閑話1「ウメ姉ちゃんとジロタ」
話は巴との決戦一週間前に遡る…。
スメラギ機関内の施設の殆どを破壊され、職員はその復旧作業に追われていた。そんな中、急拵えのキッチンで、すずめがせっせと調理している傍らで、何時もの三人が何やらつまみ食いに興じていた。
「モグモグモグ…」
「このお萩美味しい!」
「うん。美味いな。でもこれはお萩って言うよりは、ぼた餅って感じだな」
「志帆ちゃん、舞ちゃん、それ食べ終わったら復旧作業してる各セクションの職員に持っていってあげてね~ どんどん作るからさ~」
「モギュモギュモギュ… はぁ~い」
「モクモクモク… はい♪」
「俺は?」
「あんたは、それ食べたら技研に行って持ってきて欲しいものがあるのよ」
「なんだよそれ」
「Sumeragiシリーズのプロトタイプ、Sumeragi零。未調整でかなりピーキーだけど、今はそれしか無いし、あんたなら扱えると思うから…」
「了解!」
「おひい様! 緊急の言伝が!」
「どうしたの?」
「厚樹総裁が… 」
「… そう。ぼた餅、虫の知らせだったのかしら… 更生さん、ごめんなさい…」
「皆まで言うな、お前は直ぐ支度しろ! 零を表に回しといてやる」
「ありがとう…」
「うひょ~なんだよこのじゃじゃ馬は、まるでどこかの姫様みてぇだな」
「どういう意味よ」
「そういう意味だよ。って、なあ… お前と厚樹さんって、何時出会ったんだ?」
「ん? ジロタとの出会い? そうねぇ… あれは戦後間もない銀座だったかな… 東京大空襲でどこもかしこも焼け野原で、どこが銀座?って言われたらアレな頃…」
あの頃私は皇学園創設の為に、銀座界隈の資産家の処に出向いていたのよ。ところがあのクソババア共、態々私が尋ねていったのに、
「小娘の話なんて聴くだけ無駄よ」
とか鼻で笑って言うからつい私も
「何が小娘よ、私はアンタらの10倍以上年上なんだから、どっちが小娘か後で吠え面かかない事ね!」
って、交渉決裂しちゃって仕方なく銀ブラしてたの。当然何もなかったけどね銀座。クスッ。
でもまあ、私も反省したのよ。やっぱり初見は見た目で判断されちゃうから、何か対策でも。って、水溜りに映った自分の姿を見て思ったの。どう見えたって16,7の小娘なんだものね…。
それで対策を考えるのとお腹が空いたので、お弁当代わりに持ってきていたぼた餅を廃材の影で食べようとしたらね、
「じぃー… じゅるる」
「…」
「じぃーーー じぃーーー」
「何よあんた、じっと見られると食べづらいじゃないの。あっちいきなさいよ。しっしっ」
「じぃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー じゅるる」
「はぁ。判ったわよ。こんなところでお弁当広げた私も迂闊だったわ。ほら、来なさい。あげるから」
「! ほ、ほんとか?」
「はいどうぞ、その代わり、私が言うのも何なんだけどこっそり食べなさいね。それしかないんだから」
「ありがとう姉ちゃん。 モグモグぱくぱく… うめぇ!」
「そう。ねえ、あんた名前は?」
「モグモグモグ… じろう… 厚樹二郎」
私も馬鹿じゃないから、子供がひとりウロウロしてる以上、戦災孤児だって判ってたからそれ以上の事は聞かなかった。そしてそれがジロタと私の出会いだったの。
「ねえ二郎、あんた今何処で寝起きしてるの?」
「…姉ちゃん、姉ちゃんの声、母ちゃんの声みたいに聞こえるからあんまり呼んでほしくない…」
「… そう。じゃあ、じゃあうーん。ジロタ。ジロタならどう?」
「うん! それならいいよ。姉ちゃんは、なんて名前なの?」
「私はばい… ううん。ウメ。ウメ姉ちゃんよ」
「判ったよウメ姉ちゃん」
「うんジロタ」
私達は何でか知らないんだけどその場限りの出会いで、次出会う事なんて考えられなかった筈なのにお互い名乗りを上げてたの。
ジロタにはご飯をくれた姉ちゃん。って感じで懐かれちゃったんだと思うけど私としては意外な行動だったと思う。でも、後から考えたら私ってほら、一人っ子だったじゃない? 側女にしても従者にしても周りは皆大人で、年下の、しかも男の子っていうのが珍しかったから、だったんじゃないかな。
「おひい様… 」
「嫌、判ってる。判ってるからそれ以上何も言わないで。何も聞かないで。今から言うものを持ってきて頂戴」
ジロタと手を繋いで執事の待つ場所まで行っちゃったの。まあ、当然白い目で見られたけど、そこは押し切ってジロタの着替えとか身の回りの物を持ってこさせて、身奇麗にして皇乃杜に連れて行こうとしたの。でも…。
「ごめん姉ちゃん。オレまだここを離れたくない。もしかしたら、出征してる父ちゃん兄ちゃんが帰ってくるかも知れないし、母ちゃんがおれを探してるかもしれないから…」
「そう。そうかぁ。じゃあさ、姉ちゃん時々ここに来るから、又会ってくれる? 今度来る時はぼた餅も沢山持ってくるから」
「うん♪ 姉ちゃん約束な。又来てな」
「ええ。ジロタ、又会いましょう」
そう言って別れはしたものの、学園創設で忙しくてなかなか行けなかったんだ。やっと一息ついたのは、吐く息が白くなる11月の終わり。凍えてないだろか、病気になってないだろうか心配で、
思い立って直ぐ、大量のぼた餅背負って銀座に再びたどり着いたの。
「ジロタぁぁー どこいるのー 姉ちゃん来たよぉー 遅くなったけどちゃんと約束したものも持ってきたよぉー」
焦ってたんだろうね、馬鹿よねそんな大声挙げて大きな荷物持ってウロウロしていればどうなるかって子供でも分かるだろうに。
「おいそこの馬鹿面した姉ちゃん、命が惜しけりゃその荷物置いてお家に帰えんな」
気がつくと沢山の浮浪児に囲まれてたんだ。私も意地を張らずにぼた餅置いて逃げればよかったのに、
「誰が置いていくもんですか。これはジロタに持ってきたのよ。あんた達の方こそねぐらに帰んな」
「へー この数にびびんねーで度胸あるんだな。でもその度胸。高く付くと思うぜ。お前らこの姉ちゃんごと掻っ攫え。立ちんぼの元締めにでも渡してやったら高く買ってくれるぜ」
「え、ちょ、ちょっとぉ! 馬鹿、こっちくんな。私を誰だと思ってるのよ!」
まさに多勢に無勢。しかも見た目可愛い女の子ひとりじゃ、どう虚勢張ったって勝てるわけがないよね。
髪の毛引っ張られて手足捕まえられて揉みくちゃにされてもうダメか~って思ったら
「お前らなにやってんだ! その人から汚ねー手をどけろ!」
「あ、兄貴、こ、これはその…」
鶴の一声っていうのかな。掴まれてた手足を放り出されて潮が引くように孤児達は私から離れていったの。
「姉ちゃん、ウメ姉ちゃん無事か?」
声がする方へ顔を向けると、え? 誰?って感じの姿のジロタが心配そうに立ってたの。
8月に別れてからたった3ヶ月よ。その3ヶ月の間何があったのか凡そ見当はついたけど、あどけない子供だったはずなのに、其処に居たのは精悍な顔をした少年が立ってたんだから男子、三日会わざればって感じ?
「じ、ジロタなの?」
「そうだよ。何だよたった三ヶ月会わなかっただけでおれの事忘れちゃったのかよ」
「ごめん。忘れたわけじゃなかったんだけど、随分男らしくなったなぁ。ってビックリしちゃって」
「え? そ、そう? てへっ」
はにかみながら笑顔を向けるジロタにちょっとドキってしちゃって、そもそも何しに来たのか忘れちゃうところだったの。
「あ、ああジロタごめんね、忙しくて中々来れなくて… だからお詫びも兼ねて例のやつ沢山作ってきたのよ」
「ほんとうか? その大きい包全部?」
「そうよ。お腹はち切れるまでおあがんなさい」
「姉ちゃんありがとう。喜んで頂くよ」
そういうとジロタは後ろを振り返りバツが悪そうに控えていた孤児達に向ってこういったの
「お前ら、俺の恩人のウメ姉ちゃんからの差し入れだ。ありがたく頂戴しろ!」
「「「うぉぉぉ! 姐さん先程はすんません。いただきやす」」」
孤児達は先を争うようにぼた餅に群がり夢中で食べ始めた」
「ジロタ、あんたも早く食べなきゃ無くなっちゃうよ?」
「俺は良いんだ。あんまり腹減ってないし。余ったら頂くよ」
そういうけど、ジロタのお腹はキュウキュウ鳴っててね、口元からはヨダレが垂れてたっけ。
「そう。じゃあまた近い内にもっと沢山作ってくるよ」
「なあ姉ちゃん。前、俺をどっかに連れて行ってくれるようだったろ? 今度は連れて行ってくれないかな」
「いいよ。あんたさえ良いのなら連れて行ってあげる」
「…それでな姉ちゃん。その… あいつらも一緒に連れてってくんないかな。あいつら悪い奴らじゃないんだ。ただここ数週間殆ど飯にありつけなくて、それで… 本格的に冬が来る前になんとかしてやりたいんだ」
「… ひのふのみぃ… 総勢17人かぁ。う~ん。。。」
「頼むよ姉ちゃん。彼奴等の面倒は俺がしっかり見るから、姉ちゃんの用事があれば何でも手伝うから…」
「仕方ないねぇ…。 よし、みんなついといで。このウメ姉ちゃんが一人残らず連れて行ってあげる!」
「「「「おおおおおおお!!! 姐さんばんざーい!!!」」」
で、例によって執事の所に戻ったわけだけど。
「お・ひ・い・様?」
「ああーもうー何も聞こえな~い。聞こえないから勝手に言うわよー この人数が乗れるバスなりトラックなりを進駐軍から借りて用意なさい。勅命だからね~~~」
執事がガックリと肩を落としてとぼとぼと進駐軍の拠点に歩いていったわ。あれは流石に無茶だったわねぇ。だから未だに爺やには時々思い出したように愚痴られるのよクスクス。
そして木炭バスとトラックにジロタを含めた孤児達全員を乗せて一路皇乃杜へ。今で言うところのスメラギ機関の敷地内に連れて行ったの。それからが一騒動。全員シラミやノミの駆除を施して風呂に入れてご飯をお腹いっぱい食べさせて。暖房の効いた部屋で休ませたわ。布団なんか余裕がなかったから畳に雑魚寝だったけど、部屋が十分暖かかったからそれで良しとしたわ
「おひい様、連れてきておいてなんですが、彼らを今後どうなさるつもりで?」
「うん。一応考えはあるわ。だからいま進めてる計画、ちょっと止めてくれるかしら」
「学園創設の件ですか?もう既に学び舎は完成し、教鞭をとる教諭も手配終了しました。あとは生徒を集めるだけだったはずですが…」
「うん。それそれ。私ね、あの子達を一期生にしようと思うの」
それを聞いた執事は目を剥いて怒り出したわ。そりゃそうよ。生徒候補だった子達は皆、良家のお坊ちゃんお嬢ちゃんだったんだから、全くの正反対に位置する子達を入れようとしてるなんて聞かされたらもうねぇクスクス。でもね…
「ねえ、今の皇の知名度って何の位か分かる?」
「え…」
「皇の事を知ってるのは上級貴族の一部と皇室関係位じゃない? 前に銀座で資産家に話をしに行った時、相手にもされずに帰ったじゃない。つまりはその程度なのよ。だからね、あの子達を立派に育て上げて社会に送り出せれば、皇の知名度も向上し、こちらから頼まなくても良家から入れて欲しい。ってなると思うのよ」
「つまりは、試験であり宣伝と?」
「そういう事。暫く皆には苦労を掛けるけどお願いね。ただし、手抜きや誇張は絶対にしない事。試験と言っても、あの子達の将来が掛かってるんだからね」
「御意」
で、学園の事をあの子達に伝えたら、まあ、文句が出る出る。
「え”ー 俺勉強が嫌で孤児院から逃げたのに」
「ここで人夫で働いて、一儲けできると思ってたのによぉ」
「やだやだ俺はずらからせてもらうぜ」
「そりゃ姐さんには雨露しのげる場所を提供してもらって、腹いっぱい飯を食わせてもらってるけど、それとこれとは別問題だ」
まあねぇ。私も勉強は嫌いだったからいいたい事は良く分かる。何度百瀬から逃げ出したかクスクス。大人のよく言う大きくなったら役に立つとか、将来困るとかなんて、子供の時分は分かんないものよ。で、結局大人になって苦労する羽目になって後悔するんだけどさ。
あの子達の文句は留まることを知らなくて、どうしようかなぁ。って思ってたらジロタが大声で怒鳴ったのよ。
「馬鹿野郎。お前ら姉ちゃんがどんな思いで俺たちに話を向けてると思ってるんだ。俺たちは何にも持っちゃいない。ただ人夫で働いたって、雇い主にピンハネされて僅かな金で暮らすしかないんだ。それなりに知恵を授かって、それをもって働けるようになれば、稼ぎ放題なんだぞ。この機会を逃したら、俺は絶対後悔すると思う。お前たちがどう思おうが、俺は此処に残って姉ちゃんの学校に入って色々教えてもらう。お前達の人生だ好きにすればいい。ただし、勝手にやるんなら、この地を出ていくんだな」
「兄貴… 」
鶴の一声その2ねクスクス。散々文句言ってた子達が、シュンとなってもう何も言わなくなったわ。そうして皇学園第一期生の授業が開始したの。まあ、その間も色々色々あったけどねぇ… 授業をふけてタバコを吸うなんて可愛いもので、抜け出して数日帰ってこなかったり女性を買いに行ったり、酒場で暴れたり。宣伝どころか皇の愚連隊なんて呼ばれるようになっちゃってたわね。
それで憲兵の詰め所や進駐軍の管理区内にジロタと一緒に頭を下げて引き取りによく行ったものよクスクス。
そんな事がほぼ日常だったある日。理事長室でメイクの練習をしてたのよ。如何に相手に舐められないで済むか。って色々試してたのよね。そこにジロタがやってきて何か用事が… ああ、運動場の整備の話しだったかな。
「理事長先生、運動場の事でちょっと聞いて欲しいんだけど… って、姉ちゃん何やってるの?」
「うん? 化粧の練習。如何に大人の女性っぽく見えるか色々とねぇ」
「そういや、姉ちゃん出会った頃から全然代わってないよな。あれからもう2年近くになるってのに」
「ふっふ~ん。それはね、昔齢を取らない薬を飲まされちゃってねぇ。ずぅーっとこの歳のままよ。これまでもこれからもね。どう?羨ましい?」
そう言ったらジロタ、泣きそうな顔になって私を後ろから抱きしめたの
「姉ちゃん…」
「え? へ? な、何よちょっと、ねえジロタ?」
「…辛いよな。悲しいよな。齢を取らないってことは、皆に先立たれていっぱい見送ってきた。って事だもんな…」
「ジロタ…」
これまでね、何人かの知人に不老不死の話はしたけど、誰もが皆羨ましがったり妬まれたりで、それが普通の反応だと思ってたの。
だけど、ジロタは違ってた。多分最初に私と出会って別れた後に辛いお別れとお見送りがあったのね。その時の思いが私に重なったんでしょうね。私のために泣いてくれる。私が心の奥に閉じ込めていた思いを汲んでくれる。って、胸の奥が熱くなって暫く何も言えなかったわ。
「いずれは俺も姉ちゃんを置いていくんだろうな。でも、でもな、できるだけ長生きして、姉ちゃんが辛くならないように、悲しくなったらそばに居て一緒に泣いてあげるよ」
「… ば、馬鹿だねこの子は、一端の口説き文句みたいな事言って、10年早いんだよ。そういう事はイイ男になってから言うもんだ」
そう牽制しながらも、私はあの時泣きそうになるのを必死に堪えて耐えつつ思ったの。ああ、この子は人の悲しみを癒やしてくれる素質があるんだ。だからあの子達も惹きつけられ心から信頼して付いていくんだ。これからの日本の未来を支える根幹には、この子の力が必ず必要になっていく。でも、それは私のただの願望。ジロタの将来はジロタのもの。それを強制するわけにはいかない。って、文句を言いながらも、決してジロタの腕を無下にせず、ただ抱かれて思ったのよ。
そんな事があって暫くした日、事件が起きたの。それはGHQの本隊が出張ってくる程の事件で、私が驚いたのは、事件を起こしたのがジロタだったって事。
事の起こりは、立ちんぼの女性から見回りをしていたMPが、売上を殴りつけて無理やり横取りしていた現場を、偶然通りがかったジロタが見つけたことだった。
進駐軍はその頃の日本人にとって、絶対逆らってはいけない者達。
それはジロタも十二分に理解はしてた。だけど、女性の年の頃がジロタのお母さん位だったらしいのがジロタの激情を誘発させたらしくて、気がつけばジロタはMPを張り倒して昏倒させてしまった。
MPの仲間がジロタを大声で威嚇して殴り飛ばし羽交い締めにして捕獲しようとしたところに運悪く、あの子達が通りかかって即介入、大立ち回りをやらかしてMP二人を逆に拘束。それを見かけた通行人によって進駐軍に連絡が入り、本隊が駆けつけてジロタを始めとした全員を拘束し、管理局内に投獄。学園に連絡が入ったのはその翌日だったの。
流石にGHQ本隊が出張った後ではそう簡単に身請けが出来なくて、困った私は使える限りのコネを総動員して宮内庁にまで訴えたわ。そうしたら、その頃来日していた元帥の耳に入ったらしく、事情説明を求められて私は東京に向ったの。
元帥と直に話はできなかった。けど、側近に事情を話したら、元帥からある条件を飲めばジロタ達を開放してくれるという言質が取れたの。私は有無を言わず即了承し、ジロタ達を無事保護できたの。
条件? それは皇学園及び皇乃杜を特別監視対象とし、皇の全権をGHQに委ねるって事だった。長きに渡る皇の歴史の中でこれがどれだけ屈辱的な事だったか。けど、当時の私にとっては皇よりも何よりも、あの子達を無事に連れて帰ることが全てだったの。
「姉ちゃん… ごめん。迷惑かけた…」
「良いんだよジロタ、お前達が無事だった。それで良かったじゃないか。何も心配しなくていい。後は私達大人に任せな」
随分と謂れなき暴力に晒されてたんだろうね。ジロタもあの子達もズタボロだった。でも、大きな怪我も後遺症も無かったのは幸いだった。私はジロタに抱きつき、安堵したのか泣いてたみたいだった。
ジロタは、そんな私の顔を直視できなかったのか、目を瞑って握り拳を震えるぐらい握りしめてこう言ったんだ。
「姉ちゃん、それじゃダメなんだよ。自分のケジメは自分で付けなきゃいけないんだ。でも、今の俺は非力だ。何も出来ないし誰も守れない。なあ姉ちゃん、俺に力を、そしてどんな時にも冷静に対処できる知識を与えてくれ、俺はその力で皆を守りたいんだ」
「…ああいいよ。私が培ってきた1000年の知識とその使い方を全部お前に授けてあげる。でもそれは血反吐を吐くほど辛く、そして得てからも生涯茨の道を歩み続ける行為だと判っているかい?」
「ああ。勿論だ。俺はこの手でこの国を背負ってやる。理不尽で悲惨なこの現状をひっくり返して誰もが幸せに生きられるそんな国を作ってやるよ!」
そうして、私とジロタはGHQの目を盗みながら寝る間も惜しんで辛く厳しい日々を過ごした。そうしたらどうだろう、あのやる気の殆どなかったあの子達も真面目に授業を受けるようになったの。
そして、それだけじゃ飽き足らず私の厳しい授業にも参加し始めた。
皆、あの事件によって大きく変わったようだった…。
若いって凄いわよね。まあ永久に若い私が言うのも何だけどさ、
私の与えた知識をスポンジが水を吸うように際限なく吸収していった。
そうして、あの事件から3年が経ち、17名全員皇学園から巣立っていったの。まあ本当のところを言えば、その2年前に卒業してなきゃ計算が合わないんだけど、あの子達ってば、皆示し合わせて落第希望出しちゃってさ。こっちも、面白い位何でも覚えていくから、あの子達の気が済むまで置いてあげたの。
その後? うん。その後はね、私のすすめで全員海外留学させたの。こんなちっぽけな国に留まっていたら何時まで立っても世界を相手になんか出来ないから。ただ問題はあったわ。それはGHQがそれを承認するか、ね。ところが驚いたことにすんなりと了承されたわ。ただし、全員がバラバラに留学。ってのが条件だったかな。
その理由は簡単、一つの所にあの事件の当事者達が揃っていては、
何時又暴動騒ぎを起こすか分からないから。
実際あの事件の後、街の評判は一変したの。愚連隊が英雄達に大幅ランクアップしちゃって、その様子にGHQが恐れを抱いてたみたい。だから、世界中に散り散りになれば、そんな危惧もしないで済む。って事。クスクス。
というわけで、17人全員海外留学が決まり、各々が希望する国へ皆が晴れ晴れとした顔をして旅立っていったわ。
留学の資金? 当然私のヘソクリから出したわよ。だって、皇の全権はGHQが握ってて、手持ち金庫一つ開けられなかったんだから。おかげで1000年間で貯めた貯蓄が空っけつになって、飴玉一つ買えなくて、この私がパーラーのバイトとか、内職しながら生計立ててたわよ…。
皆が留学先から帰ってきたのは8年後だったかな。
その頃はもう既にGHQが撤退して6年が経っていて
あの子達が集っても問題は無かったのだけど皆各々色々培った知識を元にそれぞれの分野に就職して生活してたみたい。
ただ、ジロタだけは日本の大学に入り直して院まで進んでずっと勉強してたっけ。
その後暫くして国の政は、主権を持った自力党が民主国家への道を手探りながらも進めていたの。そんな中にジロタが新人として参入したのを今も昨日の事のように覚えてるわ。
選挙区は皇市、既に英雄として市民権を得ていたんで選挙はジロタの快勝だった。だけどそれは遠く険しい茨の道への始まり。
でもそんな事は知りもしない周りからは快進撃に映ったでしょうね。中でもジロタを困らせたのが裏との交渉。幾つになっても素直で実直だったジロタじゃ何にも出来なくて、仕方ないから私がそういう交渉の全てを一切取り仕切ったの。後ろ盾としてね。
そうなってからのジロタはもう強かった。党内でメキメキと力を付け、頭角を現していった。まあ、強さの大本は仲間との結束の強さだったの。そう仲間。各方面で活躍していた皇学園一期生全員がジロタを支え守ってたんだ。中には側近として同じ政治家になった者も居たし、それに続いた者も居た。
そうして自力党に厚樹在りと内外が認めるようになっていったの。
それから何十年経ったかしら、学園の仕事が軌道に乗って私は私で忙しく、ジロタの事は爺やに任せてたんだけど、その爺いやが、一冊のファイルを嬉しそうに私に手渡したの。不思議に思いながらファイルを開けて見て一瞬、何も言えなくて涙が溢れて止まらなくなったのよ。
そこにあったのは第83代厚樹内閣閣僚の文字と、ジロタを筆頭に総勢17人の皇学園一期生全員の名前があったのよ… …。
それはそこで終わりではなく始まり… だけど、どんなに辛く険しい道程だとしても、あの子達が一緒なら大丈夫だって、ジロタとあの子達ならきっと乗り越えられる。そう信じたわ… … …。
「記者ども散れ!ここは我々皇学園一期生が取り仕切っておる。我々以外何人たりとも近寄ることはまかりならん!」
自力党の重鎮達がひとつの病室の前で、取材に訪れた記者たちを牽制し、齢からは考えられないような張りのある大声で辺りを仕切る。
その渦中、コツコツとした杖の音が響き渡った。スメラギの老獪、皇 ウメがゆっくりとただ正面の扉を見据えて、周りの喧騒など耳に届かないかの様にゆっくりと、ゆっくりと歩む。
その体から発せられる威圧感に記者たちは怯み、道を開けていく。
「姐さん。どうぞ、こちらです。兄貴に会ってやって下さい…」
一人の重鎮がウメの手を引き、扉を開ける。ウメは何も喋らず、目も合わさず、ただ真っ直ぐ病室の奥の静かなベッドに向かい。そして既に物言わぬ男の顔を見てそっと呟いた。
「なんだい。せっかちな子だねぇ。もういっちまうのかい…。
… 馬鹿な子だよ。ズタボロの体に鞭打って、私なんかの為に態々スメラギにまで来てさ…。
ありがとうねジロタ。アンタが最後の力を振り絞って助けてくれたから今もこうして居られるよ。
ねえジロタ、これからアンタが行くところは退屈だろうから、何時でも姉ちゃんのところに戻っておいで。
次は楽しい事を一杯しよう。笑い合って面白い事を沢山悪巧みしてさ… …。
…これまでお疲れ様。暫くお空で休んでおいで。道中お腹が減るだろうから、これを持ってお行き。姉ちゃん特製のぼた餅だ。もう、誰にもやるんじゃないよ。それしかないんだからさ。
さあ、行っておいで。さよならは言わないよ。又会おうね…」
そう言うと、ウメは杖を片手に、後ろを振り返ること無く、一歩、また一歩と扉の外へと出ていった。
パシパシと焚かれるフラッシュと幾つも差し出されるマイクを物ともせず、杖で記者たちを牽制し、張りのある声で
「アンタらと話をしてる暇はないんだ、私の許可なく勝手に死んで、ったくとんだ抜作だよ。これまで費やした物が皆パーさ。どうしてくれようか。
ともかくこれから新たな下僕を作らにゃならないんだ、時間が惜しいからどいておくれ!」
「ヒソヒソヒソ… 冷酷の権化、老獪様とはよく言ったもんだ… 仮にもこれまで支えてきた相手だろうに死者に鞭打つとは…」
「ああ? 聞こえてるよ。使えない者を使えないと言って何が悪いんだい。それとも何かい?あの抜作に注ぎ込んだモノ、アンタらが補償してくれるのかい?」
「…」
「ふん、それが出来ないなら文句なんざ言わないこった」
ウメはそう言い放つと、杖を突きながら出ていった。
「… ねえ更生さん、今何時かな?」
外で待機していたSumeragi零にウメが乗り込むと、唸りを上げて零は走り出した。後方を記者が乗る車が追うが、その段違いのパワーの前にはついて行けず、記者達全てが撒かれて暫く後、零一台のみが海岸線を走っていた。
「5時過ぎだな…」
「じゃあさ、浦安行こうよ。今ならエレクトリックパレードに間に合うしさ。夜のデートってのもオツなものよ」
「…」
零は海岸線を離れ町中を抜け、山道を進む。
「え? ちょっとぉ、道が違うわよ? 何処に行くのよ」
山道を抜けて開けた場所に更生は零を止めた。そこは、都内を一望できる小高い丘の上で、先程行った虎ノ門の病院も眼下に見えていた。
「今ならまだ空に届くから、お前の想いの全てを伝えてこい」
「… … ん。ありがとう…」
青々と茂るくさはらの中を進みながらすずめはひとつひとつ思い返していた。
「はいどうぞ、その代わり、私が言うのも何なんだけどこっそり食べなさいね。それしかないんだから」
「ありがとう姉ちゃん。 モグモグぱくぱく… うめぇ!」
「…姉ちゃん、姉ちゃんの声、母ちゃんの声みたいに聞こえるからあんまり呼んでほしくない…」
「… そう。じゃあ、じゃあうーん。ジロタ。ジロタならどう?」
「うん! それならいいよ。姉ちゃんは、なんて名前なの?」
「私はウメ。ウメ姉ちゃんよ」
「じ、ジロタなの?」
「そうだよ。何だよたった三ヶ月合わなかっただけでおれの事忘れちゃったのかよ」
「ジロタ、あんたも早く食べなきゃ無くなっちゃうよ?」
「俺は良いんだ。あんまり腹減ってないし。余ったら頂くよ」
「…辛いよな。悲しいよな。齢を取らないってことは、皆に先立たれていっぱい見送ってきた。って事だもんな…」
「いずれは俺も姉ちゃんを置いていくんだろうな。でも、でもな、できるだけ長生きして、姉ちゃんが辛くならないように、悲しくなったらそばに居て一緒に泣いてあげるよ」
「なあ姉ちゃん、俺に力を、そしてどんな時にも冷静に対処できる知識を与えてくれ、俺はその力で皆を守りたいんだ」
「ジロタ… グス… ジロタぁ… グスグス…
ジロタぁぁぁぁぁ!!!」
その場で崩れ落ちるようにしゃがみ込み、頬を幾重も伝わる涙を拭わず、両の手で顔を覆って咽び泣く。
「私を置いていかないでぇ… 一緒に泣いてくれるって言ったじゃない… ねえジロタぁ… もう一度姉ちゃんって呼んでよぉぉぉ
声を聴かせてよぉぉぉ… ジロタぁぁぁぁ… 」
すずめの泣き声が辺りに響き渡る。それを突然一陣の風が巻き上げ、茜色に染まる空へ向って駆け昇っていく。
上へ上へと、すずめの思いの全てを乗せて、上へ上へと、ジロタの居るだろう空の元に届けるかの様に…。