五月二十一日・破
「ああ……ユキくんでしたか」
私はついうっかり、憎まれ口を叩いてしまいました。
普通ならここでお礼の一つも言うべきでしょう。
逆光でほとんど顔が見えませんが、確実に彼であると確信できました。
私の側について監視していた最後の一人が彼に銃口を向けます!
「くたばりやがれ!」
銃声。硝煙。それが消えたとき、私の手をユキくんの見知った手が掴んでいました。
「無事でよかった。行こう」
ユキくんは更に素手で車の天井を引きはがすと中に飛び降りて来て、どうやったのかバンの後ろのドアを開けて私の手を引っ張って連れだしました。
《これってあれでしょうか。実はあの琥珀のブローチが発信機になっていて位置情報がわかっていたとか、そういうことでしょうか?》
実は前から薄々思っていた、その予想は先に言っておくとハズレでしや。
道路を横切って近所のハンバーガーショップ前の歩道に出てきて、それまで無言だったユキくんが話し始めました。
「とにかく……今は無事でよかった」
「どうして上から入ってきたんです?」
と言ったところ、ユキくんは、《こいつよくさっきまで命が危なかったのに平気な様子で喋るよな》みたいなことを思ってそうな、ビックリしたような沈黙が流れ、ややあって彼がこう返しました。
「奇襲だよ。上から入ったら、上に目が向きやすい。
君も刑事の娘なら知ってるだろ、射線を人質と重ねる事は避けるのが常識だ。
中の人が傷つけられる可能性が低いからね」
なるほど。確かに、言われてみれば。
「既に通報してあるからしばらくここで待とう。
それともあそこでハンバーガーでも食べる?」
「また冗談ばっかり……」
と私は口を手で押さえてなるべく上品に笑いました。
私達は、命を助けてもらったというのに、普段と何も変わらない態度です。
極めて異常な非日常の中だからこそこうして平静を保たなくてはと、どちらからともなく判断したわけです。
それで、私はなるべく冷静にこう聞きました。
「あの……ユキくん、犯人は殺したんですか?」
と指差したところ、神野さんは鼻で笑うように言いました。
「他に疑問があるだろうに、最初にそれが出て来るのが君らしいね。
殺してないよ。でも奴らは君が心配するほどの価値はないだろ?」
「それは私が決めます! それと、銃とかバンバン撃たれてたですけど、無傷みたいですね?」
「僕は無敵だから一発も喰らわなかった。
ちなみに、君を見つけられた秘密はここにある」
と言ってユキくんは私の手を引っ張りました。
なるほど。今日はお尻ポケットにリスを入れてるわけですね。
と思っていたらまるでコアラかパンダでも撫でているみたいなフワフワの毛が私の手に当たり、そんな動物を連れているなんて、この子は変身能力を持つ夏樹ちゃんとしか考えられないという結論に達しました。
「はじめまして……お姉ちゃん」
はじめましてではないですが、私も挨拶します。
「はい。ありがとう夏樹ちゃん。あなたが私を助けてくれたんですね?」
「うん……まあ一応。この服の臭いを追ったから」
と言って、夏樹ちゃんは私に、自分の着ているお古のTシャツの衿を触らせました。
ここからの続きはユキくんが代わりに解説してくれます。
「僕はあれから色々一緒に練習したよ。
それで、クマの鼻は自然界トップクラスに鋭いとわかってね。
この子が熊に変身して嗅覚を獲得する練習なんかをしてた。
結果は大成功。それに君の臭いの元も何とかギリギリ間に合っていたし」
臭いの元といわれるとアレな気分ですが、つまり私の古着です。
ユキくんは、全てオレの計算通りだぜ、とばかりに語り終えました。
「まさか、夏樹ちゃんに服を送ってくれというのも、それを考慮して?」
「言っただろ、練習をしてたって。君がなんかヤバい組織に狙われてるって聞いてたんだ。
何の対策もしないわけには行かないだろう?
まあ、さすがにそれを予想してここに来たわけじゃないけど。
でも予想と準備が見事図に当たったことだし、君には悪いけど喜んでおこうかな」
それはそうです。妹さんの服ぐらいあるでしょうし、親御さんも服ぐらい買ってくれるでしょう。
何で私の服を欲しがるのかな、とは不思議に思っていました。
まさか本当に欲しいのはユキくんの方じゃ、なんて自意識過剰なことも考えましたが真相はこういうことでした。
「喜んだらいいんじゃないですか?
確かに、あなたは私が出会った中でも一番頭が切れる人です」
「刑事の娘にそう言われると恐縮するね」
ユキくんは一ミリも照れた様子もなく言いました。
「私を守るって言ったこと、本当だったみたいですね」
「疑ってたのか。まあいいけどね……」
「あの。お詫びにこのあと、公園まで行きましょうか。
歩いても数分くらいのところですし。
それに警察が来れば私達……つまり……捜査させてもらえないですから」
「気持ちだけでも受け取っておくよ。僕は君に捜査を協力してもらうつもりはもうない。
本部長に頼む。君を二度も助けたんだ。せいぜい恩を着せてやる」
「わかっています。あなたの人となりはこれでも知っているつもりですから。
もしかすると……話してくれるかもしれませんね?
父があなたを信用して、実際に見たことを」
「そうだといいけど本部長には何も期待をしていない。
信用もしていない。あの人には恩を着せてやる。
そして君との関係をちらつかせれば……」
「ええ。あなたを私から遠ざければ傷つくと印象づける必要がありそうですね」
「ちょっと瞳、本部長の前で僕にキスしてくれる?」
「なんでですか恥ずかしい! 腕を組むぐらいならしてあげますけど……」
「ありがとう、十分だ」
会話が途切れたところで、私は聞きたかったことを聞いてみます。
「……まさか私が狙われるって二人ともわかってたんですか?」
「そんなまさか。偶然だよ」
「あの……夏樹ちゃんはどうするんです? 言い逃れ出来ませんよ」
「預け先は決まってる。変身できる以上、絶対に警察には捕まらない」
「捕まらない! ケーサツきらい!」
見えないのですが、パンダかコアラのような毛皮を着た夏樹ちゃんが元気よく答えてくれました。
「刑事の娘の前で言いますかそれ……」
「命の恩人なんだ。大目に見てあげてほしい」
「あなたは違うんですか?」
「この子と僕とでは君に対する思いが全然違う。僕は君がとても大切だ。
ピンチなら助けようとするのは当たり前だろ?
でもこの子は君と話した記憶すら曖昧なまま、君を助けようと努力してくれたんだ」
「……そうなんですか?」
と夏樹ちゃんに聞くと照れながらうんと頷いてくれました。
ユキくんがうらやましいです。こんな可愛い子といつも一緒だなんて。
何かこう、私の中で母性みたいなものが目覚めて、庇護欲がとめどなくかき立てられました。
今すぐ抱っこしてキスしたいです。いや、します。
私は力の強い方ではないですが、夏樹ちゃんを何とか持ち上げて頬にキスしました。
向こうはあまり喜んでなさそうな声色ですが。
「あ、ありがと……」
「さすがパリジャンの娘、キスも情熱的だね」
「パパはパリジャンじゃありません! 私フランスにアイデンティティないですから!」
「悪かった。ごめん」
「わかればいいです」
「ところで、そろそろ警察来たよ。さ、夏樹ちゃん。例の家に避難しろ」
「アイアイサー!」
と夏樹ちゃんが敬礼したようです。やっぱり、神野さんと夏樹ちゃんは親子や兄妹よりも、上司と部下みたいなどこかドライな間柄です。
「じゃあ行っておいで。いい子にしてるんだよ?」
「はーい。じゃあ二人とも気をつけてね。ばいばい」
と夏樹ちゃんは私達にブンブン手を振ってから物陰に走って行き、次の瞬間には烏が真昼の空に飛びたっていきました。
「例の家って結さんの家ですか?」
「よくわかったね」
「それはもう。事情を知ってるようでしたから。
それで、話をしてくれたんですか、夏樹ちゃんの素性」
「いや。結さんは夏樹ちゃんの親だって聞いたよね?」
「はい……」
と言いつつも、パトカーや救急車はどんどんこちらへ迫ってきます。
事件のせいでごった返す国道の車の列もどんどん割れていきます。
会話すら困難な程のサイレン。どれだけ父は警官を送り込んでいるんでしょうか。
大げさな人です。
「結さんは僕のところに預けたいらしい。だから説明はしないと。
母親なのにおかしな話しだよね?」
「はい。今だから言っときますけど……ほぼ間違いない事があります。
夏樹ちゃんの父親は……あなたの父親です」
「……なに?」
「結さんは最も強烈に神野家と惹かれあうんでしょう。その彼女が惹かれた男性って?」
「つじつまが合わない。父は僕が二歳で殺している。
ましてや、四宮イザナが結さんの娘なら彼女は腹違いの姉になるぞ!?」
「まあ……そうなんですけど、そうとしか考えられないんですよ。
絶対にそうとしか思えないんです……」
「……まあいい。僕の口からだとアレだから、君が状況を説明してくれると助かる」
「はい。あなたは下手な事を言わないでくださいね。
能力、隠してるんでしょ。知らぬ存ぜぬを通して下さい」
「さあ……それはどうだろうね」
ユキくんはこの期に及んでもまだ後頭部をかいて胡麻かし、しらばっくれました。
私は今彼を責める気分ではないので、無視してパトカーに乗り込み、県警本部へ直行しました。
取り調べ室に通されると、誰あろう県警本部長の姿が。
私はその目の前に座る必要があります。気は進みませんが、その前に座り、私が先に口を開きます。
「言っておきますがトントン。ユキく……神野さんは私を助けてくれましたよ?」
「ああ。しかしまさか……あいつが裏切るとは……」
よっぽどショックなようで、心ここにあらずという感じです。
娘が平気そうなのは安心したんでしょうが、信頼していた仲間に裏切られた事は堪えたようです。
「あの。なずなや……あのおじさんの家族は?」
「ん?」
「だからなずなは?」
「あいつそんなことまで言っていたのか。クズだな。
心配はしなくていい。命が危ないわけではない」
「はい……石黒さんは娘や妻が難病で金がいると。嘘だったんですね?」
「ああ。借金があったのは本当だ。結局彼が捕まったせいで、二人は経済的に苦しくなるだろうがな。
どうせ、お前の性格を考慮してそう言えば黙って従うと思ってたんだろう」
「そうですよね……何とか出来ないものでしょうか?
うちも……裕福な方でしょう。何とかしてください!」
「だめだ。そんなことをしていたらキリがないからな。
特別扱いは出来ない。そこは議論する気はない」
「すんでのところで命が助かった娘の頼みでもですか!」
と言っても父の態度が変わるとは、私は微塵も期待していませんでした。
「そうだ。金は貸すかも知れないが、ちゃんと返してもらう。
ところで、お前のもう一つの心配については答えてやることができる」
「ユキく……神野さんの事ですか?」
「お前は隠し事が下手か! いいか。私は彼の言いそうな事は大体わかってる。
アンジェリーナ、どうせ過去を捜査したいからお前を助けたことで私に恩を着せようとかなんとか言ったんだろう?」
「よくご存知ですね……」
「本当に言ったのか。冗談だったんだがな。
彼は別に心配する事はないぞ。アンジェリーナから聞きたかったのはもう済んだ。
今日は帰れると思うなよ。今日は本部で泊まって行きなさい」
「はい……」
その措置はやむを得ませんでした。気にしてる場合じゃないでしょう。大人しくしておいて父の心象を出来るだけ速やかに良くしておくことです。
私は理不尽にも心を切り替え、父と一緒に取り調べ室を出ました。
そして二人で歩き、本部の地下室に向かう秘密のエレベーターに乗り、その間も無言で過ごしました。
父と会話は合いませんし、無理に父も話しかけてくるタイプではないので、エレベーターは嫌な沈黙がいつまでもわだかまりましたが、我慢して地下三階まで平静を装って棒立ちし、私はついにその地下三階にたどり着きました。
ドアが開くやいなや、父がこんなことを言いました。
「食事は後で持っていかせる。それまではそこで大人しくしていなさい」
「まるで私が悪さをしたみたいですね?」
この地下三階を牢獄に例えて皮肉を言っても父はノーダメージでした。
「そう言うな。案外瞳もパパに感謝するかも知れないぞ」
父は私を残し、地上へのエレベーターのボタンを押してやがてドアも閉まりました。
地下三階フロアは殺風景なところです。
私ですらここが普段何に使われているのか、今の今まで知りませんでした。
しかし試しにこの目の力で過去を覗いてみると、どうやらここでは過去に投獄された人が数名いるようです。
このフロアに閉じ込められた人間は全て要注意人物で、なおかつ留置所や牢屋にぶち込むには社会的地位の高い人などで、テレビなどで見たことのある方々も見受けられます。
フロアはソファが置かれたミニ映画館、本棚、食事用のガラスのテーブルなどが置かれ、掃除は行き届いていて埃などはありませんが、絨毯がなく、コンクリート打ちっぱなしなのがなんとも寒々しい限りです。
室温も低く、乾燥した部屋です。ソファがあったので座ろうと、私はその後ろへ近寄ります。
物音一つしない静寂の上、音を反響させる部屋の作りですから、私の靴が立てるコツコツという足音が耳に障ります。
ソファに座ると、信じられないことにすぐそばで声が聞こえました。
「君もここに来たのか」
「ユキくん、無事だったんですね? 割と早く解放されたようで何よりです」
「何かお茶でも飲む?」
「あ、はい……紅茶をお願いします。澄谷会長が絶賛していたやつ」
「わかった」
ユキくんがどこか給湯器かなにかのある方向へ行き、ややあってテーブルにカップが置かれる音が聞こえました。
「お待ちどーさま」
「ありがとうございます。ユキくん、今私が考えていることわかりますか?」
「さあね……よし当ててみよう」
ズボリと革が伸びる音とともに、私のすぐ隣に腰を落としたユキくんは他に人っ子一人いない地下室という状況に応じ、声を低くして言いました。
「紅茶に合うロールケーキが欲しい……かな?」
「まあそれも悪くはありませんが、違います」
「どんなことを思ってる? もっとも、僕はいつもそのことばかり考えているけどね?」
などとふざけているユキくんが黙る事を期待して私はこう答えました。
「私が考えているのは、ここって監視カメラがあるのかどうかってことです」
「あるだろ多分。一応牢獄なわけだからね」
「試してみます?」
私はユキくんの右肩に自分の左肩をくっつけると、手探りで首に手をかけます。
「ここで私を押し倒してみてくださいよ。きっと血相変えて誰かが飛んで来ますよ」
「それもそうか……君と僕の関係性を強調するには最適だね」
ユキくんは思い立ったらかなり行動の早い性格のようで、すぐに私の両肩に手を置いて私を革のソファに押し付けてきました。
「僕が今日昼間に岡本さんに言ってた事覚えてる?」
「……付き合ってるというのは、その相手以外と淫らな行為をしない、という約束を交わしている状態であると定義していたあの話ですか?」
緊張のあまり、まるで広辞苑のようにお堅い文語調で話してしまった私でした。
「そうだ。岡本さんの前では勝手に付き合ってると言ったが……僕は君にフラれてる。
押し倒すといっても僕に出来るのはここまでだ」
普通の女性なら男性にこう言われたら、以下のような事を思うと思います。
《彼の恋愛観は既にわかっている。彼は今ここで、私に何も断らずに続きをすることも可能だった。
私もそれで構わなかった。しかし、私が彼の恋愛観を聞いて納得している以上、私とセックスしたあとに、彼が他の女性と同じ事をしていても、何も文句は言えない事になる。
彼はマジメなので、今ここで私から付き合いたいと申し出ればこのまま続きをすることが出来るし、他の人とはしない約束を彼が守るだろうと私が考え、私を安心させることも出来ると考えたはずである。
実際、それは互いが望んでいる事。彼は私からの愛の告白の言葉を求めているのだ!》
実際私もそれは考えましたが、私の場合はその続きにこう考えました。
《彼の恋愛観は要するに、好き合っているのに、付き合ってるなんていう口約束をすること自体不合理だ、という話です。
お互い好き合っていれば付き合うなどという口約束は要らないわけです。
どっちにしろ、お互いが一番好き同士なら関係を持続させるため努力をします。
そしてどっちみち、他にもっと好きな人が出来れば一方的に別れを切り出す事が出来るし、フラれた方は何も文句を言えない以上、そんな約束は無意味であるということです。
完全に論理的な正論だと思います。では、何故彼はこれ以上は出来ないと言ったか?
それは分かりきっています。お互いに好きかどうかの確認が得られていないからです》
どっちみち、結論は同じです。私の方から彼に対する言葉が必要なのです。
ソファの肘かけに頭をのせ、私は静かにこう述べました。
「ユキくん、要するにあなたが言いたいのは、俺はモテるから女に対しては何の心配も要らないと、そういうことですか?」
「ええっ!? もう何でそうなるの!? 宇宙人か?」
ユキくんから聞いたこともない素っ頓狂な声が聞こえ、私は彼が平常の精神状態ではないことは悟りました。
「私も今は同じ気持ちです。私を脅かす恋のライバルなど現れる気配さえありません」
「そ、そうだよ! 僕はもう君しかいない。君以外はもう……!」
「だから私もあなたと同じスタンスで行こうと思います。
いまさら付き合ってるとかいないとか、好きとか嫌いとか、そんな話は要らないでしょう。
あなたのしたいことが私のしたいことです。だから好きにしていいんですよ?」
「……僕が浮気するかも?」
他の誰と何をしようと浮気にはなりませんし、お互い勝手にさせてもらうという話なのに、敢えてユキくんは浮気という言葉を使いました。
要するに、既に彼は私の事を心に決めているのだと言外に言ったわけです。
「そうならないよう頑張ります。でも、そうなったら私の責任でもあります。
あなたが他の女の子とセックスしたとしても、怒ったり悲しんだりは筋違いですよ」
「またずいぶん思い切った事を言うんだね」
「魅了出来るような魅力があるか自分でもわかりませんが。
あなたも私が浮気しないように頑張ってください。競争なんでしょう?」
私が既婚者を除く誰と何をしようと浮気にはなりませんが、彼が先にその言葉を使ったので、私もふざけて使いました。
そして、私が彼のことを心に決めているのだと、私も言外に伝えました。
「確かにね……それは僕が言った事だ」
「うかうかしてると、私他の人のところに行っちゃうかもですよ。
何しろ何度も誘拐されかけるくらいモテモテで……体がいくつあっても足りないくらいですよ!」
「僕も別の体が居ればいいのにと思うことはあるよ。
意外と今もどこかに居たりしてね」
「そんなまさか。こんなヘンな人、他に居たら絶対有名ですよ!」
ユキくんは愛想笑いをしたあと、続いてこう言いました。
「瞳、その……あんまり言いたくはないんだけど」
「なんです?」
「僕は……僕の口約束が信じられないから、君が肉体関係を求めていたんだと思ってた」
「急に何を言い出すんですか!?」
私は顔を真っ赤にして、それを手で被いながら真っ赤な耳で彼の声を聞きます。
「今日の君はそれとは反対だ。口約束すら要らないと言い出したわけか」
「単純に自分に自信がついたのかもしれませんね。あなたに好きだ、可愛いと言われつづけたおかげで」
もちろん決め手は彼の言った、過去の捜査に関係なく、私が好きだという言葉だと思います。
それで自信がついたので、体での既製事実や口約束で彼を私に縛り付けよう、というある種必死な思いは薄れたのだと思います。
それまでは、事件が解決してしまったら彼が私の前から消えてしまう恐怖が常にありましたからね。
「成長の一助になれたとは、恐縮するね……しかしそれにしては色気のない部屋だ。
あんまり気に入らない。ここではやめておこう」
「ですね……正直私もそう思ってました」
それに会話をしすぎて逆にムードも無くなっちゃってますし、私達は服を直してソファに座り直しました。
今にもセックスが始まりそうだったのに警察の人が飛んで来ないのを見るに、本当に監視カメラがついてないんでしょうか。
その可能性も浮上してきたな、と気がついた私達でした。
それと彼がここでの行為を中絶した理由は言葉とは裏腹に、決してムードがないとかではないはずです。
単純にここには避妊具がないからだと私はソファに寝転びながら確信しました。
彼は医者の息子ですし、真面目な性格ですからね。後でこっそり聞いてみると、やっぱりそうでした。
ここで会話が途切れたので仕方なく音楽か映画でも鑑賞しようとユキくんがゴソゴソうごめいていました。
「何置いてあるかな……」
棚には海外の有名脱獄ドラマのシーズンワンからシックスのDVDが並んでいました。
それからゾンビサバイバルドラマも同じく。
あと、魔法使いの学校に眼鏡の少年が入学する映画シリーズも全巻ありました。
「誰の趣味だ……?」
「父はそういうのは観ませんね。もっぱら極道物が好きです」
「映画はやめとこうか……」
「そうですね。暇です!」
「じゃあクイズでもする?」
「クイズ好きなんですか?」
「ああ……まあ、一応クイズ考えるのは好きだけど」
「私刑事の娘じゃないですか? 知っての通り事件の捜査も手伝ってるんですよ。
それなら頭を柔らかくしとくのに越したことはないですね」
「まあまあ盛り上がるかもね。じゃあ第一問行くよ?」
「はい」
結構ユキくんも乗ってきてくれました。お互い物好きですね。
「問題。大西さんとかけまして、妊婦とときます。その心は?」
「……それは、ジミーさんですか、それとも他の大西さんですか」
「別にどの大西さんでもいいよ」
「ふむふむ……大西さんと妊婦さんの共通点を探るんですね」
「難易度は十段階で表すと、まあ二くらいかな」
と言ってユキくんは手元にあった本の方に視線を戻しました。
ともかく私は数十秒ほど考えたあと、答えがわかり挙手しました。
「はい」
「答えは?」
「大西さんと妊婦さん、どちらも『ウエスト』が大きいです!」
「正解。結構早かったね、さすが」
「褒められてのびる瞳ですよ! もっと褒めてください!」
「じゃあもっと褒めさせてくれ。一気に難易度十段階で八くらいの問題行くよ」
「はい」
「じゃあ問題」
ユキくんは、そう言うと勝手に地下室の冷蔵庫へ行き、どこかからコップとジュースのようなものを持ってきて、テーブルの上で私の分と自分の分を注ぎ、自分の分を一口飲んでからこう言いました。
「誘拐とかけまして水蒸気爆発とときます。その心は?」
「え、水蒸気爆発ですか」
一応、間違えてはいないかと思って、確認します。
「水蒸気爆発だけど?」
「は、はい……」
と、意気込んだ割には私は難し過ぎて頭を抱えました。
これで八なら九や十はどれだけ難しいのでしょうか。
ユキくんが、無言でページをめくる音を必死で頭を巡らしながら私は耳でキャッチします。
そしてそのたびに焦らせられます。
私はついに諦めて彼に降参の意を示しました。
「何ですかこれ。もはや何を問われているのかさえわかりませんよ」
「そう? じゃあ正解を言うね。答えはかどわかし。
かどわかし、は古い言葉で誘拐。水蒸気爆発は水を一気に高温で沸騰させると起こる爆発。
過度沸かし、といったところかな。僕の自作問題の中でもけっこう自信作だよ」
「ううむ……これで一勝一敗ですね。まだまだこれからです」
「じゃあ五問だすから、負け越ししないように頑張ってね」
「え、じゃあ罰ゲームでもあるんですか?」
「罰ゲーム? 欲しいの?」
私は顔から火が出そうでした。
まるで私がユキくんに辱められたがっているヘンタイみたいではないですか。
むしろ、もう既に辱められています。
「いや、じゃあいいです……」
「死ぬほど苦いセンブリ茶があったから、負け越したらあれ飲もうか」
何でこんなところにそんなものあるのでしょうか。
もしかして父が健康のために飲んでいるのでしょうか。
それともパーティーグッズ?
「それはズルいですよ。あなたね、絶対安全圏から人が苦しむ様を見ようとするんですね?
だったら私も何かクイズを五問出しますからね、負け越したらあなたも飲んでくださいよ!」
「ああ……確かに。じゃあ問題はまとまった?」
「はい。問題。重曹が一定温度以上になると気泡を発しながら分解されて発生する物質は?」
「水素と炭酸ナトリウム」
「グッ……正解です」
「ダメだよ瞳。僕は料理が趣味だと言ってあるだろ。
重曹はベーキングパウダーに入ってるけど過熱されて出る苦味のある炭酸ナトリウムを打ち消す中和剤も一緒に入ってると知ってる事ぐらい予想しないと」
料理のときやたら早口になるなんて、どこぞのイケメン有名料理研究家ですか?
「確かに……すいません」
ユキくん私に厳しい顔して説教してますけど、家ではベーキングパウダーでお菓子作りとかしてるんですよね。
そう思うと、ほっぺがニヤニヤと持ち上がって止まりませんでした。
「ノーカウントにするから何か別の問題を」
「じゃあ野球の問題。野球わかります?」
「わかるよ」
「ではあるピッチャーが試合を完投勝利しましたが、極限まで少ない球数で試合が終わりました。
もちろん一度もピッチャー交代はされていません。
このピッチャーが投げた球数を当ててください」
「わかった」
一瞬でした。
「はい、神野さん?」
「申告敬遠と牽制死でアウトは稼げるとして、完投と言ってるから完封でも完全試合でもない。
とすると、アウト全部牽制死で稼ぎつつ、一発だけホームランを打たれた。
ということで答えはただ一球。違う?」
「正解です。じゃあ次の問題行きますね?」
「うん」
「私の母国フランスに関する問題です。オジエ・ル・ダノワについて私が納得行くよう簡潔に述べてください」
「オジエ・ル・ダノワかぁ。えーと確かカール大帝伝説に出てくる騎士だよね。
いつの間にかアーサー王伝説と混じって、西の果ての妖精郷アヴァロンでアーサー王とともに暮らしているということになったんだよね」
「まあ簡潔過ぎる気もしますが、正解という事にしておきます」
まさかこんなマイナーな人物を答えられてしまうとは、医者になると言うだけあって、高校一年の今は最初期なのに、この時点で世界史知識は結構あるようです。
どうやら世界史方面で攻めても倒すのは難しそうですね。今、一歩負けています。
「問題が易しいね。僕も円卓の騎士全員答えろとか言われたら絶対無理だったけど」
「だってそれ、私も全員言えませんからね。ガウェイン、ランスロット、モードレッドくらいしか言えません。
じゃあ私から三連続で問題を出しますね。次はあなたの番です。
えー、じゃあ極度に難しい世界史問題を出しますからね。
東ローマ帝国最後の皇帝は」
「コンスタンティヌス十一世」
「……ですが、初代皇帝と言われるのは」
「定義によるけど、コンスタンティヌス一世」
「ですよね。ではコンスタンティヌスの父親の名前とコンスタンティヌスの息子を四人答えて下さい」
「えー、父親はコンスタンティウス一世だったよね。
で息子がコンスタンス一世、コンスタンティウス二世、コンスタンティヌス二世もいたよね。
それで粛清されてしまった息子がクリスプスだったね」
「正解です。ヨーロッパの名前は覚えにくい上にまぎらわしいですよね。
フランスの親戚や友達ですらそう言っていました」
「ローマ皇帝とか有名なところは僕も不正解する気はないよ。
じゃあ僕も頭柔らか問題じゃなくて知識問題を一個はだそうか。
問題。二酸化炭素の放射性同位体の個数を調べることで年代を測定する方法がありますが、核燃料に使われるウランの放射性同位体は?」
「ウラン235です!」
「正解。さすがだね」
これで勝負はわかりません。二勝一敗。負けられない戦いは続きます。
「私から問題です。ピピン三世の好物はなに!?」
「え!? お、女の子とか……」
「ぶっぶー。違います。確かに好きだったかもしれないですけどね。
これはどこかの大学の入試で実際に出された珍設問です。
答えはワインとジビエだそうですが、知ってる方がおかしいですよね」
「何だその大学……ま、これで並んでしまったね。負けられない。
じゃあ四問目。超難問を出そうか。管弦楽と酸化還元を足すとソファーに染みができる。という怪文書を解読してもらおうか」
「ええっ?」
「難しくはない。ただ単に知識問題だね。ていうか今作った」
「ええっ……」
「かんげん」が韻を踏んでいますが明らかに引っかけ問題です。
ここにいつまでもこだわっても、解ける気がしません。
管弦楽から酸化還元をひくと、楽だけがのこります。
足すと酸化管弦楽。意味わかりません。
一体何が目的でしょうか。音楽の話じゃないかとは思うのですが。
英語にしてみようと思ったんですが、オーケストラはわかっても還元がわかりません。
英語で酸化還元ってなんでしたっけ。だから知識問題と言ったんですね。
お手上げです。私は降参しました。
「答えは?」
「酸化還元とは英語でレドックス。管弦楽はオーケストラ。
足すとレドラ。ソファーにシミが出来るとドレミファソラシド」
「わかるわけないじゃないですかこの鬼!」
「そっちこそ難関大学受験レベルの人でもわからない問題出しただろ!」
と私たちは盛り上がるのはいいのですが、ムキになって喧嘩寸前になりました。
私は、胸がドキドキします。ユキくんにときめいているのではなく、盛り上がっているが故の興奮で。
緊張して声が震えながら最終問題を出します。
「問題です。ミルフィーユの綴りを正しく書いてください」
正解は「millefeuilles」です。神野さんは即答しました。
「できるかぁ! ちゃんとテスト対策になる問題出されたのに答えられなかった……」
「フフフ……さあ私が正解できれば罰ゲームはなしということですね」
「じゃあ問題。鍵とかけまして、ビニール傘とときます。その心は?」
「……?」
ビニール傘って、私、一回も使ったことないのでわからないのですが、よく盗まれるらしいですね。
「えー、えー、はい。わかりました。自信ありますよ神野さん」
「答えは?」
「どちらもはんとうめいでしょう。カギはキー、つまり紀伊半島の事ですね」
「正解。じゃあ罰ゲームなしだね」
「じゃあユキくん、終わりに、私から最後に質問があります」
「なに?」
油断して無防備なユキくんに、私は意を決していいました。
「あんなに盛り上がってもあなたは笑ってくれませんでした。
私があなたの笑顔を見られるのは……いつですか?」
ユキくんは少しため息をつき、本を閉じてソファの上に本を置くとこう返してきました。
「そんなことを考えていたのか」
もちろんさっきのは比喩表現です。ユキくんが笑っても私には見えません。
見ることが出来ません。しかし彼は本気で受け取りました。
結構天然でボケちゃうところがありますからね。
「君に見せられる日が来るといいね。それまでは僕の側に居て欲しい」
「……はい」
この状況では、おそらく百点のユキくんの回答でした。
そして私は一呼吸を置いて答えました。そして私はこう続けます。
「今日は何か色々ありましたから……興奮して目が冴えてますね……ユキくんは?」
「いや……もう寝る……三時間くらいかけてこっちに来たんで眠い」
と言ってからユキくんは歯でも磨きにどこかへ行きました。
「あっ。なら私も寝ます……」
ユキくんは真面目なため、一人で抱え込んで思い詰めがちな性格であることは十分わかりました。
私もこれ以上彼を引き止める気はないので、無言で送りだし、彼はどうやら用意されたベッドのある部屋に戻って行ったことが音で判別できました。
その後、私も一人で静かな部屋にじっとしていると眠くなってきました。
ユキくんの隣の部屋を使い、寝る事にします。
ここは独房や牢ではなく、あくまで人を泊めるためのフロア。
固いベッドと寒い部屋、という刑務所のイメージとは程遠い普通の部屋です。
相変わらず温かみのある人の痕跡がほとんどないので殺風景極まりない簡素な部屋ですが、ともかくベッドに横になり、私は目を閉じました。




