「はったり」品であるのだ。
「嫌だ嫌だ、こんなもの持ったら真っ先に狙われる」
蒸気機関車のようにもうもうと口から白い息を吐き出しながら、右へ左へと向きを変えつつ走り続けるレイジ。彼の前を走る大人たちが頭を吹き飛ばされても、魔装地雷を踏んで四肢が吹き飛んで銃を手放しても、絶対に銃に手を伸ばす事無く走り続ける。
雪原に黒い筋が這うように、いよいよ敵陣の塹壕が見えて来ると、シフェラント軍側にも大きな動きが出た。後方の迫撃砲部隊に援護依頼が通じたのか、無数の迫撃弾がレイジたちの頭上から降り注ぎ、一瞬で辺りを地獄絵図へと変えてしまったのだ。
「ぎゃあああ、俺の足が、足が!」
「ハンス、ハンス起きろ!目を開けるんだ!」
「誰か、誰か手伝ってくれ!コイツの腹押さえないと、はらわた飛び出しちまうんだ!」
「ぎゃははは!もう殺してくれ、俺を殺してくれ!」
それまではキラキラと輝く真っ白な雪原であったのに、あっという間に鮮血で真っ赤に染まり、辺りには爆発のクレーターがぼこぼこと穴を開ける。
そして、それまでは大人の影に隠れて難を逃れていたレイジであったのだが、とうとう『その時』が来た。ドン!と言う地響きと鼓膜を破るような炸裂音が身体を包み、レイジの前を走っていた大人ともどもその衝撃波で後方へ吹っ飛んでしまったのだ。
「か、かはっ!」
ついさっきまでは立っていたけど、今は横たわっているよと、耳の奥の三半規管が信号を発している。だが胸から腹にかけて自分のものとは思えない重力がのしかかっており、呼吸がままならない。
「……痛てて……」
何かの重量物が自分の上にあるのは感覚で理解出来たのだが、それと同時に頭が痛い事に気付く。頭の中ではなく頭皮の痛覚神経が盛大に騒いでいるのだ。横になって空を瞳に映したまま、右手を痛覚の震源地へと当ててみる。、、、ドロリ、、、そこは暖かい液体で濡れており、触った手のひらを自分の眼で確かめると、それはまさしく自分の血であった。
――嗚呼、俺もとうとう怪我をしたか――
怪我だけならばまだ良いが、致命傷を受けたのならばこのまま心臓と息が止まるだけ。そう言えば自分の上に何か乗っかっている、いや、もしかしたらそう感じるだけで、実は感覚が麻痺するほどの傷を受けたかも……。レイジは恐る恐る視点を下げ、自分の胸元を確認する。
「おっさん……」
固有名詞ではなく名前すら知らないから、中年男性をそう呼ぶ。身近にいたから顔は覚えているが、会話すら交わした事の無い人の上半身だけが、レイジの身体の上に乗っていたのだ。たまたまレイジの前を走っていた事が災いしたのか、その中年男性がクッションとなって、レイジは比較的軽い傷で済んだのである。
今も空気を切り裂き続ける弾丸
迫撃弾や魔装地雷の爆発と一緒に舞う手、足、胴体や血煙
背後から「進め、突撃しろ!」とがなり立て続けるノイズ
そして至近距離から恨めしそうにレイジを見詰める上半身だけの死体
――これが懲罰大隊、死ぬためだけに生かされた者たちの世界なんだ――
十三歳の少年がここは地獄だと認識した瞬間、あり得ない人物の姿がレイジの網膜に投射される。
「怜ちゃん、怜ちゃん。お姉ちゃんが守ってあげるから、もう怖がらなくて良いんだよ」
上半身だけの死体を押し退けて身体を起こすと、何と目の前にセーラー服姿の少女が立っていたのだ。
「……茜姉ちゃん……?」
「怜ちゃんは良く頑張ったよ。独りで良く頑張った。だからもう怖がる事は無いのよ」
あどけなさは残るものの、透き通るような肌が印象的な清楚で可憐な美しさ。それでいて溢れるばかりの母性を向けてくれる、自分にとっては母のような絶対的な存在。
――茜姉ちゃんの姿を見るのも久しぶりだな――
そう感慨に耽ったところで、レイジの脳裏にとある信号が鳴り響く……【信じるな!これは夢だ】と
(そうだ、茜姉ちゃんはこの世界にはいない。茜姉ちゃんは呼び出される前の世界にいたはずだ。懲罰大隊での記憶は間違っていない、自分の隠された能力に気付く前の記憶で間違いは無い。ただこの世界に茜姉ちゃんがいる訳が無いから、だからこれは夢なんだ。……そもそも、茜姉ちゃんが俺に話しかけて来る事自体がおかしい)
【だって茜姉ちゃんはとっくの昔、施設の庭で首吊って自殺したじゃないか】
トゥランヘイム王国、王都アーヘンの夜は更けて行く。
ついつい過去の地獄を夢に見てしまった少年は、その地獄の世界で女神と再会した。だがその再会を喜びながらも、彼はこれが夢だと気付いたのである。女神は既に自殺したと。
だが彼は、自分自身が夢から覚める事を望んでいなかった。何故なら、レイジは夢の中で再会した姉と、しばしの時間を共有したかったのだ。
そう、今はそれで良かったのだ。




