14 君は勇者にはなれんよ
カランカランとベルの音が聞こえて来る。それまでは空気が固まっているのではと錯覚しそうなほどに厳粛だったこの講堂も、心地良い金属の音色と共に張り詰めた気配が消え去った。
「おや、もうこんな時間か」
横長の巨大な黒板と格闘していた講師らしき人物が、受講者たちに向き直ると、声高らかにこう宣言した。
「この魔鉱石に魔法を付与する技術……エンチャントについての考察と将来展望について、今週中にレポートを提出するように。ジャンルは工業分野でも兵器開発でも何でも構わないから、必ず私が退屈で読み飛ばさないような内容でたのむ」
(その要求が一番厳しいんだよ)と受講者たち……つまりはこの講義を受けていた生徒たちが苦悶の表情を浮かべる。ここはウスターシュ・ブロンダン魔導工科学院の教育棟の一室、とあるクラスの受講風景だ。
「え〜っと、それと……エリオット・アールスヴェルトとハンナマリ・ユルハ、それとセーデルルンドの長の娘カリーナは、このまま私の執務室に来なさい」
では、これで講義を終える―― まるで言い放つように言うだけ言って、教師は出て行った。
相変わらずクルトセーム先生は細かいなあ、わざわざフルネームで生徒の名を呼ぶかよと、講堂のあちこちから囁く声が聞こえるものの、やがて生徒たちの興味はフルネームで呼ばれてしまった者たちへと変化する。
「エリオット、朝の件でまた呼び出しか?」
「ハンナマリは夜遊びする子じゃないだろ?エリオットがそそのかしたのか?」
「また面倒くさいのに捕まったな、これで今日は昼メシ抜きだな」
赤面するエリオットたちを取り囲んではやし立てる生徒たち。たが決して悪意があってそう言っているのではない。エリオットとカリーナ、そしてハンナマリはクラスの生徒たちに限らず、学院の人気者なのだ。
トゥランヘイム王国の中西部にある巨大な森セーデルルンドは、気が遠くなるほど古くからエルフ族が護っており、セーデルルンド自治領として王国から保護されて来た。そのセーデルルンドのエルフ族、族長の娘カリーナは、端正な顔立ちと神秘的な雰囲気で、まるで美の女神だと見る者を圧倒させる。
そしてハンナマリ・ユルハは聖西風女神教会からの推挙で学院に入学した司祭クラスの能力者である。五大元素の土に特化していた彼女は、その信仰心の高さで聖属性白魔法の力も飛躍的に向上させ、教会や信徒たちからは「豊穣の女神の使徒」と賛辞を送られるほどの少女なのだ。
ふわっと膨らんだ栗色のショートボブと、くりくりとした目、そして穏やかな表情はまるで、げっ歯類の小動物を彷彿させるような可愛らしい少女を、学院の男子たちが無視するはずが無いのだ。
一人は神秘的なエルフの少女、もう一人は愛玩動物のような聖職者。そんな二人の注目度を軽く超してしまうのが彼、エリオット・アールスヴェルトだ。
地方の平民出身……つまりは農奴の一族で背景的には面白味の無いルーツかも知れないが、エリオットにはこの世界でただ一人、唯一無二の才能がある。それが五大元素の最終到達点と言われた高位元素【太陽】である。
「太陽が熱すれば火が起こる」「太陽が循環させれば水が起こる」「太陽が撫でれば土が肥える」「太陽が見詰めれば木が育つ」「太陽が燃えれば金が顔を出す」――これら古き魔導師ヴァンザンデ・メルヌールが提唱した理論を体現したのがエリオット。
特異点とも呼ぶべき才能を秘めながらも、決しておごる事の無い、前向きで爽やかな性格の彼は、他の生徒だけでなく学院の関係者たち全てから、常に熱い視線を投げかけられているのだ。
「みんなゴメン、話は後で!クルトセーム先生怒らせると恐いんだよ」
ハンナマリ、カリーナ行こう!と、二人の手を取り脱兎の如く人波をかき分けて行く。この賑やかな場から脱出したいと言う気持ち、そして自分に協力してくれたハンナマリとカリーナにもこれ以上は恥をかかせたくないと言う気持ちが彼の背中を押したのだが、エリオットはもう一つの別の理由を抱えていた。自分たちを呼び出したクルトセームの元へと急ぎ、そして聞きただしたい事があったのだ。――なぜ先生は唐突にそんな事を言ったのかと。俺に向かって、君は勇者になどなれないと言ったのか、と。
深夜に寄宿舎を抜け出して、学院に内緒で賞金首稼ぎを行なっていた事がバレたきっかけは、以前から深夜外出を怪しんでいたクルトセームが、エリオットたちが帰って来た瞬間をばっちり押さえた事から始まる。最初は不純異性交遊なのか、それとも歓楽街で飲酒かとこんこんと問い詰められた結果、賞金首稼ぎを行なっていたのを白状するに至った。
「自分の力を試したかった」「勇者に憧れていた」と心情を吐露し、決して金稼ぎが目的ではないと主張したのだが、クルトセームは冷たくこう言い放ったのである ――君は勇者にはなれんよ と。
なぜそんな事を言ったのか問いただしたかったのだが、それは出来なかった。騒ぎを聞きつけた守衛や学院関係者たちが集まり始め、落ち着いた会話が出来なくなったのだ。だからエリオットはその腹の内に悶々とした疑問を抱えながら、再びあの面倒くさいクルトセームと向き合う事に意義を感じていたのである。