七月二十六日 上
七月二十六日。
旅館のお布団で目の覚めた私は周囲をとりあえず確認。
お酒入ったわけでもないのにみなさんグッスリです。
朝起きてとりあえず歯を磨き、ちゃんと持ってきておいた辛いマウスウォッシュでうがいし、準備万端。
まだ朝早いですが、既に蝉の鳴いている暑苦しい音響の中で早朝の風呂へ繰り出します。
二階のバルコニーに設置され、開放的な湯舟に優しい弱アルカリ性のお湯がなみなみと注がれ、若干太り気味の私が入ると豪快にジュバァーっと溢れて排水溝へ流れて行きました。
若干太り気味というのは余計でしたが、ともかく今朝は旅日和。
私がお風呂に浸かり過ぎて汗をかいたのでしばらくクールダウンし、もう一回汗を流してやっとお風呂から出てきたところ、皆さんもう起きていました。
「あー朝風呂いいな。入っちゃおうかな?」
「お次どうぞ? ノゾキなんて無いですから岡本さん入って入って!」
「じゃあお言葉に甘えて!」
「岡本さん、チェックアウトして新幹線乗りたいですから早くしてね?」
「はーい。向こうでも温泉……いや、海か海か! 夏樹くん日焼け止めは?」
「ありますよ全員分。最近は小麦色の肌より美白ブームですもんね」
「モチのロンよ! 若いときの日焼けは年取ってから響いて来るんだからね!」
などと言って早朝のお風呂へ岡本さんは突撃していきました。
「岡本さん結構先のこと考えてたんですね……」
「会長、今日は待望の海行きますよ、ちゃんと泳げます?」
「もちろんよ。今日は海か……水着はあるのだけど一個大切な物が。
あなたたち二人とも瞳の色素が薄いでしょう?
夏樹くんは赤みがかった黄金色、佐々木さんは蒼いものね。サングラス買いにいかないかしら?」
「はい、と言いたいとこですけど夏樹くん。新幹線の時間は?」
「十時。十一時までには目的地の洲本温泉とビーチだよ」
「じゃああと二時間ありますね。行きましょうか!」
「あなた今どういう計算したの!? 今は七時五十八分よ!?」
「冗談です。手早く行きましょう。夏樹くんはどうします?」
「ちょっと待って……」
夏樹くんはお風呂の方へ。少しして戻ってきました。
「四人で買いに行くから、大急ぎで支度するって」
「はい」
私たち三人は三十分ほど待機し、ようやく岡本さんが出てくると、一階でチェックアウト。
そのまま旅館の地下に行き、そこから地下街へ出ると、サングラスや眼鏡を売っているお店へ寄り道はせずに直行しました。
女の買い物は長いのがどこの世界でも常識ですが、さすがに一時間の制限があるとなると、遊んでもいられませんからね。
私たちが買ったのは丸くて、パーティーによく参加するタイプの女性が持ってそうな丸々としたシルエットのサングラス。
すると、横で岡本さんがまた懐かしい事をやり出しました。
「見てみて会長、ヒップホップっぽくないこのグラサーン?」
「ヒップホップね……ラップバトルでもする気かしら?」
「ヒップホップイコールラップバトルと結び付けないでください。
でもなあ、なんかラップバトル、やった気がするんだけどなぁ親友と……」
「気のせいじゃないですか。ほら行きましょう。タコ焼きでも奢りましょうか」
「行く行く!」
岡本さんが一瞬昔を思い出しそうになったところを夏樹くんは無情にもタコ焼きで上書き。
私はヒドいとは思いましたが批判は致しません。
新幹線に再び乗り込み、いざ兵庫県へ。神戸市へ入ると明石海峡を渡る超大型線路、それからトラックや車が走る明石海峡大橋です。
不可能と言われた海上の新幹線、私も初めて乗りました。景色はこの世のものとは思えないほどの美しさと晴れやかさで、この海を泳ぎ、温泉にも入れるかと思うと、いやがおうでもテンションは上がります!
「ナンパされたらどうする? 佐々木ちゃんついていく?」
「まあ……優しそうな人だったら……」
「キャー佐々木ちゃん大胆!」
「馬鹿ね。ナンパするんだから優しそうに振る舞うのが当たり前でしょう」
「会長。大人ですね……」
岡本さんはナンパされたくて仕方がないらしく、女四人ばかりでつるんでいても非生産的とか思ってそうです。
駅を降りると、やはりリゾートの駅前だけあってお店がズラリ。
夏樹くんと一緒に四人でホテルにチェックインし、そこで説明を受けます。
目の前のビーチはホテル所有なので宿泊客以外は立ち入れないこと。
温泉は各階にはなく一階のみ。ただし源泉を流れるパイプがホテル内に通っていて、いつでも各階設置のバスタブに溜めてよいとのことでした。
その後は大きな荷物をホテルに置いて、イザ海へ漕ぎ出します。
私は興味ないのですが、岡本さんと会長たっての希望で駅前のお店でパラソルと、熱い砂に直に座らなくて済むよう椅子を準備することに。
「ちょっと待ってて!」
私たちが何か言う前からすでに、この力仕事をになう人間の必要を岡本さんは感じて動きました。
しばらくすると、大学生ぐらいの男性二人組が岡本さんに連れられてやってきます。
「ナンパするどころか……自分から誘っちゃいましたねあの人……」
「やれやれ。男を気にしないで自由に遊べるかと思いましたのに……」
「ん? でも冷静に考えるとおかしいような……」
大学生ぐらいのお兄さん達は椅子と日よけ傘を設置すると、爽やかな笑顔で言ってきました。
「女の子四人で東京から旅行来たの? 何年生?」
「私高二」
「高一ですね」
などと口々に言い、岡本さんも畳みかけます。獲物を狙うハンターの目ですね。
「俺ら大学生。あのー、君ら男の子と来なかった?
「え? なんでまた……?」
「その子そっくりな男をさっき見かけたからさ。
家族で来たのに友達がくっついて来たのかと……違った?」
お兄さんが指差したのは夏樹くん。そっくりな男とは神野春雪さんでしょう。
「ああ、僕のお父さんですねそれ」
「そう? 二十代くらいに見えたけど」
「あの人年齢不詳なんです」
「お父さんも不思議だけど君も可愛い僕っ娘だね。じゃあ俺らはこれで」
お兄さん達は素っ気なく行ってしまい、男が釣れたと思っていた岡本さんは不満顔。
彼らが去ってしまった秘密について夏樹くんが理由をこう述べました。
「もしかしてあの二人ゲイカップルだったんじゃ……」
「まさか!?」
「僕の父さんについて聞いてきた事といい、夏休みに男二人で温泉つきホテルにきてた事といい……」
「私も、正直そうとしか思えませんが……」
「それにしても親切な人たちだったわね。幸せを祈っているわ」
「ええ、親切だったことは間違いありませんね。ところで夏樹くん、確か最初はお父さん冷やかしに来たのでは?」
「あ、そういえばそうだったっけ。会長に取り入ったら美味しいご飯食べられそう……!」
「食い気ばかりね岡本さんは。でも本当にそうよね。あの会長がここにいるとなると、会わない手は無いわ」
「期待しないほーが良いですよ? 父さんは菜食主義者です。
菜食主義者といってもいくつか段階があるのを知ってました?」
「えっと、そうだったの?」
「まあ色々あるんですが、一番気合い入ってるのがフルータリアン。
木から落ちた実しか食べない。要するに生きた命は一切食わないとかいう気合いの入った修行僧みたいな連中です。
父さんもさすがにここまでは行きませんね」
「じゃあヴィーガンなの?」
「確かヴィーガンていうのは環境保護や動物愛護の立場から肉や卵など動物性のものを摂らないって人ですよね。
父さんはそこまで気合いは入ってないです」
「ふーん。じゃあベジタリアンって何なの?」
「健康目的で野菜ばかりを食べると自分で決めた、という人です。
別に父さんは健康目的じゃないんで、それでもないですね」
「難しい分類ですわね。じゃあ会長はどんなものを召し上がるの?」
「父さんは言ってました。『痛みを感じる相手に敬意を払え』と。
だから明らかに痛みを感じないであろう貝類とか海藻とか……そういう植物以外のも食べてますけど、肉どころか乳製品もとりません。
先輩にタカられても美味い肉とか食べさせてくれるかどうか……」
貝類や、多分その基準だとウニとかも食べられるでしょう。
フレンチではよく出てくるエスカルゴも食べられそうです。
クラゲなども痛みを感じるほど神経は発達しておらず、中華料理で使われます。
エビ、カニ、魚は痛みを感じるのでダメでしょうね。
逆転の発想で、培養肉や遺伝子操作で痛みやストレスを感じない家畜なら、多分食べると思います。
会長、というか神野春雪さんがそういう食生活なのは一応察しはついてました。
そもそも牛の神様を祖先にもつという一族ですし、草食傾向は見るからに強そうです。
少なくとも、牛の祖先を持つからには牛だけは絶対殺さないし食べないでしょう。
ムシとかも食べられそうですが、まあムシ食べるほど食料に困ってないでしょうね。お金もちですし。
しかし、岡本さんは不満顔。
「何でよもう! 最高権力者だったら美味いものいっぱい食べてると思ってたのに!
山奥のお坊さんみたいな食生活して。期待して損した!」
「まあ美味いのは食べてますよ。月の食費が一人で十五万円くらいですし」
「じゅ、十五万!?」
「トリュフ、マツタケ、ウニ、ホタテ、高級フルーツ。毎日食べてますよ。
まあハッキリ言って肉なんて要らないレベルですから」
「うらやましい……美味しいご飯食べてるのにあんまり太らなそうでうらやましい。
となると会長の住んでる家とか……どんな家に住んでんの?」
「カムフラージュのために一般人に混じってマンションに僕と住んでますよ。
家賃はまあ二十万円くらいでしょうか……住んでるマンションの持ち主なので別に払ってるわけじゃないですが」
「家賃二十万……うん、まあ東京の都心のマンションと考えると安く感じるくらい。
大阪の地下街の家賃とは全然違うね。あそこ家賃どのくらいだっけ?」
「地下一階はだいたい八万くらいでしたよね。二階は七万、あとは一階下がる事に一万円ずつぐらい下がってたはず……」
考えてみると、日本には二億人がいます。半分の一億が賃貸暮らしだとしましょう。
そして、平均して一年に一人当たり百万円を払ってるとしましょう。
月あたり八万円強です。その場合、一億人かける百万円で百兆円。
これが、この日本における賃貸収入だとします。ぶっちゃけ、日本の土地の九割以上は神野家のものですから家賃だけで毎年百兆円と考えられます。
残り半分の一億が一軒家に住んでいて、半分がローンを返済中だとし、これもやはり年に百万円返しているとすると、五十兆円が毎年入ってくる計算に。
割と少なめに見積もってこれですよ。
神野財閥の総資産が「一京円」(一兆円の一万倍です!)という悪い冗談か、難しい言葉を覚えたての小学生が考えたような金額になるのもウソではないと実感できます。
「そんなお金持ちが国内リゾートで淡路島を選ぶだなんて、身近に感じますね夏樹くん」
「むしろ外国に行けないんですよ、仕事忙しくて。沖縄すらいけません。というわけです。
僕は適当に会いに行こうかとも思いますが、皆さん来ます?」
「え、じゃあ私行く。会長は行きます?」
「佐々木さんも行くんでしょう。一人だけ海っていうのもねぇ……」
「ええ行きますよ会長。じゃあ、レッツゴー!」
私が先頭を切っても誰もついて来ません。
「佐々木さーん。海にはそれらしき人影はないよ。温泉行こう」
「ああ温泉! あ、でもちょっと待ってください。私重大な事に気づいたんですけど……皆さん気づいてないんですか?」
「え、どうしたの佐々木ちゃん」
「重大な問題ですって?」
「僕にはさっぱり……」
「夏樹くんとぼけないでください! 会長が温泉に居たとしても、男湯に私たちの誰一人入れませんよ!?」
「……!」
皆さん事の重大さに気づいたようです。夏樹くん、バカなんでしょうか。
顔を真っ赤にして、必死に動揺を隠しています。
「も、もちろん知ってるよ。女湯に行って同行者と接触するんだよ。
行きましょう先輩たち! 結さんなら別に食べ物にこだわらないですからね、ビュッフェとか奢ってくれるかも」
「よーし結さん探すぞー!」
と、岡本さんは一足先に温泉のあるホテル一階の奥の方へ走って行ってしまいました。
「あーあ。結さんの外見一ミリも知らないのに何で行くかな……」
「あの子いつもそうなのよ。無鉄砲にも程があるっていうか」
「結さん、居ますかね。私あの人苦手で……」
「会ったことあるの? あの会長の妻に……ほら俗に何て言うんでしたっけ。
あのほら……ファーストの……ファースト……みたいなあの……」
「ファーストレディですか?」
「そうよ。ファーストレディによく面識が……」
「あの人は別にそんな悪い人じゃないんですよ。ただ、とにかく自由なんですよ。
世界一自由な人かも知れません。飄々として、猫のようで、何でも出来る有能で天才な女性です。
私とは真逆ですし、影の側の人間からするとああいう光属性の人は苦手です」
「なるほど光属性……」
「まあ確かに結さんは自由だし、どっちかといえば光属性だろうね。
それに何でも出来る抜群に有能な天才なのも間違いない。
大阪出身だけあってめっちゃラテン系だしあの人。羨ましいね、ああいう自己肯定感の高い人」
「そこまでは言いませんが……フランス人とのハーフの私なんかよりはよっぽどラテンですね……」
「行きましょうか。結さんに会いに」
温泉へ入る前から既にギャハギャハと楽しそうな女の笑い声が。
全く温泉地だからってはしゃぎ過ぎですよどこかの誰かさん。
そう思い、全裸でお風呂場へ入ってみると全く意外な光景が。
「あっはっは、自分めっちゃおもろいやん!」
出ました。関西人にとっては最上級の褒め言葉らしいのですが、これはあなたはとてもユニークな人ですね、という意味です。
そう褒められている女性は、案の定岡本さんでした。
私たちはあまりに二人が意気投合してるので、示し合わせたかのようにコッソリ三人で、二人とは別の湯舟に浸かりました。
「えー、でも私友達少ない方なんだよ? 数少ない友達は冗談通じないタイプで……」
「全く東京モンは! これほどの逸材を在野に埋もれさしてるのはそいつか!」
「東京じゃなくって、あの人秋田出身で」
「うわぁ。東京モンより更にムッツリお堅くてつまらんのが東北モンやないの!
知ってた、まりあちゃん? 東北ではおふざけタイプの子は絶対小学生のうちに教師に怒られるそうよ?
図に乗んな、目立とうとすんなって。大阪の教育方針と大いに違うわねぇ……」
正直に申せば、それは事実でした。
東北と一くくりにはできませんが、少なくとも我が秋田県の学校では目立ちたがりタイプの人は先生にマジのトーンで「図に乗んな」と怒られ続けて次第に大人しくなっていきます。
ギャグなど言っても生半可な完成度ではスベった上先生にドツかれます。
もちろん先生のおドツきを食らっても関西の子ならオイシイと思うでしょうが、我が故郷では、先生にドツかれるのはただの恥です。
誰も学校でギャグなど言う勇気はありません。
「大阪ではどんな感じなの?」
「むしろ意見を言わない子は『何もしてほしくない』と見なされるわね。
何かしてほしかったら絶対言う。ダメかもだけどとりあえず言ってみる。それには必ず誰かが何らかの形で応えてくれるわ。
自己主張の文化は根付いてるわね。ただ、そのせいかわざと他の地域へ行ってデカい関西弁で喋るやからが多いみたいやけど……」
「あー、そういう理由だったんですね。多いですよね関西弁で声デカいひと」
「文化の違いよねー。フランスの作家が言ってたわ。
どこの国の田舎モンでも、正統とされる主流文化に合わせ、自分の育った文化を隠す傾向にあるって。
東北モンも方言は絶対東京で隠すでしょ。私らの場合はむしろ自分らが未だに本流と思ってるから関西弁を恥ずかしいとも思わんのよ。
いや、別に差別とかやないわよ。私も東北出身の男に二回惚れた事あるわよ」
「へぇーどんな?」
「一人目はね、とにかく息子が大好きなお父さんでね。
クソ真面目でちょっと女好きの気さくな人やったわ。
とにかく尋常じゃないくらい頼りがいのある人でね、どっちかというと、男が惚れる男ってタイプやったかもね」
神野幸村さんのことですね。さすがは元は内縁の妻だっただけあり、評価が的確です。
「二人目は?」
「二人目は会長。今のダンナね」
「え!?」
「知らんかったん? あの人は前者とはかなり違うタイプの男ね。
今まで出会った男の中で一番頭の回転が速いわ。先を見通す力が尋常じゃない。
あの人は王の中の王の血統に生まれた人やけど……中でも最も王の資質を兼ね備えた人ね。
生まれながらの支配者って感じ。話せばわかるわ。
何て言うかね。会話をしてると、犬と歩いている羊のような感覚を覚えるのよ」
「ちょっと意味が……」
「要するに向こうはいつでも追い抜いたり追い立てて誘導したりできるけど、歩調を合わせてくれてるって感じ。
海外の外相とは十二ヶ国語を操って言い負かしたり丸め込んだりしてるのを何回も見てきた。
弁護士、詐欺師、小説家。政治家でなければあのひともそういう分野で大成してたと思うわ」
ええ、話せばわかります。結さんの言っていることがウソや過大評価ではないことは。
神野春雪さんは会話をするだけで人の心を弄び、いつの間にか支配してしまう人です。
もちろん支配しても奴隷にするわけでもなく、支配されている本人でさえ、最初はそうとは気付かない程です。
というかまあ、支配される人っていうのは私なんですけど。
皮肉なものですね。牛なんて家畜オブ家畜なのに、それが王の中の王の器を持ち、支配者としての力を誰よりも持ってるなんて。
「ていうか、会わせてくれるんですか?」
「別にいいわよ」
「ビュッ……ビュッフェ奢ってくれるとか……」
「別にいいわよ。岡本まりあちゃん。夏樹くんの友達やから特別よ」
「ウソじゃなかったんですね……」
私たちは、もう面倒臭くなったので二人のいる湯舟へ移りました。
一瞬話をした後、そろそろ出るかという話になり、五人でお風呂を出ました。
しばらく髪を乾かしがてら待っていると、男湯から二人の男性が出てきました。
ともに身長はまったく同じ。顔も同じ。年を取ると白髪が増えるものですが、元から全部白髪なので白髪の本数も同じの二人組です
神野春雪さんと四宮幸村さん。なお、二人は親子ではなく同一人物です。




