四月二十七日~二十九日
四月二十七日。あれから三日ほど私はあのカフェ周りをうろついてみました。
誰も声をかけてきてはくれません。シオも反応がないようです。
ユキくんはどこへ行ったのでしょうか。喪失感に胸が締め付けられます。
私という女は実に寂しがり屋で依存的な性格だと、改めて思い直しました。
たった一日二日、時間にしても合計一時間くらいしか一緒にいませんでした。
でも会えない寂しさが募り、相手もそうだったらいいのにと、馬鹿なことを考えてしまいます。
三日音沙汰がないのでトントンもあえて彼の事を聞いてくる事はなくなりました。
これも彼の作戦だったら安心なんですが。と思いつつ今日はここで終わります。
四月二十八日。今日は私、いつもとは違う行動を起こそうと決意をしていました。
あのカフェで何日待っていても会える気がしません。
そこで私は神野っていう家について調べる事にしました。
すると、私はとんでもない事実を見つけたのでここに記録しておきます。
神野博士という人がいます。神野博士はフルネーム神野道雪だとか。
一八五六年生まれ、一九一二年没です。
ビタミンCやDを発見して脚気、ライム病などの克服方法を確立。
この業績で日本人及び東アジア人では初となるノーベル賞受賞。
その後世界初、硫酸系抗菌薬を開発し、破傷風や肺炎の治療に発展をもたらしました。
これにより日本人で唯一、複数回のノーベル医学生理学賞を受賞。
さらにさらに、神野博士の養子が神野幸村さんと言いましてこの人がすごいです。
結核に効果がある特効薬を発見し、世界初の抗がん剤を発見。
ただしこの功績でノーベル賞受賞することはありませんでした。
一九一六年。博士病没から四年後、世界は暗黒に包まれたからです。
現在二〇一六年ですがちょうど百年前、世界が暗黒に包まれ、その後異能が発生。
世界中に異能が発生した事により世界は無法状態になりました。
泥棒、強盗、強姦、暗殺の横行。異能の突如発生により政府機能すら麻痺しました。
そしてご存知の通りそれからスペイン風邪が大流行。
一向にインフルエンザが流行をやめないまま関東大震災が起こりました。
密閉され、密集した避難場所に無秩序に集まった人々の中でインフルエンザが感染。
その結果、関東からの避難民が東北や静岡、山梨などに集中しました。
現在、世界人口は未だに一九一六年以前と比べても少なく、全世界の三十パーセントは空白地帯。
つまり、政府の存在しない無法状態です。
日本や世界大戦当時の列強は世界大戦など放棄するしかありませんでした。
暗黒時代を経験し、人間は人口が三分の一になり、技術は五十年後退したといいます。
そういうわけなので神野博士の養子はノーベル賞をとれなかったんですね。
しかし神野家は医学薬学のノウハウを用いて製薬会社を設立。
抗がん剤などあらゆる薬で世界シェアナンバーワンになり、現在日本ではリース業、金融業、保険、不動産、スーパーマーケット、更には自動車会社まで手広くやっています。
有り余る資金力でほとんどこの日本を掌握しているってレベルの超巨大財閥です。
その神野家の始祖である神野博士が、秋田県出身であると私は調べてわかりました。
ええ。私はネットなら使えます。最近のコンピューターはすごいですよ。
読み上げ機能がついていますからね。
さて問題は、ここ秋田出身の神野博士の子孫が、つまり日本最大の巨大財閥の御曹司がユキくんなんでしょうか?
もしそうなら私はとんでもない人間と知り合いになったものですよね。
俄然会って話を聞きたくなりました。
彼が私をストーキングしていたことなど、もはや完全に過去のことで、帳消しです。
なぜなら私の方から彼をストーキングすることになりそうなのですから。
ネットでそこまで調べられるならあとは簡単です。
ネットで神野春雪と検索してみました。結果はハズレ。特に情報は出てきませんでした
次に神野財閥の会社のホームページを当たってみるも、特に情報はなく。
かといって情報を集めるプロフェッショナルであるトントンに頼る事は出来ません。
色々思案した私は、ふとこんな作戦に出ることを画策しました。
私は刑事の娘といっていいです。現場は徹底的に精査するべきです。
例えばユキくんが四月二十三日の時点であのカフェにいて私に「好きだ」のメッセージを送ったならそれより前にいたかも。
居ても立ってもいられなくなり、私は今日の夕方、例の時刻にあのカフェのあの席に出没したのでした。
そこでアイスコーヒーを頼み、私は過去を見ることに集中し始めました。
最初は昨日、つまり二十七日。この日一日彼は現れず、それより更に遡ってもいません。
問題はまだ私が見ていない過去。二十三日の夕方以前です。
すると見つけました。二十二日の夕方、彼がカフェに来たんです。
私は鼻息を荒くして過去を見続けます。彼はカフェに一人で来ると私の今座ってる席の向かいに座ります。
そして甘口のコーヒーを注文するやいなや、テーブルに例の手帳を広げて何か書き始めたではありませんか。
これは怪しいと思い、私はその文章が書き終わるまで時間をスキップしました。
「そんなに寂しかった? 独りにしてごめんね」
と手帳に書いてありました。それを見た瞬間私は心臓が高なって顔が燃え出したかというほど熱く火照りだしました。
最悪です。私はこんなにも恥辱を味わわされたことはありませんでした!
「読まれてた! 読まれてました!」
しかもユキくんは更に続きを書いていきます。
見たらまた私は恥ずかしくて消え入りたくなると分かりきっています。
しかし、私は見ずにはいられず時間をスキップしました。
「一緒に行きたいところがある。近いうちに誘いに行く」
今度はデートの申し込みのようでした。そしてユキくんは私の行動を読みきった上でコーヒーを飲み干すと店を後にしました。
手のひらで踊らされたと知った私は注文していたコーヒーを飲み干し、席を立ちました。
「いいでしょう……何を企んでいるか知りませんが……受けて立ちます」
女性は人によって、恋人や夫となる男性に自分より優位に立たれても平気なタイプと我慢ならないタイプがいます。
私は平気なタイプです。トントンのような名声があり、私自身も尊敬できるような男性となら一緒に居たいと思っています。
しかし神野春雪さん、彼に関しては極端過ぎると私は感じました。
彼は頭も容姿も大変優れていて、女性に拒絶されたことなど一度もないに違いありません。
そして極端に支配的な性格で、私の事などいつでも支配出来ると思っているようです。
そうでなくてはあのような行動はできないでしょう。
彼は危険な男です。犯罪捜査をし過ぎたせいで目が見えなくなったほどのこの私の経験。
その経験から来るカンがそう言っていました。
わかっています。これ以上関わるのは危険だという事は。
それに、私も騙されやすい性格といえど、彼の私に対する恋愛感情は全てポーズで、私を支配し、利用する事しか頭にない事は察しがついています。
犯罪捜査の経験上、サイコパスの男性によくある行動だからです。
私は目に障害があり、ハーフでよく目立つ容姿をしており、ファッションで付き合うにはもしかすると最適なのかも知れません。
サイコパスの男性は女性にファッション性を求めますからね。
でも、それでも私は愚かな事に彼と関わらないという合理的な決断が出来ない弱い人間です。
四月二十九日。
あの日から一週間が経過しました。
毎日足繁くあのカフェに通っては、彼のことを待つ日々が続きました。
そしてこの日の夕方、唐突にその時が訪れました。
いつものように席に座っていると、男性が声をかけて来たんです。
「相席してもいい?」
「どうぞ?」
席に座ったのはもちろん神野春雪さんです。彼は早速こう聞いてきました。
「気づいたかな。二十日の日の事」
「寂しかった? と聞いていたあれですか」
「よかった。まあ君が見ていてもいいし、見てないならあえて教えないでおこうと思ってたけど……それならよかった」
「あの……そろそろ教えてください。何が目的なんですか。
私は、あなたに利用されるならそれで構いませんから。
それでもいいんです。私を必要としてくれるなら……だから目的を教えてください」
「……可哀相に」
しばらく黙っていたあとに、やっと出た言葉がそれでした。
「なっ!」
「不思議だ。こんなに可愛いのに何でそんなに自分に自信がないんだ?
信じられないというならこの場で証明してみせようか?」
「ダメです! あなたを野放しにしておくと何をしでかすか分かりませんからね……」
本当に何をするかわからないので、何とか頑張って止める事に私は成功し、次にこう聞きます。
「問題なのはそれじゃありません。いいですか。
私が言っているのはあなたが何のつもりで私に近づいてきたかってことです」
「男が女に近づく理由はいつでも一つしかないはずだけど?」
「はぐらかさないでください。私をあまりバカにしないでくださいよ」
「わかった。そんなに言うなら話すよ。僕の父は二歳の頃に失踪した。
その後、母は再婚して今に至る。その過去を見てほしい。
だからその、一緒に来てくれないか?」
「なーんだ!」
私はどんな事を言われるかと思って身構えてましたがそれならお安いご用です。
「もう心配したじゃないですか。それなら私に嘘で好きとか言わなくてもよかったじゃないですか。
大丈夫ですよ、そのくらいなら喜んで協力します」
「何を言ってるんだよもう。君が好きなのは本当だよ?」
「もうそれはいいですから……そんなことより、家族について詳しい話を聞かせてくださいよ。
もしかしてあなた、大財閥の御曹司なんですか?」
「やっぱり調べたか。その通り。神野博士は僕の高祖父だよ。
でも経営者一族は会ったこともない。
僕の両親のところに経営利益や遺産など一銭も入らないよ」
「何でですか?」
「神野博士は抗がん剤や結核の特効薬を作ったという優秀な養子に全て財産を譲った。
結果を出せなかった実子は地元に残り、ひっそり医者の家系をしている。
親戚が大財閥の経営者一族と言っても僕には全く関係ないと言っていいね……」
「そうだったんですか……」
「父親は小児科医をしている。母はその五歳下で看護師。
十二歳で、中学一年生の妹もいる。家族についてはそれ以上話す事はないかな」
「あ、私知ってます! 小学校のころ学校にきてましたそのお医者さん!」
「そうらしいね」
「それで、あの……過去を見るんですよね?」
「すぐ済むよ。徒歩数分のアパートだから」
「どうやって入るんですか?」
「大家のおばあちゃんは納得済みだよ」
「確かに、女を口説くのは得意そうですね……」
「人聞きの悪い事を……いつでも君の都合のいい日を言ってくれ」
「私は今からでもいいですよ?」
「そう来なくちゃな。じゃあ行こうか……」
ユキくんは何の躊躇もなく私の手を取りました。今日は盲導犬同伴ではありません。
こんな家から数分のカフェに行くのにいちいちあの子を連れて来ていたら洗うのが面倒だからです。
室内で飼っているため毎回家に入る前にきちんと足を洗ってあげるんですが、それは私の役目であり、これが結構重労働でした。
その手間を省くための戦術が裏目に出る結果に。
「あなた、女の子の手を随分躊躇なく握るんですね」
「春琴抄を知っているかい? 僕はあの小説がとても好きなんだ」
「いや……教養として読むのはフランス古典文学だとママンに言われているので……」
「日本のも捨てたものじゃないよ。
目の不自由なお嬢様をお世話する係の少年は親に甘やかされ、高飛車に育ったお嬢様に、時に暴力を受け、こき使われることにも喜びを感じるマゾだったんだ」
「そ……それで?」
「ある日、高飛車なあまり恨みを買ったお嬢様は熱湯が顔にかかってしまう。
自分でも何がどうなったか、見えないなりに悟っていた彼女は、下僕として扱いながらも愛しく思っていた付き人にだけは顔を見られたくなくて部屋に閉じこもってしまう。
ここで付き人は、傷つく事を快感とするマゾな自分に加えて傷つける事で快楽を得るサドな自分も自覚する。
そうして自分の目を自分で傷つけたんだ。傷つくことと傷つける快楽を同時に味わう事が出来るようになったわけだ。
そして目は見えなくなった。
二人は外見の制約を越えて深く心で繋がって、死が二人を別っても離れる事はなかったんだ。
僕は小学生の時にそれを読んで以来全くもって性癖が歪んでしまってね……」
何か次の言葉を聞くのが怖くなりました。でもユキくんは続けます。
「君のことがとても可愛いのは、その影響も正直あるよ」
「何を言っているんですか。行きたいところがあるというからくっついて行くと言ったんですよ。
無駄な話してないで行きますよ、ほら」
と言っても道を知らない私なので、向こうのしたいようにさせます。
「悪かった。ここから数分のアパートなんだ。行こうか」
数分後、アパートに到着。ユキくんはおばあちゃんに交渉後、鍵をもらったみたいでした。
「少しここで待っててくれ。中は埃っぽいから少し掃除する」
「なるほど……」
数分後、彼は戻ってきて二階へ私を引っ張って行きました。
実に勝手な人です。そして勝手に説明を開始しました。
「ここは昔僕が住んでいた家らしい。曖昧だが多少の記憶はある。
父は死に、以後母はその弟と再婚して妹も生まれた」
「……ん? ちょっと待ってください。確認しますが妹というのはあなたの実の父親の弟のですね?」
「もちろんそうだ。 僕は極端な早生まれで三月二十六日が誕生日。
この日、東京の病院で雪が降った。ただし地元は秋田県だ」
「春に東京で珍しく雪が降ったから春雪ですか。なるほど」
「安直だね」
と笑い、神野春雪さんは話を再開します。
「話によると母は三兄弟の長男だった父との間に僕を産んで、その二年後に夫を失った。
それで、じいちゃん達はこう提案したらしいんだ。
三男は優秀な医者で稼ぎもあるが、未婚だ。
一方可愛い孫を連れたお嫁さんを独りにするわけに行かない。
何しろうちの家系は男ばかり生まれる家系なんだけど、長男がやっと授かった息子だからね……他の兄弟は未婚だった。
それなら三男とお嫁さんで結婚したらどうだ、と。
二人は結局結婚して妹も産まれたよ」
「……おかしな話ですねぇ。まるで、レビレイト婚ではないですか」
レビレイト婚は簡単に言えば、女性は財産扱いの部族の中で、財産を持っている有力な男性が死んだ場合、財産を弟や息子が継ぎ、故人の妻だった女性も産みの母親以外は財産扱いで結婚し相続する制度の事です。
ちなみに、その女性の実家も一旦よその家に嫁に出した以上、娘は向こうの財産扱いなので、主人が死んだからといって引き取ったりしてはいけないルールなのです。
そういう伝統のある遊牧民などは、周りに草原しかなく、都市で暮らす農耕民族のように女性が身一つで食べて行ける環境が全くと言っていいほどありません。
草原の食べ物は家畜しかありません。家畜は財産。女性に財産権はない事の方が多い。
ということで、夫が死んだら誰か力を持った男性と結婚するしかないのです。
ここは日本ですよ。草原の遊牧民じゃあるまいし、神野さんの両親も祖父母もおかしいです。
「確かに遊牧民のレビレイト婚に似てるけど、ウィンウィンの関係だし、実際全く有り得ない話じゃない。
現在の父は全てにおいて優秀だし、顔もまあ、ハゲてなかった若いときはそこそこだった。
それに、こんなことを言うのもなんだけど、母さんは結構美人だった」
可哀相にお母さん。美人だったって過去形です。
「父は小児科医。いわゆる名の知れたスーパードクターってやつだ。
家には職場に入り切らない元患者からの感謝の手紙や成長した写真がたくさんある。
小児心臓外科だったか……実際凄いよ、尊敬している……僕の心の支柱だ」
「支柱ですか?」
「君の話ぶりでちょっとわかったことがある。君は叔父さんを尊敬している。
その能力を母方の血から受け継いだ事を誇りに思っている……違うか?」
「もちろんそうです! この目が不自由になったことも、後悔していません。
いまだにトントンは私の目について自分を責めていますけどね……」
「君が誇りに思うように僕も医者の息子として生まれたことは誇りに思ってる。
僕は医者の息子だ。何があっても人は殺さない。
そしてもう一つ、君の力を借りて僕の過去に決着をつける。
この二つだけは、僕は絶対に破らないと心に誓っている約束なんだ。
これを破った時、自分は自分じゃなくなる。生きていてもしょうがない。
そのくらい大切な誓いなんだ。僕は必死なんだよ」
「わかってます、わかってますって。話を戻しますよ?
あなたのお母さんは、レビレイト婚に対してどう思ったのでしょうか?」
「さあね。聞こうとは……不思議としなかったな」
「アヤしいですが……妹さんは?」
「妹は僕より三歳下だ。つまり僕の父の死からかなり早い段階で母が妊娠していることになる。
正直な話、僕の実の父親も、僕が親から聞かされているように神野家の長男だったのではなく、それより前から母と肉体関係のあった三男という可能性も……」
「ありますけど、でもお父さんは立派な小児科医として頑張っているんでしょ?
尊敬されているお医者さんです。そんな不倫は……」
「僕も君と同じ気持ちだよ。だから確かめたいんだ。僕は愛し合っている親から生まれたのか。
そもそも父はどうやって死んだのか、あるいは死んだと聞かされているが、離婚しただけなのか……」
「ご両親が何か隠している可能性は大いにありますね。
話を聞いていると、だんだん面白くなってきました!」
「それなら僕も嬉しいよ。僕には過去を見ている間の君に、何も手伝える事はない。
その代わりと言ったら何だけど、またあのカフェで食事でもしよう、おごるから」
「ええ、まあ……言われなくてもやりますよ。入りますね……」
ドアを開け、中に入ります。そして十三年ほど前からの過去へ視点を移します。
そこで見えてきたのは実に意外なものでした。聞いていた話と違うので、すぐに透視を中断してユキくんに確認します。
「あの、携帯電話持ってますか。見せてほしいんですけど」
「連絡先交換したいの? いいよ」
と満面の笑みで答えてくるので、それを否定しづらいものがありましたが、私はこう切りだします。
「えっと、写真を見せてほしいんです。ご両親の……」
「ああわかった。ちょっと待っててね……」
ユキくんは鞄から携帯電話を取り出して何事か少し捜査しました。
「はい。でも見えないだろ?」
「いえ。見てほしいのはあなたです。どんな顔ですか?」
「どんなって……見慣れた顔だね」
「お母さんは口の下に目立つほくろがありますか?」
「ないけど……」
「亡くなったというお父さんの写真を見たことはありますか?」
「ないな……でもそう言うと思って、昨日ここに寄った時に写真はここで表示した。
ごめんね、最近会えなくて。ちょっと色々準備で忙しかったんだよ。
でももう大丈夫。瞳、怒ってる?」
などと早くも私の彼氏のようなことを言い出したユキくん。
付き合ってられません。私は短く答えました。
「わかりました。さすが用意がいいですね……」
昨日の過去を見てみると、ユキくんが満面の笑みを浮かべてこっちに手を振っています。
そして、おもむろにポケットから取り出した携帯電話を捜査し、ストレージに入った家族の写真を見せてきました。
「瞳、久しぶり。これが父で、母。美人だね。あとついでにこれが妹……もう、めっちゃ可愛い子だろ?」
解説はどうでもいいですが、顔はしっかり記憶しました。
そして理解しました。彼の家族の考えたことや、何もかもが。
私はそのことを口頭で彼に伝える事にし、目を閉じました。
「ユキくん。あなたの事ですが……以下の事がわかりました」
「どうしたの?」
「えー、少なくともお母さんはあなたのお父さんと愛し合っていました。
それは間違いありません。誰の子なのか断言は出来ませんが、少なくとも神野家の男性が父親でしょう。
あなたのそのしつこいぐらいの牛っぷり、神野家の男性はみんなそうみたいですから」
「そうだよ。神野家は牛の神様の子孫で代々牛っぽい言動や見た目になってしまうんだ。
特に僕なんか産着も牛柄のブランケットだったぐらいだからね……」
「まず結論から言いますがあなたの産みの父親と母親は離婚しました。
ですが、その後父親が失踪。あなたは叔父夫婦に引き取られました。
それが現在あなたの両親。それで間違いありません」
「……なんだって?」
「つまりあなたが今まで産みの母親だと思っていた女性は違っていて、産みの母は別にいるということです」
「わかった信じる。しかし何でそんな嘘をつくのだか……」
「ですよね。それで……続きを話しても?」
「ああ、頼む」
「はい。産みの母親はあなたの実の父、幸村さんと結婚し、元気な男の子を産みました。
それから一年後、立って歩いて言葉も話すあなたを両親は可愛がっていて、普通の家庭でした」
「でもそうじゃなくなったんだな?」
「あなたは一歳から謎の見えない空間に向かってお姉ちゃん、お姉ちゃんと言うようになりました。
お母さんは気味悪がりました。一度も息子は自分に興味を示さないんですよ」
「不思議な子だったんだね……?」
「二歳のある日お母さんはあまりに不気味なため、あなたを殴ってしまいました。
それで大泣きしたあなたを放置し、実家へ帰って、二度と会うことはありませんでした」
「それは……まあ自業自得だな……」
「ユキくん。それで、その、二歳になってしばらくして、あなたはアパートでお父さんと二人で生活を始めました。
さいわいお父さんはお医者さんだったので甲斐性はありました。
その当時はまだ結婚していなかった弟とその婚約者もたまに見に来てくれて、世話を焼いてくれました。
もちろんそのカップルこそあなたの親になる人です」
「父は? それに見えないお姉ちゃんっていうのは?」
「見えないお姉ちゃんの話をあなたは一切しなくなりました。
友達だったお姉ちゃんとお母さんを一挙に失った二歳のあなたはまるでこの世に幸せなどないと悟ったかのような寡黙で悲しそうにいつも一人でいる子供になってしまったんです。
そんなある日、お父さんと一緒に居るときでした。
あなたが突然手のひらから黒い煙のようなものを噴出させてそれがお父さんを飲み込んだんです。
そして、煙が晴れるとお父さんは跡形もなく消え去り、あなたはそこで気絶していました」
ユキくんが自分の意思でやったのか、それとも見えないお姉ちゃんとかいう人に操られてやったのか。
わかりません。それはまだ調査する必要があるでしょう。
「……そうか」
「何も言わないんですね? お父さんを自分の手で殺したというのに?」
お父さんはいい人でした。いいお父さんでした。
医者という忙しい仕事をしながら育児や慣れない家事に奮闘。
それが、こんな意味不明な形で幕を閉じてしまうなんて。
私は不気味でした。目の前のユキくんという人は秘密主義で私に色々隠してはいても、根はいい人で、信頼できると思ってました。
でもそれは大きな勘違いだったかも知れないと、頭の中をアップデートしていく私でした。
「父が失踪した真相は多分、うちの親は知らない。
でも母が僕を疎んで出て行って父親も消えたのを、二人は隠したかったんだね……」
「優しい二人ですね。あなたは二歳で、父親が消えました。
その後どうやって生きていけばいいというのでしょうか。
父親の同僚の医者が無断欠勤を続ける彼を心配して家に来てくれるまで五日間。
あなたは水とわずかな食料だけで生き延び、発見された時は意識不明でした」
「よく生きてたなぁ……」
「笑い事じゃないですよ! お父さんの背が高かったことが裏目に出て食料や水が子供の手の届くところになかったんです。
その後あなたは二度とここへ近寄りませんでした。
それから現在の叔父、叔母夫婦に引き取られ、しばらく経ったあと荷物整理のためにもここへ足を運びました。
三歳のあなたはほとんど何も憶えていなかったのか、キョトンとして指をしゃぶりながら部屋の中を見つめ、何となく嫌がって中には入ろうとしませんでした……」
「やれやれ。僕は疫病神ってわけか」
「でもユキくん、もう諦めがつきましたか?
私にこれ以上調査をさせる事は出来ません。
何故ならあなたは自分でも自分の事がわからないからです」
「それは……」
「あなたが私をお父さんのようにするかも。そうでないと言えますか?」
「……いや」
みるみる内に顔が暗くなり、ユキくんは今にも死にそうでした。
「ご馳走してくれるという件は遠慮しておきます。
それと家までは一応一人で帰れますから見送りは結構……失礼しますね」
「文句は、言えない……わかった。気をつけてね」
精一杯の優しさを私はぞんざいに受け取り、家路につきました。
家に帰るとママンに見つかり、怒られてしまいました。
「ちょっとどこ行ってたんですか!?」
身内以外にも見てもらう予定なので説明しておきますが、ママンはフランスかぶれです。わざと日本語もカタコトにしてる変な人です。
しかし、言葉遣いが丁寧すぎるので私もそれが移り、こうして丁寧な言葉遣いを意識せずとも徹底するようになったのでした。
「ちょ、ちょっと……外を一人で歩く練習を」
「そんな見え透いた嘘をついたらダメですよアンジェリーナ?」
「すみません……」
「パパの部下からママンも聞いていますよ。男の子と会っているそうですね?」
「誤解です! 向こうがどうしても話があるというので付き合っていただけですから」
「恋人を作るのはいいですけど、恥ずかしがることはないんですよ?
恥ずかしがってパパの部下を遠ざけるからこうやって小言を言われるんですから」
「もういいんです。会うことはもうないでしょうから。彼の目的は達成されましたから」
「目的……? どういうことですか?」
「あの人は私を利用して過去を見ようと企んだんです。
そして私は過去を見てあげました。それで契約は完了です」
「……ならどうしてそんな浮かない顔をしてるんですか、アンジェリーナ?」
などと、ママンは娘の私の事なら何でもお見通しという風です。
もしくは、私は自分で思っているより感情が表に出やすいタイプなのかもしれません。
「それは……どうしてでしょうね。自分でもわかりません」
私は見えなくても心配そうにこっちをママンが見つめている事くらいわかります。
愛想笑いを浮かべて二階の自室へ行ってみたものの、ごまかせたかは自信がありませんでした。
部屋で手持ちぶさたに横になって思うのは、やっぱりユキくんの事です。
《彼はもう目的を完了したのでしょうから、私に会いに来ることはもうないでしょう。
別に寂しいとかじゃないですが、何かモヤモヤした気持ちです。
その原因はわかりきっています。彼とはけんか別れに近い形で離れてしまったことです。
彼の想像だにしていなかった不気味な過去を暴いてしまい、申し訳なくて、でも一緒に居るのが怖かった私は逃げ出してしまったんです》