六月三日
六月三日。
あの事件から一週間以上が経過し、私はまだ神野さんとは連絡を取っておらず、学校でも口をきいていません。
話すことなどないからです。
学校で顔を合わせても目を合わせて会釈したら、あとは無視。
私達は会話の糸口を見つけることが出来ていません。
このままでは夏休みに突入してしまいます!
ですが、思いもかけず接点と呼べるようなものが訪れました。
「うわー料理の授業かよーだるいわー」
「小学生かよ俺ら?」
「漫画みたいに壊滅的に料理が下手な女子っているのかな?」
「料理が下手な奴は順序立てて行動するのが下手なただのドジだろ」
などと口々にみんなが言いながら私達のクラスは家庭科の授業を受けることになりました。
家庭科って、まあみんなの学ぶモチベーションは当然低いわけですけど、非常に大事な事です。
過去の男女分業社会ならば家庭科の授業は必要ないでしょう。
ですが、現代人は仕事が忙しいです。かつてはお母さんやおばあちゃんが家庭的な知識のプロだったんです。
こういう人に伝授される事で女性は生活の知恵や家庭の事を継承していったわけです。
今では、そういう人材から教わるということも家庭科の授業以外にはないと言っていいでしょう。
田舎ならともかく都市に住む人間は、どんどん生活力とでもいうべき大事な知識や技術を劣化させていくしかないのです。
お母さんも教えられる事がそんなになく、子供は更にそれより劣化するというスパイラル。
家庭科の授業がなければそれが食い止められません。家庭科はとても大事なんです。
とはいえ、私には料理はそれほど出来ません。
ママンに教えられたフレンチなんですが、非常に手の込んだパーティー料理なら出来ますが普段よく食べるような簡単なものはほとんど作れません。
スクランブルすぎてグロテスクなスクランブルエッグなら作れますが。
まあ頼れる料理上手が同じチームにいればいいか、と私は楽観的に考え、教室に入りました。
そして、そこで目にしたのは今一番一緒になりたくない人でした。
「あっ、神野さん」
「エプロン自体は似合うけど、果たして料理できるのか甚だ疑問に思われる」
と思っていそうな怪訝な目つきです。いやー照れますね、エプロン似合うなんて。
私が何か話し掛けようとしたところ、先手を打たれました。
「え、えーと佐々木さん。お母さんはフランス人だっけ?」
「はい。ソルト県出身の四十八歳です」
「さぞ料理が上手いんだろうね」
「それはもう。昨日はアントレにサーディンのマリネとヴィシソワーズ、オードブルは夏野菜のキッシュ、デセールに手作りエクレアを頂きました。
どれもとってもヘルシーで美味しいんですよ」
半分以上、何を言ってるのかは理解出来てなさそうです。
何かもうすでに私達が話している事に気付かれて人だかりが出来はじめています。
全く迷惑です。私は注目されることは好きじゃないんです。
これだから神野さんとくっついているのは嫌です。瞳と代わりたいくらいです。
「す、すごいね。僕料理は和食、イタリアン、中華しか出来ないからフレンチはちょっと。
君はフランス料理出来るの?」
「……え、私ですか?」
何とか言い訳をしようかと思いましたが、ちょっと言葉が詰まって出てきません。
神野さんはすぐ私の料理下手を察し、気を使わせてしまいました。
「あ、何でもない。うん、聞いて悪かった」
「あ、今私のこと料理の出来ないだめな女の子だと思ったでしょ!」
「思ってないって。ごめん、だから喧嘩はやめよう」
「こうなったらいいです、私のお家で嫌というほど味わわせてあげましょう!」
「なんだって?」
みんなで調理器具の準備をしている最中、私はボウルを数個かさねた物をテーブルの上に静かに音を立てないよう置いて、懐から紙を出して見せました。
「父からの伝言がこれです。私も気乗りはしなかったんですけどね……父が言うもんですから……」
そこには、我らが佐々木本部長直筆で何月何日に瞳と佐々木家で会わないかという旨の事が書かれてありました。
しかもその日付、もちろん明日です。私は結構問題を限界まで先延ばしにしても気にならないタイプですが、さすがにこれは酷いですよね。
神野さんに軽蔑されたでしょうか。人格を疑いますよね、こんなの。
この日が来るまで、ギリギリのギリギリまで言えなかったものですから。
ところが神野さんは気を使ってくれました。
「そうか……必ず行くよ。言われなくても行くつもりだったけどね」
「そうですか……」
「正直、居心地がいい。このまま捜査を進めないでいよう、という気も少しはあるんだ。
瞳と居るのは居心地がいい。でも進めない事にはな……僕は他人を巻き込んでまで始めたことを完遂できないクズになってしまう」
「大げさな。でも捜査の一環としてあなたの妹さんの家も分かるかも……それは良いことでしょう?」
「そうだね。そのためにも捜査はしなきゃな……」
さらに神野さんとの会話を続けようとしかけたところで、そういえば周囲の目があると間一髪気づいた私は口を閉ざし、紙を取り返して料理の授業に取り掛かります。
「えーとお題は、オムライス。結構簡単な方だな」
「えっ、神野さんオムライス作れるんですか」
神野さんはもはや私を鬱陶しいとすら思っていると私はこの時悟りました。
いつにもまして無表情、声に何の色もついていませんでした。
「オムライスぐらい誰でも作ったことあるでしょ」
「ないですよ!」
「そうかな? よく妹と食べるけど。トマトのミートソースはオムライスやパスタなんかに流用できて便利だよ」
「じ……神野さん、そんな特技があったんですか!?」
「別に、親が普段家にいないから妹の分もご飯を僕が作ることがいつしか多くなったってだけで。
前にも言ったけど料理は修業の一環でもあったから……」
「やだ……やだ神野さん、あなたどんだけ女子の好感度を上げるつもりですか!」
「言う必要がなかった」
この冷たい声。私はもう、出来るだけこの人に関わらないと決心しました。
その方がお互いのためでしょう。
「よし、これでみんなも安心ですね」
「やっぱ君料理下手だろ」
「こ……この期に及んで隠しません!」
自供により、私の料理下手が確定してしまいました。
ついさっきは得意げにフレンチ用語をペラペラと喋っておいてなんですが、隠蔽しきれないと判断しました。
神野さんがちゃんと料理出来るので私達のチームは滞りなく進みます。
ところどころ失敗するチームもいましたが、ここでは四宮イザナさんがリーダーシップを取っていました。
「がんばってね」
神野さんにそう言っていたのが唇の動きでわかりました。口パクで、声は出していないはずです。
彼はそれを無視まではしませんが、いかにも最低限返すだけという感じに小さく手を振りました。
私は腹が立ったので、意趣返しをしてやりました。
「家庭的な女の子っていいなぁ……って思いました?」
神野さんはこっちに向き直ると笑顔も消えうせ、無表情な表情と無機質な声を私に向けます。
「この前会長が話してくれたんだけど、あの四宮って子は君をさしおいてミス学園グランプリに三年連続で選ばれたらしいね」
言外に、お前は容姿でも料理でもあの子に勝てないんだなと言われているような気分でした。
そうです。私は中等部からここにいますが、四宮イザナさんには一度も勝てません。
日仏ハーフの私は容姿に自信がありましたが、四宮さんはそのレベルを凌駕していました。
「ええ。あの人、あなたの運命の人ですよ。前世では同じ高校、大学へ行って結婚もしてたそうですね。
さぞや自慢の彼女で、自慢の美人妻だったんでしょうね」
「結婚か。今まではネガティブなイメージを持っていたけど今はそうでもない。
むしろ二十歳になるのが待ち遠しいって気分だね。
彼女、僕を運命の人だと思い込んでるようだが確かに容姿はいいし、料理も出来る上に頭もいいときた。
僕なんかより優れた男は沢山いる……いつかそのことに気付くはずだ」
「やっぱり料理が出来ないとダメでしょうか……」
私は目をウルウルとさせてみますが、嘘泣きであるため、全く効き目はありませんでした。
「勘違いしないで欲しい。別に僕はそういうつもりで言った訳じゃない。
彼女は正直言うと嫌いだ。顔を見ていると百年の宿敵のような気さえしてくる。
結婚したなんて考えられない。そういえば君、彼女としゃべったことある?」
「ないですけど……」
「僕や親戚筋の周りでは普通に喋るんだけど、それ以外の場合で喋っているのを見たことがない」
「私もないですね……料理の腕を班の皆さんに認められてるみたいですが……本人一言も喋りません」
瞳のログではあんなにペラペラ流暢に話していたのに変な人ですよね。
「少し気になる。ちょっと話しかけて見てくれないか?」
「なんでですか! 自分でやればいいでしょ」
「僕が喋りかけても普通に受け答えしてくれるから。
ちょっとでいいんだ。ちょっとした世間話を」
「……」
そういえばヘンでした。岡本さんはこの前言ってましたよね?
「須田さんから、四宮イザナの言づてを預かった」と。
なんで須田さんを経由する必要があったんでしょうか。
まさか親しみやすい岡本さんに話しかける事も出来ないシャイガールだったんでしょうかね。
と疑った私はすぐに行動を起こしたのでした。
授業が終わった直後に四宮さんではなく別の女子生徒を探しました。
もちろん須田さんです。須田さんは友達ではありませんが割と心の距離は私と近いと思ってます。
「須田さん、いま、ちょっといいですか?」
「あっ、佐々木さん……どうしたの?」
私たちの仲なんだから言い方が堅いよ、とでも言いたげに人懐っこく笑う須田さんに私は恐る恐るこう質問しました。
「あのぉ、岡本さんが四宮さんからの言づてを須田さんから聞いたと言ってました。
何ででしょうか。四宮さんとは仲がいいんですか?」
「別に仲良くは……でもこの前現れたネズミがまた私に」
「四宮イザナさんが誰かと会話しているのを見たことがありますか?」
「私も佐々木さんや四宮さんとは中等部から一緒だったでしょ?
四宮さんが誰かと会話しているのを見たのは、神野くんとだけ。
それが初めて。だからびっくりした……一言も喋らない氷の美女ってことで有名だったんだけど……」
「神野さんと喋ってるときはやたらテンション高いですよあの人?」
「普段喋らないと言うことが貯まってるのかな……にしても何故、そんなことを?」
「いえ別に。ちょっと行ってきます」
次は担任の先生に聞いてみました。すると先生から意外な答えが。
「四宮イザナは照れ屋なのかだって?」
「はい」
「まあ、名前を言うことで偏見の助長を生むかもという考え方はあるが、佐々木には教えておいてあげよう。
あの子は場面かん黙と言って、特定の場所や状況で言葉が出てこない……あるいは、逆に特定の状況でないと言葉が出ない人のことだ」
「あの人がそうだと?」
「ああ。照れているのか、馬鹿にされる事を恐れているのかとにかく滅多に話をしない。
あえて場面かん黙ということを教えるのは、彼女がお前ら同級生を見下したり、馬鹿にして黙っているわけじゃないってことをわかってほしいからだ」
「もちろんわかっています……どうも失礼しました」
次の授業は地理と数学。いつも通り私は授業に集中してノートを書いて終わります。
真面目にやってるふりはすれど、初歩的過ぎて眠くなる類のやつです。
次の授業は日本の近代史です。私たちは世界史と日本近代史と地理、全部学びます。
医者を目指している非常にハイスペックな神野さんがいるように、この学校はすこぶる付きの進学校です。
医学部合格率や有名な帝国大学への進学も多いです。
一口に頭のいい人と言っても、知性にも種類があります。
この世界に多いのは学者型。頭のいい人というのは大抵学者になるんです。
私などとは頭の作りが違う人たちです。
大抵の場合、眼鏡をかけていて神経質な感じのする無口な男性というイメージです。
自閉症と高いIQには強い相関関係があると言いますし。
要するに学者肌。こういう人たちが世界を変えてきたのでしょう。
それと同じくらい世界を変えてきた人が神野さんのようなタイプの天才だと思います。
このタイプは学者肌の天才より更に数が少ない人。
コミュニケーション能力に非常に長けており、計算高く用意周到で合理主義者。
恐らくどのような場においても常に支配側に回ってしまうはずです。
このタイプは広い視野を持っていて公共のため尽くす心があり、政治を行うリーダーとしてこれ以上の適任者もいないでしょう。
多分アウグストゥスやカエサル、ペリクレス、劉邦などこれにあたるんじゃないでしょうか。
いずれも美男子で女性人気が高く、政治家としての手腕が極めて高い事で知られています。
劉邦など、顔を見ただけで「貴人の相」があるとその土地の名士が大事な娘を嫁がせたくらいですから、よっぽど威風堂々とした美形だったんでしょう。
実際神野さんも既にこの学校の支配者になりつつある気がしてなりません。
みんなは疑惑を持っていますが彼と私とは、一応何もない事にはなっています。
すると、私の周囲の女の子の彼を見る目が明らかに最近変わって来ました。
聞けば神野さんの実家は医者の家系で超有名人が祖先で、非常に裕福。
まあ彼の系統は経営に参加せず、比較的普通の家らしいですが。
そこに加えて美形で、顔が小さく足の長いモデル体型。しかも有名人となればみんな飛びつくはずです。
しかもおあつらえ向きに、彼には両親を失い、友達も失った悲しい過去が。
クラスを眺めれば一目瞭然ですが、ほぼすべての女の子が「傷ついた男の心を癒せる包容力に満ちた柔和な女性」を演じようと躍起になっています。
ほぼ全員、髪を下ろして軽くウェーブをかけ、メイクは薄めながらしっかりと整え、声や話し方も上品になり、お昼ご飯の時間は手作り弁当アピールがひっきりなしに起こるようになりました。
まあ学級の空気が平和で上品になったのは良いことですが、私は苦笑を禁じ得ません。
どんなことをしようと、絶対に、私の同級生達では瞳に勝てないのですから。
そして恐らくその瞳も四宮イザナさんには勝てないでしょう。
いや、実際神野さんが顔で女の子を選ぶ人じゃないとは思うんですが。
そのことは信用しています。さすがに。
「えー、であるからしてだな。今から丁度百年前の一九一六年。
人類に突如として異能力が発生したわけだな。原因は今もって不明。
その当時第一次大戦の真っ最中だった列強諸国は全ての戦争を中断。
日本軍は大陸や台湾などに持っていた権益のすべてを破棄して国内に引きこもる事を決め……」
勉強した通りです。日本はいかなる権益も捨て去って退去。
これが結果としてよかった。
海外では、特に第一次大戦真っ最中のヨーロッパでは人口が激減しました。
異能出現による混乱、スペイン風邪大流行、戦地の兵士に送られる補給物資が政治の混乱で届かなくなり、食料不足による略奪の横行、野盗化、貨幣経済の崩壊などが重なり、人口は四分の一に減少したといいます。
異能発生の混乱により政府機能が麻痺した暗黒時代が始まって数年後。
ご存知関東大震災が起こり、政治が混乱していたため被害者は正確には把握できませんが、二次災害などを含めれば死者は最低でも一千万とも。
天皇は京都に逆戻りし、実質的な首都機能は鹿児島か山口か大阪かと揉めた末に愛知県に移ってしまいました。
なんだかんだ、そういう戦乱が訪れると天下人は愛知に生まれるものなのかも知れませんね。
源頼朝、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康。全員愛知です。
ちなみに神野さんや私の出身地の東北地方は関東の地震難民が押し寄せた結果、多様な文化の花咲く都市になり、秋田県の人口は五百万人と、以前の数倍になっています。
「ーーしかし、空白地帯は地表の二割に及ぶこともまた事実だ」
空白地帯というのは政府が存在せず、群雄割拠の戦国時代をやっている地域の事です。
人間とは物理法則を超越した能力を身につけても習性は変わりません。
みんなが従う人がいればそれに何も考えず従う。それが習性。
世界ではそういうふうに、小さなグループ同士の無数の小競り合いが起きて人口が摩耗し、文化が消え、民族の伝統が消え、自分たちがどのような国で生きていけばいいのか分からない人も多いです。
そのようなほとんど住む人全員が難民のような地域を空白地帯と呼んでいます。
ただし、有力な者に統治された空白地帯では、完全な無法地帯なのでヤバい研究や犯罪準備などをしている事も多いとか。
国際世論の反発が怖いのと、かかるお金の割にリターンが期待出来ないので、政治的に安定した各国も空白地帯を武力で抑え、平和な国を作る手助けをしようとかはしません。
だから、空白地帯はいつまでも無くなりません。全くひどい話です。
まあ確かに、もし日本が海外へ出兵するから税金を上げますなんて政府が言い出したら私も困りますから、他人をとやかく言う資格はないんですけどね。
「はぁ……私は……瞳のために何が出来るでしょう……」
授業が終わって、私はため息が出ました。このまま事態を停滞させてあげたい気もします。
でも瞳は相当に優柔不断でどっちつかずなんですよね。
あの子、神野さんとセックスしたがっていることでは彼と出会ったばかりのころから一貫しています。
しかし一方で彼との思い出を作ることは嫌だとも言ってました。
そうすることで、彼が自分と別れても大丈夫、満足だと思って欲しくないかららしいです。
そんな強烈な思い出を作ったら彼がそれで満足するのでは、と怯えてるのでしょうね。
男性経験はないので聞きかじりですが、何より一回体を許してしまったらそれで終わりのリスクは瞳と神野さんの場合に限らず男と女の間にはあるらしいですからね。
自分の欲望は我慢して、慎重になるのも頷ける話です。
つまり瞳が何も気兼ねしないためには、彼との捜査をさっさと終わらせ、彼の過去に決着をつけることが必要。
そのためには、私は協力するべきじゃないのか。との結論に私は達したのでした。




