五月二十二日・中
インターホンのボタンが神野さんの指によって押され、家の中の人へ来客を知らせます。
ややあって、若い女性らしき声が向こうから聞こえてきました。
「はて……どちら様?」
「昔ここに住んでいた者ですが……よければお話聞かせてもらっても?」
「おおっ! 春雪さん! 何でここがわかったのかしら。
まあええわ。今鍵開けに行きますからね……」
神野さんに会えて嬉しそうなお姉さんの声は途切れ、次にガチャリと鍵が、さらに続いて玄関ドアが開きました。
そして中から姿を現した神野さんの知り合いらしき女性の姿を、私は見ることが出来ません。
しかし声で身長はだいたいわかります。身長はだいたい私より二十センチ、神野さんより三十センチ近く低いです。
そんな子供にしては、結構妖艶というか、低くてねっとりとした声で話す子です。
身長の情報を私が知らなかったら、てっきり熟女だと思ってたでしょうね。
《そもそも小学生の子供が平日昼間に家から出てきますか?
しかも彼女は怪しい怪しい四宮家の人間なんですけど》
と思っていたらしい自己紹介が始まりました。
「どうも初めまして、神野春雪と申します」
「ああ、そういえば面識はなかったわね。四宮結です、はじめまして」
「よろしくお願い申しあげます」
と神野さんはうやうやしく挨拶、私も一応続きます。
「どうも、佐々木瞳と申します!」
「どうも。じゃあ二人とも、立ち話もなんですし、上がってください。
お茶とお菓子くらいなら出しますよ?」
「遠慮しておきます。長居はしませんから」
「あらそう? 断言してもいいけど、長居させてほしいとそちらから言う事になると思うわ」
「そうなったら、許してくれますか?」
「もちろん。さあ二人とも上がって」
「お邪魔します……」
結さんの先導で私達は中へ。神野さんは幼い頃に住んでいた家を玄関から入ってすぐのところで立ち止まり、懐かしそうに見渡します。
しかしすぐに使命を思い出した彼は客間らしき場所へ結さんに通され、私と一緒に席に座ります。
「二人とも、ちょと待っててね。お茶淹れるから」
「はい……」
どうしても、私たちをもてなしたいようなので無理に断らない事にした私達です。
結さんがお茶を淹れている隙を狙い、私はこっそり神野さんに耳打ちしました。
「あの人が夏樹ちゃんの母親ですか。子供みたいですね」
「下手をするとあの子の妹……八歳ぐらいに見えてもおかしくない。
あれが母親か。父親はロリコンかぁ?」
「あの人の夫はあなたに近い人であると見て間違いないのによくそんなこと言えますね?」
「冗談だって。父である可能性が高いんだろ。
しかしまあ、その男に是非会ってみたいのも確かだけど」
「私はここで過去を見ています。それでは」
ここは夏樹ちゃんの家なんでしょうか。それを確かめるため、とりあえず二ヶ月ほど前の過去から見てみることに。
ここが彼女の家であれば幼いあの子の姿が目に映るはずです。
しかし二ヶ月前の時点で、何とこの家には全然人の出入りが無いことが判明したのです。
結さんという女性もこの家にいつも居る訳ではなく、それから遡ってみても一週間や二週間、家を空けっ放しということがしょっちゅう。
というより、時折風通しに人が来るだけでほとんど人の住んでいない家だと判明したのです。
それで更に時間を遡って数年前に遡ると、どうやら話が見えてきました。
このリビングに背の高い中年男性、背の低い結さん、それに今よりも更に幼い七歳か六歳前後の夏樹ちゃんの姿も。
四年前まではここに家族で住んでいたようです。
夏樹ちゃんの能力が覚醒して暴走し、記憶を失う前の姿らしいです。
今とほぼ変わらないですが、多少背が今と比べて小さいとか変化もあります。
とはいえ、そこは重要ではありません。
問題はそこではなく、この三人家族にもう一人同居人がいるということです。
「そこの醤油とって、会長」
「ああ」
会長と呼ばれた結さんの夫らしき人物は小学校高学年くらいの女の子に食卓の上のお醤油をとってあげました。
会長は私の予想していた通り四宮家や神野家の特徴である牛のような角、そしてコーカソイド系の見た目です。
鼻が高い、彫りが深い、まつげが長いなどの特徴をもつのがコーカソイド。
コーカサス地域という南ロシアで発生したとされる人種です。
日本人はモンゴロイド。極東ロシア・モンゴル地域で発生したとされる一番新しい人種。
平べったい顔などが特徴で平均IQが一番高いらしいです。
人類の起源と言われるアフリカの黒人はネグロイドなどと呼ばれますが、アフリカ大陸の黒人は実は凄まじい遺伝子多様性があります。
下手をするとモンゴロイドとコーカソイド以上の差異がアフリカ黒人間にあるのです。
ユーラシアでは広大な範囲に遺伝子を広げる大帝国の発生とか民族大移動とかが結構起こりますが、アフリカではあまりそういうことがなく、独自の発展を各地で遂げたらしいと本で読みました。
アフリカは疫病が多く、土地は痩せた赤土ばかりで乾燥しており、現代技術を借りないと農業のしようがないんです。
よくアフリカは人類の起源で歴史も古く、広くて自然豊かな土地なのにエジプトなどいったごく一部を除いて発展しなかったのは黒人が劣等だからだと思われてますが実は違います。
農業に適した土地が全然なく、疫病や飢餓が常に蔓延し、アフリカは人口の非常に希薄な土地で、発展の余地がなかったんですね。
食料不足なので、戦争したり巨大帝国が出来る余地もありません。
例えば体の大きい金髪碧眼の白人がヨーロッパ全土に広がりましたよね。
最初からヨーロッパは金髪碧眼の人ばかりだった訳ではないんですよ実は。
戦に強くて繁殖力も高いデーン人、アングル人、サクソン人など北欧、ドイツ系の人が各地を征服したからです。
元々は黒髪黒眼のイタリア、ギリシャ系の人がヨーロッパを支配してたんですけど青い目の蛮族が増えまくったんですね。
それが今では北欧系の人は人口も非常に少なく少子高齢化も深刻で、かつての野蛮さなど欠片も見えないのだというのですから時代の流れですね。
そうしたいわゆる白人もコーカソイドに分類され、私の父もそうです。
かといって神野家は金髪碧眼の白人ではなく、アラブとかトルコ系といった感じです。
でも、見た目だけで人種を判断することは出来ませんよね。
私もこの前にですね、非常に顔が濃くて、ファルセットを交えた高い歌唱力が特徴の男性ポップス歌手が、父親がアメリカ人なのかと思いきや大阪出身三重県育ち純日本人と聞いて驚愕したことがあります。
だから神野家や四宮家だってただの顔が濃い一族かも。
ただ一つ言えるのは、結さんは違うと言うことです。
彼女は四宮や神野の血は入っておらず、結婚して四宮の姓を得た他家の女性でしょう。
とても美人だとは思いますが、日本らしさのある人です。
中華系美人や韓国系にはない丸さと言いますか、ふくよかな丸みがあります。
まあそもそも、私は彼女が夏樹ちゃんの母親だというのをちょっと疑っていますが。
「イザナ、学校で男の子に告白されたって本当?」
などと、晩御飯どきに結さんが茶化すように聞くとイザナさんは小学生の女の子がしてはいけないような険しい顔で言いました。
「私がなびくとでも思ったのか……そう思われたことがムカつく。
自分程度で私を落とせるとナメられた……今でもムカつきが収まらない」
「イザナは春雪さん一筋やからねぇ……」
案の定イザナさんはこんな時期からすでにこんな感じらしいです。
なるほど運命の人ですか。こんな時からこの調子ではそういう妄想を抱いても仕方がないですよね。
「そうに決まってるでしょおばあちゃん。私はユキくん一筋。
でも血は争えないからね……おばあちゃんの血筋の女と一族の男は惹かれあう。
だからなっちゃん、大きくなっても私のユキくんをとらないでよ?」
卑しいと言いましょうか。さもしいと言いましょうか。
イザナさんは妹、もしくは近い親戚の夏樹ちゃん(しかも七歳ぐらいの)に対して釘を刺しました。
おそらく澄谷さんや桜井千春さんにも同じように釘を刺してあるのだと思います。
私もこういう図々しさ、必死さは見習いたいと思います。
それに、彼女の愛情の一途さは尊敬に値すると思います。
それ以外の部分に関しては軽蔑しますが。
イザナさんに脅された夏樹ちゃんは露骨に怯えます。
「ごめんなさいお姉ちゃん……ユキくんって誰か知らないけど近づかないから……」
「それがいいわ。私のユキくんには誰も近づかせない」
「全くもう、夏樹を恐がらせるなっていつも言ってあるでしょ?」
「ごめんなさいおばあちゃん」
結さんにだけはイザナさんは割と従順。
でも年齢の割にこの隙の無い印象のある四宮イザナという絶世の美少女に対し、私は『凶暴』という印象が拭えません。
もし私が神野さんでもこんな運命の女性とは付き合いたくありませんね。
凶暴なうえ、自分に変な幻想を抱いていて求めて来る理想も高そうです。
彼女の前で気を抜いて弱い姿を見せたり、甘えちゃったりしたら勝手に抱いていた幻想と食い違いが生じて彼女に幻滅され、怒られそうです。
「でも確かに運命よね……春雪さんには去年まで鳰とかいう子が側に。
でもあの事件で失って……今はもう全くの独りだし」
「いや。おばあちゃん。まだいるでしょ、澄谷とか、桜井とかいう子が。
許婚だって聞いたわ。排除しないと。ねえそうでしょおばあちゃん。
鳰とかいう子はきっと私のお姉ちゃんが排除してくれた。
あの子達もきっと運命が排除してれるはず!」
「はいはい、聞き飽きたってそれは」
もう今さら結さんがイザナさんから『おばあちゃん』と呼ばれてるのはこの際いいです。
お姉ちゃんってどういうことでしょう。他に四宮家の人が居るんでしょうか。
「おばあちゃん、私とユキくんがくっつくのは望み通りなんじゃないの!?」
「そんな興奮するくらいだったら中学、春雪さんと同じところにする?
イザナぐらい可愛い子に好き好きって迫られたら、たとえ初恋の女の子を目の前で失ってまだ二年しか経ってなくても落ちるんじゃないの?」
正論を言われたイザナさんは途端に口ごもります。
「今はその時期じゃない。ユキくんは傷心だし恋愛する気分じゃないと思う」
何を照れてるんでしょうかこの人。こんなにも恥知らずなのに。
七歳の子供にすらユキくんに手を出すなと脅し、結さんに呆れられるほど恥知らずなのに。
「まあイザナがそれでいいなら、おばあちゃんもそれでいいけど……」
間違いなく、私の気持ちと結さんの気持ちはこの時完全に一致しました。
呆れたのでもう話す事も無い。そういう感情です。
「でも中学で春雪さんに彼女出来るかも?
あの人絶対モテるわよね。男前やものね」
男前ってあなたね。多分関西人ですが、関西の女性は普通に言うんでしょうか、わかりません。
結さんに意地悪言われてもイザナさんは動じません。
「いや……別に私はそれでもいい。運命に引き寄せられる私達一族ならともかく中学で出来た彼女ごとき、いつでも追い落として奪い取れる。
私はそれだけの美貌と彼が惹かれる匂いを持って生まれてきたんだから」
まあ確かに、イザナさんが神野さんの中学で出来た彼女ごとき簡単に蹴散らせるほどの美少女であるというのは、客観的事実です。
しかし匂いとは。やはりこれで決定的みたいですね。
どうやら結さん及び彼女の親族は四宮家と複雑な姻戚関係があり、血が混じっている。
複雑な家系図のため、若々しい結さんのことをイザナさんがおばあちゃんと呼んでいるのです。
そしてまた、結さんの血が混じった女性は神野の男性と引き付けあう。
これで決定的ですね。十中八九、この結さんの夫の会長というのは神野幸村。
つまり神野春雪さんのお父さんです。生きていたんです。
あの十歳の時の事件で生きていた彼はここに来たんです!
鳰ちゃんの行方を知っているのはこの会長をおいて他にいないはず!
また、四宮夏樹ちゃんというのは結さんと幸村さんの間に生まれた子供です。
そして神野の男と惹かれあう結さんに連なる血統の女性であるため、実兄である神野さんにとてもよく懐いている。
下手すると、近親相姦の願望を抱いていてもおかしくはありません。
この推理はほぼ確実に当たりでしょう。
もしかすると多少真実とズレはあるかもしれませんが、間違いなく大筋では合ってるはずです。
「あのー、お茶はいったけど?」
と肩を結さんに揺すぶられ、私は目が覚めて現実時間に戻ってきました。
「ああ……ありがといございます、頂きます」
まさか毒が入っているはずもなく、遠慮なしに頂きます。
「過去、見えたかしら?」
「ええ。あなたに聞きたいことは山ほどありますが、とりあえず一つ。
あなたの血筋に連なる女性が神野家の男と惹かれあうのは本当ですか!?」
「もちろん本当よ。ただ神野家だけじゃなく四宮の男もだけど」
「そうですか……」
「そこの春雪さんも私を抱きたくてムラムラしてるはず……違う?」
「まさか。あんたみたいに体の小さい人はちょっと。
僕はロリコンじゃないんで。自慢じゃないですが、僕は健全ですよとても。
健康的で豊満な体の大人っぽい女性が好きです。僕はとても健全です」
神野さんの性癖暴露に私は何も言いませんでした。確かにロリコンよりはマシです。
十二歳の妹さんの発育さえ良くなければ過ちを犯さずにすんだんですが。
でも、牛の神様を祖先にもつ神野家に生まれた以上妹さんの胸が大きくなるのはある種宿命でしたからね。
中学生だった神野さんが、大きくなっていく妹さんに、鳰さんの面影を感じて、つい抱きたくなったことは間違いないでしょう。
「いやいや春雪さん。あんたはこう思ってる。
体は問題じゃない。精神的に大人の女性であれば体は問題じゃないと」
「……まあそうかもしれませんね。しばらく彼女には過去を見ていてもらいます。
居るんでしょう、あの子。夏樹ちゃん。その間に会ってみようと思いましてね」
神野さんは結さんのことを相手しないと決めたようです。
「もちろん。まあしばらくは訓練期間かな。
母親の私も能力出はじめの頃はそうやって失踪してたわよ。
私の場合拾ってくれた男性と結婚して、それが運命だと悟った。
あの子はあの子で春雪さんに拾われた。血は争えないわね」
十三年前に失踪した幸村さんに結さんが拾われたとして、あなた何歳ですかという話になります。
その三年後くらいには夏樹ちゃんを産んでいるはずですから、十三年前に十八歳と仮定すると現在三十一、二歳でしょうか。
うーん、三十代どころか、八歳か九歳ぐらいに見えてしょうがないです。正直言って。
そもそも能力発現は世界記録でも十七歳。それ以上遅かった人はいません。
なら、もうちょっと若く見積もれそうな気はしますね。
どっちにしろ夏樹ちゃんを妊娠したのは十年前ですから三十歳以上のはず。
そもそも、本当にあの子の母親が結さんかはかなり微妙なところですが。
「夏樹ちゃんとですか。まさか結婚はしませんよ。
そもそも感覚的にわかることがある。あの子は妹か、そうでなくてもかなり近い血筋だ」
「神野家も四宮家も、自分たちの血を外に出さないために近親結婚が多かったのよ昔は」
「昔はでしょう。そんな話をしにきたんじゃない。会わせてもらいたいですね、早く」
「わかったわ」
結さんは割と簡単に神野さんの言うことを聞くと、馴れ馴れしく手を引いて二階まで彼を案内します。
「やれやれ……底の見えない人ですね」
私は結さんのことはすでに初対面で嫌いになりました。
気にせず捜査を続けます。もう少しイザナさんのことを追ってもいいんですが、当初の予定はそれとは違います。
私達の当初の予定はあくまで神野さんの昔の姿を見ること。
そして彼の妹さんが、どうして神野家に拾われたのかを探ることにあるんです。
妹さんは十二歳の今年中学一年生になったばかり。
次の誕生日で十三歳だと言っていました。誕生日は九月頃です。
ここで疑問が。誕生日って何故わかったんでしょう。親の情報もなかったはずでは?
これはカンですが、看護師として働く神野さんのお母さんは拾った身元不明の子供をだいたいの感覚で生後何ヶ月か判断したのではないでしょうか?
とりあえず九月頃を見てみましょう。どうやら九月頃というのは神野さんがこの家に引き取られて間もない頃のようです。
何しろ三歳の神野さんは控え目に言っても天使のようにカワイイので彼のご両親も引き取る事には乗り気でした。
彼は愛想を振り撒き、自分が可愛い事も理解していますが、どこか寂しげ。
もちろん産みの親を失ったんですから当たり前です。
でも何かそれだけではなさそうな様子。彼は寡黙な子供でした。
夜、寝るときには指をおしゃぶりしながらこう言って泣いてました。
「パパ……おねえちゃん……」
神野さんは、見えないお姉ちゃんのせいで母親と離れ離れになったにもかかわらず、相変わらずお姉ちゃんが好きです。
見えないお姉ちゃんと会えない寂しさがあるんでしょう。
そのお姉ちゃんは正体不明な事この上ないですが、果たして見つかる日は来るのでしょうか。
そんな生活が続いたある日の夜。十月になった頃のことです。
ご飯時の午後二十時頃のことでした。
珍しく、というより初めて神野さんはお母さんに話しかけました。
「ねえ、お母さん」
神野さんは昔からこの女性と付き合いがあったのに、もう順応してお母さんと呼びました。
ずる賢い子です。人に取り入るのが実に巧妙で上手いです。
当然初めてお母さん呼びをしてくれた新しい天使のような可愛い息子に、お母さんは胸をドキドキさせて答えました。
「ユキくん、どうかしたの?」
「クリスマスプレゼントってなにがほしい?」
思いもかけない質問でした。私もお母さんも面食らいます。
「……クリスマス?」
「おねえちゃんがゆってた。クリスマスにはプレゼントをもらうって」
「ふふ。強いて言えば女の子が欲しいかな? 男の子はもうユキくんがいるもんね?」
あの、お母さん。大人はプレゼントもらわないって言っといた方がいいですよ。
「おんなのこ……? じゃあおねえちゃんにゆっとく」
「おねえちゃんに?」
「うん。ぼくもおかあさんとおなじプレゼントおねがいするね」
「ありがとう。ユキくん妹欲しいの?」
「うん。おねえちゃんもおなじことゆってた。
おとうとはぼくがいるから、おんなのこもほしいって」
「そ、そう! おねえちゃんもねぇ。うふふ」
お母さんは無理して合わせ、お父さんは何も言いません。
嫌な予感がビンビンです。一緒にいたお父さんもお母さんも怪訝な表情でお互い顔を見合わせました。
三歳の神野さんは親の心配をよそに上機嫌で夜ご飯を食べ、歯磨きして寝ました。
それからおよそ三ヶ月弱が経過した頃、事件は起きました。
クリスマス当日の深夜。寝室で三人、川の字になって家族は寝ていました。
そんな中、忙しい医者のお父さんを起こすような騒音が。
赤ちゃんの泣き声です。この家に赤ちゃんがいるはずがありません。
しかし、確実にすぐ近くで声がします。
恐る恐る布団をめくると、やはり。これが女の子、つまり妹ですね。
「首が据わって……かろうじて生後三ヶ月というところかしら……」
暗い寝室でお母さんは丸裸の赤ん坊を抱っこした感触で判断していました
「そうじゃないだろ。起こさないと。おい春雪、起きろ!」
冷静に怒っているお父さん。
起こされてイラついているのもあるとはいえ、やはりこの赤ちゃんの対応への苦慮がこのクールな怒りの要因でしょう。
「んん……?」
起き出した神野さん。お父さんは厳しく詰問します。
「どうしたんだ、この赤ん坊は!?」
「やった。プレゼントだ! サンタさんありがとう! たいせつにするね!」
神野さんは見たこともないほど明るく満面の笑みを浮かべると、泣いている赤ちゃんの頭をさすりました。
すると何故か泣いていた赤ちゃんは泣き止み、指をしゃぶりながら寝息を立て出したのです。
異常。すべてが異常です。有り得ない事です。赤ちゃんが急に出現して来るなんて。
ご両親もあまりのことに立ちすくみ、声も出ません。
「あかちゃん、おんなのこかな?」
「ええ……そうみたいだけど……」
「だからそんなことを言ってる場合じゃないだろ。
この赤ちゃんをどこから持ってきた!? どういうことなんだ!?」
「しらない……あかちゃんってどこからくるの?」
「ぐっ、そ、それはだな……」
大人に効く一言。これを言われると大人は口ごもるしかありません。
神野さんは赤ちゃんというのはこうしてどこからともなく出現するものだと思っており、クリスマスプレゼントで赤ちゃんがやって来たことに何の疑問もないのでした。
「あなた、ここはやめておきましょ。明日も早いし私がこの娘を見とくから」
「仕事は休めない。悪いが全部任せた。今は……すこしでも……寝たい」
お父さんは赤ちゃんと同じように一瞬にして寝息を立て出しました。
「あかちゃんとねていい?」
「ダーメ。今からお世話をするからユキくんは寝ていて。
子供は夜更かししたらだめって教えたでしょう?」
「わかった……」
不服そうに神野さんは眠り、お母さんは自分の生理用ナプキンを使用して代用おむつを赤ちゃんに履かせます。
神野さんは三歳からこっちに来たのでおむつは必要なかったんで、ストックなかったみたいですね。
まあ個人差はあります。人によっては相当大きくなってもおねしょする人もいるらしいです。
ともかくおむつがなくてもナプキンなら吸水性はバツグンですもんね。前にこういうことをしたことあるんでしょうかお母さん?
この知識、私は多分使う事はないと思いますが、一応覚えておきました。
翌日から神野さんは妹を猫可愛がり。親の心配や恐怖など知りもしません。
赤ちゃんにいっぱいキスをして、お母さんが大急ぎで深夜に買ってきたミルクなんかも、苦労も知らずにあげていました。
お母さんは寝ずにこの日は仕事を休んで警察に赤ちゃんのことを相談します。
それによると一定期間赤ちゃんの親を名乗る人や引き取り手がない場合、乳児院行きが確定するとの事。
ここで大きくなり、引き取り手がないと児童養護施設へ。
もちろん警察の捜査は入りましたが怪しい点は全くなく、ご両親は無罪放免となりました。
神野さんは赤ちゃんが家からいなくなってしばらく不機嫌でしたが、ようやく妹が戻って来るとやっぱり愛情込めて接するようになり、機嫌も戻ってめでたしめたし。
結局親は見つからず捜索願いも特になし。
正直この神野さんの妹さんが本当は人間なのか、親が存在するのかどうかさえ不明瞭ですよ。
彼が妹が欲しいと幼心に願った結果、超常現象が起こって彼の女の子版のクローンが誕生したんじゃないか。
妹じゃなくて娘じゃないか。そんなことも考えた私でした。
神野さん四歳、妹さん一歳の頃、とある事件が起きました。
近所に住んでいた桜井千春さんが家に遊びに来たんですが、二人が喧嘩を始めたんです。
二人の母親が仲裁し、話を聞いてみるとどうやら千春さんが赤ちゃんを抱っこするしないの話になり、神野さんが独占欲を発揮して妹を渡さなかったため喧嘩になったとか。
ただでさえ小さい頃は身体能力で男女差が小さいもの。
しかも神野さんは早生まれでした。一方桜井千春さんは名前の通り春生まれ。
同じ春生まれでも四月上旬生まれの彼女と三月下旬生まれでは天地ほどの差。
文字通り丸一年近い差がある二人、恐らく神野さんが千春さんの背丈を追い抜いた時など一瞬たりともなかったでしょう。
千春さんとの喧嘩で神野さんが勝てるはずもなく泣かされたのは彼の方でした。
早生まれの悲哀ですね。神野さんが早生まれのせいで同い年のみんなについていけない劣等感を植え付けられなかったのは不幸中の幸い。
むしろ彼、中学の間になにがあったか知りませんが、高校一年の一学期の時点でそんなハンデがあるように全く思われません。
背は高い方ですし、成績は常にトップ。
発達の遅れどころか自分の資質が高いのをいいことに、人を見下すまでになってました。
もし遅生まれだったら一体どんな傲慢な人になっていたことでしょうか。
早生まれでよかったというところでしょうか。
まあその話はこのくらいにしておきましょう。
保育園児だった頃の話はいいです。彼が小学校へ上がり、二年生になってからしばらくしてからでした。
彼が学校から帰ってきてお母さんを魔っていても待てど暮らせどかえってきませ。
そのうち、彼のもたされていた緊急連絡用の携帯電話にお母さんから着信がありました。
「ごめん、お母さん遅くなるから……」
「今どこ?」
「病院。六花が骨折したの。もうちょっとで帰れると思うから待っててくれる?」
「うん……」
しばらくしてお母さんと一緒に帰ってきた妹さんは右足にギプス姿で、それでも平然としていました。
確か遊具で足が折れたんでしたよね。そして、痛みを感じない体質らしいです。
それからお医者さんのお父さんも帰ってきて、子供たちを寝かせた後でこっそり言っていました。
「シーソーに足が挟まれてねじ切れそうになったんだって。
もう、二度とみんなと一緒に走ることは……」
「歩けないのか?」
「回復したら歩けるようには……でも今後もこういうことは起こりつづけるかもしれない。
仮にもし、私たちが目を離してしまったら……痛みを感じない体質なの」
「無痛症か。そういう子供を何度も見たことがある。
むしろ一番危険なのは痛みがないため知らずにケガや病気になることじゃない。
他人の痛みを知らない人間に育ってしまう可能性だ。
共感力の欠如。共感力がなければ、もはや人間とは呼べないものになってしまうだろう。
よくホラー映画なんかに出てくるような奴は、偏見が少々行きすぎだがな」
「あの子の異常な出自に何か関係が……? あの四宮結とかいう女が養育費にってお金を持ってくるけど、それも関係が?」
「考えられない。向こうも知らなかった事だろう。
あの子は間違いなく、春雪の側に突然出現した。
あいつの父親が突然蒸発するようにして失踪した事と、女の子が突然出現したこと。
正反対の二つの現象には関連性があると見て間違いない……そして、無痛症の女の子をわざわざ人に育てさせるなら、金も渡さなければいいだろう?
厄介払いが目的なら知らんぷりしていればいい。だから考えられない!
いいか。とにかく一度引き取ると決めた以上、俺達には責任がある。
あの子を無事に育てて、真っ当な人間にする義務もな」
お父さんはいい人です。そして小児科専門のスーパードクターですから非常に頭も切れますね。
そう、お父さんの失踪と妹さんの出現は根源的には同じものでしょう。
そうとしか考えられません。
「それには……ユキくんに負担をかけてしまうかも……」
「まあいいんだよ男は。早いうちに責任感というのを植え付けておいた方がいい。
俺の持論だが、お兄ちゃんという仕事は男の成長にいい影響を与えると思う」
「そういうあなたは末っ子じゃない」
「ははは」
神野さんがいつもやっているように、このお父さんも頭をかいて笑ってごまかしました。
これは遺伝というより、親のしているのを真似しているということらしいですね。
それから妹を可愛がるのではなく、守ることが神野さんの使命になりました。
そんな危なっかしい妹さんも小学校に上がり、神野さんも三年生。
このくらいの時期に鳰さんと出会ったようです。




