第5話「G線上のソーニャ 」<中編> 呪いの伝承
「どうしたもんかね… 」
ホテルのベッド脇の壁に身を預けショットグラスの中のパリンカを一気に呷ると更生は呟く。
「映画やドラマの様な奇怪なカラクリで隠されてるなんて事は無いはずなんだが、ここ数週間で何の進展も無いと流石に応えるな… まあ、簡単に見つかるようじゃ、とうの昔に博物館に飾られてるな。もう一度資料を検めてみるか。見落としがあるかもしれん…」
そう言うと徐に簡素な机に山積みになった文献の数々を読み探し始めた。
「Les sanglots longs Des violons De l'automne
Blessent mon cœur D'une langueur Monotone.」
「なんと流暢なフランス語なのでしょう。ソーニャさんはルーマニアの御方なのに日本語だけでなくフランス語もお得意なのですね」
「あー わたくしも言葉自体は苦手ですの。ただ、この詩はとても気に入っておりますので暗記してしまいました」
「無学で申し訳ありません。これは詩でしたのね」
「ええ。秋の歌と言う…」
「ああヴェルレーヌですわね。
秋の日のヰ゛オロンのためいきの身にしみて ひたぶるうら悲し…」
「ああ。遠く離れた異国の地で、この詩の素晴らしさを分かち合えるなんて夢の様ですわ」
学園内の中庭、日差しを避ける木陰の下にソーニャ(セレナ)を囲うように中等部、高等部の少女たちが集う。皆は皇学園としては珍しい留学生。しかも清楚な美少女に興味を注いでいた。
「ソーニャさん、ゲーテの四季は… あら、どうされたの?」
「いえ、今しがた渡り廊下を通られた方がとてもおつらそうでしたので…」
「あー 白壇さん… 確か半年ほど前にお母さまを亡くされて、更に先日の大地震で身内の方が大怪我をされて入院中とか。恐らくそのお見舞いに行かれるところだったのでは?」
「最近はお友達の皇舞さんもお忙しいみたいですし、すずめさんに至っては理事長先生のお付きで殆ど学園に来られませんし、御心を休まれる場所が無くて…」
「そうなのですか… このような時に留学してしまい申し訳ないですわ。せめて、何かお力添えが出来れば…」
-成程放課後探っても見当たらないわけね。ソーニャが動けるのは朝の授業前まで。というところかしら…-
歓談しつつ探りを入れセレナは志帆の確保対策を綿密に練っていた。
「理事長代理の仕事をこなしつつのアリバイ工作も大変だわ。相変わらず顔痛いし」
「でもその結果あの子の行動時間を狭められるんだから悪い事じゃないでしょ。その痛そうな顔も演技じゃないから悟られないし」
「そうだけどさぁ舞ちゃんに言われると何かこう…」
「むかつく?」
「そこまでは思ってないよー。もう、意地悪なんだから~」
「ふふっ。ともかく、更生さんが戻るまでは二人で何とか乗り切りましょう。当面は志帆ちゃんを守る事が第一。勝手な行動は絶対しちゃダメよ。お願いネ」
ぷーっとふくれっ面の志帆に向かい舞は、少し微笑むも真面目な声で志帆に言い聞かせるのだった。
「うーーん。そもそもだ。何故ノルウェーの人魚を遠く離れたワラキアに貢ぐ必要があったんだ? 1460年頃のノルウェーはデンマークの統治下だっただった筈だ。既に大国となっていたデンマークが何故小国のワラキアに媚を売る? 当時の王はクリスチャン1世。何か繋がりが見つかれば人魚の在りかが掴めると思うんだがなぁ…」
暫く資料と格闘するも一向に決め手となる情報が掴めない。その上、先ほど呷ったパリンカの酔いが回り始め朦朧となってベッドにダイブしたその時、窓に何か小石の様なものが当たる音で一瞬にして正気に戻った。
「…誰だ? ここは3階だぞ?小石をここまで、しかも軽く音を立てる程度でぶつけるなんぞ素人じゃない」
更生は物音を極力立てずに窓の下を目視した。2m程先の雑木から人影は見られぬも気配はする。そして又小石が当たる。しかも、更生が覗いてる箇所目掛けて。
「降りてこいってか。だが通路は張ってるしなぁ。ここから外? はぁ。昔程の体力は無いんだがなぁ。あーあの木にシーツでも巻き付ければ何とかいけるか。しゃーない。何者か知らないが、こんな面倒な事する以上敵じゃないだろ。丁度憂さ晴らしもしたかったし行ってみるかね」
「どんな夢見てるのかなぁ…」
「うん… 1000年分の記憶が織りなす夢物語。私たちじゃ到底思いつかないよね」
薄紅色のジェルの中央で揺蕩うすずめを志帆と舞は物憂げに見つめる。
「…」
「…」
件の留学生の学園内での出来事について報告したくても、その言葉を口に出来ずにいた。それは、言葉が届かないからというものではなく、ただ安らかに眠っていて欲しいと言う思いからだった。
「…行こうか」
「ええ。すずめちゃん、又来るね」
ジェルの中からコポリと泡が一つ浮いた。それはすずめの見送りの言葉だったかもしれない。
「しかしお前がASVに拉致られた現場を見た時は爆笑したよ」
「ったくうるせーな。俺だって事情があるんだよ」
ホテルより2里ほど離れた片田舎の小さいバーのカウンターで、更生は、先ほどの小石を投げた当事者と杯を酌み交わしていた。
「だってよ? あのラーテルが、だぜ。何の抵抗も出来ずになぁ」
「二つ名は忘れろ。あの糞博士が付けた奴だぞ。っていうかアザリア、何でブルガリア軍のエリートがこんなトコにいやがるんだ? まさかドジ踏んでクビになったのか?」
「クビ? うんまぁ… 似たようなもんだ。それよりもだ。ドラヴの遺産探しだ? 随分と間抜けな事してんだな」
「まじでクビなのかよ…。そいつは悪い事聞いちまったな。って、間抜けって何だよ。ASVの連中は間抜けだけど俺は違うぞ」
「間抜けだよ。存在しないものを探してるんだからな」
「そ、存在しない?」
「おうよ。更生お前ドラヴの王政による恐怖政治位は知ってるだろ? それを象徴するエピソードがあるんだ。池の傍に吊るされた黄金の柄杓。ってな。当時、窃盗は即死罪だったらしい。だから、黄金の柄杓が池に野放しで置かれていても誰も盗る者はいなかった。っていう。大方、お前が探してる人魚も、あの辺りの湖にでもリリースされて、もう骨になってんだろ」
「おいアザレア、お前のスマホ貸せ、近隣の湖の情報を洗う」
―梅雀の話から察すれば… ―
「流石に無理だろ? 骨になってたって何百年経ってると思ってるんだ?」
「それが判るんだよ。人魚は死ぬと猛毒を発生させるのさ。後は俺次第ってトコだな。車借りるぞ」
「馬鹿言え、荒っぽいお前に大事な車預けられるかよ。ったく、しかたねーな連れて行ってやるよ」
「なあ、本当に行くのか?これマジもんでヤヴァいと思うんだけどなぁ」
「…だな。だから、お前さんはココで待っててくれ。俺一人で行くからよ」
地域の情報を漁り、辺りの住民の人伝頼りに二人が辿り着いたのは、見るからに異様な雰囲気を纏う枯れ木の森が目前に広がる赤茶けた荒れ地だった。
そこは遥か昔よりの言い伝えで、人が立ち入れば二度と戻っては来ない呪われた伝承の地だった。
それが数十年前暴君統制下、真実だったと周囲の住民を恐怖に貶めたのが、軍事演習用地として召し上げられ、軍部幹部及び一部隊50名が視察に入るも、誰一人戻らず、捜索隊30名を投入するも誰も戻らず、事態を重く見た上層部によりその事実は隠蔽された。
暴君亡き後暫くのち、どこから情報を得たのか日本のテレビ番組クルー7名が取材に訪れ、行政の許可を盾に地域住民の制止を振り切り取材を敢行。当然誰も戻りはしなかった。
その地の数キロ手前でアザリアは車を止め、更生は車外に出ながらアザリアに手紙の様なものを差し出し言った。
「俺が三日経って戻らなかったら日本に行き、スメラギ機関を訪ねてくれ。そしてその手紙を受付に渡し、任務失敗。とだけ伝えてくれ」
「お、おい。あるかどうかも分からん人魚のお宝ひとつに命掛けるって正気か? 今のお前の雇い主はお前にそんな酷な事…」
「言わねーよ。逆に、こんな事が知れたら半泣きでボコボコにされちまうよ。ははっ」
「だったら…」
「それでもな。後で後悔しそうでな…」
―あの首の傷が尋常じゃないって事位馬鹿な俺にだって判る。焼け焦げた下半身しか残されなかったのに再生されたほどの力がある紅玉の水が首の噛み傷に効いていない。千年の知識があるあいつが、何も出来無いでいるなら他に縋れるものは人魚しか無いじゃないか。だからこの任務は渡りに船だった。今更怖気づいてどうするって事だ―
「…分かった。ここで待っててやる。いいかオレは日本なんか行かねーからな。だから必ず戻って来い」
「ははっ。了解」
ザクザクと乾燥しきった土を踏む音だけが伝わる。他は全くの無音。風もなく生き物は何も居らず草木も無い。遠くに見えるは白骨の様な枯れ木群。正に死の大地。
「本当に、何にも聴こえないんだな。黙ってたら自分の心臓の鼓動が聴こえる位だ。さて、そろそろ気合を入れないとな。肌がピリピリする。瘴気が強くなってきた様だ」
枯れ木が乱雑に並ぶ向こう、瘴気によって淀む先に湖の様なものが広がっているのが目視できた。
辺りに目を配れば動物の骨と人と思われる者達の遺骸が点在しており、奥に進めばそれは更に多そうだった。
「さて。どうするか。このまま真っすぐに進むべきか、枯れ木に沿って遠回りに湖に近づくか。真っすぐだと直線距離で5,600mといったところなんだが… ん? 今何か聴こえた? どこからだ?」
シンと静まり返っていた枯れ木群の合間から、微かに音が聴こえる。それを追うように更生は枯れ木の間を抜けていく。次第に音は大きくなり、枯れ木に沿って湖の外周を廻る様に進んで行くとやがて音が連なりメロディとして聴こえ始めた。
「これは… まさか人魚の唄? 数多の想いを身に宿し瞬き消える時迄に… 瞬き消えた後の世へ…」
更生がメロディに合わせて歌詞を重ね呟くと、それは突然ピタリと止んだ。
「ありゃ。人魚の機嫌を損ねたか?」
そう呟いた刹那。更生の脳裏に聴いたことも無い声が響いた。
―遠き国よりよく参られました。ルヴィーの血を受け継し者よ。湖面に寄り、その姿を私に見せてくださいませ。―
「判った。今見せるよ」
更生は100m先の湖面に向かい歩み始める。
―何も疑わず、私を信じて頂けるのですね。ありがとう―
「ルヴィーか…。成程な。じゃあアンタは差し詰めサフィってとこかな。
―聡明な方ですね。ええ。私の名前はサフィと申します。
あてずっぽうで答えた名前が正解だった事に苦笑しながら歩き、やがて湖面に辿り着いた。
「これからどうするんだ? もうここまで来た以上いや、ここに来る前から腹は決まってる。何でも言ってくれ」
―これより中央に在る私の元まで来て頂けますか。そこまでの道を指し示しめますので、その通りに―
サフィがそう囁くと湖面に光の軌道が現れ、それは湖の中央にポツンと見える小島に続いているようだった。
「ああ、そこだけ浅い訳だ。こりゃ先導が無いと絶対に渡れないな。よし、行くか」
小島に辿り着き、辺りを見渡すが何も無い。小島と言うには狭く数歩歩けばもう反対側の端で、その場に立ちざっと見渡すだけで全体が把握出来る程度だった。
―では前にお進みください。―
「あいよ。ここは中継地点だったのかねぇ。え”?」
更生は言われるままに数歩足を進めて驚愕した。それは景色が一変したからだった。
草木は青々と生い茂り、木々には枝葉がしなる程で、所々に色鮮やかな木の実を付けていた。
そしてその木々の間を心地良いそよ風が吹き抜けていた。
「これはいったい… 結界か!」
「結界とは少々違いますが、その様なものだと認識頂ければ」
「え? あんたがサフィさん?」
「はい。改めましてごあいさつ致します。わたくしはサファイア・アンテリナム。ルヴィアーナ・アンテリナムの姉でございます」
「あ、俺は 更生。榊 更生だ」
「更生様。今貴方は私を見て驚かれたようですね。それは足があるから。でしょうか?クスッ」
「あ、ああ。人魚じゃなかったんだな」
「ええ。そもそも。私もルヴィーも、貴方方の言う人魚ではありませんでした。ですが、貴方方人間でも無いのです。そうですわね… この時代の方なら分かるかしら。異世界からやってきた者…」
「異世界人!? マジですか」
「お判りになられて良かった。それで、その異世界人が何故人魚に? と思われるでしょうね。それについての仮説なのですが、私たちの世界から続いていたワームホールの出口が、こちらの海に繋がっていたため、生命維持と生体環境を合わせるために、ワームホールを通り抜ける過程でDNAを組み替え半身半魚の姿に変えられたのではないかと」
「じゃあ陸に繋がっていれば、殆ど影響は無かった。って事か」
「そういう事になります。そして組み替えられたDNAでは他の種族との子孫繁栄が叶わない。故に不老長寿となり、同族が訪れるのを待つ体性になったのではないかと」
「死んで猛毒になるのは、その体細胞を使われないようにするため。ってトコか」
「はい。ですから更生さんの様な例外は想定外だったのではないかと」
「今現在、俺の知る限りでは血を受け生きているのは3人だ。その内ひとりは昏睡状態で眠ってるがね。もう一人は、俺に血を分けた者で信用に足りるから、これ以上増える事は無いだろうよ」
「そうですか。なら安心して眠れますね」
「…聞きにくいんだが、あんたは…」
「はい。とうの昔に死んでおります。今貴方と話しているのは私の思念体です。そして、この場を作ってるのも思念体の思いの具現化したものです。貴方にしか見えてません」
「そうか。残念だな。あんたをあいつ、梅雀に会わせてお互いが友好を結べれば良かったのにな」
「…ひとつ、私の願いを聞き届けて頂けませんでしょうか」
「ん? 俺のできる事なら何なりとお申し付けください。お嬢様」
「ふふっ… では、この私の思念体を貴方の体に住まわせて頂けますか? そうすれば貴方を介して、貴方の大事な方にお会いする事が出来ますし、私も妹の傍にずっと居られますから。代を重ねた為に、思念体として形成できなくなってしまっていても、私には妹の思念を感じる事ができますから」
「おお。それは絶対やらなきゃな。で、どうすんの? 多少痛い思いをしても我慢するからやり方を教えてくれよ。梅雀の事はともかく、姉妹が一緒に居られるのならそれが一番じゃないか!」
「ありがとうございます。大丈夫です。このまま私を抱いてください」
「こ、こうかい?」
「ありがとう… これでやっと… ルヴィー…」
サフィをぎこちなく抱きしめた更生を眩い光が包み込む。そして温かい何かが体の中に灯り、気が付くと更生は湖の淵に立っていた。
「サフィさん、じゃあそろそろ行こうか」
更生は、そう呟くと振り返り、元来た道を戻っていった。空を見上げるとどんよりとしていた雲の間から光の筋がひとつふたつと射し、辺りに微風が吹き始めていた。それは呪いの伝承の終わりを告げるものだったのかもしれない。
「ったく、あんな流れだったから緊張して待ってると思ったら、ぐ~すか眠りこけやがって」
「何だよ、お前の事を信じてたから安心して寝てたんだよ。どうせ帰りもオレが運転するんだしよー」
「そうかい。じゃあさっさと空港行ってくれ、ソーニャの正体も割れたし、人魚の宝の件も片付いた。これを早い事報告してやらないとな」
「おい更生。お前今何て言った?]
「ああ? 何? 目がマジなんだけど何か気に障ったか?」
「お前今、ソーニャって言わなかったか?」
「お? おう。言ったぞ。ソーニャ。そもそも俺の今回の仕事はソーニャ・チャウセスクの素性を洗う。ってのがメインで、人魚の件は追加だったんだ」
「… オレが部隊クビになった原因なんだがな」
「ん? 唐突になんだ?」
「慰問に来ていた少女に壊滅させられたからなんだよ。部隊員は、オレ以外全滅。だから部隊が消滅してクビになった。って事さ。その時の少女の名がソーニャ。後で調べて分かったんだが、彼女はASVのカーディナル直属ストリングスのソーニャ。そして、”二代目”だ。この意味判るな」
「…まさかロベルト・デミアンか? あの糞博士まだそんな… ハッ! こんなところで話し込んでる場合じゃない。オイ、空港に早く」
「落ち着け、空港はASVが張ってる。こういう時は、南下して国境を越える方がいい。少し遠回りになるがこの方が断然早い」
「百壇志帆。朝でも見つからない。ってどういう事なのかしら…」
講堂での合同朝礼も終わり、各教室に流れていく生徒達の中から志帆を探すセレナ。丁度そこに、理事長代理が通りかかる。
―百瀬理事長代理か… スメラギに近い者。なら百壇志帆でなくても、良いんじゃないかしら? ふふっ。そうね。そうしましょ。ソーニャ。私が声をかけるからその後直ぐに出てきなさい。出番よ―
百瀬理事長代理の後ろを、セレナは小走りで駆け寄り声をかけた。
「理事長代理せんせー」
「ん? あら、ソーニャさん何かご用かしら?」
「少しお話したい事がありまして、お時間頂いて宜しいですか?」