七月二十六日 下
神野さんはその後フロントに、会長は急用で海外へ行くことになった旨を伝え、自分もそうであると伝えました。
私も、体調不良のため帰ることをフロントに伝え、その後新幹線に乗り込みました。
新幹線ですよ新幹線。それがこんな淡路島や愛媛や大分まで繋がっていて各駅停車してるだなんて。
改めて非常識ですが、もっと非常識なのは、神野さんがちょっと言うだけでグリーン車の席を二つ取れた事です。
もちろん空いていた席ではありましたが、地味に便利な嬉しい権限ですね。
私は大阪へ新幹線が向かっている間にベラベラと自分の事ばかり話していました。
話題がないのと、相手が仏頂面で楽しくなさそうなので更に焦って話してしまう訳です。
道中何度後悔した事か。いくら電話で断っておいたとはいえ、こんな自分勝手してたら嫌われますよ。
神野さんのことなんか無視して友達と温泉に浸かり、海で遊んでいた方が万倍よかったのに。
しかしそんな後悔は今更です。大阪へ到着し、数分休んだところで新幹線は別の駅へ。
大阪三島駅です。ここは東京からはるばる伸びてきた線路があり、ここから大阪府を東西に突っ切る線路が伸びてる訳ですね。
もちろん神野家、四宮家の権限です。そうじゃなきゃこんなところに駅は作りません。
ここで降りた私たちがタクシーをつかまえて向かった先は、当然四宮家。
全く行動力というものが違います。イザナさんにフラれた直後にはもうここについてるんです。
ハッキリ言いますけど神野さん、本当は解放されたかった感が見え見えでした。
実は、キスしてからお腹にまたキスするパフォーマンスとかしてましたけど、普段は解放されたそうにしてたんでしょうか?
イザナさん、そんな男に付き纏われて鬱陶しかったでしょうなぁ。
三島の四宮家に到着すると、神野さんは眠りこけている門の守衛さんに言いました。
「すいませーん、起きてー!」
大声で叩き起こされたとき、神野さんの顔を見たときの守衛さんの顔といったら。
顔面蒼白、この世の終わりのようでした。
「申し訳ありません! 誰かが睡眠薬を……」
「わかったって。居眠りしてたのは黙っててあげるから門開けてくれます?」
「ただいま!」
会長そっくりの神野さんですからね。会長が帰ってきたのかと思って焦る気持ちもわかります。
「神野さんとここに来るのは二度目ですね……」
「君は度胸があるね」
噛み合ってるのか噛み合ってないのかイマイチ判別のつかない会話をしたあと、二人で家の中へ。
出迎えてくれたのは四宮イザナさんでした。妊婦じゃない方の。
「あれ、ユキくんどうして……そして何で佐々木さんがいるの?」
「イザナ。どこまでついて来るか興味があってそのままにしてたら、ついにここまで来てしまった」
「はい、来ちゃいました……」
「まあいいけど。さ、上がって?」
神野さんと一緒に四宮家の応接間へ。前来たとき見たんですが、やっぱり純和風です。
応接間には、イザナさんとその妹が遥々やってきました。
家の中に居たのに遥々とはおかしい話ですが、でもそのぐらい広いのであながち大袈裟な表現でもありません。
妹さん、つまり四宮ナギさんは和服。真っ白な髪に意外と和服がよく似合い、天使が舞い降りたみたいな美少女です。
私のようなぽっちゃり系の女子では太刀打ちできない絶世の美少女ですが、具体的にどう美しいかを表現する言葉を私は持ち合わせていません。
一応試みに書いてみますが、髪の毛は銀色に輝くほどの真っ白で軽く後ろで結ってポニーテール風にしています。牛の神様の子孫なのでカウテールでしょうか。
天の川のようです。あるいは英語でミルキーウェイ。母乳のような道。案外中国で言う牛郎織女の話も何故牛が関連してるかというと、こういうことかも?
眉毛やまつげまでが白く輝く、神々しいアルビノを思わせ、やはり顔や首筋の肌も雪のように白いです。
猫のように釣り上がった大きな目。水晶球のような目の中の瞳は私を見下ろし、わずかに赤く輝く黄金色と、太陽に限りなく近い配色です。
完璧としか言いようのない顔の骨格のラインは天使も嫉妬し、鼻も口も猫のように小さく、唇は膨らみかけでまだみずみずしさを残す半熟といったところ、肌には瑕疵一つありません。
四宮家の体格は桜井家とは違い、割と普通。ナギさんは私より若干小さいですね。
桜井家の血が入った神野真夏さんなど身長一八〇センチに迫る体躯でしたが、美しさでは甲乙つけがたくても可愛さならどうしても四宮ナギさんの方が上回るかと思います。
髪型もおでこを隠して前髪を垂らす子供らしい感じで、自分の若さと可愛らしさを分かった上でそれを引き出す工夫を怠っていないといった印象。
どうでしょうか。伝わったでしょうか。まあ別に伝わらなくても問題はないんですけどね。
その彼女が座ったところで、私の隣で正座している神野さんが切りだしました。
「ご両親は?」
「今はいない……携帯電話会社の社長夫妻だから」
神野家では、スーパーマーケット、コンビニ、電力会社や水道、インフラ系企業など様々な業種を網羅しており、しまいには風俗業やアダルトビデオにまで手を出しているとか。
重要なところは一族に任せ、逆にどうでもいいところは雇われ社長に好きにやらせているそうです。
四宮イザナさんの両親の経営する携帯電話会社などモロ重要なところですね。
その情報を踏まえて昨今の携帯電話会社の動向を見てみると、結構優秀な夫妻であることが伺えます。
現在携帯電話には三十二ギガバイト以上のメモリ、百ギガバイト以上の内部ストレージ、モバイルデータ通信サービスなどを標準装備して、インターネットが出来るのは当たり前。
ここ十年ほどで急速にそういった高性能携帯電話が普及しましたが、多分夫妻の経営下で実現したものでしう。
その影響もあってか日本では国民全員に五年に一度、無償で携帯電話が配られます。
国民総背番号制度があり、キャッシュレス決済も普及しており、政府から国民へ給付金もよく支給されますし、携帯電話持ってないと人間扱いされないので、配るようにしてるんです。
多分それもイザナさんの両親が結さんや会長に意見して実現したんじゃないでしょうか。
もちろん日本の携帯電話は世界シェアナンバーワンです。
「なるほどね。まあ両親は居ても居なくてもよかったけど……イザナ、どういう経緯でこの家に?」
「皮肉なものね……この家で生まれた時は不気味の子と迫害された。
でも外部から家に入ってきたらわりかし歓迎された。
かわいい一人娘の相手をしてくれだって。調子のいい人たちだよね……」
「まだ時間はかかりそうだけど……君が両親と関係を修復する事が可能そうでよかった。
前世で僕は君と結婚したが、そういったことに手を貸すことは出来なかったな」
「別に気にしないで。それで、今日は何の用で来たわけ?
温泉も海もあるとこでバカンス、しないの?」
「イザナ……僕は実に最低の男だった。実の娘に恋をして、それが今でも忘れられないんだ。
しかも……妹と一線を越えたときのことは、君には言ったことはなかったな。全く最低だった。
初恋の鳰を失った僕は、その子にそっくりな妹が求めてきたから一線を越えた。
その間、僕が考えていたのは初恋の子の事だけだった。抱いているのは妹なのに。最低だと思うだろう?」
「でも報いは受けたでしょう。あなたはどっちも手に入らなかった」
「ああ。初恋の女の子が実の娘だったと知ったときは、何で俺だけがこんな目に遭うんだって、怒りを通り越して笑えてきたよ。
五年間探しつづけた答えが、失踪した鳰は生きてるけど、どの道親子だから結ばれないと。
ということなら、血の繋がっていない相手なら何の問題もないわけだ」
「そ……そうだね」
何を言い出すかイザナさん察しがついたようで顔色がわるいです。
私も察しました。ナギさんだけはキョトンとしています。
「四宮ナギさん」
「あ、はい、四宮ナギと申します!」
ナギさんは頭を下げました。見事な関西弁イントネーションです。
本来そうだったはずが、思い切り標準語でしたからね。
秋田育ちなら秋田弁になりそうなんですが、あの神野家では訛りが全然なかった上、七歳以降ずっと東京住まいだったらわずかな東北訛りも隠そうとしていたでしょうからね。
「今日、僕は君と初めて会うわけだけど、僕は君のことが好きで好きで仕方がない。
本当なんだ。君、学校では好きな人とか……彼氏とかいる?」
「いないですけど……」
「ちょっと待った、意義あり!」
「おっと、何か意見があるのか。試しに言ってごらん」
神野さんは、私がこの期に及んで何を言い出すか興味があるようでした。
《まさか神野さん私を選んでなどとは口が裂けても言うまい。だが何の意見があるんだろうか》
そう顔に書いてあるようでした。深呼吸して緊張をほぐし、恐る恐るこう言いました。
「あなた精神的には大人でしょう? 十二歳の女の子を欲しがるなんて犯罪です、ロリコンです!」
「そう言われるとぐうの音も出ないね。じゃあ二百歳の結さんならいいか?」
「人妻じゃないですか!」
「あの人の夫は、この僕だ」
「……そう言われるとぐうの音も出ませんが」
「十二歳がダメか……じゃあ君も十五歳だから、僕が君を選んだらロリコンということになるね?」
「まあそうですが……」
墓穴を掘ったなお前、と神野さんに笑われてるようでした。
「となると、イザナも肉体年齢は十五歳だしダメか。
うーむ。じゃあちょっと聞いてみたいんだがイザナ、一族の女性で他にいるだろうか。
二十歳以上で未婚の女性。居ると思うんだよね。一族には結構」
「ああ、それに関して二人に伝えておくべき事がある。ナギも聞いてくれる?」
「はい、姉上」
私は姉上という言葉を生まれて初めて生で聞きましたが、しかしナギさんの目。
神野さんに釘づけな上に顔を赤くしてもじもじと腰をうごめかしている辺り、気になってしょうがないという感じです。
初対面の男性に警戒感はないのか、と思うのですが、やっぱり体の奥底に眠る記憶があるのでしょうか。
「私たちはいわゆる近親相姦……近い遺伝子のもの同士での婚姻に拒否感はないの。
それは仲間の絶対数が少な過ぎるが故の生き残る術だったみたいだけど……」
「それは聞いている。僕らは人間に擬態し、群れに紛れ込んで甘い汁を吸う種族だった。
毒を持った生物に擬態する生き物は多いが、その数は少ない。
増えすぎると擬態しても効果が薄くなるからだ。
多分僕らもそうなんだろうと結さんが言っていた。あまり多過ぎると人間に寄生して群れを乗っとる生態を選択して進化した意味が無くなるからな。
同じように寄生虫も他の個体と一生出会わない場合も多いから交配に際して常識とは違う方法を取ることもある」
「さすが元お医者さん、生物の知識は豊富ですね。どんなのがいるんですか?」
話を始めようとしたのに一瞬でインターセプト、話が逸らされてうっとうしそうなイザナさんは構わず、私は話を広げます。
「サナダムシという寄生虫は自分の体節一個一個に遺伝子が封入されていて、自分の体の中で遺伝子をブレンドする。
言うなれば、自分の腕と足とか右手と左手が子供を作るようなもので、僕らの種族もそれに近い生態があると研究者でもある結さんが言ってたが……」
「その通り。私たちはそれだけじゃない、生態に合わせた人間とは異なる能力があるの。
ナギは、自分が人間とは違うことは知ってるよね?」
「はい。佐々木さんは人間の方ですが、そちらの神野さんは、入ってこられた瞬間感じました……」
「同じ仲間だと?」
「その通り。同じ種をかぎ分ける能力も発達してる。
でもそれだけじゃない。私たちは簡単に言うと無性生殖が出来る」
「……は?」
「む、むむむせい……じゃあイザナさんも……?」
「ええ。やろうと思えば自分と同じ遺伝子を持つ子供を産むことが出来る。
でも私は体にY染色体を持ってないから娘しか生まれない。
現代では気持ち悪がって誰もやらないけど、男がいないときは、とりあえず無性生殖で子供を産んで凌いだ事もあるみたい。
このことは人間に目撃されてて、キリスト教の『処女懐胎』などにその残滓が残ってると言われている」
「……すごい話だ。でもマリアは男を産んでるから我々の種ではないよね?」
「でも夏樹は……私達の息子はその限りじゃない。佐々木さんはあの子の体についてどのくらいご存知?」
「外見からは女にしか見えませんよね。見せてはくれませんでしたが、大事なところも完全に女性だと言っていました。
でもY染色体を自分も持っているのに、体は完全に女……予定違いで生まれたのだと言っていましたが」
「あの子は、いわゆる処女懐胎で息子を産むことも出来るわ。
どう、嬉しい? とりあえず孫の顔は見れそうよ」
孫って、皮肉なのかブラックジョークなのか判断つきません。
「孫ってお前……処女懐胎って言っても、そもそもあいつ自身処女の母親を持ってるじゃないか」
「私のこと? まあ確かにね。母親を置いて天に召されたのもまるでイエスみたい。
神の子を息子に持つのも大変。あ、ごめん何でもないから……」
「イザナ、それでその、無性生殖がどうかしたか?」
神野さんはとりあえず話題を変えました。いえ、戻したと言うべきでしょうか。
「正直若い男がいない以上、私たちの娘……あの子は結婚相手が全くいないと思うわ。
私たちの女はあまりにも相手がいなくて寂しいとき脳が指令を出してそれ専用のホルモンを分泌して、体内で精子さえ作られるの。
そうして知らないうちに妊娠するみたい。そうすることで何とか遺伝子のリレーを繋いで来られたみたいなんだけど……」
「改めて非常識な種だな……でもさ、そうだったらもう男要らなくない?
男なんかよりカワイイ女の子の方がいいんだろ、女は?」
「ですよね。一部のお母さん達は子供が女の子だと男の子をもつ母親にマウントを取るらしいですよ。
それがどうしたと自分の子供に自信を持てば良い話ですが……」
「あのねえ。女の子しか生まれないってことは母親の母親のそのまた母親も自分と同一人物、っていうことになるじゃない。
不気味過ぎるわ。事実上、男がいなくなったら新しい人間は生まれなくなる。
種全体で、同じ人間が輪廻転生を繰り返す。不気味でしょ?」
「まあ確かに……」
人間は死を克服した場合どうなるか。この世には決まった人間しか存在しなくなり、新しい子供を産む必要がなくなって世界は硬直化すると言われています。
死を克服したら必ず訪れる必然。不死者が延々子供を産み続けたら世界はパンクしますからね。
結さんも半ば不老不死者ですが、わずか二百年生きただけで死にたいと言っている程です。
通常は「わずか」などと言える数字ではないですけどね。
でも永遠の寿命を考えれば本当にわずかな時間でしょう。
二十一世紀中に人間が死を克服した場合、人間は二十五世紀まで残っているでしょうか。
長く生きることの無意味さとか空しさなどにとり憑かれて、自ら世界から消えちゃったりしないでしょうか?
逆説的な話ですが、死があるから人は生きられるのかもしれません。
生まれて、死ぬ。人生の始まりと終わりに、人間の意思は関係ありません。
自由ではなく、不自由なのです。
人生とは能動か受動か。つまり自由はあるのか本当はないのかは人類永遠のテーマですよね。
人生の始まりと終わりには少なくとも自由はなく、基本的には人生の途中も、別に自由はないというのが科学的には常識です。
例えばあるフランス人作家によれば人は趣味嗜好を生活環境に左右されており、果たして本当に我々に自由意思はあるのかという疑問を提起しています。
貧乏人がオペラやクラシック音楽、絵画鑑賞、古典文学などを趣味にすることはまずなく、お金持ちはそれらを趣味にする事が多く、貧富の格差は趣味の世界にさえ如実に現れると説きます。
もちろんどういう環境で育つかは全く選べないですし、人間の性格は育った環境と遺伝子がそのほとんどを左右すると現代科学でも考えられています。
環境も遺伝子も選べるものではなく、それらによって自分の選んでいると思っている意思も予め決められてあるのなら、自由なんかないのかも知れません。
ただ自由がないからと言って悲観する必要はありません。
音楽や芸術などは全て制約の中で生まれるからこそ面白いんです。
型を熟知した上でそれを上手に壊すのが型破り、ただとにかく自由にやってもそれは型無しだ、という言葉もあります。
人生は死ななければ永遠に未完のまま。
イザナさんもそう考えているようで、男が生まれない事への危機感は募っています。
「このままだと男は二度と生まれなくなっちゃうの。
イザナさんの子は男だからまあいいとして……あともう一系統ぐらいないと途切れちゃう」
「ただでさえ僕らの家系は女の子が生まれやすいんだろ?
たまに居るよね。息子に野球を教えたくて奥さんと子作り頑張ったら四人連続娘だった、とかいう元野球選手」
「真剣に言ってるの!」
「夏樹は体にY染色体を持ってるから男を必要とせずに男を産めるんだそうだが、産み分けは出来るのか?」
「無理。こればっかりは確率ね……我々の場合サンプルが少なくて男女どのくらいの比率なのかいまいち不明だけど……」
「僕がこの前結さんから聞いた話にこんなのがある。
古代、人間の王に僕らの先祖の女が取り入った。そして王に口利きして、自分の愛人を出世させてもらう。
もちろん愛人は王妃と同じで人間とは違う種族だ。
出世した愛人との間に王妃が浮気して出来た子供が王子様になり、王子の後見人はその実父が務める。
我々の種族はそうして人間の国を手中にして初めて一人前の男として認められて、群れの中から結婚相手を選び、子孫を残す。
そのようにして祖先は人間の社会をめちゃくちゃにしていたんじゃないか、と研究者でもある結さんが言ってたよ」
「悪魔的生態ですね……」
「全くそうだね。もういいんじゃないか? 絶滅させよう、こんな種族!
と、言いたいところだが、息子が根絶やしをしようとしていたのを止めたのは僕だ」
「で、その……実はその……言いにくいんだけど……」
「どうした? まさかイザナ、君……例の無性生殖で妊娠したとか?」
「違うの。要するに、寂しくさせてるとほぼ自動的にそうなるって。
だから一応私はまだ大丈夫だけど子供達がそうなるかもって……」
「あの……」
「ん?」
さっきまで黙っていたナギさんが挙手しました。何か質問でもあるのかと思い、司会進行役のイザナさんが発言を許しました。
「どうかしたの?」
「それがその……ここ最近生理が来てなくて……妊娠したかも……私……」
「えぇー! うわ、え、そうだったのか!?」
「ちょっ、えっ、じゃ、え、その……その子は誰の子なんですか?」
「決まってるでしょう。あなた最低! 責任とるんでしょうね!?」
さすがに惚れた弱みか、神野さんに厳しい態度を取ったことのないイザナさんですら声を荒げて神野さんに掴みかかりました。
「いやいやいやいや、最後にしたのは一年近く前だから僕じゃないって!
あの時妊娠したならもう生まれてないとおかしい計算になる!」
最初で最後の兄妹間のあやまちは、去年の九月ごろだと話してました。
本当にそうなのかは知りませんけどね。
「嘘つき! 今年の五月か四月か……最近までやってたんでしょう!?」
「違うー! 誤解だー! つ、つわりだ。つわりあったか!?」
「つわり……?」
ナギさんはピンとこない様子。神野さんはイザナさんに首を絞められて真っ赤な顔になりながら続けます。
「何度も吐き気を催したとか! たまには医者らしいことを言わせてもらうが、それは免疫反応だ!
人間は血液を輸血されると、自分と違う型のタンパク質で出来た血液だったら反撃して凝集させてしまう!
つわりは自分とは違う遺伝子を持つ子供というタンパク質に免疫系が反応することだと現代医学では考えられてる!
君が自分自身の遺伝子で作った子供なら、つわりはないかあっても弱いはずだ!」
よくこんな首を絞められながらこんなに長々しい台詞をスラスラ言えるものだと感心します。
病理の先生だったみたいですから、大学生に講義したこともあったんでしょうか。
いや、病理医って具体的に何してるか私は全く知らないのですが。
「吐き気とかはなかったです……」
「ほら、濡れ衣だって!」
「どうだか……」
神野さんとイザナさんは衣服を正して席に座り直し、そして何事もなかったかのように話を進めます。
「人間は想像妊娠って言葉を作ったらしいが、我々の種族をモデルにしたのかもなぁ……」
「ナギ、何でそこまであなた……寂しかったの? 私がずっとそばにいたのに」
「何だかわからないんですけど……私の心にはいつも雪が降ってるイメージだったんです」
神野春雪さんがそのような名前であるとまだ知らないナギさんがそう言ったので私たちは恐らく全員ドキリと心臓が跳ねた事でしょう。
彼女の頭のなかに残滓としてそのイメージが残っているのかも。記憶は消されても、魂が覚えているとかそんなスピリチュアルなことを言う気はありませんけどね。
私はナギさんの話す言葉に注意深く耳を傾けます。
「私の心に降る雪は、暖かくて、暖かいからこそすぐに儚く解けてしまって。
次の日には消えてしまっている、春に降る雪みたいな。
寂しい。寂しい。寒い。寒い。ずっとそう思って……そしたらこんなことに……」
「お、お、落ち着いて。妊娠検査薬を使いましょ!」
イザナさんは応接間の救急箱みたいなところから検査薬を取り出しました。
「何でそんなもん持ってるんだイザナ!?」
「こんな事もあろうかと……息子や娘の時に使うかもと用意してたけど、こんな形で……さ、行くよナギ」
と、イザナさんは妹をどこかへ連れ去って行ってしまいました。
二人きりになったところで、お医者さんなら知っているであろうと考えて神野さんにこう聞いてみました。
「あの私妊娠検査薬ってどう使うのか知らないんですよ。よくドラマとかで見ますけど」
「検査薬の出るドラマって、よっぽどドロドロのを見ているんだね」
「ええ、恥ずかしながら……」
「あの二人はトイレへ行ったよ。妊婦は尿の成分が通常とは違うので判別できるんだ」
「なるほど……」
「古代エジプトではある種の植物に女性の尿をかけて成長具合を見る検査方法があった。
実はこれ本当に理にかなっていて、エジプト人は妊婦の尿の成分が通常とは違うことを経験則的に知っていたようだ」
「さすが賢いですよねエジプト人。あ、エジプトといえば会長と真夏さんが行くそうですが……」
「そうだね。僕はあの子の父親が出来なかった。会長には父親らしいことをしてもらいたいものだね。
まあ、その代わり会長が夫らしい事を出来ないんで、結さんに夫らしい事をするのは僕の役目になりつつあるけど……」
「日本の内政はほとんど結さんに委ねられているんでしょう?
大変ですね。遊んでばかりに見えるあの人ですが……」
「一年のうち、休みは年末年始と夏休み一週間くらいだ。
僕も、もう少し一緒に居てあげたかったけどね……イザナさんが許してくれなかった」
「ですね……」
と言っていると、ふすまを開けて二人が帰ってきました。
「どうだった?」
「陽性。ナギ、ほんとに男性経験はないのね?」
「あるわけないでしょう、いくら姉上でも失礼ですよ!
人間で妥協するなんて……姉上もしないでしょう妥協は?」
いや、あるんですけどね。最低でも一回。
「ごめんごめん。いやー、しかしあれだねユキくん」
「どれだよ……」
「だからさ。あなたがまだ普通の高校生だった頃に、既にこの子は妊娠してた。
ナギ、もう今から本当の事を話すからしっかり聞いてね?」
「は、はい……」
「ナギさん、せっかく記憶を消したのにあれですが……神野さん、話してください」
「わかった」
少し咳ばらいしてから神野さんは要点を押さえ、厳密で誤解の余地のない、それでいて平易な表現で言いました。
「君とイザナは実の姉妹だ。彼女はずっと家出をしていた」
「……そうですか。それに関しては何の驚きもないです」
「そうか。ところで僕は人間の記憶を改ざんする能力がある。
その上、世界そのものの歴史を自由に塗り替えることが出来る。
ただし、歴史を変えると生まれるはずだった人が消えるからほとんど変えないけどね。
その力で僕は、僕の存在を君に忘れさせた」
「だから……どこかで会った気がしていたんですね。さっきから」
ナギさんは非常に飲み込みが速い、というより神野さんへの信頼度と好感度が最初からマックスで、話すことを寸毫たりとも疑わず、スポンジのように全部吸収しているのでした。
「ああ。君と僕は同じ家で育ち、実の兄妹同然だった。そう信じていた。
でも君は深遠な事情をもって僕の家に拾われた赤ちゃんで、君の生まれた家はここだ。
君を家に戻してあげたかった。けど君は僕と離れないと言った。
だから君の記憶を奪ってここに置いた」
「確かに、そう言ったような気もしてきました……」
「でもそれだけじゃなかった。僕が君との思い出を消し去りたかった理由は。
僕は自分と同じ種族以外の女性に恋をした事はない。君もそうだろう?」
「はい……」
と顔を赤らめるナギさん。まだ十五分くらいしか一緒に居ませんが、既に体の奥底に眠る魂の記憶とでも呼べるものが蘇り、目の前の彼に再び恋をし始めているみたいです。
多分若い同種の男性を見た事自体、彼女にとっては初めてでしょう。
同種の若い男、しかも自分に好意を持ってくれる男がいるというのは初めての感覚のはず。
私は生まれたときから周りに人間しかいなかったので、そのような感覚は逆立ちしても得られないでしょう。
でも何となく想像は出来ます。言うなればナギさんは無人島で十三年さまよって、やっと出会った異性が好みド真ん中ストライクの、文句は付けようもないスペックのお兄さんだったというわけです。
しかもその人が自分を好きで好きで仕方がなくて、忘れようとしてもダメだったなんて言われたら、もうスイッチ入っちゃいますよ、恋のスイッチが。
「僕は君と兄妹としては親密過ぎた。僕は君と一線を越えた。
去年の九月の事だった。妹とのそれを僕はなかった事にしたかったんだ」
「あの、つまりそれは私は……その……あなたと兄妹で、恋人だった……?」
「ああ」
「でもその過去は消えてしまって……でも会いに来てくれたって事ですか?」
「僕はそんなこと計算してた訳ではないが……ここ数日思っていた事がある。
僕には相手がいない。結婚さえ考えた相手も居たけど、僕が他の人に心を向けている事を見抜かれていたらしい。
君のことだ。去年の九月から十ヶ月以上。ずっと忘れられなかった。
妹としてしまった過ちは、しかしそれは血の繋がらない君が相手だった。
その上君は今僕の妹でも何でもない。偶然だ本当に。でも……」
でもその偶然を発見した僕は君に会いたい会いたいという思いが募りつつも、我慢してイザナさんの側にずっと居ようと思っていた。
だがイザナさんの許しが出た。その途端全速力でここまで駆けつけてしまった。
という台詞が、「でも……」の後に続いているはずです。
「多分それは……私も……」
「他の人を……好きになろうと努力はしてみたけどね。
ここに来ることも迷いはした。今だから言うよ。
かつてイザナと出会って結婚したのさえ、君に似ていたからだった」
これも結局、性向は遺伝子と育った環境が決めるという事です。
彼は生まれつき可愛らしい妹を世話し、両親も妹を可愛がっており、妹がすべての可愛いものの基準になったわけです。
もちろん遺伝子的にも、彼は人間に興奮するようには出来てません。
人間と肉体関係を結ぶ血族の人間も中には居るみたいですが、相手は必ず流産するので人間の女性と交際するといい顔はされないそうです。
まあ、私の事でもありますね。種族の壁は高いです。
お互いがお互いの種族の中で異端でないと愛は成立しません。
私がもし、人間の男性に一切興味がないのなら這ってでも彼に執着して、そして彼は同情して私を抱いてくれたでしょう。
いや、イヤらしい意味じゃないですよ。抱いてくれるっていうのはもっとこう全体的な意味です。
まあともかく、私は彼じゃなくても死ぬわけじゃないと割り切る事が出来たので、もうすでに諦めています。
諦めるしかないんです。人生はさっき書いたように不可抗力の塊であると思わないとやってられないんです。
「だと思ってた……」
ため息混じりにイザナさんが言うと、申し訳なさそうに神野さんが頭を下げて、ナギさんにこう続けます。
「君が好きで仕方がなかった。妹だからダメだってずっと諦めていたんだ。
もうロリコンと呼ばれてもいい。僕は君しかもうダメなんだ……」
「わかりましたって、ほら、頭を上げてください!」
「ごめんね……」
言われた通りに頭を上げた神野さん。しばらく私たち全員黙っていると、おずおずとナギさんが話しだしました。
「この子はどうするんですか……?」
私はすっかり頭から抜け落ちていたんですが、ナギさんは妊娠しているのでそれは確かに重要極まる問題です。
「その年で出産すると体への負担が……でも大丈夫。
医者ならここに二人も居る。心配する事は何もないよ」
「嬉しい……ありがとう、本当にありがとう。
ここ最近ずっとそれで悩んでいて、私どうしようかと……でもどうせだったら、好きな人の子を産みたいですね」
「出来るよ。君なら……」
全く何と残酷な事をナギさんも言うものでしょうか。
無自覚は承知ですが、それでも私は結構深く傷つけられました。
私は好きな人の子なんて絶対に産めないのに。
「イザナも君のことを本当に大切に思ってる。前世ではさっき言った通り、姉妹なのに一緒には暮らせなかったからね。
僕らは一度結婚して、離婚してしまったけれど……君の事が大好きなのは同じだ。
経験者だし子供の世話もよく知ってるから、三人で育てて行かないか?」
ナギさんは、そう言われなかったら私から提案するつもりだった、とでも言いたげに姉への信頼を顔いっぱいに浮かべて答えます。
「はい、もちろーー」
「あの、私からも発表があります!」
「え?」
ナギさんを遮ってまで私が意見し、三人が一斉にこちらへ向いたところで私は話し始めました。
「私も決めたことがあります。好きな人の子供を産めないなら子宮なんて切除して他人にあげようと思うんです!」
「な……何を言い出すんだ急に!? そんな人生の重大な事をその年で決めるんじゃない!」
「そうだよ佐々木さん、子宮ドナーなんて日本ではほとんど例もないし……」
「佐々木さん、もしかして好きな人というのは……?」
「そうですナギさん。この神野春雪さんですよ。私は人間……相容れない存在なんです!」
一同の空気が凍りつきました。私は空気など気にしない性質ですから同じ調子で続けます。
「子宮がなければ二度と卵巣癌や子宮けい癌にならないし、二度と生理痛はありません。
生理用品も買わずに済みますし更年期障害もないと思います……いいことずくめじゃないですか!」
と力説すると、私のことを煙たがったイザナさんが冷酷無比にも、熱く興奮した私に冷や水を浴びせて来ました。
「でもそれって、男性だったら生まれつき全員そうじゃない?」
全くその通りです。イザナさんにその件について反駁することは不可能でした。
「いやそうじゃなくって、女はみんなそういう重荷を背負ってるって言いたいんですよ!
そして私はその荷を下ろせて、私のピチピチ若い子宮が欲しい女性にあげられたら一石二鳥じゃないですか!」
「若すぎだって瞳。せめて両親に相談してから決めるべきだ」
「無論そうします! でもナギさん、これだけはわかってください。
好きな人の子供は望んでも得られるものでは必ずしもないという事を。
だから私、そうしたいと思っている女性にチャンスをあげたいと思うんです!」
「立派な事だと思います! 私は佐々木さんを尊敬します!」
「コラ無責任に後押しするようなことを言わないの!」
「すみません……」
「でもいいの? これから先あなたには好きな人が出来ると思うけど」
「大丈夫です、元々子供なんて絶対産んでなるものかと思ってましたよ。
母は私を産んだことでどれだけ苦しんだことか。後悔はしていないと言いますけどね。
性的な事への嫌悪感や男性不信、出産への抵抗感を抱くには最適の家庭環境でしたから」
十五歳にもなれば男性に言い寄られた事の十回や二十回はありますよ。
それでも、私が一度も恋人出来たことのない理由は今語った通りです。
また、私は言外に「だからこそ初めて好きになった人とは種族さえ違う事に絶望した」とも言っています。
そして更に絶望的な事は、彼が同じ人間だったとしても、彼は私を選ばないということです。
そんな私がナギさんに好きな人の子供は望んでも得られるものではないと背中を押して居るのは妙な光景だと思います。
「そういえばイザナさんはどうするんです? もう若い男性は居ませんよ一族に。
一生独身とか……もしくは、人間と結婚するんですか?」
「あなたね。家畜と結婚できる? するぐらいなら独身選ぶでしょ?
人間のあなたに言うのは悪いけど私にとって人間なんてその程度の存在」
「いや……人のことは言えないと思います。私も似たようなものですから、人間の男性に対しては」
「基本的には私の生活費を出してくれてインフラ整えて、電力作って水道引いて、物資を輸送してくれて。
なんて役に立つ生き物でしょうって感じ。感謝はしてる。
将来大きくなりそうな小学生の男の子を見ると、田植え後の田んぼを見るような気分になるよ。
スクスク育ってね~、私のために一杯働いて税金納めてね~って思う」
「イザナってそういう所あるよな。偽悪的というか。
もしそうだったら人間の患者を手術する医者になんかならないだろ?」
「それはあなたが医大にいくから私も医者になったんじゃない!」
「照れちゃって。まーともかく、気をつけて帰ってね。そして親御さんにちゃんと子宮ドナーの件は相談するんだよ。
結論が出たらいつでも言ってくれ。僕が責任をもって提供希望者を見つけるから」
神野さんは私に対して常にこういう態度を貫いています。
歳の離れた兄のような、父親のような、あるいは私の主治医の先生のような。
女として見られていない以上、更に食い下がっても意味のない事です。
私は家の外に出ると、ちょっと行ったところにある駅へと向かう、その時でした。
「まあ待って。送っていくよ」
と声をかけてきたのは神野さんでした。私は殺意のこもった目で振り向きます。
「どういう風の吹き回しですか? 私の気持ちを繋ぎとめておけば後々私を利用出来るとか?」
「君は僕に一度送られただけでそうなるのか?」
「違いますけど……」
「君と初めて会った時も悪い奴に襲われていたよね。
奴らは一掃できたわけじゃない。一応僕もそれなりに警備に力は入れはじめているけどね……」
「ナギさんと居てあげたらどうです? あの子既にあなたを大好きですよ?」
「知ってるよ。それは後でもいい。でも君は僕のせいで予定を切り上げたんだからね。
僕は大人で君は子供。僕は君に優しく接して、守る義務がある」
「要りませんよ。本当にあなたはあれですね、子供扱いですね私のこと」
「君は子供で、僕は大人だ。出会った頃とは違う」
この瞬間私のスイッチが入りました。怒りのスイッチが。
「そういって十二歳の妹のことはあれだけ執着してるじゃないですかこのロリコン!」
私は後悔で泣きそうでした。私が彼ともっと早くにセックスをして、そして流産でもしていたら彼は二度と私のもとから離れなかったのに。
何より悔しいのは私にはそうでもしないかぎり勝ち目もなかったということでした。
「はは……そうだね。瞳、やっぱり僕はロリコンか。
望んで精神的に大人になったわけじゃない。少年から男へ。
だから子供には優しくしようと自分に言い聞かせていたんだが」
「子供ってどの程度の範囲までです? 十五歳は子供ですか?」
「君はもうすぐ十六歳だけど、それでも十分子供だよ。
好きな人の子供を産めないくらいなら子宮は要らないと言ってたな。
数年前から考えてたなんて嘘だ。その当時の君は、まだ十分そうすることのできる余地はあったからな」
「じゃあなんでそんな嘘ついたんですか!?」
「子宮を人質にとったんだろう?」
私は絶句しました。バーナム効果といって、「そう言われると本当にそうかも」という心理が人間には働きやすいですが、私もそうです。
そんな感じがしました。そんなつもりはなかったはずですが、心の奥底の願いが彼の異様に鋭い洞察力で見抜かれたのではないかと。
彼は王の中の王の一族。人間の中で成り上がり世を渡る方法が遺伝子レベルで刻み込まれています。
コミュニケーション能力。その点においては人間を超えていると思います。
「そんなことはないと思いますが……」
「人間界では妊婦だからといって無理なお願いや、わがままを通すことが出来る。
子宮を人質に取っているから出来ることだ。君も人間の女性がよくやることをやったに過ぎない。
私に振り向かなきゃ子宮取っちゃうぞ、取り返しのつかない決断をこの年でしちゃうぞ、と脅したんだろう?」
「おもおもおも、思ってませんよ!」
思っていました。私がかすかにしか感じていなかった感情を神野さんには簡単に言語化されたんです、私は。
「過去にするには若すぎたかな。忘れろなんて、忘れられない僕に言う資格はない」
「だから記憶を奪ったんですか?」
「そうだね。君は記憶を取り戻してしまった。今からもう一度記憶を奪っても構わないよ?
その方が全てにおいて理にかなってる。でも不思議だな、そうする気になれない。
君は忘れたいのだろうか、僕と過ごしたことを」
「忘れたい過去がない人なんていないでしょう。私にだって一つや二つあります。
でもあなたとのことは忘れたくありません。学んだことが沢山ありますから」
「へえ学んだこと。例えば?」
「あなたは私にあれだけアプローチしてくれたのに。キスしてもいいか、とか、抱きしめてもいいか、とか。
望みが叶うなら恥や遠慮はかなぐり捨てて、申し出は受けるべきですね」
「僕は付き合ってもない女の子にそんな遊んでる男みたいなことを言っていたかな?」
というか、神野さんは明らかに見た目がチャラかったですよ。
髪も長くて当たり前のように耳にピアス。そもそも銀白色の髪ってだけでも奇抜というか目立ちます。
クッソチャれぇ人でしたよ。だからそういう人であると、全く疑いもありませんでした。
彼は女の子と遊びまくっていて、私もその一人だと。
実際彼は中学の時のことはほとんど話しません。別に重要なことじゃないからでしょうが、十四歳のときに妹と一線を越えた時、童貞だったとは一言も言ってません。
少なくとも、放っておいてもファンクラブとか出来るレベルの美形でオシャレさんでもあるのは間違いないですからね。
本人はそういう人間であると思われたくはないようですが。
「言ってましたよ。それに、あなたと一緒にいる事で理解しました。
私は子供でした。甘やかしてくれる人がただただ好きで、だから際限なく甘やかしてくれるあなたに依存したんです」
「だろうね……君がどういうタイプか、話して五分でわかったよ」
だから際限なく優しくすれば私は簡単に籠絡されて、神野さんの言うことを何でも聞くと予想したんでしょうね。
彼にとって当初私に接触した目的は、鳰さんを探すことでしたから。
「でも甘えているだけじゃダメだとも気づきました。
私は過去を見ることを止めることは出来ません。それも私らしさの一つだと思いますから。
でも同時に先を見ていたいと思います。顔を上げて、前を見ていたい」
「また……やるのか? 佐々木本部長との……捜査を?」
「ええ。高校で東京に出て以降なかったことですが……」
「そうか。やっぱりついていってもいい?」
「どうして?」
「君の成長をこの目で見たい。それに本部長には娘の育て方を詳しく聞きたいし。
こんなに優しくて裏表のない真っすぐな女の子を、僕は他に知らない」
「私裏表ありますよ! 計算高い女ですよ!?」
「なるほどギャグもいけるね。じゃあ行こうか」
「行きますけど……」
何だか知らないうちに神野さんもついてくる事になり、新幹線へ。
二人で乗り込んだところ、突然彼が豪邸の立ち並ぶ三島の川について誰も聞いてないのに語り始めました。
「淀川水系は様々な支流があって、特にある川が面白い名前をしているんだ」
「面倒臭いけど付き合ってあげますよ。どの川ですか?」
「天の川って言って大阪には七夕伝説の神社や川がある。
結さんは多分そのあたりの生まれだろう……言葉に特徴がある。
京言葉と大阪弁が混じったこの辺で育ったんだろうね。天の川は恋人達の人気スポットになってるとかならないとか……」
「とすると、化野家もそこに……?」
「昔はね。多分古墳時代とか、そのぐらい昔になると思う。
天の川のあるところは交野市なんだけど、この三島とはほんのわずかに距離があって離れている。
例の伝説では恋人が引き裂かれ、一年に一日だけ会っていいって話だけど……多分僕の祖先が結さんの祖先と何かあったんだろう。
それを律儀に守って、互いは川を挟んで向こう側に住んでるってわけだね。
もしかすると昔は一年に一度、七夕の日にだけ互いの家の男女が会っていたのかもしれない」
「うーん。結さんが夫と長続きしないのは運命レベルで決まってるんでしょうか……」
全く意外でした。天の川と大阪が繋がるとは。
単に京都に住んでいた四宮家が神野家とけんか別れをした際に京都から離れて大阪の方に来たってだけかと。
よく考えると四宮家は海辺の方に住んでいて大阪でも京都と隣接する三島や交野市などのような内陸部とは正反対の場所でした。
神奈川県で例えるとほぼ山梨県に近い相模原市あたりと、横浜や川崎が全然違うのと同じようなものでしょうか。
「一年に一度。天帝が決めた事だとはいえ酷な話だ。
僕だったら逆らうよどんなことがあっても。あの話の牽牛は実に情けない男だ。
たとえ二度と会えなくなるかも知れなくても、逆らっていたほうが、織姫も喜んだだろうに」
「私は一年に一度でも、会えなくなるよりはマシだと思います。
でもそうですね……妹と結婚するためにここまで足掻き続けたあなたが言うと説得力ありますね」
「足掻いたよ。格好悪く、みっともなく。お互いにね」
「ええ、子宮を人質に取っていると言う指摘には雷に打たれたみたいにショックを受けました。
本当だったからです。私は女として最低でしょうか? 子供を産まないのは間違ってるでしょうか?」
「例えば先進国は少子高齢化する。だから、母性は過大評価され、子供を産む母親は尊ばれ、その逆は蔑まれる。
社会に貢献していない、利己的だというわけだ。よく使われる独身女性批判の論理だね。
しかし君は必要とする人に子宮を提供したいのだという。非の打ち所がないほど立派で利他的な事だと思うよ?」
神野さんは言うことが一々機械的なほど論理的なので、無理矢理納得させられて慰められてしまいます。
「じゃあ単に子供を産まなかった女性は? 私の叔母です。
トントンと結婚して、子供を産まなかったので、世間のバッシングに晒されましたが……」
「二人産む女性がほとんどの中に産まない女性が数パーセントいるだけで、何十世代か先には人口は激減するだろう?
例えば細胞が古くなって死ぬスピードに細胞分裂が追いついてくれなかったら困るよね?」
「全くもって正論です……子供を産まない女性は反社会的なんですね?」
私は深くキズつきました。あまり気を使った答えではなかったものですから。
「性的マイノリティの人もね。結局社会的に求められる役割を果たさない人間は白眼視される。
だが、それは人間の歴史が常に余裕のない社会だったからこその仕方のない反応だ。
現代は余裕がある。余裕があるから受け入れるべきだ。僕はそう思う。
人間の女性より遥かに危機的状況で子供を産むプレッシャーも大きい僕らの種の女性でさえそんなに子沢山じゃないだろう?」
期待した答えではないと思っていたら、割と満足の行く結論でした。
「うーん。それは確かに。冷酷に合理的に考えたら、結局あなたが一族の女性全員妊娠させなきゃならないところですが……」
「それは嫌だ。だから僕らの種は半ば諦めて絶滅の道を歩む。
ただ、結局のところ産まない女性は他の産んでる女性がいるから辛うじて許容されうる物に過ぎない。
共同体の保守という観点からみれば好ましくない物であるのは明らかだ。
共同体の維持など無意味である、と考えればどちらも平等だけどね?」
「子供を産まない女性がそう考えたら、やっぱり反社会的じゃないですか!」
「この新幹線の運転手もそれを動かす電力会社の人も、レールを敷いた建設会社も、車体を作った重工業の人も、弁当を作った人も、食材を生産した人も。
何もかもが……そう、その服だって。極論、母親がいなければ僕らは存在しないだろう?
誰かが産まないと社会は存続しない。だから産まない事を正当化するには社会の存続自体に意味がないと言うしかない。
反社会的だと言わざるを得ないだろう?」
「産む以外で社会に貢献する術も……」
「共働きの母親もいる。むしろ専業主婦世帯より遥かに多い。
まさか産まない女性は産んだ女性に比べ仕事でも有能でクリエイティブだ、なんて思ってる人は居ないだろう。
僕が今まで言ったことは佐々木本部長もよくわかってるはずだ。
君が説得をするのであれば、向こうに到着するまで僕を練習台にするといい」
「うーん……結局、反社会的と言われようと私は私を貫く、という他ないんでしょうか?」
「だろうね。社会の保守という立場に立つ時点で正当化は不可能だ。
ただ、現実的に社会は最大限の努力をしない割に権利を行使しようとする人間には冷たい。
例えば生活保護を受ける人に、本当にそれしかなかったのか、と冷たく当たる人は多い。
ただ君の場合は心配要らないよ? 誰一人文句は言うはずもない。僕が言わせない」
「そうだとは思うんですが……結局私もママンと血は争えないのかもしれませんね」
義理の姉が社会からのバッシングを受けたことでママンはこう思いました。
彼女の二の舞はしない。義姉さんは兄の子を産まなかった。
せっかくの目の能力が受け継がれないなど国家の損失だとバッシングされ、次に私が目をつけられた。
だから私はちゃんと目の能力が受け継がれるよう祈りを込めて、望や瞳などと目に関する名前をつけるのだ、と。
私はそうして生まれました。ママンは、私を産んだ事で世間から驚くほど賞賛されたそうです。
私も同じです。子宮をドナーとして誰かに提供すれば子供を産まなくてもバッシングはされないだろうと思ったのかも知れません。
ママンは愛していますが、ママンや叔母を見ると、『母親』とか『女性』とかいう概念に憎しみすら湧いて来るので、通常の母親らしい事に、私は積極的になれないのです。
でもバッシングはされたくない。ママンと丸きり同じでした。
それを私はママンと血は争えないという短い言葉に込めました。
などと長ったらしく書いたこれらすべてを一瞬で了解した神野さん。
付き合いが長いですからね。彼はこう言いました。
「自分は偽善者だと言いたいのか? それともそれを否定して欲しいとかか?
僕は君が疑い無く底なしに善人だと知っている。何も卑下する必要はないよ」
「ありがとうございます……」
「僕は、君が子供を産みたくない事は、自分が生まれてきた事への後悔、自己肯定感の無さに直結すると思ってる。
それを払拭してほしかったんだ。だからといって、子供を産む方向に向かわなきゃ払拭したことにはならないとも思わない。
だから子宮摘出なんて言い出しても頭ごなしに反対はしなかっただろう?」
全くその通りでした。私はママンが世間のバッシングを恐れて産んだ子。
父親とママンは愛し合っていたのに私のせいもあって離婚。
それが耐えられなくて私は『女性』自体を拒絶する方向に向かっていました。
女性、まあ言い換えれば子宮です。なくなれば男になるわけじゃないですが、少なくともママンのように期待をされることは無くなると思いました。
私は神野さんと一緒に居て傷つき、寂しい思いをした事も事実です。
しかし限りなく優しい彼と一緒に居て、傷ついていた心が癒されて、嫌いだった自分も、自分の女性という性も辛うじて何とか許容出来るようにはなってきたのを感じていたところです。
「本部長と会うのは久しぶり?」
「ええ、まあ……」
「喜んでくれると思うよ。君はポジティブな方向へ変化したと思う」
「じゃあ、あなたはどうです? ポジティブな方向へ変化しました?」
「僕は何も変わらないからね。最初からずっとこうじゃないか?」
「まあそうですが……」
「僕の事なんて本部長は興味ないよ。君さえ幸せなら。僕もそう思う」
「はい……」
私は曖昧に「はい」とだけ答えて、後は話を切り上げて別の話に終始しました。
我が故郷までは新幹線でも三時間半の道のり。私たちはそんなに会話のある方ではなかったので、私がお昼ご飯を食べて眠くなって来ると、彼も会話を終わらせて眠りに入ったのでした。
次に目を覚ましたときは、もうそこは秋田県の駅でした。
県警本部ビルはもうすぐそば。しかし私は、県警本部ビルより別の場所に目を奪われていたんです。
「あ、あの盲導犬オーケーのカフェ。懐かしい気さえしますね」
「君の盲導犬。名前はシオだったか。当然今は居ないよね?」
「私は盲導犬と一緒に居たことさえ覚えていませんでした。
あそこにわざわざ行くことも、今後ないでしょうね」
「寂しいけどそうだね。息子のしたことは僕の責任だ。怒ってるなら謝るよ」
「寂しいですけど起こってはないですよ。さ、県警本部ビル行きましょうか!」
まさか瞳ちゃんと神野春雪くんがくっつくなどと思っていた人は居ないはずである。