01 プロローグ 〜文明と血の量〜
〜文明の進化の加速度は、人が流した血の量に比例する〜
雑多に溢れていた様々な魔法を体系化した賢者、魔法学の開祖であり、学問の神と讃えられる古き魔導師ヴァンザンデ・メルヌール。これは生前の彼の言葉であり、彼の弟子たちが今に伝える説法集の中でもとりわけ有名な一節である。
望むと望まざるとに関わらず、戦争と言う愚かな行為は飛躍的な文明の進化を促して来た側面があると言う彼の推論であり、その言葉の表面だけを耳にした者からすると、眉をひそめてしまう文言ではあるのだが、もちろんヴァンザンデは戦争が及ぼす文明の進化を賛美しているのではない。それは、この一節の後に続く言葉を紐解けば自ずと見えて来る。
〜飛躍的な進化を遂げたとしても、人の進化が伴わない限り、それは祝福ではなく呪いである〜
〜人の進化とはつまり内面の進化。道徳心や倫理観が成熟する事を意味し、これが伴わずに文明が進化すると、やがては破壊的で悲劇的な結果をもたらすであろう〜
自分を育んでくれた先人たちを尊び、そして後に続く者たちを育む時代。急進的ではなく極めて退屈で緩やかで穏やかな時代。それを人を平和と呼ぶが、それの何がいけないのか――
床に届きそうなほどに長い髭と、老いても尚鋭い輝きを讃える隻眼の瞳。その細々とした身体を苦笑に打ち震わせながら、真理の知識者は悪びれずにそれを笑う。
そして彼はこうも説く、『人の世とは輪であり、車輪であり、循環する円である。戦乱の世も安寧の時代も決して立ち止まる事なく変動し続けるのだ』と。
人はどのような時代に産まれ出でる事を喜ぶべきか?
文明の飛躍的な進化に心躍らせながら、血煙の舞う戦場に目を伏せるか。それとも時が止まったのかと錯覚するような文化にあくびを放ち、退屈と戦い続けるのか。
いずれにしても「今日から」「明日から!」と言うしっかりとした時代の境界線が無い以上、人はそれぞれがそれぞれに幸か不幸かを自問自答するだけで、大まかな分類は後々の歴史家に委ねるほか無い。
〜〜西の海岸線を発ち、東の海岸線にたどり着くには、人の一生分の時間は覚悟せねばなるまいて〜〜
吟遊詩人たちが詠い上げるエステルランテ大陸の冒険譚には、この枕詞が必ず付いて回る。それほどに広いこのエステルランテ大陸の今は、まさに古き魔導師が説いた文明論の節目にあった。
約二十年前に大陸の各地に起こった民族紛争が、再びくすぶり始めていたのである。そしてその種火が今、大陸全土を覆う業火になる可能性を秘めて、盛大なる発火を今か今かと待っていたのである。……世界大戦と言う名の、紅蓮の炎として。
二十年前、剣と魔法の古き良き時代は終わりを告げた。大剣を振りかざす猛者や、その身に宿る魔法力を駆使して敵を薙ぎ払う魔法使いたちは、今はもう懐古主義者の語る昔話にしか登場しない。
二十年前の戦乱は文明を進化させ、英雄譚を詠い上げる吟遊詩人たちの仕事を奪ってしまったのだ。それはつまり【英雄不在の時代】、大量生産と大量消費の時代の幕開けである。もちろん消費とは、人の命すらも大量に消費される事を意味していた。
二十年前の戦乱……つまり大陸中に及んだ民族紛争は、その完結を待たずして月日は流れ、新たな戦乱の種火を育んでいるのは間違いない。
エステルランテ大陸に住まう全ての者たちが、永久に続くと思っていた平和が実は、次に来る戦乱の世までの緩衝期であった事を今、身をもって知るのだ。
時代の動輪は、停滞から進捗に切り変わる。吟遊詩人たちが英雄譚の創作すら諦めてしまった、大量生産と消費の時代が二十年前に産ぶ声を上げ、いよいよ人の魂を過剰に消費する時代が到来する。
この物語は、エステルランテ大陸において千年もの長きに渡り栄えた国家【トゥランヘイム王国】の興亡。そして微動からやがて激動に変わる時代において、闇に立つ事を強いられた少年、土岐怜士の物語。
現代日本から転移した彼が、その瞳に映した激動の時代を綴る物語である。