五月十五日
五月十五日。土曜日。朝起きるとベッドのすぐ側で声がしました。
「起きた?」
「起きまし……えっ!?」
ユキくんは昨日泊まってません。お昼に家に帰ってきてから一時間ほどで家族が帰ってきたんですから当たり前ですよ。
そのユキくんが何故家にいるのか意味不明で理解できませんでした。
「君の寝顔がまた見たくて来た」
私は答えるのも面倒臭かったので無視して歯を磨き、最低限顔を洗いました。
よっぽど親しく付き合ってるならまだしも、私は好きな人に寝起きの酷い顔を見られて平気なほど男慣れしてません。
純情でピュアなのです。洗面所のお湯で入念に顔をマッサージしてからリビングのユキくんに、とりあえずこう質問しました。
「どうやって入ったんです?」
「君の彼氏だと説明したら入れてもらえた」
「そうですか……あなた段々遠慮がなくなってきましたね。トントンに知られたらせっかくの計画がパーですよ。
せっかく私に必死こいて近づいたのにそれが無駄になっちゃうじゃないですか」
「……それでもここに来たかった。出来るだけ早く」
まさか本当に寝顔を見るだけのために来たんでしょうか。
質問してもよかったんですが、しなかったので真実は闇の中です。
「すみません……焦る気持ちはわかります。私が、その、気が逸って来てしまったせいですよね。
そのせいで予定より一週間くらい捜査の予定が遅れてしまいますけど、それはごめんなさい」
「僕は五年待った。いまさらあと一週間くらい……でもいつ戻る?」
「何かタイミング失っちゃいましたし、週末までは居ようかなと」
「遠慮がないのはお互い様だな……」
「似た者同士なんですかね?」
「似ている部分はある。例えば自分の血統に複雑な感情を持ってるところとか。
誇りを持ってるし、恩恵もあるけどそのせいで災難もある」
「そうかもですね。でも私は災難だと思ったことはないですよ。
何だかんだあっても、今までほらこうして元気にやってこられましたから」
「それに、その目があったから君に出会えた。
お互いが他にはない血統だったから巡り会った。つくづく君に瞳と名付けた両親に感謝したい……」
などと、ユキくんは一人で語り、一人で感じ入り出しました。
薄々気づいてた事ですけど、この人どこまで演技でどこまで本気か分からないですよね。
ただ、私に吐く甘言はある程度事前に用意してそうではあります。
「そうですね。あなたが褒めてくれたから、私は少しだけ瞳って名前が好きになれそうな気がします。
でもあれですよ。アンジェリーナの方は忘れてくださいよ?」
「アンジェリーナ。まさしく天使の羽根の舞い散るような美しい響きで君にとても似合って……」
「なんかスイッチ入っちゃいましたね……それより早く帰ってください。
まさか今日ずっとここに居る気じゃないでしょうね。
忘れたんですか。私はあなたの友達かもしれませんけど、恋人じゃありません!
従って事件の捜査に関わらない事でこれ以上お話する気はありませんからね」
「わかったよ。この事件が解決したら君に告白……交際してほしいと正式に申し込む」
「それなんか死亡フラグみたいですよ……ただでさえ、春の雪なんて言う儚げですぐ解けて消えてしまいそうな名前なんですから……」
「そうかも知れないね……」
あえて死ぬことは否定せず、ユキくんはその後きびすを返して家を出て行きました。
正直言うとさっきの申し出、私は実に塩対応だったわけですが内心では大喜びしていました。
何しろ私は昨日彼を家に招いた時から、いえ、彼と教室で手を繋いでいた時からセックスの事ばかり考えていたからだ、ということをここで激白しましょう。
そうです。誰もいない家に入れた時点でそれは向こうもわかっていた事ですからね。
別にそれ自体が目的だったわけじゃありません。
そうではなく、彼の心を試したかったんです。
考えても見てください。私には出会いというものが全くありません。
出会おうという意思もこれはありません。
友達もいませんし、まして男性なんて身近な人では他に親戚しかいません。
そんな私にとってユキくんが唯一の友達で、そして男性になることは、彼と出会う前から自明でした。
彼はそこも考えたうえでとても籠絡しやすく自分に依存させやすい、この私に接触したはずです。
その私と肉体関係を結ぶというのは、ごく普通に誰とでも恋が出来る一般的な女性とのそれとは全く異なる意味が出てきます。
私にとって彼が最初で最後になるかもしれないんです。
家の都合による許婚がいる上、そもそも初恋の女の子を目の前で失っていて、普段の態度や言葉とは裏腹に、とても恋愛などという気分ではないであろう彼を誘うとどう出るか。
正直分かりきっていたことですが、やっぱり彼は拒絶してきたんです。
彼にとって私は道具だからでしょうか。
モードが、「ショコラが大好物だったとしてもショコラと結婚しないでしょう」と言っていた通りかも。
私は便利な道具なので彼は私がとても好きだと思います。それは事実です。
でも私とそういう関係になって責任重大な立場になるのはごめんだと彼は考えているはずだ、と彼が私に約束をする寸前まで私は思っていました。
ところが彼にとって心の中で比重が変わってきたのかも知れません。
彼の中で圧倒的に重かったのは鳰さんへの感情。
他はどうでもいい、というのが以前の彼だったのかも知れません。
しかしながら、今の彼はその中で私の比重が増しており、下手をすると鳰さんより大きな存在になってるのかもしれません。
もしかすると私と同じように、この捜査が終わってほしくないとさえ思っているのかも。
私には、結局のところグチャグチャ考えたところで彼の気持ちはわかりません。
だから気持ちを確かめたくて誰もいない家に誘い、下着姿になりました。
キス一つしてくれなかった代わりに、彼は私に交際を申し込む約束をし、私はこれに満足しました。
でも冷静になった夜、今考えてみるとですよ?
私は彼のいう口先だけの好きだとか、天使のように可愛いだとか、そういう言葉は要らないから態度で示してほしいと思ってセックスを望んだわけですよ。
でも結局彼との口約束で満足している私は論理的に考えておかしいです。
何がしたかったんだろうって感じです。
あるいは、もしかするとユキくんは私の単純な心を全て完璧に読みきって手のひらの上で操っているのかも。




