10 フラットライナー
この近衛騎士団軍務部の詰所は、常時ボイラーをつけているので温水が出る。だが風が止まった初夏の昼過ぎに浴びるならば、水浴びの方がまだ気持ち良いのだがなと……何かむず痒い感情を胸にしまいながら、レイジは三年間の汚れを洗い流している。
デュアンナ・オイホルストからの提案とはズバリ「一緒に働け」である。
古来から脈々と受け継がれてきたトゥランヘイム王国近衛騎士団の本来の仕事とは、王と王族、そして王朝と王都を護る事である。自らの命を賭して任務にあたる事が、この近衛騎士団の栄誉を守って来た。
だが近年、世界が大きな紛争を経て産業革命を起こそうとする時流の中で、近衛騎士団の務めは極めてその範囲を拡大させざるを得なくなって来た。
この世界では開発が難しい「火薬」の代わりに炸裂魔法弾が開発されて長距離射撃が可能となった事と、小型炸裂魔法弾と小銃が魔法スキルの脆弱な一般兵士に支給された事で、剣と魔法の局地戦で国同士の命運を決するのではなく、軍隊だけでなく国民ですら大量殺戮の被害者になり得る「大量消費」の時代が到来したのだ。
つまり、近衛騎士団は王と王都を守る事イコール、王朝を守る事に乖離が生じたのである。
(王都に危険が及ぶ時点で、もうトゥランヘイムは詰みなんだ。不穏な動きがあったなら、開花する前に徹底的に排除する必要が出て来たのさ。だから従来通りに近衛の務めを行う者たちとは別に、それらを任務とする我ら警務課二班が誕生したんだ)
当初は王宮警備と王族行幸の際の不審者逮捕を任務とする警務課一班しか無かったのだが、彼女がオイホルスト家の名前を利用して、設立を強烈に働きかけたのが軍務部警務課二班。その目的とは、【王国に仇名す全ての不安要素が、芽を吹く前に摘む】。つまりは、王都ラーヘンの治安維持に留まらず、王国に対する害意を感じた敵を事前に処理する組織が誕生したのである。むろんそれは国内の荘園貴族や反体制の知識層や解放活動の思想家に限らず、他国の不穏分子ですらターゲットになるのだ。
(だから私と来い、レイジ。見た事も知った事も無い世界だが、激動の時代が始まる事に間違いはない。君を一番面白い場所で活躍させてやる、意味通りの君が最前線になるんだ!)
デュアンナの言葉はレイジの胸を素直に撃ち抜いた。それはまるで、この世界に来てから三年間の積もり積もった怨恨の残りカスすら洗い流すような爽やかさだったのだ。
「レイジ、接吻の儀式を行なった魔女に怨みはないか?殺したいと思わないのか?」
……確かここは男性用のシャワールームのはずなのだが、何故かエコーがほどよく効いたデュアンナの声がする。まだこの時代は個人のプライバシーに配慮の乏しい時代。タイル貼りの広いホールのようなシャワールームも、個人を仕切る板など無く全てが見渡せる雑な作りだ。
「覗いてすまんな、着替えを置いておくよ」
いつの間にかデュアンナがそこに居り、長椅子にタオルとまっさらな制服を置いた。それは新しい近衛騎士団の制服である、漆黒に銀糸で装飾された制服だ。
「私は魔女に怨みも何も無いが、逆に感謝もしていない。だから君が望むのなら魔女への復讐を手伝ってやっても……」
そう言いながら、洗髪中の彼が良く聞こえるようにと声を張りながらレイジに近付く。すると頭から足の先まで石鹸の泡だらけになっている少年の身体の異常さに、息を飲みながら目を奪われてしまう。
「……なんだ、何だその傷痕だらけの身体は。満身創痍、まさしく満身創痍じゃないか!」
近付いて少年の裸を観察しちゃおうと言う下心が無かったと言えば嘘になる。大人の女性が入って来た事に恥じらいすら見せないレイジを慌てさせようと、ほんのちょとした出来心も相乗効果で彼に近寄ったのだが、まさか裸の少年の姿にロマンを感じるどころか胸を痛める結果になろうとは。
「これが懲罰大隊で生き延びた証明なのか?」
大腿部や尻や背中、腕までもが汚い縫合の痕で埋まっている。それはまるでゴールの無いあみだくじのようだ。
「常に激戦地に放り込まれたからね。俺はこの程度で済んだが、仲間はみんなぐちゃぐちゃになって逝ったよ」
「腕の良い回復術師を紹介してやる!これは……こんな事が当たり前であってたまるか!」
「デュアンナさん、このままで良いよ。そんなに気にならないし」
「ダメだよレイジ、気にするよ!君を見る私の心が傷むんだ」
バイク事故で頭が半分潰れた若者、餅を喉に詰まらせ気道確保のために喉を緊急切開する老婆、工場の切断機械で左手の指を三本も飛ばして呻く労働者など、それらを助けようと寝る間も惜しんだ結果「白衣の天使」と呼ばれていた頃の記憶が甦える。前世界にいた際の職業的母性と使命感が、彼女の内面に湧き出ていたのだ。
「気持ちは嬉しいが遠慮しとくよ。この傷痕一つ一つが俺の歴史なんだ。それを消し去って精算したくない」
思春期真っ只中の十六歳であるはずなのに、色香漂う大人の異性に裸を見られても動じない性質。身体にある無数の傷痕を慰められても自分の歴史だと主張する気概。デュアンナはレイジを前に、年相応の普通の少年ではないと感じていた。懲罰大隊で地獄の日々を過ごした以上に、日本での彼の短い人生が、既に人格形成上出来上がっていたのではないかと考え始めていた。
強いな君は……と、タオルを持って身体を拭いてやる。背中を拭いて貰ってる間は身を任せていたのだが、さすがに前を拭いて貰う事に抵抗を感じたのか、礼を言いながら後は自分でやると、レイジはタオルを奪った。
――二人が脱衣場所に移動すると、はいパンツ、はい肌着、これズボンに靴下、シャツに上着と、矢継ぎ早に渡すデュアンナはまるで世話女房のようでもあるが、ベルトを巻いて支度が完成する瞬間、彼女は最後にと拳銃を渡す。
「近衛騎士団内での建て前上は私の護衛役、そしてその本性は民間軍事シグニス・ブラザーズと共同作戦を行うエージェントだ。だからこの拳銃を所持する意義が君にはある」
「いや、銃はやめとくよ。懲罰大隊でもそうだったけど、銃を持った奴から死んで行くんだ。俺にとって銃は鬼門だよ」
「そう言えば……懲罰大隊の報告にもある君の殺害確認戦果六名は、状況からして撲殺だったな」
だがデュアンナは強烈な違和感を覚えている。
【担当官による状況検分結果:レイジ・トキが殺害した敵兵の遺体は、全身の徹底的な複雑骨折の兆候が見られるも死因は不明。憶測だが、レイジが素手で敵兵を処理した後に進軍した懲罰大隊兵士たちが、敵兵に私刑を行なった疑念もある。よって方法は不明だが、レイジ・トキの戦果である事は間違い無く、これを証明する】
彼女の抱く違和感とは報告にもある通り、魔力を持たない彼がどうやって敵を殺害したのかと言う事。まだ身体も完成していない思春期の少年が、体格が完成した大人に何故立ち向かえるのか。魔術でないならば、素手のままどのような手段を持って暗闇で静音殺傷を行なったのかが、気になってしょうがないのだ。
「気になるのか、俺の能力が」
「もちろん気になるさ!これからは家族同様のメンバーとして作戦行動にあたるんだ。君の能力を知らないでどうする!」
ムキになるデュアンナを見てクスリと笑う。その笑い方は赤の他人に対する冷笑ではなく、自分の周辺にいる身近な関係の人に対する暖かみのある穏やかな笑い方だ。
「知りたいなら、まだだね。まだ家族じゃないしチームの仲間でもない」
「別に負けた訳でもないのに何か悔しい、何か悔しい!」
無邪気な自分が表面化してしまった事に気付いたのか、デュアンナは赤面しながら一つ咳払い。レイジに対して「次は理髪店に行きましょう」と促しながら、シャワー室から退出した。
「安心しなさい、懲罰大隊の職員にはあなたの戦死報告を提出するよう、アメとムチで強要しといた」
「強要って」
「だからね、魔女の接吻の関係者があなたの生存に気付く事は無い。まあ元々懲罰大隊に入れた事で死ぬもんだと思って気にしてないだろうけどね」
「そうか、ならばあんたの下で新しい人生が始まる訳なんだな?」
「そうよ、新たな名前はレイジ・フラットライナー。この世界で英語なんか分かる人いないから問題無しさ」
――何かダセぇな。そんなレイジの表情に目もくれずに、納得の命名だと破顔するデュアンナ。それもそのはず、フラットライナーとは彼女が以前いた世界、以前の世界で働いていた医療機関の救急救命用語で【脳波停止者】を意味しているのだ。
無論、レイジの脳波が停止する訳では無い。彼の謎に満ちた能力で、敵が片っ端から脳波停止するのだ。つまりレイジは死神、敵の命を刈る者なのだ。
「何がカッコいいのか良く分からないが、今日からフラットライナーを名乗れば良いんだな。分かったよ。俺もあんたを母親だと思いながら、あんたとの絆を培って行くよ」
……三十前の乙女に母親とか言うな!せめて姉さんだろがぁ!……
デュアンナの叫びは大理石仕立ての廊下に、盛大に響いていた。




