六月二十三日・その五
【注意】
この作品は途中から読んでも全くわからないほど複雑です。
総集編から読むか、第一話から読まないと何一つわからないと思うのでご注意ください
それから一年程した頃でした。一年間、鳰さんはたくさん家で勉強しており、大学院へ入る気満々といった感じ。
どうやら決心はついたようです。その鳰さんが家に帰ってきて、結さんに泣きついたんです。
そう、十一歳になり、体つきもかなり女性的になってきた鳰さんがヤってしまった失敗といえば?
そう、実の父親で、そうとは知らずに初恋を心の中で燻らせていた、あの神野春雪さんを赤ちゃんのうちにあまり構い過ぎたためそのお母さんが愛想を尽かして出て行ったんですね。
お母さんはその後神奈川県で再婚してるなんて話を聞きましたが、多分一族の男性ではないでしょう。
お母さんは割と美人でしたしまだ二十代だったので、言い寄るお金持ちの男性ぐらいいっぱい居たでしょう。
さて、そんな事件を起こしてしまった鳰ちゃんは結さんの膝で大泣きし始めました。
「もういや! もうあの家にいけない……二度と! 私はあの人とは近づくことさえしてはいけない運命だったんだ!」
「まあまあ落ち着いて……父親がいなくても母親がいるでしょ?」
「母親……?」
すっかり忘れていた、といった表情の鳰さんが顔を上げました。
「イザナよ。あなたは最初イザナのところへ消し飛ばされてきたのよ。
あなたを消し飛ばしたのが誰なのか……イザナのところへ行ってみなさい。
透明化はしなくていいから。私から四宮の家には適当にごまかしとくから」
「わかった! パパがいなくてもまだ私にはママが……家族がいるんだから!」
ほぼ二歳くらいのイザナさんのところへ、鳰さんはすぐさま急行。
家にお邪魔するなり、鳰さんは赤ちゃんと二人きりにしてくれと要求しました。
結さんは神野家が築いた財産をかなりの部分握っており、四宮家もそのおこぼれを貰っているので長老と呼べる結さんには逆らえません。
両親は広い家の敷地の隅っこにいき、そして鳰さんは取り残された幼い母親を膝に乗せて言いました。
「ねえママ、ママは私の事知ってる?」
「出てきて欲しいんなら普通にそう言え」
兄である夏樹くんが、イザナさんの体を借りて登場しました。
「私、この赤ちゃんの娘なんだよね?」
「そうだ。久しぶりだな」
「久しぶり。あなたは私の何? 何故私を過去へ飛ばしたの?」
「僕はお前の双子の兄だ。名前を夏樹という」
「双子の兄ですって!?」
「これから君に映像を見せる。何があったか、それで説明する。
僕は、簡単に説明すると生後間もない頃に父さんと妹を消し飛ばした。
以来この赤ちゃん……四宮イザナと僕が十三年間、二人で暮らした。
女手一つで僕を育ててくれたたった一人の母親……父さんのせいでこの人がどれ程傷ついたか。
当然僕自身も父さんのせいで……あの男さえ四宮家との間に子供を作っていなければ僕は生まれずに済んだんだ!」
「言ってる事がわからない……何故四宮家との間に子供を作ることが……」
「聞いただろ結さんから。百年以上前に、僕らの両親と同姓同名の男女が結婚した結果世界には三十年の暗黒時代が訪れ、技術が後退し人口は激減した!
更にその上の世代でも四宮縫という人と化野という人が結婚したが、突如四宮縫の長男は発狂して一族を殺しまくった!
そういうことが起こるんだよ。二つに別れていた一族が一つになったら!
わかっていたんだ。僕らの父親はわかっていて結婚したんだ、クズだ!」
「私は知ってる。ユキくんの優しさを。妹さんにも優しいし、疲れて帰ってきたお母さんに薬膳料理を作ったり、生理痛や肩凝りに効く薬を作ってあげてた。
その優しさは私にだって向けられてた、だから大好きだった!
ママもお父さんの優しさや人柄が好きだったから結婚したんでしょ!?
きっとあなたは、父親を知らないからそんなに悪く言えるんだよ!」
「だからこそだ! お前をせっかく逃がしたのに、あろうことかお前と父さんは結ばれるのは時間の問題になっていた!
悪夢だ。僕と母さんの人生を苦しみに満ちたものにして、挙げ句僕から妹まで奪おうとするなんて!」
「ふざけるのも大概にして。不幸を全部父親のせいばっかりにして。
もう私に関わらないで! 私にお兄ちゃんなんかいない!」
「うるさい、それはこれを見てから言え!」
壮絶な兄妹喧嘩は、一旦停止して鳰さんは自分が生まれた後の未来を見はじめました。
四宮イザナさんは、息子が夫と娘を消し飛ばす姿を目撃していました。
私は、彼女は恐ろしく神野さんに依存的だとばかり思っていました。
実際彼は恐ろしい人です。全てにおいて完璧で、無敵なだけでなく、とても優しいんです。
その優しさはまるで甘い毒。私は自他ともに認める依存心の強い甘えん坊ですが、そんな私が彼の甘い毒のような優しさを味わった瞬間から、私はそれを犬のようにヨダレを垂らして催促する毎日でした。
彼の側にいればまた彼の危険な優しさを味わえるかと思って、従順で愚かしく、受動的な女に成り下がっていくことを自覚していました。
そんな、堕落していく焦りさえ快感に変わる彼の優しさに溺れた女がほかにもう一人。
言うまでもなく、生まれた瞬間からその毒に浸りきって育った彼の妹でした。
小学校一年生ぐらいからすでに兄と自分が愛し合っている事を自覚し、兄の愛を感じるためなら自傷行為さえ全く躊躇しない性格。
そうして兄を困らせることで愛情を実感するというはた迷惑な子供でした。
ただ彼女は私などよりよほど上等でした。
一度兄と一線を越え、それを二人とも激しく後悔しました。
その失敗を乗り越えて成長をした彼女は自傷行為で本当に傷ついているのは自分ではなく兄だということに気づいたんです。
それが彼の言っていた「この世にかけがえのないものがあるのだという事も、これから僕が教えてあげる」ということでした。
妹さんはお互いがかけがえのない存在で、ゆえに、どちらも傷ついてはならないのだとようやく気づきました。
それと同じように、イザナさんも神野さんによる甘い毒の中毒になっているものだと思っていました。
しかしです。イザナさんは自分の息子が娘と愛する夫を消し飛ばしたとしても、それを怒りませんでした。
そして十年以上もの間、再婚もせず女手一つで外科医として他の子供達やその親を救いながら、息子を育て上げたのです。
その後夏樹くんはスクスクと成長。男の子のはずですが、母親のイザナさんとうり二つに育っていきました。
絶世の美少年だったのは夏樹くんの父親も同じですが、夏樹くんの場合は美少女と言った方がよさそうです
中性的、ではなく、どう見ても美少女なのですが、そんな夏樹くんが家にいる休日の事でした。
「おばあちゃんか……」
イザナさんが出迎えて玄関が開き、入ってきた四宮結さんの顔を見て、私は愕然となってしまいました。
今現在二〇一六年。今の結さんは十歳の娘がいることから、三十歳以上とみてほぼ間違いありません。
この三十年後なので、この結さんは最低でも六十歳ぐらいであるはずです。
結さんは微塵も変わることなくそこに佇んでいました。
顔にはシワ一つなく、みずみずしい声、軽々とした足取り、柔らかそうな肌。
間違いなく六十歳ではありません。しかし、イザナさんはそれを受け入れています。
この時、間違いなく結さんは二〇〇歳以上でしょうね。
この年で若い男と寝るのが趣味なんですから、ほとんど妖怪に近いです。
「おばあちゃん、上がって」
四十代にしては割と若々しくて綺麗なイザナさんです。うらやましい。
結さんを中に入れると、家のリビングにお客さんは通されました。
お茶だけ出された客は、自分の主張をまず強く訴えます。
「前にも言ったとおりこれは大義である。そう私は言いたい。
この世界の異能を消す。それは絶対に必要なこと。
不安定なこの力はいくらでも世界を破滅させかねない。
いいこと? これは二つの一族の呪いを解くための責務なのよ?」
「わかってる。夏樹? 降りてきて?」
「わかってるよ」
あっ。初めて生きて喋っている夏樹くんを見ました。
大きくなっています。十二歳か十一歳くらい?
声も高いし背もちょっと低いので、死ぬ数年前でしょうか。
二階の自分の部屋から降りてきたらしき彼はリビングに入ってくると、こう言いました。
「僕にはいとこがいる。叔母さんの子だ。僕らがあくまで拒否を続ければあの子で実験は再開されるはずだろ?」
叔母というとイザナさんの妹。父親は、まあ気にする必要はないでしょう。
多分特に重要な事ではありません。
「あの……でも、あなたがやらなきゃいけないわけじゃなのよ……念のため言っておくけど」
イザナさんは、子供を研究に送り出すことを積極的には止めません。
ここに神野さんがいてくれたら絶対に止めてくれるのに。
「今まで言って来なかったけど、僕は聞こえているんだ。
目に見えないお姉ちゃんの声が。頭の中に直接響いて来るみたいに。
僕が世界を変えるんだって。呪いを解くんだって。
だからやるよ。僕は名医の息子だから。僕はこの世界を治療してみせる」
「夏樹、あなた……」
父親が息子にこんなこと言われて泣かないはずがありません。
神野さんが居てくれればよかったのに。話は悪い方向へばかり進んでいます。
「好きにしなさい……でもやるからには、必ず世界を救いなさいよ……私の代では……ダメだったから……」
四宮さんが自分を研究対象として差し出していたのは、そういう理由もあったという事です。
初対面以来、ずっと低かった私の中の彼女の評価が上がりました。
「わかってるって。知ってるだろお母さん。
世界を救うのは僕みたいな男の子だって、相場が決まってるんだ」
ありゃ。妹の方は完全無視のようですね。いえ、あえて触れないんです。
夏樹くんは結さんに対しては、暗にこう言っていたと解釈するのが妥当でしょう。
「僕が実験台になるから他の子供には手を出すな」と。
その後、一年、二年と経過しても夏樹くんに背が伸びる以外の変化はありませんでした。
とはいっても、まだまだ甲高いハスキーボイスなんですが。
ついでに言うと、そのお父さんである神野さんも全く姿を現しません。
奇妙なことですが、すでに夏樹くんが消える運命は確定しており、彼を操って生後間もない妹と父親を消し飛ばしたのは自分自身だったようです。
夏樹くんは父が居ないながらも育ち盛りでいっぱい食べ、いっぱい遊び、勉強し、お母さんも一安心といった感じです。
しかし私は知っています。こんなハッピーエンドで物語が終わるはずがないことを。
十三歳のある夏の日、誕生日から数日後の事でした。
いつものように病院でレントゲン撮影を行っていた夏樹くん。
しかし技師と医者は、彼の内臓に影が見える事に気がつきました。
赤ちゃんのとき脳の血栓かなにかを手術で取ってもらった事がありましたが、彼は別のところに腫瘍が出来たのです。
今の科学では、結局彼の体に出来た腫瘍が偶然のものなのか。
それとも度重なるレントゲン撮影などの放射線の被曝によるものなのかは判別出来ません。
もちろん彼の放射線暴露は、常人の許容量を超えてはいません。
結さんは別にそこまでいい人ではないでしょうが、少なくとも約束は守っていたのです。
再生を一旦停止し、夏樹くんは私たちに自分の過去についてこうコメントしました。
「別に今は恨んでないよ。両親のことも結さんのことも。僕は運が悪かったってだけなんだ」
「お前は……これが原因で死んだのか? 僕が居ない間に?」
と父親に聞かれた夏樹くんは少し寂しそうに目を伏せ、それから素直に答えました。
「僕が死んだのはなぜだかわかるか?」
「わからない」
「見ればわかる」
次なる舞台は病室。夏樹くんは独りでベッドに寝て、平然としていますが、余命は長くないでしょう。
秋の午後。病室に女の子が入ってきました。思えば初めてみます。
これが夏樹くんのいとこですね。
当然彼女も同じ能力、つまり異空間をどうこうするとかいう、異次元な力を持っていそうです。
謎のお姉ちゃんとやらに何かを吹き込まれている可能性は大いにありそうですね。
夏樹くんのそばに来るなり、彼女はこう言いました。
「なっちゃん。お見舞いに来てやったぞ」
にしても神野さんの妹、本名四宮ナギさんの娘さんはこんなキャラですか。意外。
「ありがとう。でもあまりここには来るなよ……捕まえられて実験されるぞ」
「……病状はしってる?」
「すでに全身に転移が見られる……だろ。僕もつくづく運がないな」
「助かる方法があるってママが話してた」
「なんだって?」
「このままだといずれなっちゃんは死ぬ。私は一ミリでも助かる方にかけたい。
ありとあらゆるゲームの鉄則でしょ。
恋愛でも戦争でもトランプのゲームでも。
有利な状況なら守備的な戦略で、不利な状況ならリスクを冒して攻撃的に行くしかないの!」
「リスクを冒して、か。それもいいけど……」
「怖じけづいたの?」
「ま、まさか! どうやるんだよ!」
「簡単。黒い煙のなかに自分を入れればそれでいい」
いとこの兄妹はそうして牽制しあい、やがて結論は出ました。
「待ってるからね。元気になって戻って来るのを」
その時のいとこの娘さんの笑顔は、私が何度も見てきた笑顔です。
別れの笑顔。誰かと別れるときの悲しい微笑みです。
「ああ。わかってる」
「昔からなっちゃんは病弱だったらしいね……私の無駄に元気な体と、代わってあげられたらなぁ……」
「そうだね。体を代わって欲しいって思ったことがないかというと嘘になる。
でももう必要はないみたいだ。じゃあ行ってくる」
「必ず……元気で戻ってきてね」
ベッドの上に黒い塊が覆いかぶさり、そして再生はここでストップしました。
ここまで司会進行を務めた夏樹くんは、私と神野さんに続けて真っ暗な背景の中こう言いました。
「こうして僕は死んだ。肉体は世界から消えうせ、この異空間へ飛ばされた」
「戻ろうとすれば戻れないですか?」
「一本のストローの穴が開いた先端が、もう一方の先端の穴に入ったようなものだ。
もう出ることは出来ない。残念ながら、母さんのところへは。
僕にはやるべき事がある。白痴の奴隷だ。
こいつを殺す……それが僕の戦いだ」
「白痴の奴隷とはなんですか!」
「この世界そのものだ。佐々木さん。あんたはそいつに殺されたはずだ」
「あのいけにえとか天国だとか言ってた人ですか!?」
「あれはこの世界そのものだ。あれが、神だ。
この宇宙そのものだ、といっても理解できないか」
「出来るわけないでしょう!」
夏樹くんは分からず屋の私に一から十まで順を追って説明してくれるようです。
「汎神論というのがある。まさにそれの考え方と同じだ。
神はこの世界全てを内包する存在だ。
今僕らがいる異空間も神の一部。
木も土も空気も人間も神の一部。
それは理解してほしい」
「この世界は全て神という概念の内部にある、というのならよくわかります」
地球も、太陽系も、宇宙全体も全て神の体の中、というのならまあ、一応わかります。
それで納得出来るかといえば難しいところですが。
「神は、白痴だ。何も物を考えない。化野家が現れるまでは」
「化野というと……」
化野家はかつて大阪にいた医者の家系で、幕末では有名な蘭学塾で学んでいたそうですので、当時としては非常に貴重な、本物の西洋医学を学んでいた医者でした。
あるとき化野家が皆殺しにされかける事件が起こったあと、化野家は名前を変えて東北にまるで逃げるように移動したそうです。
「化野家は、かつて四宮家の女と婚姻した。
その時生まれた化野行遥という男がどういうわけか化野家の人間を皆殺しにした。
理由は不明。偶然大阪を離れていた化野家の傍流が命からがら東北まで逃げて、名前も化野の名前をほんのりと残した神野に変えた。
これが神野家の真実だ。化野行遥は、僕と非常によく似ている。
四宮家と神野家が混血した場合、異常行動をとる化け物が生まれるという事になる。
そして、この化野って男が白痴の奴隷だ」
「なぜそうなるんですか。ちょっとさっきから情報を与えられすぎて頭が痛くなってきましたけど……」
「別に難しい事じゃないよ。神野と四宮の血にそれぞれ流れる呪いが濃縮されたってことだ。
神野家も四宮家も、薬草や漢方などの医学薬学知識を持って大陸から来た渡来人と言われている。
しかも来たのは数千年も前。古代には医学薬学の知識は何に使われたと思う?」
「医療以外に、ですか。さあ、知りませんけど」
「薬草や医学の知識はそのまま毒物の知識と言える。
古代では呪詛や呪いと言われたものは、つまりは毒殺のことだ。
神野と四宮は医者の家系であると同時に呪術、つまり暗殺の家系でもあった。
とても納得のいく話でしょ、佐々木さん?」
「それは確かに……」
「そうして生まれた呪術の伝統と知識は千年以上の長きにわたって二つの一族の中で研ぎ澄まされていった。
それが血統的に一つになって惨劇が起こったということになる。
詳しいことはわからないけど、呪術は最終的に神の移し身との接触を可能とした。
それ以来、僕らの一族には次元の穴を空ける力が目覚めてしまったらしいね。
中でも最も深く繋がってしまうのが混血。つまり僕らだ。
なぜか千年前、四宮家の開祖は神野家から何か大切なものを奪って行ったらしいけど……」
「ん……? ちょっと待ってくださいよ?」
整理してみましょう。
この世界は、宇宙全体を包むほど巨大な便宜上、「神」と呼べるような存在の体の中だと言います。
まあそれはいいとして、どうやら私や神野さん、それに夏樹くんもいるこの世界には、他に二人ほど居そうです。
まず一人は、イザナさんに記憶を流し込んで運命を操った、「見えないお姉ちゃん」なる存在。
もう一人は白痴の奴隷。「この世界そのもの」、「神の移し身」、今は「化野行遥という男」を乗っ取ったが、知能が消し飛んでしまったのだそうです。
知能はなく、意思も持たなかったようですが、ただ一つ。
「殺してやる」「いけにえ」「天国」などは喋っているので、多少知能はあるようです。
その性質は狂暴。人を殺すことしか考えていないようです。
「化野行遥という男は一族を殺しまくった……そして佐々木さんも見ただろう。
僕もあんたを殺しそうになった。
僕も白痴の奴隷と戦ってはいるが、いつまで持つか。
たまに乗っ取られてしまう事があるんだ。
だから言ったんだ、時間がないって」
「そうだったんですか……」
「白痴の奴隷……またの名を化野行遥は僕らの先祖だ。
もっとも子供を残してないから直系ではないけどね。
あれは意識もない。僕もいずれああなるだろう、世界の意思に飲み込まれて。
そして化野は天国を作ろうとしている。段々と意識がはっきりしてきたんだ。
白痴の奴隷になったはずのあの男の意識が戻り出している。
だから天国とか言ったりいけにえとか言ったり、僕を操ったりする。
その前にやるべき事がある。ついでだ、続きを見てくれ」
背景は真っ暗。それが突如回転してさらなる映像を映し出します。
神野春雪さんが二歳頃のことでした。今度もまた、鳰さんが結おばあちゃんの膝に泣きついていました。
「うわあ~ん!」
こんな泣き方をする人を見たことがありませんでした。そして、ついでに言うと鳰さんは背も高くとても十二歳前後には見えません。
「はいはい、どうしたの?」
「ユキくんが入院だって! お父さんは行方不明に!」
「なるほど……お父さんね……その人も、多分春雪さんに消し飛ばされたみたいね……」
「どうしよう! お母さんさえいれば……私のせいでお母さんが、ていうか私のお婆ちゃんが!」
「落ち着いて、そんなの誰にも予測できないし、止められるはずないんだから自分を責めたらダメよ鳰ちゃん?」
「わかってるけど!」
「確かいつぞや言ってたお母さんに会いに行くっていうの、もう一回行ってみれば?
確かお兄ちゃんがいるって言ってたわよね。聞いてみれば?」
「うん、そうだよね。さすがおばあちゃん冴えてる!」
およそ一年ぶり、母親のところへ舞い戻ると、それを完全に予期していたようにイザナさんの口を借りて夏樹くんが登場し、前と同じように密閉され、人払いされた和室の中で、二歳の赤ちゃんが怨念に支配されたような形相で言います。
「僕の生い立ちもお前の生い立ちもわかったはずだ、まだ寝言を言ってるのか?」
「根絶やしになんかさせない。それより、何でお祖父さんを消し飛ばしたの?
危うくお父さんが死にかけたじゃない! 根絶やしにする気だったの!?」
「当たり前だ! 全く悪運が強い……殺す方向性は多分無理だろう……」
「じゃあどうする気?」
「それなら方法を変えるまで。要は子供が残らなかったらいいだけの話だ。
確か、結さんは夫が欲しいと言ってたな。
別の方法で使うつもりだったがまあいい……連れていけ」
「えっ!?」
突如として仰向けの状態で畳の上に出現したのは、背の高い三十歳前後の男性でした。
眼鏡をかけており、頭は白髪。私はこの人を知っています。
「もしかして……パパ!?」
「ん……? ここは……?」
神野春雪さんです。娘とは二年ほど離れての再会でした。
もっとも、娘は最後に見た姿から十歳以上成長してますが。
「あなた、神野春雪さん!?」
「誰だお嬢ちゃん……四宮の子か?」
ゆっくりと起き上がり、畳の上にあぐらをかいて座る神野春雪さん。
頭をかき、あくびをしてからキョロキョロと部屋を見回し、ここが狭い和室であることは理解したようです。
「悪いがお嬢ちゃん……ここは?」
念のため言っておきますが、この神野さんは鳰さんになど会ったことがありません。
「何から説明していいのか……あなたは娘を世話している最中、息子に消し飛ばされた……違いますか?」
「……多分その通りだ。何で君がそれを知ってる?」
「私がその娘だからです! わかりませんか!?」
父親を知らないのは鳰ちゃんも一緒です。彼女が引き取られて井上夫妻はかなりの老夫婦でしたし。
緊張気味で口調も敬語を使っている鳰ちゃんの内心をある程度察した神野さんは、優しく微笑んで言いました。
「信じるよ。俺の娘が嘘をつくわけないからな」
と、論理的に考えておかしい台詞を神野さんは言いました。
鳰さんが娘かどうかって話をしているので、俺の娘が嘘をつくかどうかは関係ありません!
「なら、俺のつけた名前を君は知らないのか?」
「教えてください……あなたが付けた名前を名乗りたいです」
「真夏。人生いつでも真っ盛りでいてほしいと思ってつけた。
お兄ちゃんの方は夏樹。しかし君が娘なら、もしかしてこの子はイザナか?」
半ば気を失ったような形で眠っている赤ちゃんを神野さんは指をさしました。
「うん……信じられないけどその子がママ。今は二〇〇三年。
あなたは多分二〇三〇年以降から来たんだと思うけど……」
「他人行儀だな。パパでいいのに」
「そんなの言ったことないし……」
「まあ言いたくなったらでいいよ。それより、戻る方法はあるんだろうか。
娘と一緒に……何とか戻る方法はないものかな」
「この時代の継承者に飲み込んでもらえれば戻れると思うんだけど、多分それはお兄ちゃんが許さないと思う……」
「お兄ちゃん?」
「うん。私が消えた後、お兄ちゃん自身も消えたらしいの。
そして継承者が飲み込まれたケースだけは、異空間の中で生きつづける事ができるらしい」
「しかしどうやって? 自分で自分を消し飛ばす事は不可能なはずだ……俺も継承者だったけど出来なかった」
「お兄ちゃんは、夏樹は特別なんだと思う。何か心当たりはない?
確か、結おばあちゃんは神野と四宮の血が混ざった私達兄妹は特別だって言ってたけど……」
「心当たりはあるよ。うん。生まれる前から医者に説明を受けたからね。
とりあえず俺もこれから仕事をしてどこかに住まないとな……君と二人で未来へ戻れる日までは。
おばあちゃんって、四宮結さんだろ。ちょっと連れていってくれるか?」
「任せて。おばあちゃんは戸籍の改ざんくらいお手の物だから!」
「話には聞いてたが、さすが神野家だな。頼むよ、なっちゃん」
「うん!」
鳰さんはもはや真夏さんだと自分を認識しているので、これからは真夏さんと表記しましょう。
実際彼女名前は気に入ってるみたいで、お父さんに再会するとすぐ名前を教えましたからね。
さてそんな真夏さん、お父さんを連れてすぐに例のマンションに出現。
「うわビックリしたぁ!」
洗濯物を畳み終わり、夕方のマンションの廊下を歩いてタオルの束を運んでいた結さんが、突然お風呂場に出現した親娘を発見し、驚きすぎてタオルをバラバラに落としてしまいました。
「ごめんなさい、おばあちゃん!」
「この人はいつどの時代で見ても変わらないな……はじめまして、結さん」
「どうも、は、春雪さん……?」
「よくわかりましたね?」
「……その距離感で」
と、結さんはパパにくっついている真夏さんを指差しました。
彼女、父親との思い出はなくても『大好きなユキくん』の記憶ならありますからね。
これから彼と、親子としても過ごしていく未来への期待に目を輝かせて手を繋いでいるのですから誰でも、横にいる男性が誰か察しはつきました。
「何だか知らないですけど、大きくなった娘が最初から懐いてくれるなら得した気分ですね」
普通娘が十二歳にもなれば「お父さんクサい」と来るはずです。
私は別にそう思ったことはないですが。トントンは身嗜みに気を使っている大人の男性なので、清潔ですからね。
「そうね。でも普通のお父さんはそうは行かないわよ?
結構居るのよね。お金さえ出してたら子供は親に懐くだろうと勘違いしてる男!」
「僕はしてませんよ……」
「ちゃんとお世話して、遊んで、話聞いて、親身になって叱ってようやくお父さんは子供に好かれるんですからね!
さて。思えばここは一人暮らしを想定してたのよ。東京に引っ越しましょうか」
「え、どうして……」
「何ガッカリした顔してんのん? 三人で住むならもうちょい広い部屋にしなくちゃ。
それに春雪さんは父親と同じで東京の高校へ行くわ。
そこにイザナを送り込んであげたいからいずれ東京の物件を見つけようとは思ってたのよ」
「ママとパパが……そう言われると反論できないけど……」
「ちょっと待ってください結さん。状況わかってますか?
娘と僕が未来から飛ばされてきた。尋常じゃない事が未来で起こってるんですよ。
もう一度イザナとこっちの世界の僕を出会わせるなんてそんな……いいんでしょうか?」
「春雪さん。あなた確か仕事が必要と言ってたわよね?
仕事なら与えるわ。医者と同じかそれ以上にやり甲斐のある仕事をね」
「質問に答えてくだ……」
「私はそれがいいと思う!」
娘さんに割り込まれ、神野さんは黙ってしまいました。
「私はママとパパがもう一度結ばれるのがいいと思う。パパはそう思わないっていうの?」
「いや思う」
神野さん、結さんが無言で呆れ果てるほどの身替わりの速さでした。
娘に涙目で聞かれた瞬間意見をねじ曲げ、娘のためなら信念でも前言でも何でも曲げようという、ある種の潔さがありました。
「パパ。私本当の事を言うと、あなたが初恋の人だった。
何だかわからないけど過去に飛ばされて施設で育って、あなたと出会って、すぐに恋に落ちた!」
「なっちゃん……」
父親としては随分複雑な気分になるでしょうね、この告白は。
正直言うと私の場合、父親がいい人ばかりの神野家がうらやましい気分です。
初めからトントンの血筋を求めて父親はママンと結婚しました。
結果、私が生まれ父親は喜び、私の目の能力で多数の依頼を解決。
これによって莫大な報酬を得ました。そして一年ほど前、中学三年生の夏に視力を失ってから父親とは完全に連絡も取らなくなりました。
ママンは実の兄と夫に娘と自分自身の子宮を利用され尽くしたんです。
私も、父親だけでなく男性全体が嫌いになりました。
まあ、その割にはこうして神野さんにあっさり籠絡されているんですけどね。
多分、出会ったその日にはもう夢中でした。
命を助けられた事がなくても、関係なかったと思います。
「これからもう一度二人が出会う。そして、二人は結ばれない事も運命によって確定してる。
パパ、でも私はママも好き。好きだから、今度こそ幸せにしてあげて!」
女手一つで、夫と娘を奪った息子を責めずに育てたという時点で私もイザナさんのこと嫌いにはなれません。
正直に言うと、私は彼女のことを先入観で嫌っていた気がします。
私の神野さんをとろうとする天敵であると。実際それは正しかったのですが、だからといって、不当に忌み嫌うべきではありませんでした。
「もちろんだ! 俺の分身なら、もう一度彼女を愛するはずだ。
そうならないように、息子の夏樹が邪魔をしたとしてもな」
「そうね春雪さん。夏樹くんだって完璧に未来を読んで運命を操れるわけじゃないわ。
特に、春雪さん。あなたは運命が強い……王の中の王よ。
あなたを始末する絶対的な運命を作ろうと夏樹くんが頑張っても、奇跡的に邪魔が入るって事が何度かあったみたい。
それと同じように、多分……イザナと春雪さんは誰がどうあがいても絶対に惹かれあう運命なのだと思うわ」
「そうだったのか……そうかもしれませんね」
「それに、なっちゃんと春雪さんも。一緒の家で育つという過程を経れば愛し合うのは当然の事でしょ?
でもこの子の話によると、施設に引き取られて一切の接点が断たれてもなお春雪さんと出会い、引き寄せられて愛が通じ合った。
恋愛にせよ、親子愛にせよ、二人はやっぱり必ず引き寄せあう運命なのよ……誰がどうあがこうとも」
「おばあちゃん、イイ事言うっ!」
「えへへ、それほどでも……」
などと照れてから結さんは表情を切り換えます。
「さてそんな春雪さんに一つ頼みがあるの。仕事、引き受けてくれない?」
「仕事ですか。例のやり甲斐のある仕事ですか?」
「ええ。この国を統治してもらいたいのよ」
「……はい?」
我ながら伏線回収が見事過ぎてほれぼれする




