七月七日・その七
そういえば私、ここで応接されていたんでしたよね。
隣で夏樹ちゃんが心配そうに私を覗き込んでいます。
「お姉ちゃん大丈夫……? パパが急におかしくなって……」
周囲を見渡すと、夏樹ちゃんがそんなことを言っている場合でもないはずなんです。
神野さんも彼の息子も出てきた上、あの四宮イザナさんが、結さんの胸に抱かれているではないですか!
もちろん神野さんも彼の息子を抱いています。
一件落着なんですね、そうなのですね、と私は神野さんに詰め寄りたいところを我慢します。
「大丈夫ですよ。夏樹ちゃん、安心してください」
「なら……いいけど……」
神野さんは夏樹ちゃんをちらっと横目で見た後、急に言い出しました。
「会長だけ外してもらいましょうか。結さんと話がしたいです」
「わかった、ちょっと行ってくる」
どこに行く気でしょうか。スウェット姿のまま会長は部屋を出て行きました。
まああんな感じでうろついているオジさんなんていくらでもいますし、無視しましょう。
結さんはイザナさんと一緒に不安そうに座り、娘の夏樹ちゃんは無慈悲にも私と神野さんの間にすっぽりと納まって不安なお母さんの助けにはなってくれません。
イザナさんはなにを考えているか読めないですが、ともかく自信満々そうな顔で私や神野さんの顔を無言で見てきます。
「それで、その、春雪さん、どうしたのかしら……?」
「結論から言います。結さん、あんたの娘を助け出しました。
百年越しであんたに会わせた。それがあんたの夫として僕に出来る事だと思う」
「……!」
そう言われた瞬間に結さんは俯き、自分の膝に涙をこぼし始めました。
「私の……夫として?」
「同一人物なんですから当たり前です。ようやくわかりましたよ結さん。
貴女がイザナを僕に預けてくれる事が、どれほど重くてありがたいことか。
よくわかった。最初は困惑したけどこの娘を産んでくれたことにも感謝しています」
神野さんは馴れ馴れしく夏樹ちゃんの肩を抱きました。
「何かあった?」
結さんが疑問に思うのも当然でした。
「特別な事は何も。じゃあ僕は佐々木さんを送らなきゃならないんで……今日はこの辺で」
「もっとゆっくりしていったら?」
「いえ、僕はこれで。佐々木さんはどうする?」
「私も帰りますけど、送っていく必要は……」
「そう? まあすぐ近くだもんね。お言葉に甘えて少しここにいようかな……」
「はい……夏樹くんと居てあげて下さい。私を捨てて息子を取るんでしょう?」
「グッ……こんな時に図星突かれた!」
「冗談ですよ。ね、夏樹くんも……神野さんに」
「いや、僕も少し話したい事がある。佐々木さんは僕が送ってもいいかな、父さん?」
意外な申し出でした。神野さんは頷きます。
「あ、ああ……そうだな。戻ってきたら話すこといっぱいあるんだから、そこも忘れるなよ?」
「わかってるって。じゃあ行こうか」
私の住んでる住所から徒歩数分ちょっと行ったところにあるマンションですから、私は徒歩で帰宅することに。
しかも夏樹くんが手まで差し出して来るので、私は気乗りしなかったですが、その手を取りました。
一歩外に出ると、すぐに夏樹くんが言い出しました。
「全く。結さんのことを素直じゃないとか言ってたが……素直じゃないのはどっちだか」
「夏樹くん……話したい事というのはそれですか?」
「そうだね。佐々木さん、感動の親子の再会を蹴ってまで二人になりたかったのには訳がある。
父さんも本当に素直じゃない。自分の欲を素直に出すことに怯えてるんだ。
その言い訳に僕まで使っている。そうだろう佐々木さん」
「……彼は一番好きだったのは鳰さんです。忘れられないんです。
その子が実の娘と判明したから今は我慢してるだけなんです」
「いや……確かにそうだったが、あの人の気持ちは確かに貴女に注がれていたよ。
見ようとしなかっただけだ。他ならない貴女が。
それに、自分の欲を素直に出せないのは貴女も同じだ」
「何を知った風なことを!」
と私が怒ったのも、それがある程度図星だった事を物語っていました。
夏樹くんとエレベーターに乗り、外に出て歩きながら話は続きます。
「言うべきだった。前世の事なんか忘れて私を見て、と言うべきだったはずだ」
「それは! そんなことわかってますよ!」
「最初、貴女が父さんに夢中になっていたときは、貴女は自分に気持ちが注がれていることを疑っていなかった。
事実、父さんは死んだ鳰を諦めて彼女に貰ったプレゼントを渡した。
本当にそのつもりだったんだ。でも前世があらわになった……でもまだいくらでも間に合ったんだ」
「間に合いませんって、ああなった以上……」
「いや。信じられたはずだ。それまでの父さんの行動、言葉、仕種、態度。
すべてが貴女への愛に溢れていて、それを信じて、勇気をもって行動していれば、問題が拗れる事はなかった。
どうしても信じられなかったんだろう? 勇気がなくて、自分に自信がなかったんだろう?」
夏樹くんに言われた事は全て自覚していました。
私は神野さんを信じるべきだったし、母親譲りの自分の美しい容姿を信じるべきでした。
しかしそのどちらも信じられないほどに、私の自己評価の低さと傷つく事への臆病さは深刻を極めていたのです。
まして、奥さんなんか忘れてなんて不倫してる若い女のような台詞言えるわけありません。
神野さんは言わばバツイチ子持ちの男性。私が相手にしているのはそういう人なんです。
「父さんには、どうすることも出来なかった。僕はせめてあなたの過去ばかり見ていた目を現在も見えるようにした。
互いの目を見て話が出来るように。その程度の手助けなら出来る。
でも過去ばかり見つめているのを、僕にも父さんにも解決できなかった。
それは自分でどうにかするしか無い事なんだろう……」
私の過去なんてしょうもない話です。神野家や四宮家の皆さんのそれにくらべたら。
私が小学校に入る頃にはもう過去を見ることが出来るようになっていました。
からおよそ六年間、十五歳の誕生日の少し前くらいまで私は捜査を続けていました。
捜査をすれば必ず褒めてもらえるし、必要としてもらえる。
学校では有名な本部長の娘というだけで人気者。幸せの絶頂だったのを覚えています。
失明というリスクを知っていても私は止まりませんでした。
両親のケンカの原因の大半が自分であることにも特に気を留めませんでした。
そして失明。学校で人気者だと思っていたのが、私はむしろ有名人の娘だからそうだっただけで、私を心配して連絡してくれる友達さえ居ませんでした。
次いで両親の離婚。ママンとトントンの関係も冷え込み、それに私のせいで何も悪くないモードが私と同じ思いをするハメにもなりました。
その一件が決定打となり、自分は捜査をしていない限りはゴミ同然の存在だと、多分私は思うようになったんでしょう。
自己評価が地の底に落ちているのも仕方のないことです。
過去ばかり見ている。全くその通りです。
前を向くお膳立てはしてもらいました。努力なら惜しみません。
「わかりました夏樹くん。言えばいいんですね!?
私が神野さんに突撃して来れば、いいんですね!?」
「えっ!? いや僕はそういう意味では……」
「ちょっと行ってきます! 神野さんにこの思いを伝えてきます!」
私は夏樹くんを放置して階段を走って上がると、病院服でスリッパの夏樹くんもパタパタ足音を立てながら必死についてきました。
私はくだんの部屋のドアの前へ颯爽と戻るやいなや、扉を開けます。
そして戻ってきたイザナさんに絡み付いてうるさいぐらいに泣いている結さんや、その側で笑ってる神野さんを発見すると、神野さんに向かい、叫びました!
「そこの神野さん! お時間よろしいでしょうか!?」
「うわうるさ……で、なに?」
夏樹くんの言っていた神野さんへの私の優しさなど、どこの平行世界の話ですかというほどの冷たい態度。
ちょっと前までの私だったら、ここで怖じけづいて逃げだしていたところです。
しかし今の私の心境は全く異なっています!
「神野さん。あなた前世前世とか言ってますけど実際子供なんて作った覚えもないでしょう!?
何の責任もないじゃないですか! 前世の奥さんや子供の事は忘れて、私だけを見ていてください!
その代わり、私もあなたを見ていますから。ほら、私、あなたを見つめる事だって出来るようになったんです!
出会った頃とは比べものにならないくらい、私も変わったんです!」
一瞬の沈黙のあと、ソファから重い腰を上げてこれに神野さんが答えます。
「瞳。君と出会えてよかった。人との出会いは、別れてしまったとしても必ず何かを残す。
わずか二、三ヶ月と短い時間しか一緒にいなかったけど、君と出会った事で僕の中に残ったものはとても大きい。
僕は家族を幸せにしたいと、心の底から思う。君の幸せも、心から願ってる!
だから君だけを見ている事は出来ない、ごめん!」
「わかりました! だったら私、これからもっと色々な物を見て、幸せになりますから!」
夏樹くんが言いたかったことがやっとわかった気がしました。
彼の言う前を向いて欲しいというのは、こういうことです。
すなわち、神野さんを私の過去とし、私が過去を過度に振り返らない事です。
彼の言う通り、私たちの出会いで彼が私の中に残したものは決して小さくありませんが、それはもっと何十年後にでも思い出せばいいことです。
そのことには私が気づくほかなかったんです。
だから私は、今まで避けていたこの思いをあえて伝えなければならないんです。
神野さんと恋人になる口約束がどうのこうのと話していたのを覚えていますか?
私は、口約束はする必要もないとの神野さんの見解に同意していました。
あの人に拒絶されるのが怖かったから、そういう大事な約束の言葉をうやむやにしたい私に都合がよかったからです。
「今だから言うけど……君が好きだった。結婚したかったのも、本気だった」
「言葉を借りるようですが、私が大人にならなければあなたも辛いですからね。
どうか私の事を過去にしてください。あなたは優し過ぎます……私の事を気にする義理は何もないですよ?」
「……あいつに何か言われたか。瞳、よければ今日、息子の誕生会に出てやってくれないか?」
「え、誕生会?」
私は興奮状態が覚めて素で聞き返してしまいました。
「そうなんだ。僕、今日七月七日が誕生日なんだよね」
「娘さんのもですよね、双子なんですから。いいんですか、皆さん?」
「もちろん!」
と、皆さんが声を揃えました。その後のパーティーの様子はかいつまんで。
まず用意されていたケーキを出してから、結さんは申し訳なさそうに不参加を宣言しました。
オジさんの方の神野春雪さんである『会長』は忙しいので外に出ています。
一人だけ仲間外れには出来ないので、結さんはそれについていくとの事です。
もちろん事前に用意していたケーキには会長から夏樹くんへのメッセージが、ちゃんとあります。
でも実際、夏樹くんが愛しているのは若い方の神野さんでしょうから、夏樹くん的には結さんと夫婦は居なくて平気なんでしょうね。
ちなみに今日は平日昼間。神野さんも学校をサボっています。
夕方小学校から夏樹ちゃんが駆けつけ、遅れてイザナさんも。
警察の娘としては許してはいけないのですが、イザナさんと神野さんは未成年なのにお酒で乾杯し出しました。
一応、二人は精神的には成人で、そもそも人間の法律を当てはめる理由もとくにないですが。
水をさせないので黙っていると、ここで実際お酒を飲める年齢の真夏さんも合流し、酒盛りが開始しました。
私、夏樹くん、そして同じ名前の夏樹ちゃんはお酒が入っていないので割と冷静。
夜も深まり、夏樹ちゃんを寝かせると必然的に私の隣には夏樹くんだけが居るようになります。
十三歳くらい、つまり年下とはいえ横に神野さんに良く似た男の子が何時間も居れば気になってきます。
その彼が宴もたけなわになり、部屋が二人きりでどれだけ喋ろうが誰も気にしないような状態になったところで言ってきました。
「佐々木さん。まさかああなるとは。別にそういう意味で言ったんじゃないんだけどね」
「じゃあどういう意味で?」
「僕は、本気であなたが愛情を求めたら、意地を張ってるところも折れるかと思ったけど」
「それは残念でしたね」
「でも父さんは言ったことを曲げるつもりはないと思うよ。
佐々木さんを自分の手で幸せにするっていうことはね」
「私はその意味がわからないと思ってたんですが、想像がつきましたよ。
あれって要するに政治的に神野さんが善政を敷いて幸せにするって意味だったんでしょうね」
「そうだね。父さんは佐々木さんにそうと気付かせることなく自分の手で幸せにする気だよ」
「夏樹くんも、女手一つでいつも一緒だったお母さんを愛してるんでしょう?
最初は、お父さんと結婚することは幸せじゃない、と思っていましたが……今は考えも変わったんでしょう?」
「そうだね。まあ、母さんは男を見る目だけは確かだったと思うよ。
でもね、僕の中でもう一つ……今までは考えられない感情が育ってきたんだ。
佐々木さんは、それがどういうものか察しがつく?」
「いえ……全くですね」
「僕なんかのために父さんが貴女のことを諦めるのは嫌だなって思ったんだ。
父さんを大切に思う気持ちがよりによって僕の中で……もちろん佐々木さんのことも。
貴女のことを、母親を愛するように愛してるから」
「それ流行ってるんですか最近の男の人の間で?」
「流行ってないよ。息子が父親に影響されるのは当然でしょ」
「変わりましたね夏樹くん……名前の通り、お父さんにすっかり懐きましたよね」
私はお酒の入っていないウーロン茶のロックをグラスで飲み干してから言いました。
「僕のせいで佐々木さんが諦めるのも嫌だなって思ったんだ……」
「別にいいですよ。私が諦めなきゃ彼が……」
「ならどうしてそんなに悲しそうな顔をしてるの?」
図星でした。私はすかさず表情と声を取り繕います。
「してました?」
「うん。だからまあ、少し細工をしてみようかな。佐々木さん、目を閉じて」
「こうですか……?」
私はいつものように目を閉じました。目を閉じた時訪れる暗闇。
そこかしこに聞こえる寝息。もうこの部屋に起きている人間は私と夏樹くんだけになりました。
目を閉じた私の額と目に彼の指が触れ、私は勝手に目を開けます。
「終わりました?」
「まあね。じゃあ今度こそ送っていくよ佐々木さん。
夜はまだ危ない。でも安心して、僕は最強だから」
「でしょうね……ところで夏樹くん」
「なに?」
「あなたこれから家とか将来設計とか、恋人とかどうするつもりなんです?」
「こっ、恋人ぉ? また妙なことを言い出す……」
「お父さんの事大好きみたいですし、見た目も女の子みたい……実は本当に女の子とか?」
「僕は男だよ。でも生殖能力はない。つまり子供は作れない……性欲もほとんど無い。
それが事実だよ。佐々木さん、僕は一生恋人を持つ機会は無いと思う」
「そんな! どうしてです?」
「どうもこうも生まれつきだよ。病弱だった事も、子供が作れない事も、そして、神野と四宮の血を両方受け継いで一族の歴史で最も特別な子になったのも。
僕に降りかかった災難を僕は決して呪ってるわけじゃないんだ。
妹の代わりに僕が引き受けている……そう思えばむしろこの、呪われた体も愛おしいとすら思えて来る」
「夏樹くん。それは一体……」
「これは家族や研究者の結さんなら知ってる事だ。
それ以外の人に秘密を明かすのは佐々木さんが初めてなんだ。
本当に初めてなんだこんなこと。僕が佐々木さんのこと、大好きだって証明するには、こうするしかないと思う」
「そんな大事な秘密を……私に?」
「うん。僕の病院服のボタンを取ってみて」
「あ、は、はい……」
ボタンを取り、恐らく体に秘密があるのだろうと睨んで胸をはだけさせました。
その下には真っ白な無地のポロシャツ。誰もが持ってるような下着用のシャツですね。
病院服を脱がしてシャツのボタンもとると、あらわになったものを見て私は言葉を失いました。
「これってどういう……」
「よければ下も見せようか?」
「い、いいです、十分わかりましたから、どういうことか……」
夏樹くんの胸にはぷるんとした弾力と光沢を備え、まるで上を見上げているかのように生えている女性的なふくらみがありました。
十三歳にしてはかなり大きいのは、牛の家系の遺伝子のせいでしょうか。
私も大きい方ですが、それと同じくらいはあります。着痩せするタイプですね。
もちろん夏樹くんは痩せ型なので、この胸のふくらみがただの脂肪ではありえません。
そう、夏樹くんの体は限りなく女の子に近いというか、逆にどこが男なのか、一つも見当たらない程です。
「僕は医学的に男女どちらでもない。それゆえ、生殖能力もない。
生まれつきそういう人は低確率で生まれてくるんだよ、神野家に限らず人間においても。
インターセクシャル、半陰陽、まあ言い方はたくさんあるけどね」
「じゃあ何故頑なに息子だと……」
「単純に、僕は母親からは男として育てられた。名前も男女どちらでもイケる名前を父さんが付けてくれたんだけど、息子として育てることを選んだみたい。
まあ、幼少期から男女どちらとして育てるかをハッキリ決断してくれたのはよかった。
僕は性別を迷わずに済んだ。もっとも、人間の体のベースはキリスト教の神話とは違って女性だから、見た目はこの通りだけどね」
いやほんと、男女どちらでもイケる夏樹って名前を考えていた段階ではまさか自分の子が男女どちらでもない、などとは神野さんも頭の片隅にさえなかったでしょう。
しかもそれをお兄ちゃんの方につけると決めたのも運命のいたずらですね。
結果として彼が夏樹という名前を、どちらかといえば男性の名前と認識していた事で夏樹くんにその名前がつけられ、イザナさんも亡き夫の意思を尊重して男として育てることになったんですから。
「なるほど。神野さんもそれには気づいたうえで、あくまで一貫して息子として接してきた訳ですね……」
「うん。父さんが僕の性別を決めた。最近は何とも思ってなかった性別が、こんなにも……」
「こんなにも?」
「あのさ佐々木さん。試しに聞いてみたいんだけど、お父さんは嫌いなんだよね?」
「ええ、酷い人でした。小さい頃はそれなりに優しかったからこそ、裏切られたとき余計に傷つきました……」
「でもそのお父さんが佐々木さんの命の危機にすべてをなげうってでも助けに来てくれたら?
血へど吐いてなにもかもやせ我慢して自分を助けるためだけに努力してくれたとしたら?」
「大好きになります」
「うん……僕も妹も父さんに対して、そういう感情なんだよ。
実の親子でさえなかったら……でも実の親子だからこそこうして……そんなジレンマを抱えてる」
実の親子でさえなかったらって、それってつまり、親子でさえなかったら、夏樹くんはお父さんと結ばれたいと、そう思っているという事だと私は解釈することに決めました。
「それに、僕のこの性別も……根っから女だったらよかったな、とも思うし……でも父さんに選んでもらったのは男の僕だし……」
「そうですね……彼はその認識を変えるつもりもないでしょう」
「父さんだって妹が実の娘でさえなかったらと思ってるけど必死に噛み殺してるんだ。
佐々木さん。人を愛するって難しいね……」
「それはそうですけど……これ以上私にどうしろと?
夏樹くんの苦悩はわかりました。でも私には……」
「絆。人との出会い。引力。それらすべて操って来たのはこの僕だ。
僕が出てきた時点で、両親の戦闘能力は完全に消失している。
逆に僕は神野と四宮両方の血筋の呪いを受け継いでる。
父さん達では出来なかった自分自身を飲み込むことも造作も無いよ。
この力さえあれば、白痴の奴隷がやろうとしたように世界を思うまま変える事さえ可能だ」
「妙な事は考えないで下さいよ?」
「さあ、どうだろうね?」
こんな態度を取られて、そもそもさっきから頭に来ていた私は若干大きな声を出しました。
「そもそもあなた、さっきから聞いてたら何なんですか失礼な!
あなたのせいで私は……それに対して同情してるんでしょ、だったら普通にそう言ってください!」
「同情じゃない。共感だよ。本当に僕のせいで申し訳ない気持ちなんだよ、佐々木さん」
「おあいにくですね! 私はもうふっ切りました。そもそもからして、実際に恋人同士だった訳でもありません。
あなたのお父さんは私にとってはもう過去の事。残念でした!」
「果たしてそうかな……」
「私もう帰ります。心配してるでしょうし……じゃあこれで!」
「またね」
夏樹くんは私に手を振りましたが私は特に振り返さずドアを開け、外に出ました。
時刻は夜九時頃。午前中から宴が始まっていたので、皆さんもうすっかり酔い潰れて眠り、夏樹ちゃんや夏樹くんも眠たくなってきた頃でしょう。
家の外に出てみると、驚いたことにカサッと乾いた薄いものが何かに擦れるような音がして、急いで振り返りました。
一瞬ゴキブリかと焦った私。しかしよく見てみるとピンク色の細長い紙でした。
夜なのでもちろん暗いです。携帯電話の明かりを頼りにその紙に何事か書いてあるのではと思い、確認してみると、思いもかけない事が書いてありました。
『佐々木さんとまた会えますように 神野夏樹』
そう書いてあったんです。しかもその紙はどうやら私が家のドアを開けて外に出る時に落ちて来るよう、そのドアに挟み、仕込んでおいたもののようす。
「うふふ……そういえば今日は七夕。短冊に願いを書くお祭りの日ですよね……」
しかもご丁寧に短冊の紙は数枚組になっており、私が願いを書いておくスペースもあるはず。
と思い、めくってみると、どうやら既に皆さんはこれを手に取った事があるようです。
『みんなが幸せに暮らせますように 神野春雪』
などとバカみたいなことを書いているのは、会長ではない若い方の神野さんでしょうね。
『万願成就 四宮なつき』
これに至ってはどう解釈していいのか。とりあえず夏樹ちゃんは七夕をなにも理解していないようです。
自分の名前も漢字でかけないくせに難し目の四字熟語は書ける夏樹ちゃんでした。
『百億円欲しい 神野真夏』
これはもう典型的な、自分の本当の願いは人に見られたくないので見せないタイプですね。
気持ちはわかります。でも戸籍上は四宮真夏なのに、神野と名乗っている時点で彼女の思いは何となく読み取れます。
『健康長寿 四宮結』
あ、なるほど。お母さんが変な願いを書いたから夏樹ちゃんが真似したという事のようです。
結さんが健康を損なう方が難しそうですが。
そして最後に、四宮イザナさんが二枚書いていました。
これ、どっちがどっちの願いか全く区別つきませんでした。
現在は百二十歳の方のイザナさんか、十五歳の方のイザナさんか。
『神野春雪さんが幸せでありますように 四宮イザナ』
『神野春雪さんが幸せでありますように 四宮イザナ』
一言一句全く同じ文面を二人で書いているのは示し合わせたのかそうでないのか。
ともかくある種驚異的な事です。びっくりしました。
ただ、それに込められた願いまで同じかどうかは一考の余地ありでしょう。
「私は何と書きましょうか……」
迷った挙げ句、私は白紙の短冊にこう書き、さっきのドアに挿入しなおしました。
『皆さんに良い運命がやってきますように 佐々木・アンジェリーナ・瞳』
これでもう、ログを書くこともないでしょう。
神野さんに関するログをこれにて終了させて貰います。




