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ボーイとガールがミートして  作者: ニャンコ教三毛猫派信者
LOG 1
22/75

五月二十一日・結

「神野さんが一番信用できる理由は、私の力を必要としているから、私を狙う悪者から絶対守る必要がある……って事ですね」


「そうだな。今後事件については当然既に二人の行方不明者の居所、及び神野家について調べているが……早く帰ってきなさい」


「はい、ではまたのちほど。ミッションクリアーですね」


私の心臓がひどく脅かされたのは電話を切った直後でした。


「君に会えて本当によかった」


突然ユキくんから飛び出したその言葉に私は体ごとのけ反ってしまいました。


「えっ、何ですか急に!」


「心の底からそう思う。ありがとう」


「だから一体どうしたんですか?」


「この力が憎い。鳰を殺し、父すら殺し、必要のない隠蔽の罪を千春や、君のお父さんに背負わせてしまったこの力が」


「ええ……そう、でしょうね……」


「焼けくそで足掻いていた。この五年。やっと見つけた君をこの力で守る事が出来た。

僕の心にはそれが甘い薬だよ。ただ君を必要だからばかりじゃない。

呆れるほど優しい君を、憎んでいたこの力が守る事が出来て本当によかったと思う」


「あ、はい……ありがとうございます……」


としか言えませんでした。照れてしまって。

にしてもどういう心変わりでしょうか。ほんの何分か前まではあんなに私に牙を剥いていたユキくんがこんなことを言うなんて。

情緒不安定です。それとも私に対して悪いと思っているんでしょうか。


「悪いと思ってるよ。声を荒げて悪かった」


「はい……気にしてはいませんよ。あなたの気持ちはわかりますから」


「ありがとう。瞳、これで事件は解決した。だから約束通り言うよ」


ゴクリ。私が卑しいほどにこれから先のことを期待して生唾を飲み込んだ音が、至近距離にいるユキくんに聞こえはしないかと不安になりつつ、彼が言葉を次ぐのを待ちました。


「初めて君を見たときから好きだった。僕の恋人になってほしい」


「残念!」


私は、こう答える事に最初から決めていました。


「残念……?」


「残念でしたね。言われなくても、もうなってますよ……それこそ初めて出会った時から」


こう答えると私は決めていました。私の心は今思えば最初から決まっていたんですから。


「そうだったらいいなって思ってたのに、そうか。もうなってたか。

それなら仕方がないな。瞳、帰ろう。君と一緒のところに帰りたいんだ」


今ので確信しました。ユキくんは全然女の子になんて興味ない風でいて実は相当遊んでいるのではないでしょうか。

異性にこんなこと面と向かっていともたやすく言える男の人なんて、相当に女慣れしてるはずです!


「あなた昨日今日知り合ったばかりでもうそんな事を……」


「これは僕のわがままだから……」


ユキくんは私と一緒にさらにビルへの道を歩きながら話を続けます。


「僕は今回の件で確信したことがある。いや、君も確信しただろう」


「なんです?」


「僕の身を守っているのは一族の人間だ。そう思わないか?」


「そうでしょうね……そうとしか思えません」


「そして同時に僕の身を操った奴も居る。何の目的か……鳰と父を消し飛ばした」


「なんの意味があるんでしょうね……」


「僕は大体の予想はついてるが……よし着いたね……」


ユキくんはこうやって自分が頭がいいのをひけらかす所がある気がします。

まさか私に見栄を張って嘘をついているはずがありませんが、特に予想を話してくれる様子がありませんでした。


「あのぉ、聞きにくいんですけど、どうして話してくれないんです?」


「君は刑事の娘なんだろ。それが人に答えをすぐ聞いちゃだめじゃないか?」


「セイロンですね……」


「紅茶飲む?」


「ええ、また後で。そういえばあのクイズってどこから出てくるんですか?」


本部ビルに着く前に聞いてみると意外な答えが。


「自作だよ。本とかで読んで仕入れたのでよければ他にもあるけど」


「へえ、たとえば?」


「じゃあ問題。建物に入るからわかったら小声で教えてね。

足湯とかけまして、爆破ととく。その心は?」


「足湯ですか……」


私に考えさせながら、ユキくんは県警本部へ足を踏み入れます。

彼は警備をしている警官に会釈し、エントランスのソファに二人で座って、しばらく回答を待ってもらいます。


「あしゆ……あしゅらマン……ああいや違う……」


「君の知識の偏りはなに……?」


「えー、あの、わかりました。答え言ってもいいですか」


「足湯とかけまして爆破ととく。その心は?」


「どちらもふっとばす、でしょう」


「そうだよね、正解」


「というわけで。覚悟はいいですね……父と話す覚悟は。

私との時みたいに怒鳴ったりしないでくださいよ。その度胸があればの話ですが」


「もうしないって……僕は君の恋人で、あの人にとっては恩人だからね」


ユキくんは言葉で私を安心させる術に長けた詐欺師です。

彼は私と一緒に階段を昇り、エントランスからもう二階に見えている回廊を少し進んで左側にあるドアの前に立ちました。

私がドアをノックすると、壮年の大柄な男特有の低い声が響きました。


「入りなさい、二人とも」


「失礼します、パパ」


トントンよりこっちの方が反応がいいので、機嫌を取りたいときは私はパパと呼ぶことが多いです。


「失礼します」


ユキくんが私に続いて入ります。窓が閉め切られ、ブラインドが閉まった上に更にカーテンがかけられた閉鎖的な一室に二人で乗り込みました。

机についてこっちを向いている父は、ユキくんにだけ向けて言いました。


「本部の人間だが、全員に娘とその友達が来ると伝えてある。

ここまで来るのに苦労はしなかっただろう」


「はい」


「かけなさい」


父がこっちを向いて座る椅子と机の前、部屋の真ん中に低いテーブルが父に対して直角に置かれています。

私はテーブルに沿って設置されたソファに座ると、ユキくんは反対側に座り、私のとなりに父も移動してきました。

ユキくんは特に緊張してる様子はなく、だされたお菓子やお茶を遠慮なく飲んでいます。

私や妹が同級生の男性を父に会わせたら目も合わせてもらえず、また二度と来たがらないといった事が昔何度かありましたが。

しばらくの沈黙の後、父が言いました。


「お互い自己紹介は必要あるまい。要件だけを話そうか。

今日、瞳は君が巻き込まれた事件を捜査したのだね?」


「はい、そうですが」


「君が女の子と、父親を名乗る男を殺した。ちがいないな?」


「そう……だと聞いていますが記憶は……」


「あの黒い煙はなんだ?」


「僕の能力です。あの能力に触れた物質はこの世から消滅します。

二人が消えたのは……恐らくそのせいだと思います。

そしてあの時の男は父で、同じ能力で二度飲み込まれました。

でも父は一度目は生きていたんですから、あの事件で二人が今も生きている蓋然性は高いと考えています」


「ふむ。結論から言うが、私はあの男は空間系の能力の使い手ではないかと睨んでいる。

父親なら君の能力を知っているはず。削り殺される前に空間系の能力で女の子を連れ、逃げた可能性がある」


「え……そうなんですか?」


「根拠はある。まず、あの遺された手は井上鳰ちゃんのもので間違いないが、切断面が綺麗すぎるんだ。

それに彼はどういうわけか公園に突然現れたのだ。

そして、その前の痕跡をたどろうとしたが一切ない。

つまり、突如としてそこに出現した事になる。時空間系と見るのは妥当だろう?」


「そ、そうなんですね……でも何故、事件を捜査なさらなかったんです?」


「もちろん発生翌日には捜査に出たわけだが、その日のうちに今言った情報は掴んだ。

つまりそれから何一つ進展せず、手がかりはないのだ」


「そんな……お二人に解決できないなら、他の誰にも解決できないじゃないですか!

僕は誓ってやっていません。本部長閣下も僕とお嬢さんが同じ学校になるというのはご存知だったはずです。

なのに引き離そうとなさらなかった。それは僕のことを信用して下さっているからではありませんか!?」


「落ち着きなさい」


父はブルーベリーのアメを口に入れました。

目を酷使する仕事だから食べているのです。

いつも大量にここに常備しているので私もいくつか頂きました。

それこそユキくんになつくリスのようにほっぺを膨らませて私は可能な限り静聴します。


「話はまだ終わっていない。君を信用したのは確かだ。それには理由がある」


「それは……?」


「今話す。いいか、私は君に興味を抱いた。この事件の解決の鍵は君しかないと確信したからだ。

そこで君についてを徹底的に調べ、以下の事がわかった。

まず、君の現在の父である医者の神野氏だが……」


「はい」


「三○歳のときに、つまり君が生まれる前に今の妻、当時二十五と結婚している。

二人は大学の先輩後輩。大学時代からの付き合いだそうだ」


「え?」


「え?」


私もユキくんも、聞いていた話と食い違う事に気づき、思わず聞き返しちゃいました。

しかも、予想していた構図とも異なっています。どういうことですか全く。


「君はその一年後。父である神野幸村と生母との間に生まれている。

名は春に珍しく雪が降った日に生まれたので、春雪と名付けられた。

ついでに言うぞ。君の現在の母は神野由里子さんだな?

彼女が最初に不妊治療を受けたのは三十五歳のとき。

自然妊娠が難しい事がわかったようだ。これがどういうことわかるかね?」


「え」


「彼女が三十五歳までは、医療機関での自分の生殖能力に関する詳しい検査経験がなかったということだ。

より具体的に言うと、産婦人科にまともに世話になった事はないということ。

この時にはもうあの夫婦は君と君の妹を引き取って育てている。

つまり、あの夫婦は、君の妹の医学的な親でもないということだ」


「妹は拾った子供のようですが、明らかに僕の一族です。

見た目が似ていますし……どこから湧いて出たんでしょうか」


「ふむ……それが記録に残っていない。君の言う通り拾ったと思われる。

警察に届け出たあと、一定期間の間に子供の親が現れず、二人の希望で乳児院行きは免れ、女の子を引き取る事になったようだ。

血縁関係、身元、一切不明。これに関しては事件に関係ない事なので私も捜査はしなかった」


ああ、あの。通院していると言っていた妹さんですね。

一度神野家に入りましたが影も形もありませんでした。

妹さん。がぜん会ってみたくなりました。


「そうですか……他に何か調べたんですか?」


「おや、君はそれほど驚かないのだね」


「瞳さんと捜査を重ねて、どうやら妹も僕も両親の実の子供じゃないって事は掴んでいましたから」


「そうだったな。ではさらなる事実を君に告げる事にしよう。

私が次に追ったのは君の両親だ。彼と妻は何一つ汚点のない人物だ。

夫は医学部を卒業後医者になり、重大な医療ミスも記録にないようだ。

一方妻は看護師。彼女も学生時代から今に至るまで犯罪歴やトラブルに巻き込まれた経験はない。

君や妹を引き取るなど、人格的にも素晴らしいご夫婦だと思う……隠し事は多いがね。

逆に残念なのが君の実の両親だ」


「両親が、どうかしたんですか?」


「君の父親だが、弟と同じく医者をしていたことがわかっている。

だが若くして死んだので、どのような医者だったかはわからなかった。

経歴は特筆する事はない。この辺が地元で、神野家は名士と言える旧家だ。

そこの息子だった彼は小中高と偏差値の高い学校に進んだ。

ルックスもよく、高校在学中ファッションモデルとしていくつかの雑誌に出ていたほどだ。

当然、派手な性格でいわゆる仕切り屋。

部活の部長など、何かのリーダーになることが多く、典型的なスクールカースト上位層だな。

しかも親が医者で自分も医者の卵。調子に乗らない方がおかしいくらいだ。

妻は例によって高校時代からの付き合いだったそうだ。

医者になった彼と結婚して主婦になるが、育児うつになって離婚。

以後、この女性は神奈川県で再婚している事が判明している。

君との親子二人暮らしが始まった直後、父親が失踪するという事件が起きている。

これが君が二歳の時の事件だ。君の周りで二度も失踪事件が起きているんだ。

父親は以後、失踪認定され、法的には死亡している」


「でも生きてるんでしょうね、どこかで……」


「うむ。その時の顛末は知っているのだったな。私が得た情報はこれで全部だ。

神野くんだったね。君は瞳と捜査をする上で何か有力な情報を得たかね?」


「はい。どうやら鍵を握って居るのは四宮結という女と、その娘、四宮イザナ。

戸籍関係を調べてもらえれば次の手がかりが見えてくるはずです」


「戸籍か……なら今すぐにでも調べられる。私にはその権限があるからな」


「え!? そんなことまで出来るんですか!?」


「ああ。四宮イザナだな。この日本に、おいそれと同姓同名はいないであろう名前だ。

私には特権が与えられているからな。見ろ、四宮イザナだ」


ユキくんはパソコンを操る父のデスクの方へ。私も見えませんけど一応横につきます。

親切な父は私にも聞こえるよう声に出して戸籍情報を教えてくれました。


「四宮イザナ、十五歳。誕生日は十二月六日。二〇〇〇年生まれ。

妹の名は四宮ナギ。三歳下の九月十日生まれ。産後すぐ死亡。

母親は四宮結。父親は四宮幸村。驚いたな。神野くん、どう思う?」


「予想はしてました。驚きはありません。瞳、どう思う?」


「私も驚きはありません。パパ、四宮家というのが相当に重要なファクターなんです!」


「ふむ……続けるぞ。この女の子は、大阪の三嶋というところの生まれで医者の両親を持つ。

上流階級と言える出自だが両親に捨てられており、四宮結と幸村に引き取られた。

その後の足取りもすぐ掴めた。しばらく東京に住んでいたようだが、十歳のときに秋田県に引っ越している。

驚いたな。そしてまた二年後にはすぐ東京に家族で移り住んでいる。

中学は君達と同じ学園の中等部だな。そしてそのまま高等部へ進学したんだろう」


「何故そんな目まぐるしく移動を……」


「変な人ですねその人……」


「妹の四宮ナギは死亡。しかし遠縁の四宮結に五歳の頃引き取られた。

四宮結と幸村の一人娘が四宮夏樹。モードの報告にあったが、どうやら君の妹である可能性が極めて高いようだね。

この女の子と普段一緒に暮らしているのは確かなようだな。

だがこの四宮結と四宮イザナ、それに夏樹という三人の女に何か意味があるのか?」


「戸籍ではわからないことですが、僕と彼女は許婚です。

かなり遠縁でしょうが僕と彼女は血縁らしいです。

そして、その結婚を仕組んだのが四宮結。絶対に何かあります」


「そうか。この件について情報を知っているのは君も会ったと思うが……鈴木警部のみだ。

彼女に調べさせておこう。今日は安全のために本部ビルで泊まってもらおう。

シャワー室も地下三階にある。以上だ。それと瞳」


「はい?」


「お前の書いているログは全部見せなさい。モードは見せてくれたぞ?」


「いいですけど、絶対ユキくんには見せないでくださいよ!?」


「そんなことはしない。私も年頃の子が自分の書き物を異性に見られたくない心理はわかるぞ」


「絶対ですからね! じゃあ行きましょうか?」


「うん……では本部長閣下、失礼します」


「ああ」


「それではパパ。お仕事頑張って下さい。私たちは下に居ればいいんですね」


「ああ……」


私たちが部屋を出た直後、階段を降りながらユキくんが胸を撫で下ろしました。


「ふぅ、中々貴重な体験だった」


私のほうも一息ついて階段を降り、エレベーターに向かいました。

二階にあるエレベーターを使ってもよかったのですが、私はこちらを選びました。

単純に遠かったので。しかし今日はここでユキくんと二人で一晩過ごすかと思うと帰るのが億劫ではあります。

エレベーターに乗っている間も無言ですし。しかし、例の地下三階に到着した途端、神野さんは信じられないことを言い出しました。


「ひとつ、わがままを聞いてくれる? もうこれで最後にするから」


「なんです?」


「キスさせてほしい。エレベーターなら監視はない」


「そうとも限りませんよ?」


「じゃあシャワー室では?」


「二人で一緒にシャワー室入るところカメラに撮られたら結局同じ事じゃないですか!」


「じゃあどこがいいかな……いや、何でもない。忘れて欲しい」


「そもそもこのことはログに書きますからね。パパも見ますよ?」


「それでも構わない。でも何か、証が欲しかった。

思い出として。それでも嫌かな?」


「嫌ですよ、初めてのキスを人に見られるなんて」


「それもそうだね。やっぱり忘れて……」


ユキくんはすごく寂しそうな、とても哀れっぽい態度で口を閉ざしました。

演技ですよね絶対。彼は悪い人ではないですが、こうして計算高い態度を取ることがあります。

しかし計算高いといっても、彼がどういう精神状態でキスしたいと言い出したのかはわかりませんでした。

もし私の目が見えないのをいいことに突然不意打ちのように唇を奪っても私は結局、怒ったりなんかしないのに。


私は深刻に困惑して地下三階へ降り立ち、特に何もすることはないのに、ソファに座りました。

すると何も言わず彼も私の隣に座り、しばらく沈黙が続きました。


「……」


私は無言。何を言ったらいいかわかりません。

決して緊張しているわけじゃないんですが、何もいうことがありませんでした。

すると、黙っている私にユキくんが突然語り出しました。


「最初はただ利用するつもりでいた。だから礼を言うなと言ったんだ、あの時」


覚えているでしょうか。最初私たちは誘拐現場というなかなかヘビーな状況で出会いました。

とりあえず状況も上手く飲み込めていないまま、私は命を助けてくれてありがとうございますとお礼を述べました。

彼は苦しそうに言ったんです。礼は言うな、頼むからと。

それは私を利用するつもりでいるのに、ただ私の方からの純粋な感謝をぶつけられると罪悪感が彼の心を呵責したからでした。


「初めて出会ったときは、そうでしたね……」


「嘘の態度で君を安心させて利用して終えるつもりでいた。

でも段々君を好きになっていた。自分でも気付かない内に。

そしてさっきだ……君はその優しさで僕に隠そうとした。無理とわかって。

僕が怒って牙を剥くこともわかって。その優しさがふと、とても尊いものに見えたんだ。

この人には幸せになってほしい。純粋にそう思った」


口ぶりがやはりおかしいです。普通男の人というのは女性を幸せにしようと躍起になるものだと私の好きな小説で学びました。

男性は、愛する女性のためなら命も懸けられるし、二人の幸せのためなら何も苦痛ではありません。

しかし、その愛する女性がもし他の男性の手によって幸せにされるのを見ているくらいなら、不幸になってくれたほうがまだマシだとも思うものです。


従って、ユキくんの言う台詞は「この人を幸せにしたい。純粋にそう思った」が適切のはず!

まるで自分の手で幸せにすることを諦めているかのような口調に私は滅多に怒りませんが、怒りを覚えたのでした。


「男なら男らしくビシっと言ってくださいよ。お前は俺が幸せにする! みたいな!」


「君はそういうのがタイプか?」


「ええ。ラテン系なので、ラテン系な男性が好きですね」


「そうか。僕とは真逆だな。僕にはまだ言っていない秘密がある。

ここまで来た以上言わなくてはいけない」


「ここまで来た以上?」


「ああ。僕と君が恋人同士だと、付き合っているのだから他の人と関係は持たないと、そう約束した。

だから秘密を話すよ。今だから言える。僕は妹と肉体関係を持ったことがある」


衝撃の爆弾発言でした。私は冷静に聞きます。


「く……詳しく聞きたいです」


つまり、自分は妹とそういうことをして、今も一緒に住んでいるのだから、そういうことをもう一度する可能性は十分あるぞ、と言っているんです。

彼の言う恋人同士とは、他の異性と肉体関係を持たないということ。

ここに来て初めて言わなければならなくなったというのは、実に論理的な展開でした。


「妹は三歳下で、よくケガをする子だった。何故かわかったのは五歳の時。

幼稚園の遊具でケガをして骨折しても平気な顔をしてた。痛みを感じない体質だったんだ。

その時から妹をあらゆる危険から守るのが、僕の役目になった」


「ああ、それで病院付き添いをしてたんですね。てっきり病弱な子かと……」


「いや、でも痛みがないから体の中の疾患などにも気付かない。

定期的に必ず検査を受ける必要があって、僕はその見舞いとか付き添いをよくしているよ」


「なるほど……」


「僕が大きくなってからはご飯もよく作ってあげるようになった。

自慢じゃないが僕らより絆の強い兄妹は滅多にいないと思う。

十二歳の誕生日からしばらくして、妹が僕と夕飯を食べてたときだったな、あれは。

いつものように二人で僕の作った夕飯を食べてると不意に男子からの告白が最近増えた、なんて相談をされたんだ。

そうか良かったな。としか言えなくてその場で会話は終わるはずだった。

でも妹は、僕がご飯を作ってあげたり、病院に付き添ったりするのは僕が男で、妹が女だからだと思っていたらしい」


「そ、それで?」


「周囲には僕以下の男しかいないと、切実な訴えだと見てわかる苦しそうな表情で言っていた。

他は雑草程度にしか思えないって。妹は、世界で一番好きな僕と好きあっているのだから、他の男の気持ちに耳を傾けるのが実に面倒臭いし無意味に感じるっていう心理状態だったらしい。

兄として、年上の大人として、嗜めるべきだった。妹には諦めさせるべきだった。

でも実際僕も気持ちは痛いほどわかった。もちろん同じ気持ちだったから。

周りに妹以上に魅力的な女の子は存在しなかったから……鳰が死んだ後だと……」


「なるほど。それで、やってしまったんですか」


「その最中妹が急に泣き出したんだ。痛かったはずがない。

痛みを感じない体質だから。でもいつもの癖で心配すると意外な答えが返ってきた。

恋愛関係は秘密を共有する共犯関係に似ている……妹はそう言ってた」


「ルックスと同じく、中身もすごく大人びてるんですね妹さん……」


「ああ。僕と妹は一番結ばれてはいけない二人。その二人が今夜結ばれた。

僕や妹が他の異性とするそれとは全く次元の違う意味が生まれた。

二人は共犯。暗い絆で結ばれた。もうこれで離れる事はない、妹はそう言ってた。

要するに独占したかったんだ。何でも言うことを聞いてくれる都合のいい兄が居なくなるのが怖かったんだ。

僕は兄で、自分は妹で、お互いは離れなければならない運命なのだとようやく気づいたみたいなんだ。

まるで底なし沼のような、無尽蔵の依存心。妹に対し、過保護に接しすぎた僕のせいかもしれない……」


「それってやっぱり……あの、もしかして、私のことをあなたが熱心に調べ始めた時期と重なるんですか?」


「よくわかったね。その通り。恐らく妹は何か勘違いしたんだろう。

それで僕を誘った。言い訳はしない。誘いに乗ったのは僕だ」


「これでわかりました。半信半疑でしたが……性淘汰があなたの一族に起こっています」


「……性淘汰ぁ?」


「ええ。あなたの祖先はほぼ確実にゾロアスター教徒のペルシア人です。

足が長く、顔が小さく、彫りが深くて鼻が高い……その外見がその証拠です!」


「うん……まあ、そうだろうね。よくハーフとかに間違えられる」


「でも七世紀半ばのイスラム教による征服活動によってササン朝ペルシア帝国は崩壊しました」


「カーディシーヤ、そしてニハーヴァンドの戦いだね」


「ええ。そうして中央アジア、西アジアはイスラム教に染まりました。

つまり遅くとも八世紀にはあなたの祖先にペルシア人の血が混入したと見て間違いありません。

奈良時代です。でも千数百年以上も長い間、外国人のような外見を保ってきたんですよ。

相当に長い間、近親相姦で血を他から入れず、他に出さなかったんでしょう」


「フヴァエトヴァダタか……」


ユキくんも知ってたみたいです。フヴァエトヴァダタとは、ゾロアスター教における最大級の美徳。

父が娘と結婚し、姉が弟と結婚する。そうした近親婚は美徳なのです!


「近親交配は重大な先天性の疾患を抱えた虚弱な子を生みやすいというメカニズムが解明されています。

さすがにある程度の遺伝子多様性は確保していたんでしょう。

例えば奈良や京都の都に貴族として大きめの邸宅を持って、数十人以上の一門で生活して、その中で結婚を繰り返した……とかだと思います。

どうしても近親相姦に嫌悪を持つ、という人であれば家を出たか、子供を残さず死んだでしょう。

近親相姦に嫌悪感を持たない人が結果的に一族の血筋に遺伝子を残したと考えられます」


「つまりこういう事か? 僕と妹が間違いを犯したのは先祖の呪いによるものだと?」


「ええ。恐らくあなたも嫌悪感を感じているわけじゃないでしょう?

これはおかしいことだ。兄としてやめさせなければ。

確かに、理性的にそう思う自分がいても、妹の事はかわいいと思っている。

この子と子供を作りたいと思った。違いますか」


「その通りだよ。知っての通り妹はあの見た目だ。とてもカワイイ。

キスだけで止めようと思ってたけど、妹の胸を見ていたら頭に血が上って何も考えられなくなってしまったんだ。

服を剥いて下着だけにした。すると、下着が赤だったんだ。そこから先は、もうほとんど覚えていない」


「赤い布を見たら興奮するって、あなた一体どれだけ牛なんですか!」


「いやギャグじゃないって! もう、こんな時にふざけたりしないよ……」


「それに……あなたの祖先が何なのか、もう一度言ってみてください」


「……炎帝・神農?」


牛と赤い炎。なにか関係がある気がしますが、まあいいでしょう。


「ゾロアスター教は崇火教とも呼ばれています。火を崇める宗教なんです。

親戚の家などで火を見たことがありませんか。聖火を?」


「爺さんの家には、確か絶やしてはならない火があると言っていた。

近畿の方から移り住んで来る時も絶やさずに持ってきた火があると言ってたが……」


「でしょうね。思った通りでしたよ。

まあともかくユキくん。あなたも妹さんも条件がうっかり揃ったがために、罪を犯してしまったみたいですね。

妹さんは神野家と引き合う一族の出身。しかも妹さんは恐らく神野の血を引いていて、二人は近親相姦に嫌悪感を抱かない血筋だったんです!」


「……妹を世界一可愛いと思ったのも、鳰を好きだと思ったのも結局血のせいだった。

四宮イザナと結婚したのもそのせいだろう。こうなってくると佐々木家の血も疑わざるをえなくなる」


「どうなんでしょうね。もし仮に神野家と引き合う血を引いてたとしたら?

もしくは、私は引いてない方が嬉しいんでしょうか。自分でもわかりません」


「僕はない方がいいと思ってるよ。君を選んだ自分の意思が、血のせいじゃないと思いたい」


「ユキくん、この話は父以外には教えませんし、別にそれを理由にあなたを嫌いになったりはしませんよ。

私だっていつも優しくしてくれるお兄さんがいたら、同じ事をしないか自信ありませんから…」


「やっぱり君は優しいね。僕は嫌われて、軽蔑されるつもりで言ったんだけど」


「でもやっぱり恋人っていうのは今は保留で。

妹さんとそういうことを一度したなら次にしないとも限らないでしょう?

そしてそれを今まで隠していた。そうでしょう?」


「言葉もないよ」


「怒ると思いました? 別に怒ってませんよ。聞きたくはなかったですけど。

絶対言わないでおきましょうね、この秘密……」


と言っていると、ちょうどよくエレベーターの開く音が聞こえてきました。

振り向いてみると、服を入れた紙袋を携えているらしい夏樹ちゃんの姿が。


「ありがとう……しかしよく通れたね?」


「うん。ほんぶちょー? が入れてくれた」


本部長が何なのかわかってない子供らしい一面を見せてくれました。

夏樹ちゃんは年齢不詳らしいのですが、やっぱり子供にしか見えませんよね。

ああ、そういえば彼女四宮夏樹だそうですね。


おそらく私とユキくん……いや、妹との件で軽蔑したので神野さんでいいですかね、モードと同じで。

神野さんにとって共通の同級生である四宮イザナさんとは親戚のはずです。

いやー、私も、神野さんには私のようなポッと出の女は恋愛対象でないのではないかと考えていますが、それにしたって、四宮イザナさんもポッと出のはずなんですよね。

でも夏樹ちゃんは彼女の親戚とすると、やっぱり私だけがポッと出なんですねぇ。

そういえば、というレベルの話なのですが、夏樹ちゃんが神野さんに非常に強いこだわりを持つのも何故なのでしょうか。

記憶を毎日失う彼女が、絶対に忘れず、いつも思い出すほどの。

それは彼が実の兄だからではと思ってましたが、何だか違う気がします。


神野さんにとって夏樹ちゃんはペット兼妹かなにかなのかも知れませんが、夏樹ちゃんにとってはどうでしょうか?

神野さんにとっては妹でも、彼女にとっては男で、彼の前では自分は女、なのかも知れませんよ?

意外とそういう年上の男性は何とも思ってないけど年下の女の子は……って多いですからね。


漫画や十八禁のコンテンツにせよ男性向けの女教師モノはそんなに多くないと思いますが、女性向け男性教師ものは非常にメジャーですからね。

少女マンガ誌でも女の子と男性教師の恋愛ものは欠かさず載っていると思います。

女の子は年上が好きなんです。私は別にそうでもないですが。


「今日、ここ泊まる?」


「それはだめだってぶちょーが。だから荷物だけ持ってきた……」


不服そうですがまあ仕方ありません。私は過保護な方なので、もし私が父の立場なら出入りや外部からの入室も制限するところで、父は十分甘い方ですね。


「夏樹ちゃん、改めて今日はありがとうございました」


「……お姉ちゃん、今日はここで泊まるの?」


「はい。そうですけど?」


「そう。いや、別に何でもない」


私は怪しい態度を取る夏樹ちゃんからヒントを得て、遠慮なく失礼なことを言いました。


「神野さん、あなたまさか夏樹ちゃんにも手を出してないでしょうね?」


「そんなまさか! そんなことしたら人として道を外れる……最低だ!」


「でも妹さんには出したんでしょう?」


「人間誰にでも失敗はある……」


「開き直りましたね」


「手を出す? そんな! お兄ちゃんは私を叩いたりなんかしないよ?」


汚れてしまっている神野さんと比べ、夏樹ちゃんの何と純粋なことでしょうか。

涙が出そうでした。神野さんは彼女を気遣い、こう言って誘います。


「もちろんだよ。叩いたりなんか絶対しない。

おいで。一緒にゲームでもしようか。一対一だとなかなか出来る事も少なくて……」


正直言いましょう。寝たらその日一日起きたことを全て忘れるのが夏樹ちゃんです。

本当に何もしていないとは、彼以外の誰にも言えないと思います。

一応、信用してはいるのですが。


「げぃむ? それはともかく、頼まれてたの持ってきたけど?」


「ああそれか。ありがとう。待ってた」


神野さんは夏樹ちゃんの持っていた紙袋の中から謎の重箱みたいなものを取り出すと、夏樹ちゃんの手を引いてソファに座り、夏樹ちゃんは当たり前のように神野さんの膝の上に座りました。


「……何が入ってるんですか?」


「君を初めて見たときから気づいていた。君は能力を使った後貧血に近い症状が出る……違うかな?」


「えっ……何でそれを」


「僕は医者の息子だって言っただろ。それに医学薬学の神様である神農を祖先とする。

で、これが神農が記した神農本草経ね」


と神野さんはどこから入手したのか古めかしい本を箱から取りだし、更に怪しげな昆布の干物みたいなものがいっぱい入ったビンも取り出しました。


「僕は医者になるから東洋医学の知識もあるよ。

大抵の人は知らないけど医師免許をとるためには漢方も必ず勉強するんだよ、実は。

神野家の男は漢方医としての知識も会得しなきゃいけない。

その一環で料理も上手くなったよ。薬膳料理とかも出来る」


「すごいですね……で、そのビンの中身は?」


「粉末にして飲むと血液サラサラ元気ハツラツに効果ありとされてるよ。

作り方は簡単。その辺のヒルを捕まえてアルコールに……」


「ん?」


ヒルって、聞き間違いだったでしょうか。


「だからその辺のヒルをアルコールにつけて……」


「そ、それ、血を吸うヒルですか……!?」


「そうだけど?」


どこの世界に女の子にヒルを嬉々として摂取させようとする人がいるでしょうか。

うわぁ。全くひどい。これが世に言う残念なイケメンというやつですかね。


「神野さんどうかしてますよ……私はそれを食べるくらいなら貧血で倒れます!」


「お兄ちゃん、そんなことするつもりだったの!?」


「いや……少しでも楽になってくれればなって……」


神野さんは本気で落ち込んでいます。落ち込んでいるのも、私を心配したのも本当でしょう。

それにしたってやり方が酷い。そして賢くありません。

ヒルを私に見せなかったら、私もお薬と思って我慢して飲んだんですが。


「神野さん……私正直あなたのことキャラが薄いと思ってました。

今初めてあなたのキャラが立ってますよ。そこは自信持ってください」


私は神野さんを非難したい気持ちを出来るだけ我慢してこう言うだけに留めました。


「う……わかった。ご苦労夏樹ちゃん。これは後で家に戻しとくよ。

本当に悪い。でもよかれと思ってやった事は信じて……」


「別に疑ってないから。じゃ……また後でね?」


夏樹ちゃんは懐いているお兄ちゃんとはすぐに別れ、エレベーターに乗ると、恐らく四宮家へと戻って行きました。

二人きりになったところで、子供がいるところではちょっと聞けない質問をしてみようと私は計画しました。

私は、私と同じソファに座って落ち込んでいる神野さんに擦り寄り、誰も聞いていないのに小声で聞きました。


「あの。質問なんですけど神野さんは東洋の神秘でなんか凄い薬作れたりしないんですか?」


「いやまあ、便秘、冷え症、肩凝り、むくみ、生理痛とかそういう日常的に付き合っていく不快に効く漢方薬ならあるけど……」


「何でそんな女性に必要な薬ばっかり作ってるんですかいやらしい!

さてはそれでモテようとしたんですね神野さん!」


「……最初は母のために作ろうとしただけだよ。同年代の女の子はそんなの必要なかったし」


「あっ……それはすみません……」


私とした事がろくに確かめもせず酷いことを言ってしまったみたいです。

でも、最初はって言いましたよね?


「じゃあ、その後は?」


「僕が女の子に近づくために薬剤師まがいのことをしてたんじゃないかって?

君も見ただろ。漢方はヒルやヘビやカエルや昆虫を使う……女の子にモテる特技ではないと思うね」


「そ、それは確かに……」


「実のところ鳰と千春とはよく虫やカエル採りをしてた。

女の子だから誰にも言うなって言われてるけどもう時効だよね……」


「マッドサイエンティストな子供達だったんですね……あ、惚れさせ薬とかないんですか?」


「女は好きだなそういう話。実はある。試してみる?」


と言って神野さんがさっきの重箱から取り出したのは怪しげな瓶詰めの怪しい何物かでした。

どうせヒルとか怪しい草とかが入ってるんでしょう。


「これは我が家秘伝の惚れさせ薬で、飲めばたちまち目の前にいる相手を好きになってしまうという……」


「すごいですね神野さん! 効果はどのくらい?」


正直思いました。その薬、妹さんが十二歳の誕生日から少ししたあと、お兄ちゃんに盛ったのではないかと。

だって彼、どう見たって性欲が薄そうですし、何より妹で発散する必要がないほど女性からの人気は常に高かった事は容易に予想できますからね。

あるいは、妹さんは神野家の男が牛の習性からか、何故か大きい胸と赤い下着を見ると理性を失うくらい興奮することを、予め知っていた可能性すらあります。


「やめておこう。ここには監視カメラがあるかも。

下手なことをすると警察が飛んでくる。

本部長はご飯持ってきてくれるって言ってたけど、シャワーを浴びたら寝る……」


「そんな。ちょっと期待したんですけど」


惚れさせ薬なるものを普通の人間が所持していたら、絶対に使っちゃうはずです。

神野さんはよっぽど精神力が強いか性欲が弱いのか。

あるいは既に誰かに使っているのかも。だとしたらちょっぴり恐ろしいですね。


と、思ったんですけど、着替えを持ってシャワー室のようなところへ向かっていく神野さんの後ろ姿を見ながら、私は気づきました。


「私に使うつもりだったのでは……」


何やら「こんなこともあろうかと」とでも言いたげに箱から出してましたけど、わざわざ持ってこなくていい類の薬ですよね。

どう考えても私に使う気満々だったではないですか。

私は、その仕返しをしたいという強烈な誘惑に勝てず、悪徳に我が身を染めました。


神野さんの荷物に手をつけ、例の瓶を発見し、取り出します。

瓶の中身は軽くて水気がなく、カサカサに乾燥した茶番か、何かの根っこみたいなものが入っていました。

無味無臭ではないので、私はコーヒーに混ぜてお湯で葉っぱか、もしくは植物の根っこみたいなものからエキスを搾り出し、牛乳やお砂糖と混ぜ、平気な顔をしてテーブルにカップを置き、自分の分もテーブルに置いて神野さんが帰ってくるのをそわそわして待ちます。

十分ほどして神野さんは出てくるともちろん風呂上がりに飲むにはいかにも不似合いなコーヒーに気がつきました。


「コーヒー入れてくれたの? ありがとう」


「甘めが好きなようなのでそうしておきました。どうですか?」


薦めて見ると、これが面白いくらいに即効性があって、飲んだ次の瞬間には様子がおかしくなってしまいました。


「うーん……なんか……頭フラフラする……湯冷めかな……」


などと言いながら寝間着の神野さんはしりもちをつくようにして私のすぐ隣のソファに身を預け、目を閉じました。

すぐに目を開けてこっちを見てきた神野さんと数秒睨み合いが続いたあと、神野さんはドッキリの仕掛人の私ですら予想していなかった台詞を言い出しました。


「か、かわいい……」


「どうしたんですか神野さん?」


「何て可愛いんだ……興奮してきた。下着は赤だともっと興奮するんだが……牛だから」


と肩を抱いてきました。そんなバカな、です。

私は惚れさせ薬なんてあるはずないと高をくくりつつも、ちょっとだけ期待していた、という程度だったんですよ?

何か予想外な事態に私の脳が処理しきれません。

そもそも牛が赤い布に興奮するというのは全くの迷信のはずなのに。

こんな状況に陥った事がないので、過去のデータを元に対策を立てたいところですが、無理です!

とにかく私は言葉での説得を試みます!


「落ち着いて……あのですね、ここには監視カメラあるんですから!

下手なことをしたら警察が飛んできますよ!

父も見てますから、ね、一旦落ち着いて!」


私たちの熾烈な心理戦が始まりました!

私は神野さんにやめるよう説得、神野さんは私が体を差し出すように説得したいわけです!


「見られていてもいい。いや、もう言っちゃおう。娘さんをください!」


神野さんは大声で言いますが、別に音声は届いていないはずです。


「落ち着いて! 惚れさせ薬っていうかただの酔っ払いですよその行動!」


「やっと白状したか」


私たちは綱引きしていたようなものなので、急に力を抜かれると私は前のめりにコケそうな気分でした。


「何ですか急に!」


急に冷静になって力を抜き、薬入りコーヒーを無表情でゴクゴク飲み干した神野さん。

私はそれを半ば放心状態で見つめます。


「いやしかし、まさかそんなイタズラをしてくるとは思わなかった。

もちろん惚れさせ薬なんてないよ。その赤いのはショウガの一種。

ああ、ショウガコーヒーまずかった。平気な顔して飲んだ自分を褒めてあげたい……」


私はショウガよりも顔が真っ赤になって熱くなり、思わずクッションで顔を覆った程でした。

恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい!

いや、でもあの状況。急に風呂入ると言い出したわけで、その隙に入れろと言ったようなものじゃないですか?

私が裁判長なら情状酌量の末に無罪とするところです。


「誘ってたんでしょ! お風呂入るって言ったのも!」


「逆上するなって。君は人の荷物に手をつけて人に毒を盛った。

その罰としては軽すぎるくらいだろ?」


「う、それは……」


「バカっていうか純粋というか、お人よしというか……」


はい。私は今まで神野さんのことを深くは知りませんでしたし、神野さんも私を知りませんでした。

今の一件でお互いはっきりと特性を掴んだと思います。

確かに彼の言う通り、私はお人よしで、人を信じやすく、よく言えば純粋、悪く言えば単純バカです。

それで結構です。神野さんは、とりあえずイタズラ好きで性格はめっぽう悪いです。

そしてもう一つ神野さんについてわかったことがあります。

今まで犯罪捜査をしてきて知能犯のトリックに何度も舌を巻いた私でも見たこともないほど、非常に頭の回転が速く、嘘も上手く、ずる賢い。

私が冗談で惚れ薬はないかと言った瞬間にはもう、今の私の赤面と勝ち誇った自分の姿を想像していたということです。

思えば今日は神野さんの用意周到さに命さえ救われましたが、同時にそれによってひどい辱めも受けました。


考えれば考えるほど私たちは対極のタイプに居るという事が感覚的に理解できました。


「でもそんな君だからこそ、僕は頼ってみようと思ったのかもしれない」

 

「わかりましたから、もう部屋に戻って寝てください!」


「そうだね……」


神野さんはちょっとは悪いと思っているのか、私の言葉には素直に従って、歯を磨いて寝ました。

ご飯はもう要らないようです。全く、父の言葉は何一つ当たっていません。

今のところ神野さんとここに閉じ込められても、良いこと一つもありませんし、父に感謝も出来ません。


私は神野さんに極めて重い辱めを受けて疲れてしまい、結局、神野さんが食べないのに私が食べるわけにもいかないのでそのままシャワーを浴びてからお泊りセットを活用して歯を磨き、部屋に戻りました。

実は神野さん、ああみえて結構ショックを受けているのでしょうか?

食欲がない、のでしょうか。今日はショッキングな情報を与えられ過ぎましたもんね。


今回は隣からの話し声もないので神野さんは本当に眠っている様子。

私も布団に入ります。改めて、私は大失敗をしてしまいました。

あんな絵に描いたような間抜けがどこにいます。ここにいます。

何より神野さんの手のひらの上で躍らされていたのが残念です。

あの人やたら演技が上手くて。しかも頭の回転が速くて嘘が非常に巧妙です。

サイコパスじゃないでしょうか?


明日にでもテストを受けてもらおうか、などと考えつつ、私は心地好い眠りの中へ落ちて行きました。



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